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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本の学校は規律が厳しく管理が不十分なぜ?)

日本の学校の規律と管理の不十分さについての疑問

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
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回答No.9

 おやおや逆ギレですか、困ったものです。 >ほとんどの先進国で義務教育が導入しているということは、政府が国民のことを道具としかみていないという証拠です。 生まれたときから戸籍というナンバーをつけられ、強制的に施設にいれられ、そこでも、点数や内申点といった優劣をつけられ、世間にでても、学歴や資格などといった見えないバーコードを、貼られる、国家の歯車の糧となる。・・ これのどこが道徳的といえるのでしょうか?  はははっ、基本的な部分を勘違いもしています。基礎教育の意義は、国民誰しもが持つ共有知を享受するとの意味であり、それは国民が政府を監視するとの意味を持つ基本的な部分です。  ですから、貴方の発想の方が逆転しているのですよ。実際にフランス革命以後の近代史を紐解けば、そこにあるのは市民社会の成熟を求めての動きといえます。  そして戸籍の問題。これはイエ意識を象徴的に物語る事象です。イエ社会の典型が「○○家と××家の~」といった様に「個人」が形成されていない前近代社会の残滓といえます。これは田舎へ行けば行くほど今でも強い。なぜなら田舎には地主という存在があり、それが未だに地元ボス的な存在として踏ん反り返っている構造だからですよ。そうした構造をぶち壊すことから日本の戦後は始まったはずですが、それを温存してきたのが今の年寄り達です。中にはリベラルで開明的な方もいらっしゃいますが、まだまだ少数派です。  もし基礎教育を受けないままならば、どの様なデメリットを受けるか。そしてアメリカのように学校に通わせずとも家庭で教育を施すならば、自然科学での天地創造説などをそのまま鵜呑みにさせる愚か者を世の中に放つだけでしかありません。  自らが思考し行動するためには、その基礎課程を全員が修め、更に学びたい者だけがその後に進めば良いだけの話で、猫も杓子もの様に誰もが大学に入れる方が異常といえます。能力に違いがあるのは当然の話で、けれどもその能力を何れの領域で開花させるかはそれこそ個人の自由です。誰にも束縛される必要などどこにもありません。これは日本でも海外でも同じです。  義務教育にすら着いていけない子供がどれほどいるかご存知ですか?。満足に適切な漢字の一つも書けず、ひどい場合には平仮名も満足に書くことのできない子供が続出もしています。それも中三でです。少なくともこの時期には頭を押さえつけてでもゴリゴリと勉強させておく必要があり、部活などにうつつを抜かしているから後の課程が苦労する羽目になります。  黒柳徹子さんや長嶋茂雄さんは児童心理学からすればアスペルガーすれすれと言われますが、それでも社会常識は弁えている方々です。しかも野球や演劇だけを求めてきたわけでもありません。そうした一般的素養を義務教育課程でキチンと身に着けているからその上に自らの才能を開花させることもできたといえます。  しかも必ず理解者がいたとの事実もあります。貴方にはそうした理解者がいなかったことも不幸でしょうし、貴方自身がそれを受け容れようとしなかった部分が傲岸不遜ともいえます。  それほどに貴方は傑出した人物と自身で思い込んでいるのでしょうか。それこそ傲慢の極みでしかありません。  >自分の生活が楽になれば、何にでも縋るはずです。それを教育に無理やり結び付けているだけです。 第一、先進国と発展途上国では教育の理念や根本的な考え方が違うのです。同列に扱うことが間違っています。  貴方は問題をすり替えているだけです。自らの言動に責任を持つことの出来る大人が口にする言葉ではありません。  生活のために必要な教育と社会生活をより向上的に発展させることのどこに違いがあります?。社会を構成する最小単位はアフリカであろうとヨーロッパであろうと「個人」であることに変わりはありません(但し、アジアの儒教社会には自立した個人との発想はなく、それこそ国家のための道具でしかなく、考えて行動する人間を極端に嫌いもします。イスラムも同様で、女性は人間ではないとの差別思想が根強く根底にあります。だからこの両者は野蛮でしかないとのことにもなります)。縋るのは宗教に縋ることはあっても、社会的存在として一つの自立した存在ならば、縋る必要など何処にもありません。ガリレオやニュートンが何かに縋りましたか?。カントやニーチェが何かに依存しましたか?。モーツァルトやシェイクスピアが何かにもたれ掛かっていました?  アフリカや中東で井戸掘りをするために三角関数を使う必要もあります。実際に僕の中学生時代は「日本列島の再開発」が国家的至上命題でもありましたから、数学にもその様な三角関数が単元項目として採り上げられていたことも必然です。現在はそれが確率・統計そして集合論に置き換わってもいます。  これは社会の要請に教育行政が応える形です。けれども実際にはその前段階で躓いているのですからお話しにもなりません。  小学校の算数が「事実を扱う」教科目であるのに対し、中学校の数学は「概念の理解」に主軸が移ります。ルートや微積分も同じです。発想を理解する事が実は大切な部分です。微分方程式が解けなければ、大学でマクロ経済学を専攻するのは不可能に近い。国語や社会科でも同様です。文脈理解やメタファの理解から始まり文法による分析も必要です。文法を理解できれば、読解のロジックを読み解くための適切な手掛かりともなります。文学鑑賞は個人のレベルで行えば良い程度の話で、更には教師用指導書なる範解の様な読み方だけが正しいはずもありません。逆にそれが誤った解釈であることも珍しくなく、原著者に抗議を受けたとの話もあります。  同じく、アリストテレスやカントそしてスミスやマルクスそしてヴェーバーを理解するならば、歴史の知識も必要です。そうした専門への入り口となるのが高校の課程ですからそこに至るならば、中学校での準備段階が必要との話になります。それを中学生段階で理解できると思いますか?。そんなに日本の中学生の資質が高いといえる根拠がどこにありますか?。貴方は現実を知らないだけです、それで義務教育が不要などの寝言は笑い話にもなりません 笑    >本来優れた人間とは社会、人間的にも謙虚で理想や熱意に溢れた、人間性のある人物のことを指す言葉ですが、今の日本が、グローバル化し、アメリカのいいなりになってからは、上の命令にはなんでも従い、文句もいわず、たた与えられた課題をクリアするだけの働きアリ、国家の手足になりえる人材を優秀と呼ぶようになりました。 これらの問題を解決するためには、国際化から手を切り、戦前のような、質素で内容の深い日本独自の社会を築くしかありませんが、あなたのように欧米の食や文化などの華やかさや贅沢の味を覚えた人間がいる限りそれは、無理でしょうね。 最後に自由は、言葉の通り自由です。人目を憚らず好き勝手やることです。それ以下でもそれ以上でもありません。    ここまでいくと呆れてものがいえません。政府の言いなりになる人間を育ててきたのが1945年以前の教育であり、戦後のそれは日米安保とMSAによって大きく方向転換を余儀なくされた形で戦前回帰と呼ばれてもいます。もう少し戦後史の勉強をする必要がありそうですね、しかも抜本的に。  欧米が決して華やかな文化とはいえもしません。精神風土としてのヨーロッパが自由と人間の尊厳を目指しての戦いの絶え間ない連続であったこと。そしてその支えとなったのは、常に人間の思索でありそれが哲学と呼ばれる存在であること。更にはその「哲学」をベースとして様々な社会科学や社会思想が形成され、それらが互いにアウフヘーベンされる形で今も尚進化し続けていること。これらに対し嘗ての日本と戦後の日本の間に横たわる断続性と連続性から導き出される結論として、日本の教育が臣民教育であり、サイレントマジョリティを作るために最も有効に機能していたことを踏まえない限り、貴方の立てた課題とその補足自体が矛盾だらけの観念論となります。否、観念論以前の思い付きレベルでしかありません。  好き勝手にやることが自由の意味であるならば、自由と自由が対立したならどうしますか?。貴方の自由が僕にとってはこの上なく迷惑であるなら、僕は貴方に対し「恐縮ですが、もう少し静かにしていただけませんか?」とお願いすることもあります。つまりは相手と自分との距離感を適切に保つことが前提にもなります。これだけアリストテレスから現代至る迄の間、一貫して変わらない部分ともいえます。  もし貴方の定義する「人間」とやらが既に胡散臭い宗教レベルの話であるならば別の話ですが 笑

takutoesxvfs
質問者

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回答ありです

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