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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本の学校は規律が厳しく管理が不十分なぜ?)

日本の学校の規律と管理の不十分さについての疑問

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 昨夜の再訪です。昨夜の回答が一部編集されたとのことですので、改めて別の角度からお話しします。 世界中で最も勉強しない大学生を大量にそして粗製濫造している国はどこであるか、知っていますか?。  それは他ならぬこの日本国です。知識量や処世術には長けているが、自ら考えることをしない木偶の坊が多勢いることも確かです。僕も何年後かには還暦を迎え定年間近にもなりますが、これまで中学をはじめ高校や予備校で教えてもきました。そして現在は企業勤務と大学教育双方に携わる二足草鞋でもあります。  その中で感じたこととして、日本の学生は答ばかりを欲しがり、そこに至るプロセスには目もくれようとしない傾向も多々あるとの部分です。更に何よりも本を読まなくなったこともあります。これは日本固有の特異な現象ともいえ、そこに更に拍車を掛けた1つの原因が「ゆとり教育」であるともされています。  けれどもその「ゆとり教育」も当初の理念からは全くかけ離れたグロテスクで骨抜きの形に歪められてしまったことも一面の事実です。  最初「自ら考えそして行動する人間を育てるために学科目を越えてのカリキュラム作り」でしたが、それが受験のために教科目のコマに振り返られてしまうとの皮肉な現象を生み出しもしました。  その根底にあるのは、ランク付けとのモノサシです。どこそこの大学に入ればある程度の保証を手に入れることができるとの幻想を生む、あのつまらない存在です。  中学が高校への、そして高校が大学への通過儀礼的な位置付けとなり、本来ならばより専門に特化し尚且つそれを深化させるべきはずの大学ですら、今では就職のための通過儀礼的な認識を一般社会には持たれてもいます。これが最大の病巣ともいえ、有名大学に入れば取り敢えずは有名企業の採用試験に出願することができるとの薄っぺらな証明書を発行する機関に堕してもしまっています。  殊にFランと呼ばれる底辺大学の学生の質にはヒドイものがあり、中学生である貴方も恐らくはビックリして気絶してしまうかもしれません。そんなどうしようもない大学でも大学院時代の友人から、三拝四拝されてしぶしぶ一年間だけ教えた経験がありますが、先ずは試験の答案すらまともに書くことの出来ない学生がゴロゴロしてもいます。その彼等こそが「ゆとり世代」の代表格です。  なぜ彼等がそうなってしまったのかといえば、総合学習の時間であるべきはずのコマに対して、自分達で作ろうとする志向が全く見られなかったことが最大の原因ともいえます。如何に受験科目への振り替えを行ったとしても、それだけのキャパシティが備わってもいない状態ですから、どの様な方策を講じても無駄でしかありません。そして高校以上ならば義務教育課程でもありませんので、来て下さいと頼むわけでもありません。勉強したい人だけが行けば済むはずの場所がいつの間にやら、選り好みすらしなければどこかの大学に必ず入ることのできる時代です。それでも定員割れし、留年や退学との状況をあちらこちらに見ることも比較的容易です。  一つの科目教科書が薄くなるということは、それだけ教える内容・学ぶ知識量が減ることを意味します。解りますよねこの意味が。そして更に恐ろしいこととして、例えば「円周率」り扱いがあります。円周率は一般的に「3.14……………………」の形で教えるとの基本ルールがゆとり以前では普通でしたが、それがゆとり世代が中学校段階で教えられたのは、なんと「円周率=3」とのまことに大胆で恐ろしい無茶ぶりでした。僕が中学生の頃には三角関数のsin・cos・tanを三年の段階で教えられもし、二年の時には数学の五心の展開の仕方も教わりました(年がバレます!)。それが「円周率=π」ならばいざしらず、「円周率=3」ではお話しにもなりません。「考える力を育てる」にしても基本的な知識を前提としなければ、議論すらできないとの話にもなります。    >校則が厳しく これは外国ならば前提の前提です。自分達で学校活動を運営するためには自分達も責任を負わねばなりません。それを外国では既に子供の頃から教えられてもいます。これが権利と責任の関係を考える前提にもなっているが、日本では「考えて行動する人間」を殊に他に嫌いもする風潮が根強く残ってもいて、それが「出る杭は打たれる」などの日本人の精神文化的特性にも表れています。  貴方に、そのような大人の振るまいができますか?。できないからそれを助言する形での規則があるとの話になります。  自由といっても、やりたい放題と同義語ではありません。従ってあなたは「自由の意味」を理解しているとはいえないことになります。自由とは厳しいものであることも忘れないで下さい。

takutoesxvfs
質問者

お礼

回答ありです

takutoesxvfs
質問者

補足

ほとんどの先進国で義務教育が導入しているということは、政府が国民のことを道具としかみていないという証拠です。 生まれたときから戸籍というナンバーをつけられ、強制的に施設にいれられ、そこでも、点数や内申点といった優劣をつけられ、世間にでても、学歴や資格などといった見えないバーコードを、貼られる、国家の歯車の糧となる。・・ これのどこが道徳的といえるのでしょうか? 今の学歴社会こそ、人間を経済の物としか見ていない最低の国恥だと思います。所詮必要悪ですね。 アフリカの人間が救いが欲しいのは本当ですよ。3DSは少し、言いすぎだと思いますが、自分の生活が楽になれば、何にでも縋るはずです。それを教育に無理やり結び付けているだけです。 第一、先進国と、発展途上国では教育の理念や根本的な考え方が違うのです。同列に扱うことが間違っています。 本文にも書いてあると思いますが、発展途上国では、生活や生きていくために必要な教育、昔の江戸時代のような工学や農学、天候学やそろばんなどです。ルートや微分積分などでは、ありません。 確かに貴方の言うとおり、今の高校や大学などは、就職のための通過儀礼的と化しているのは、私も同情します。 ですが、それは国民にとって必要無いような、英語や数学など、他国との不毛な競争を意識した内容になったため、内容が難解なだけで得られる物が何もない教育に国民が愛想をつかした結果であり、国語や社会学など誰でも使う可能性のある教育なら、生徒も興味を持つはずです。 本来優れた人間とは社会、人間的にも謙虚で理想や熱意に溢れた、人間性のある人物のことを指す言葉ですが、今の日本が、グローバル化し、アメリカのいいなりになってからは、上の命令にはなんでも従い、文句もいわず、たた与えられた課題をクリアするだけの働きアリ、国家の手足になりえる人材を優秀と呼ぶようになりました。 これらの問題を解決するためには、国際化から手を切り、戦前のような、質素で内容の深い日本独自の社会を築くしかありませんが、あなたのように欧米の食や文化などの華やかさや贅沢の味を覚えた人間がいる限りそれは、無理でしょうね。 最後に自由は、言葉の通り自由です。人目を憚らず好き勝手やることです。それ以下でもそれ以上でもありません。 好き勝手やられると困るから政府や法律があるだけの話しです

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