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野茂の前にMLBに行く人は何故居なかった?
元祖MLBの開拓者の野茂ですが 彼の前には何故挑戦する選手がいなかったのでしょうか? 行くこと自体は可能だったがそういう発想が無かった? システムが確率されていなかった?スカウトや代理人が居なかった? 行っても通用しないという概念しかなかった? 海外へいくという風習が当時は国内で受け入れがたかった? どれなのでしょうか?解説をお願い致します。
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前の回答者様の言う、マッシーこと村上雅則投手がサンフランシスコ・ジャイアンツに在籍していますね。 ただ野茂英雄投手については、MLBに挑戦というより、当時の状況ではMLBに”行かざるを得なかった”という問題があります。近鉄とトラブル(今では当たり前の代理人交渉を近鉄が拒否。何しろ近鉄にとって選手=社員程度の扱い)になって他球団への移籍は出来ず、かといってクオリティの低い他国リーグへの移籍も出来ない。行き場がMLBしかなかった、という事情があります。近鉄はあれだけの成績を収めた投手を”干す”目的で”任意引退”扱いにして、他球団移籍の道を完全に閉ざしてしまったわけで。野球選手を続けるには、日本プロ野球の影響の及ばない、アメリカMLBしか場所はなかったと。 ※ちなみにこの野茂の騒動が元で、現在では任意引退で他国へ移籍することも禁止になりました。 MLBにとっては今もそうですが、日本プロ野球の扱いは3A以下のマイナー、あるいは独立リーグ扱いです。WBCでどれだけ連覇しようが、MLBにとってWBCはエキシビジョン&オープン戦にすぎないのでたいした価値はなし。むしろ人材を見出すための見本市の様相です。実際WBC後に移籍する日本人選手はWBCでの活躍で契約に有利に働いていますし。 今でこそそうしてMLBから日本人選手を”活躍しそうだから”獲得に動くという活動はありますが、当時以前に限れば日本プロ野球の選手のMLBでの活躍は”あり得ない”という意見がほぼ全てでした。しかも、当時の日本プロ野球選手の獲得には、とにかく日米プロ野球界の常識に乖離があり過ぎました。 前述の村上雅則投手にしても、元々南海が(冗談半分に存在を忘れていたとも言われていますが)アメリカに野球留学した村上と契約の有無を明らかにしなかったことで、村上側が戦力外と判断してサンフランシスコ(以下SF)と契約。そこで活躍したもんだから(シーズン途中からの加入で1勝1敗、防御率1.80…SFにとっては十分過ぎる成績)、SFが2年目の契約を結ぼうとしたところで、南海がうちの契約があると勝手に前年からの契約を締結。結局メジャーリーガーとしてバラ色の未来があるはずだった村上投手は、ガメつい南海のワガママによって(SFと南海では、留学した選手をSFが獲得した際、保証金として1万ドルを支払う契約があり、南海はその1万ドルを受け取った上で村上を戻した)、それ以降それほどパッとしない日本プロ野球の投手としての野球人生を送る羽目になりました。 この時の契約のゴタゴタ(保証金取った上で契約横取り)がMLBの所属チーム全体に広まり、MLB側が意図的に日本人選手と契約しないよう暗黙の了解が出来上がった、とさえ言われています。村上のSF退団から野茂英雄のドジャーズ入団まで31年もの間”消極的な日本人排斥”が行われていたわけです。その途中晩年期の江夏豊があの丸々とした体を揺すってメジャーに挑戦しましたが、報道では惜しくもメジャー契約ならずということで報じられましたが、実際は挑戦と決まった時からMLB全球団は江夏を獲得せず、と決まっていたようです。 ※その30年の間に日本プロ野球史上最悪害人の呼び声高い、ジョー・ペピトーン事件もありましたし。MLBは日本人を獲得しない、日本プロ野球もMLB選手の移籍に背を向ける、そういう両国野球界の冷戦期にも含まれています。その意味では名の知れた日本人選手のMLB挑戦での最大の被害者は、あの江夏豊だったのかもしれません。 野茂にしても後の伊良部にしても、その後の評価はあくまでもMLB移籍後の成績で決まったと言えばいいでしょうか。野茂はセンセーショナルな序盤の活躍は見せたものの、MLBでの通算勝利数が少なすぎたので野球殿堂には入れなかった(日本のものには入れましたが)。一方伊良部は結局MLBでの評価が”太ったヒキガエル”以外聞かれない、鬼籍に入った方に言うセリフではありませんが、MLBにとって存在自体が”なかったこと”に値する評価だったわけです。 入札制度で移籍し活躍したイチロー、FAで移籍して数字的評価は大きくないが何しろあのヤンキースの主力として記録も記憶も残した松井秀喜、この両名が移籍する以前までの日本人のMLB挑戦は、不遇というしかないかもしれません。それ以降の選手も投手はそこそこ当たりがありますが、打者についてはほぼ総崩れの現状では、MLBにとって日本人で必要なのは”投手”なのかもしれません。 長文失礼しました。ただ1つだけ付け加えるなら、野茂の前にMLBに移籍した選手、移籍しようとした日本人選手は実は数多くいたということ。ただその中で唯一の成功例が村上雅則投手だけだったので、その間の30年を空白期間とみられるのかもしれませんが。
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- jyunkyuu
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先の回答者さんもお答えになっていますが、村上雅則さんの保有権問題が大きくこじれて「もう日本選手はこりごり」という空気が大リーグに万延したのが最大の理由です。 まさかの活躍で南海がスケベ心を出して強硬に保有権を主張しました。ファン獲得の格好の目玉、長島に勝るヒーロー出現とでも考えたんでしょう。当時の新聞の縮刷版を閲覧すればよくわかります。 今になって「あの時南海が寛容になって村上を大リーグに残しておけば50~100セーブは間違いなかっただろうし、大リーグとの新たなパイプができていたはずだ」と言われています。 強いけど全国的な人気のなかった当時の南海球団の気持ちもわかりますがねえ。
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回答ありがとうございました。
- tratra60
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西武時代の秋山幸二が挑戦しようとしてました。が当時は西武黄金時代であるため球団が許可しなかった。 また当時は、日本にFA制度やポスティングシステムが存在していなかったのも影響してます。
お礼
回答ありがとうございました。
- 1paku
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江夏豊が、大リーグ挑戦したとき、年齢を理由に不合格でした。 FAの権利が比較的若い時に取れるようになって、野茂さんのように活躍できるチャンスが生まれました。 野茂さんの活躍を、日本の新聞・テレビで紹介したのも大きな変化です。 海外も日本も、おなじという意識が芽生えました。 日本から海外へ。野茂さんがその道を切り開いたからこそ、後に続く選手が゛ぞくぞく現れたのでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。
- Danniel
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行けなかった、行くシステムが無かったということです。 プロ野球に入ると、選手の保有権は球団に有ります。 任意引退しても保有権は球団に有ります。 幾らMLBで出来る実力が見込めても、勝手にメジャーに行けません。 野茂は近鉄球団とケンカして任意引退して、アメリカに行きました。 当時は任意引退選手の保有権はアメリカには及びませんでした。 アメリカと取り決めが無かったからです。 でもこんな方法は円満退団ではないので、野茂は日本に戻る場所は有りません。 ルールが整備されていけるようになったということです。
お礼
回答ありがとうございました。
- nankaiporks
- ベストアンサー率23% (1062/4473)
村上氏は、南海がアメリカキャンプを行い、そこでジャイアンツが目を付け、移籍したんじゃなかったかな? しかも短期で帰ってるから、レンタル移籍みたいな感じでしたね。 それでもあの時代に球団が移籍を認めたのは、すごいことです。 江夏も西武を退団後、ブリュワーズのキャンプに参加してましたね。 当時の青い縦縞のユニフォームが日ハム時代(在籍当時)を思い出させてくれました。 球団が移籍を認めたり、NPBとしてシステムが構築されてたら、もっと早くに、メジャーがほしがっていた秋山や佐々木誠は海を渡ってたかもしれませんね。 一説には、長島もメジャーから誘われてた、という話も聞いた事があります。
お礼
回答ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1962/11743)
居ましたよ… 村上氏とか 意外と知られてないけど江夏豊とか(彼はマイナー止まりでしたが) 多分 メジャーに挑戦した最初の日本人は ジャップ・ミカド氏 では無いでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。
- etranger-t
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他の回答者さんの通りで、野茂より以前は日本のプロ野球からメジャーリーグへ行くというシステムが出来上がっていませんでした。 でも、一人いるじゃないですか? 質問者様がお若いのであれば知らないかも知れませんが、阪神や広島などで活躍した大投手の「江夏豊」が晩年にメジャーに挑戦しています。 当時のスポーツ新聞では、毎日のように江夏がメジャーで挑戦している様子を伝えていて、ワクワクしたものです。 結果的に開幕メジャー枠に入れなくて諦めましたが、鮮明に記憶しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%A4%8F%E8%B1%8A#.E3.83.A1.E3.82.B8.E3.83.A3.E3.83.BC.E6.8C.91.E6.88.A6
お礼
回答ありがとうございました。
- norikhaki
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野茂氏の30年前に南海ホークスに居た村上雅則氏が第一号です。 村上氏の後野茂氏まで誰もいなかったのは 移籍に関し環境が未整備だったことが大きな要因だと思います。 メージャーからみても活躍できそうな選手は居たはずです。 (元西武の秋山選手など) 野茂氏は鈴木啓二監督との確執や契約の問題で近鉄と契約を結ばなかったため 任意引退扱いとなり日本の球団とは契約できなかったため メジャーに行かざるを得なかったのです。 野茂氏が活躍したのでMLBとNPBの間で協定が結ばれ 移籍しやすくなったのです。
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回答ありがとうございました。
野茂の前約30年前に一人、野球留学してスカウトされた人がいます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E6%8C%91%E6%88%A6#MLB.E3.81.A7.E3.83.97.E3.83.AC.E3.83.BC.E3.81.97.E3.81.9F.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E9.81.B8.E6.89.8B.E4.B8.80.E8.A6.A7 フリーエージェント制度がなかったのと、球団が認めなかったため球団を退団せざるをえなかったため です。 代理人も近年になって出来たものですから。日本では。 1990年代かな
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回答ありがとうございました。
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回答ありがとうございました。