福禄寿と布袋の男色?

このQ&Aのポイント
  • 福禄寿と布袋の男色についての疑問や絵の意味について解説します。
  • 福禄寿は男性でも女性でもあり、絵の中の男色には何らかの意味がある可能性があります。
  • 福禄寿と布袋、立川流の男女和合には陰陽道の考え方や信仰が関係しているかもしれません。
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福禄寿と布袋の男色?

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Unidentified_Artist_Untold_Stories_in_Japanese_Mythology.jpg?uselang=ja 七福神の、福禄寿と布袋みたいですが男色? それとも福禄寿って女神なんでしょうか? なんでこのような絵が描かれたんでしょうか。 なんらかの信仰にもとづくものでしょうか。 それになんで福禄寿と布袋? 真言立川流なんて宗教もありましたし、信仰と無関係とは言えないと思ったのですが。 立川流の男女和合は陰陽道の考え方に基づくものですよね。 男=陽、女=陰。 男と男の場合は何か意味があるのでしょうか。 ただの戯れ絵だよ~、と思う方、回答はご遠慮ください。 また理由のない回答は固くお断りします。 理由のない回答はいただきましてもスルーさせていただきます。

noname#194025
noname#194025
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noname#224207
noname#224207
回答No.3

No.1です わざわざお礼を記入頂き有難うございます。 回答に説明不足の点があり混乱を招いてしまいましたようで申し訳ありません。 >上野寛永寺と書いてありますか? どこにも書かれてはいません。 寛永寺というのは江戸で最も寺格の高いお寺です。 詳しくは下記サイトをご覧下さい 寛永寺 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/寛永寺 男色と寛永寺の関係は湯島の陰間茶屋というものが有名でした。 陰間茶屋および湯島天神については下記サイトをご覧下さい 陰間茶屋 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/陰間茶屋 神のやしろを想う 雪降る都内の神詣で jinja-kikou.net/bunkyou-taitou-yuki.html 湯島の陰間茶屋については以下のサイトをご覧下さい ハガクレカフェ hagakurecafe.gozaru.jp/iro17kagema.html ご指摘の絵の福禄寿が手にしているのは、杖ではなく軍配です。 軍配は相撲で使われます。 相撲と湯島天神の関係は下記のサイトをご覧下さい 湯島天神 http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm ホームページの右上のサイトマップをクリックして、その中の境内図をクリックしてください 図の下の「境内の歴史」の末尾の方に また文政七年(1824)正月境内で大相撲本場所も行われた。 と説明がされています。 相撲は男と男が裸で取っ組み合います。 以上の連想です。 福禄寿に軍配を持たせたのが重要なヒントかと思います。 すなわち、相撲と湯島天神の陰間茶家の坊主、湯島天神の別当である寛永寺が一枚の絵から読み取れます。 おそらくこの絵は湯島天神での相撲興行の直後に描かれたものではないのでしょうか。 相撲というのは、芝居と同様に江戸っ子の最大の楽しみの一つでした。 湯島天神で興行された時期は横綱が不在の時期でした。 江戸っ子にしてみれば最近の「相撲はだらしがねぇ」といったところだったでしょう。 将軍家が大事にしていて文人墨客に親しまれていた湯島天神。 その別当である東叡山寛永寺。 坊主、相撲、陰間 これ等をすべて七福神にかけて洒落のめしています。 七福神を持ち出してきたのは意表をついた洒落でしょう。 あえて福禄寿を持ち出してきたのは 福=幸福 禄=お金、財産 寿=長寿 の意が含まれているのかもしれません。 これを一瞥して「分かれ!」というのは無茶かと思います。 「わかんねぇ?」「そのわかんねぇところを分かれてぇの!」という訳のわからんことを平気でいうが江戸っ子です。 グズグズ言えば「やぼだねぇ~」と返ってきます。 >すいません、江戸っ子はあなたが考えているよりももっと深い「みたて」「もじり」「やつし」をしていたのではないかと私には思えます。 江戸っ子の「粋ダネー」という一言を理解するために、いろいろともってまわってまことしやかに説明しようとしたために、ご指摘のようなに、何やら御大層な印象を与えてしまっているようですが、長屋の熊公や八公にゃそんな高尚な理屈は無縁です。 お店のご隠居も野暮と言われるのを極度にきらいます。 粋でなくてはしめしがつきません。 江戸の街というのは人口の半分以上が武家で町人と武家が日常的に生活をともにしている極めて特殊な街でした。 武家は町人からの借金漬けです。 町人は才覚一つでいくらでも金を手に入れることができました。 経済的裏付けのない権威などさほど重いものとは考えていませんでした。 ただし、権威を蔑ろにはしませんでした。むしろ大切に扱いました。 この辺の説明は非常に難しいです。 他の都市や藩とは気風が全くことなります。 >反論するような形になってしまい、申し訳ありません。 遠慮は御無用に願います。

noname#194025
質問者

お礼

何度も回答ありがとうございます。 上野寛永寺とは書かれていないのですね。 そうではなく、 (1)寛永寺が男色に関係の深い寺院であった。 (2)福禄寿が軍配をもっている。 というようなことから、推測されたと。 福禄寿と交わっているのがただ坊主か、布袋か。 これをどうとるかで解釈が変わってくると思います。 私は布袋だと思っているので (説明にそうあるので) 湯島天神での相撲興行と結びつける説には手放しで納得できないんですが(そのとおりかも、と思ったりもしています。) でも、おもしろい説だと思いました。 きっと回答者さまはあれこれ推理して考えるのがお好きな方なのでしょうね。 実は私もそうなんです。 東のことは全く知らないので、大変参考になりました。 >相撲は男と男が裸で取っ組み合います。 相撲は陽と陽のぶつかりあいだともいえますね。 陰陽道と関係があるんじゃないかと思います。 陽と陽が重なると重陽となりまして、重陽の節句=9月9日はかつてはたいそう重んじられていたそうですね。 京都の上賀茂神社では重陽の節句にからす相撲を行っています。 重陽の節句と男色、相撲は無関係ではないと思います。 >福禄寿に軍配を持たせたのが重要なヒントかと思います。 すなわち、相撲と湯島天神の陰間茶家の坊主、湯島天神の別当である寛永寺が一枚の絵から読み取れます。 福禄寿と交わっているのが陰間茶屋の坊主だとおっしゃるのはなぜでしょうか? 確かに絵を見ると一般的な布袋とは少し容貌がちがうようにも思えますが、ほかにはこのような布袋像はないのでしょうか。 探してみることにしますね。 >これを一瞥して「分かれ!」というのは無茶かと思います。 「わかんねぇ?」「そのわかんねぇところを分かれてぇの!」という訳のわからんことを平気でいうが江戸っ子です。 グズグズ言えば「やぼだねぇ~」と返ってきます。 江戸っ子のことはよくわかりませんが 言わないことが粋というのはよくわかります。 あることがわかっているという前提で話をするのですね、 確かにその洒落をくどくど説明したらおもしろさが半減してしまう。 しかし、年月がたってくると、意味がわからなくなってしまうんですよね。 平安時代に記された古今和歌集仮名序なんて 昔の人が読んだらわかったのでしょうが 現代人にはほとんど意味がわからなくなってしまっている。 >江戸っ子の「粋ダネー」という一言を理解するために、いろいろともってまわってまことしやかに説明しようとしたために、ご指摘のようなに、何やら御大層な印象を与えてしまっているようですが、 おっしゃるように、湯島天神での相撲興行を描いたものかもしれませんが もっと陰陽道的な意味があるかも、と思ったのです。 福禄寿が交わっているのが布袋だとすれば 布袋は死んだあとに生き返ったという話があります。 そして福禄寿は軍配を持っていますが、軍配は団扇から発達してできたもので、団扇は神や死者の魂を呼び寄せるための神具であったとか。 そうであるとすると、湯島天神で相撲が行われていることにもそのような神事的な意味があったのではないかと思ったりします。 相撲というのはもともと神事として行われていたものですしね。 こういうのは江戸っ子の粋な考え方とはちがうのかもしれませんが、やはり昔の人のことを理解するのに 陰陽道の思想とか、そういうものは考える必要があるんじゃないかと思います。 ですが、大変楽しく読ませていただきました。 ありがとうございました。

noname#194025
質問者

補足

回答者さまの説は大変面白いです。 ですが、納得できないのは、 「なぜ、七福神なのか」「なぜ福禄寿なのか」が理解できないためです。 福=幸福 禄=お金、財産 寿=長寿 と説明してくださっていますが、これらは相撲や男色とどう結びつくのか? というのがいまひとつ納得できない点です。

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  • Pinhole-09
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回答No.4

単純な笑絵(戯れ絵)ではなさそうです。 絹地に日本画の作法にのっとって見事に書かれて おり、名の有る画師の手による芸術性の高い物の 可能性もあります。 娘の嫁入りに持たせる春画の一つでしょう。 福禄寿の軍配については、異名同神といわれる、 寿老人の持ち物に軍配があり、福禄寿の絵の中には 軍配をもつものもあるので、この絵と力士の関係は薄い と思われます。 春画のちょっとどぎつい男女の関係を避けて男色に して、その二人に七福神を選んだ知恵と思います。 ふくよかで何時もにこやかな布袋(夫も家庭も円満) と金福、子宝、長寿の福禄寿を組合わせたのは 最高でしょう。 上品なお姫さまか、大店の娘でしょうか。 泣きたいような時、そっと開けて見て笑だすのでしょう。 江戸時代、「今夜はわたしが負けて上げる」 負けて 帰って来た関取りに、かみさんがいうセリフです。 軍配はこれにひっかけているかもしれません。 夫には何事も譲って夫婦和合し、家庭円満にとの親御 さんの願いです。     余談 男色(衆道)とは戦国から江戸初期までは、今とは違い 厳しいものでした。 命のやりとりの戦場では、衆道の絆は親兄弟より強かった のです。 そのつながりで、江戸時代になっても衆道の上の果たし合い がいくつもありました。 伊賀上野の敵討もこれが発端です。 此の絵の書かれた時は江戸末期でしょうから、そのような 気風は消えていました。

noname#194025
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >絹地に日本画の作法にのっとって見事に書かれて おり、名の有る画師の手による芸術性の高い物の 可能性もあります。 私は芸術というものを解さないセンスのない人間でして~ ですが民俗学的に見て面白い絵だと思いました。 絵が描かれた当時の人がどんなことを考えていたのか 1枚の絵から想像するのは楽しいことですね。 >福禄寿の軍配については、異名同神といわれる、 寿老人の持ち物に軍配があり、福禄寿の絵の中には 軍配をもつものもあるので、この絵と力士の関係は薄い と思われます。 そうですか、軍配をもつ福禄寿の神像もありますか。 そもそもなぜ福禄寿は軍配をもっているのか、そのあたりが気になりますね。 軍配のルーツは団扇にあると思いますが 団扇とは死者や神の魂を招きよせるための神具であったとか。 すると福禄寿や寿老人は死者や神の魂を招きよせる能力を持った仙人であったのではないかなど、想像が膨らみます。 >春画のちょっとどぎつい男女の関係を避けて男色に して、その二人に七福神を選んだ知恵と思います。 うーん、そうかなああ? 私は女性ですが若いころBLの漫画などが大変流行っておりまして BLというのは美少年と美少年と相場が決まっていました。 juneの世界。 女性というのはそういうものを好みます。 興味本位で本物のモーホーの雑誌なんかを仲間内で回し読みしたりしたこともありますが(笑) えぐくてうけつけなかったです。 ちょうどこの福禄寿の男色の絵のような感じでしたね。 一方春画は着物の柄も美しく細やかに描かれていて 美男美女が多い。 女性はこういうもののほうを好むと思いますが 回答者様は男性でいらっしゃいますか? また、福禄寿の相手はただの寺の坊主だという意見もありますが どう思われますか? あとどうしてもわからないのが 男色と七福神の関係です。 昔の人は式とか形に大変こだわっていたと思います。 意味なく男色と七福神を結びつけないと思うんですが。 和合がめでたいものだというなら 七福神の毘沙門天と弁財天でノーマルな和合図でもよかったのではなんて思ってしまうのですね。 ちょっと理屈っぽいかなあ。 すいません。

noname#194025
質問者

補足

今思い出しましたが、軍配を持つ布袋像というのもありますね。 http://everkyoto.web.fc2.com/report411.html 上から5枚目

回答No.2

要点は NO.1 さんがお答え下さいました。 古来、女性は穢れ多いもの、とされてきました。 恐らく月毎の出血が、穢れ思想に結びついたものでしょう。 このため、日本には女人禁制とされた聖地も沢山有りました。 富士山などもその一つですが、相撲(古くは「素舞=裸踊り」)も神への奉納の舞とされ、土俵は今でも原則女人禁制です。 そうした汚穢の観念から、戦国時代には戦場も女人禁制となり、武将達は近侍の若武者を相手に性欲を満たしていました。こうして男色が極く普遍のこととなり、明治・大正の頃までも持続しました。女色に溺れた武将は、戦の神から見放されて敗戦の憂き目を見るという、神信心とも関係しているようです。 徳川将軍の一人は男色に溺れる余り、正室とも交わらず、側室も持たなかったとか。そのため後継将軍の人選にも一悶着あったと云います。 引用された福禄寿と布袋の絵は、いわゆる春画の類いですが、正規の春画でもなく、要するに笑いを誘う下ネタに属するものです。正規の春画とは、男女の交わりの体位などを描かせ、娘に持たせた嫁入り道具、初夜の手引き書のようなもの・・・これは私見です。 希少価値はあるとしても、芸術作品として世界に誇れるようなものでは有りません。

noname#194025
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >古来、女性は穢れ多いもの、とされてきました。 その一方で、真言立川流といって 美女と交わることで悟りを開くという宗教もありました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99) 陰陽道の影響を受けた真言宗の一派ですね。 女性=穢れたもの という視点は確かにあったとは思いますが その視点だけではかつて立川流が流行していたことの説明がつかない。 >要するに笑いを誘う下ネタに属するものです。 神様の男色なので、単なる下ネタだとは思えないですけどね。 >正規の春画とは、男女の交わりの体位などを描かせ、娘に持たせた嫁入り道具、初夜の手引き書のようなもの・・・これは私見です。 春画とはそういうものだったかもしれませんね。 だけどこれは神様の男色なので少し意味がちがうのでは。 >希少価値はあるとしても、芸術作品として世界に誇れるようなものでは有りません。 春画は芸術的価値が高いと思います。 オールヌードでなく、着物をまとっているところが かえってエロチックでいいなあと思うのですね。 この絵は芸術作品とはいえないでしょうが 民俗学的資料としては面白いと思います。

noname#224207
noname#224207
回答No.1

難しいものを見つけられましたね~ Category:Shunga paintings in the Honolulu Museum of Artの中の一幅ですね。 他のものの中にもJapanese Mythology と区分されたものがありますが、mythology(神話)とは別物です。 この一幅も神話とは縁遠い代物です。 右側の人物も布袋ではないでしょう。ただの中年の腹が出た坊主でしょう。 外法頭という言葉を関西方面でお聞きになられたことはありませんか。 「頭でっかち」の容姿をからかう言葉ではないでしょうか。 一方で外法頭というのは福禄寿のことを意味した言葉です。 現在浮世絵で春画と呼ばれているものは「笑絵」と呼ばれていました。 著名な浮世絵師であれば必ず笑絵を制作しました。 現代とは全く異なる価値観で評価されるとともに取り扱われていました。 大名家や富豪などの娘が嫁入りする際の嫁入り道具にも必ず入れられていました。 出陣の際の鎧櫃にも入れられていました。 この延長で日清日露戦争の出征兵士にも配布されて戦地へ携行されました。 要は現代のような単なる興味本位のポルノではなかったということです。 笑絵の文化論は恐ろしく長くなります。 心の蟠りは「気」が凝縮したもので、その凝縮した「気」をほぐしてやる手段として性を題材とした笑絵が存在していたと考えられています。(ムツカシィー!) 詳しくは下記書籍をご覧下さい 春信の春江戸の春 早川聞多 文春新書 男色も現在とは全く異なる扱いを受けていました。 男女の関係と同等または、場合によってはそれ以上のもとされました。 武士道で有名な「葉隠」にもその心得が延々と述べられています。 詳しくは下記のサイトをご覧下さい。 日本における同性愛 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日本における同性愛 ところが、江戸っ子です。 面倒なことは全部省いて洒落のめしてしまいました。 男色が多いとされたのは女人禁制のお寺です。 一方で上野寛永寺の周辺には坊主相手の岡場所が沢山ありました。 この辺をからかって描いたものでしょう。 福禄寿=外法頭=外法=破壊坊主 肉筆画のようですので、注文品でしょう。 金と閑のあるご隠居が描かせて、粋だネ、しゃれてるネ、とかなんとか楽しんでいたのではないのでしょうか。 「みたて」「やつし」「もじり」などという江戸っ子の悪い癖を理解しないと。恐ろしく難しい話になってしまいます。

noname#194025
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私もこの絵と神話は関係がないと思います。 >右側の人物も布袋ではないでしょう。 Fukurokuju and Hotei from the album, と解説にありますので、布袋だと思いましたが。 >「頭でっかち」の容姿をからかう言葉ではないでしょうか。 どの言葉のことでしょうか? >一方で外法頭というのは福禄寿のことを意味した言葉です。 現在浮世絵で春画と呼ばれているものは「笑絵」と呼ばれていました。 >大名家や富豪などの娘が嫁入りする際の嫁入り道具にも必ず入れられていました。 出陣の際の鎧櫃にも入れられていました。 この延長で日清日露戦争の出征兵士にも配布されて戦地へ携行されました。 そうですか、勉強になりました。 >要は現代のような単なる興味本位のポルノではなかったということです。 私もそう思います。縁起物の類だと思います。 >心の蟠りは「気」が凝縮したもので、その凝縮した「気」をほぐしてやる手段として性を題材とした笑絵が存在していたと考えられています。 それだけですかね? 「嫁入り道具」「出陣」「出征兵士」に持たせたというのはただ「気をほぐす」ためのものではなく そこに何らかの意味が込められているのでは、と私はみますが。 明治に陰陽道が廃止されるまで、日本では陰陽道がたいへんもてはやされていたとか。 茶道や華道にも陰陽道は大きく関係していると思われますし 正月のタコあげや、お屠蘇を飲むことにも 陰陽道的な意味あいがあるとする研究者もいます。 >ところが、江戸っ子です。 面倒なことは全部省いて洒落のめしてしまいました。 面倒なこととはどのようなことでしょうか? 江戸っ子のことはよく存じあげませんが、センスのいい人たちが大勢いたということでしょう。 「言わずともわかる」「知っている人にはわかる」ということで多くを語らない人というのもセンスのあることです。 現代人でも会話の中でそういうことをしますね。 ところが時とともに、わかる人が少なくなってしまって 洒落の意味がわからなくなってしまうことが多々あると思います。 明治に陰陽道が廃止されたので、私たちは江戸っ子のしゃれの深い意味がわからなくなってしまっているのではないでしょうか。 >一方で上野寛永寺の周辺には坊主相手の岡場所が沢山ありました。 この辺をからかって描いたものでしょう。 英語がよくわからないので、解説文もよくわからないのですが 上野寛永寺と書いてありますか? しかし、それならこのようなものを>「みたて」「やつし」「もじり」などという江戸っ子の悪い癖を理解しないと。 すいません、江戸っ子はあなたが考えているよりももっと深い「みたて」「もじり」「やつし」をしていたのではないかと私には思えます。 ご紹介いただいた本は図書館で探してみます。 ウィキも楽しく読ませていただきました。 反論するような形になってしまい、申し訳ありません。

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