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貧困の連鎖を断ち切るのに教育以外はないのか

「貧困の連鎖を断ち切る」という話題では、反射的に!?「教育」という回答が並びますが、教育以外の方法はないのでしょうか。 また、ほぼ全員が教育だけに集中したら、集団から頭1つ抜けるには、教育以外の要素で“差別化”することも必要になるのでは? なお、ここで「教育」というのは、ペーパーテストとか一流大学とか狭義の受験勉強をイメージします。スポーツ・芸術などの分野での“英才教育”は、このトピの「教育」には含めません。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 9-jack
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回答No.35

No.28です。 大体わかりました。 でも、20以上の回答を全部読むのは無理があるし、私が質問したくらいの内容を原文に入れとくくらいの配慮があってもいいんじゃないですかね? 抽象度が高いと人によって捉え方が変わるし、的外れな答えが出ますよね。 さて、本題です。 教育という方法もあると思います。 勉強していい学校入っていい会社入る図式ですね。 が、実際には結構難しいのではないかと思います。 幾つか理由がありますが、前提となるのは勉強していい学校入っていい会社に入って貧困脱出の図式です。 この図式を裏返すと、貧困=いい会社にいない=いい学校を出てない=勉強出来ない、となります。 この図式をもとに話を進めます。 まず、親が勉強出来なければ子供も勉強出来ないことが多いことです。 これは遺伝子の話ですね。 勉強が出来て、いい会社に入っている親の子供は勉強が出来る。 もちろん例外はあります。 確率の話です。 確率論で話を進めます。 もともと勉強が得意な頭の遺伝子を持った子供と勉強が苦手な頭の遺伝子を持った子供では、どちらが勉強出来るのか、可能性が高いのは前者です。 つまり、自力の差です。 次に、勉強の環境の差があります。 裕福な家庭:一人部屋、参考書あり、塾や家庭教師あり、親も教えられる 貧困な家庭:何もなし この差は相当なハンデです。 三つ目に、機会の差です。 裕福な家庭:幼稚園、小学校、中学校、高校、大学のそれぞれで私立のいい学校を受験することが出来ます。浪人もOK 貧困な家庭:当然高校までは公立、大学一発勝負、浪人は出来ません ここまでハンデがあって、貧困な家庭の子供が裕福な家庭の子供に勝っていい会社に入る確率はどれくらいでしょうか? もちろんこれらのハンデを全てはねのけている方もいるとは思いますが、まれではないかと思います。 あくまでも想像の域を出ない話ですが。 前置きが長くなりましたが、いよいよ問題の核心です。 貧困の連鎖を断ち切るにはどうするか? 私が貧困家庭の父親であると仮定します。 勉強は苦手、小さい会社に勤めていたが、会社が倒産し、以降派遣社員になったが、特別なスキルもなく、安い時給で働き、貧困生活。 自分の息子には貧困から脱出してもらいたいが、学校の成績は芳しくなく、一流大学は望めない。 一発逆転を狙って、芸能界やプロスポーツ選手というのもありますが、あまりにも成功する確率が低い。 それなりの素質があればそれもいいでしょうが、そうでなければ貧困継続になってしまいます。 息子に勧めるとしたら、職人の道でしょうか。 例えば大工さんとか、料理人とか。 下積み時代はお金がないでしょうが、腕を磨けば、将来の独立もありえますし、自分の店で成功すれば、貧困脱出です。 但し、この世界は好きこそものの上手なれで、その仕事が好きでないと続かないし、成功することも出来ないと思いますので、この点の見極めは慎重に行う必要があります。 職人以外の選択肢としては、男ならホスト、女ならキャバクラがあります。 ま、いわゆる水商売ですね。 仕事で稼げるというのもありますが、これらの仕事で狙うはやっぱり玉の輿、逆玉でしょう。 連鎖を断ち切るにはこれくらい開き直らないと。 このパターンで連鎖断ち切った人、結構いるんじゃないですか。 ま、これも想像ですけど。 教育以外の手段を探ると、どうしても学歴の必要がない職業になりますね。 まあ、上で書いたように、貧困家庭の子供が連鎖を断ち切るには、教育よりも職人や水商売の方が確率が高い気がしますね。

nijik
質問者

お礼

 再度のご回答ありがとうございます。 >20以上の回答を全部読むのは無理があるし  お手数をかけて申し訳ありません。 >勧めるとしたら、職人の道でしょうか。 >例えば大工さんとか、料理人とか。  35番目のご回答で、初めて、具体的かつ現実的な案が出てきました。ここまで出た案の中ではいちばんうなずけます。「……→ いい大学→ いい会社→ いい人生」という“価値観”を振り切れるかどうかがポイントですね。  以下は余談ですが──  おっしゃるご意見は、匿名掲示板では書けますが、「実名で、マスコミで、公言する」のはなかなかむずかしいようです。とくに、社会的地位・立場・知名度のある人が上のような意見をいうと、きっと叩かれそうな気がします。ネットなら炎上。  叩かれないためには    学校の成績は芳しくなく → トップをさらに伸ばすより、底辺をアップする教育をせよ    一流大学は望めない → 二流でもいいから、奨学金を充実して、行けるようにせよ と、政治・行政を悪者にして、“正論もどき”を言わざるをえないのかも。

その他の回答 (36)

  • one12
  • ベストアンサー率18% (40/215)
回答No.26

貧困の連鎖を断ち切るのに教育以外はないのか 教育以外にないのではなく 貧困の人がやれる事は、出来る事は、 教育しかないからです。 正確には教育(勉学)は、今の日本で 誰でも容易に出来る環境がある事です。 義務教育しかり、頑張れば特待生で教育費が免除にもなります。 そして、優秀であれば、職業を選択する選択肢が 大幅に広げる事が出来るようになります。 結果、貧困からの脱却になると思います。 そして >また、ほぼ全員が教育だけに集中したら、集団から頭1つ抜けるには、 >教育以外の要素で“差別化”することも必要になるのでは? これはその通りです。 私は子供にいっているのは、勉強は自分がやりたい事をやる為の 出発地点のドアを開ける鍵を手に入れる事。 ただ、鍵を手に入れても、やりたい事ができるとはかぎらないよと。 だから、貧困の連鎖を断ち切るのに教育以外ないのではなく 多くの人が出来る事が教育しかないのです。 教育は連鎖断ち切る手段であって、かならず切れるものでないこと。 また、教育は今の日本でもっとも誰でもできる手段なんです。

nijik
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  ご回答の2~4行目 >教育以外にないのではなく 〈中略〉 >教育しかない  すみません。私の読解力では、両者のちがいが分かりません。  ひょっとしたら、No.23さん(下記)とほぼ同じご意見なのでしょうか。 >教育以外で個人ができる方法……そんなものはないのでは? 〈中略〉 >「そんな方法があったら、だれかがとっくにやっている。とっくに知れ渡っている」

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.25

#17です。個人で出来ること、ですね。 まず、貧困の当人ができることは「引っ越すこと」です。孟母が教育によい環境を探して何度も越したように、(一説によると)橋下大阪市長が同和地区から離れて上昇志向を獲得したように、環境を変える事は、非常に有効に機能する事があります。 周囲の人ができることは「環境をよくすること」ですね。NY市はジュリアーニ市長が強力にスラム街の浄化を進め成功しましたが、大阪のアメリカ村や札幌のすすき野では町内会レベルの地道な取り組みが結果を生み出しているようです。 いずれにしても「環境」の変化が良い循環を生みます。ただ、ダメな人はダメです。個人そのものが「改善する」という意思を持たない限りは、よくなりません。

nijik
質問者

お礼

 たびたびのご回答ありがとうございます。  一般論として「環境をよくすること」には同意です。  ただ「花粉症の人が花粉のない地域に引っ越す」のに比べると、「貧困の連鎖の断ち切り」においては、効果が間接的かな?という素朴な思いはあります。

回答No.24

教育より直接給付の方が有効で確実です。 ただしそれは多くの富裕層と生活困窮者が反対します。 子ども手当がその典型です。 オバマケアが上手く進まない理由も同じです。 多くのいじめられっ子は自分が悪いからいじめられていると考えているし、生活困窮者は貧困の原因は自分にあると思っています。家族も国も地域も信じられない人がホームレスになっている例は数多いです。米国の黒人奴隷の多くは白人が神の子であると思っていました。 どんな政策でも企画でもダメな理由はいくらでも作れます。 課税の累進性を高めるのも手段の一つ。ただ政界や官界は富裕者や資産家と強い結び付きがあるのので、多くの抜け道が作られてしまっているのが現状。そういう結びつきでちょっとゴタゴタして一部が表沙汰になったのが渡辺喜美。 累進性を高める政策は、経済の競争原理をより機能させ力の均衡をもたらし経済をより活性化させます。圧倒的な勝者は生まず市場の寡占化を防ぎ、再チャレンジが盛んな状態が生まれやすくなる。 相続税を高めても良いし、資産課税を強化してもよいし、所得に応じて直接給付したり、キャッシュバックしたりしてもよい。また住宅ローンのように規制を付けて、長期的な目的に対してローンを組みやすくしてもよい。 現行の体制派は反発する。多くの社会では7割の人はそれなりに現状を良いと思って体制派についている。逆に革命が起こる時は大不作や大不況がその前兆現象になっている。 福島の原子力事故以前には、日本で原発を停止したら国家沈没するとまことしやかに語られ、その話を大多数の国民は信じていた。 手段はいくらでもあり無限大。ダメな理由をひたすら並べ立てて得意気になる人は数多く、現状維持で何もしたくない人、今より下があると恐怖する人はその話に説得力を感じる。 多くの人は結果論で成功した人を褒め称え、失敗した人を批判する。Appleが現在ほどの成功を収める前はスティーブ・ジョブズはよく批判されていたが、成功し確固たる地位を確立すると多くの人は褒めることしかしなくなり、実は何も観ていない。 根本的にはどんな政治政策であれ、豊富な資源がなければ失敗する可能性が高いし、豊富な資源があれば成功する可能性が高い。よく年金のことが問題になるが、資源調達ができなければ、年金が平等性などまるで無意味になる。 根本的な部分では日本は現状資源小国なので、エネルギー資源を生み出すための公共投資に力を注ぐ必要がある。それは化石燃料なのか、水力、波力、風力などの自然エネルギーなのかは不明。いくつかの技術革新が必要。また資源小国は日本だけではないので、多くの国と協力できる分野でもある。 やることも、やれることもいくらでもあるという話でした。

nijik
質問者

お礼

***お礼の順番が前後しています。乞うご容赦***  再度のご回答ありがとうございます。  ただ、ほかの回答やお礼でくり返しているように、この質問は、「貧困の連鎖を断ち切るのに、政治や行政ができることではなく、個人ができることは何?」とお尋ねしています。  じつは私はベーシックインカム肯定論者で、dai0029390さんのお考えと重なる部分もあるような気もするのですが、個人ができることではないので……

  • suzup
  • ベストアンサー率5% (2/39)
回答No.23

教育以外で個人ができる方法……そんなものはないのでは? ここまで約20件の回答がありますが、具体的(かつ現実的)な方法は1つも上がっていませんから。 No.5さん いっぱいあるけど → 具体例なし No.6さん 年40万で暮らせ → 現実性なし No.7さん いくらでもありますよ → 具体例は元ヤンキーだけ No.16さん 起業 → 貧困層にはきわめて高いハードル No.19さん イヤでも一生懸命に働く → 具体例なし No.20さん 肉体的にはきついですがありますよ → 具体例なし 質問者ご自身がNo.9のお礼でご友人のことばを紹介しておられますが、そのことばとおり、 「そんな方法があったら、だれかがとっくにやっている。とっくに知れ渡っている」 というのが“正解”だと思われます。

  • uraoraura
  • ベストアンサー率22% (17/77)
回答No.22

余計なことは一言も書かずに、教育が余り重要視されない外国に行く。これも回答になってないですか?( ^)o(^ )

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.21

お礼ありがとうございます。 > 「学校教育ではなく学校以外の教育」がそれにあたる、というご意見のようですね。ちがってたらご容赦ください。 大筋、それで結構ですよ。 行政や学校教育に「依存すべき部分」と、「依存すべきでは無い部分」と、「依存してはいけない部分」が有ります。 例えば、依存すべき部分は、経済的な事情で、大学へ行けない学生には、学費を免除するなどです。 また、諸外国に対し、「頭一つ抜ける教育」は、強く期待,要求して良い部分かと思います。 しかし、画一的な学校教育に、「我が子だけには、集団から頭1つ抜ける教育を!」なんてのは、それこそ教育などの平等を謳う憲法に対しても、違反行為ですよ。 即ち、集団として図抜けるべきですが、集団の中の個人が図抜けることは、学校教育の役割ではありません。 当初ご質問に立ち返りますと、人間が何らか良性に成長すると言う事象は、たとえば「優れた思想に触れ、それに感化された」などもありますが、それもやはり広義には「一種の教育を受けた結果」かと思います。 あるいは、そう言う事象を「メンタル面が鍛えられた」などと表現することも出来ますが、人間にはメンタル(精神)などと言う器官は存在せず、実際に鍛えられたのは「脳」です。 更にご質問では、「スポーツ・芸術などの分野」を除くとなっていますが、芸術的なセンスなども、やはり「脳」だし、スポーツにおける筋力などを除けば、理論を理解したり、運動を司るのも「脳」です。 従い、結局のところ、「いつ,誰が,どの様な局面で,どの様に,どの程度まで脳を鍛えるか?」によって、人格が形成されると言え、その「脳を鍛える」とは、ほぼ「教育」と同義かと思いますよ。 また、画一的な学校教育などにおいて、個人差は生じても、個性は余り生じないでしょう。 むしろ個性が、個人差を生じる原因の一つと言う関係性かと思います。 その個性が生じるのは、個々に違う環境であって、その環境の違いの中の最大因子は「家庭」かと思います。 家庭環境などの違いから、本来は遺伝では無い「貧困の連鎖」なども、環境が育む個性として、後天的な遺伝的に連鎖,継承されるのでしょう。

nijik
質問者

お礼

 再度のご回答ありがとうございます。 >集団として図抜けるべきですが、集団の中の個人が図抜けることは、学校教育の役割ではありません。 >画一的な学校教育などにおいて、個人差は生じても、個性は余り生じないでしょう。  これらは、言われてみればごもっともながら、なかなかの名言ですね。機会があれば私もどこかで使いたい(つまりパクリたい)です。  なかば余談ですが、「こどもの教育費は惜しまない」と言いながら新聞購読していない家庭に、私は困惑します。新聞は、知的な環境をつくるのに効果的なツールだとおもうのですが。

  • uraoraura
  • ベストアンサー率22% (17/77)
回答No.20

教育以外の方法。当然のことながら教育が余り必要とされない、高収入な職業につく。そういうのはどうでしょうか?肉体的にはきついですがありますよ。 それと教育(学校教育)は受けなくても本を読み独学で実力を培うのもありでしょうね。ただしその場合、その実力を認めてもらうにはそれこそ血のにじむような努力と誰にも負けない圧倒的な知識を得る必要がいるでしょうね。(何といっても現代社会は実力の目安としてまず学歴を見ますので)福沢諭吉の『学問のすゝめ』、読んだ事ありますか?幕末から明治へかけて生きた人間の気迫がひしひしと伝わってきます。当時は満足な辞書なんてありませんでした。それからすれば今の世の中、結構住みやすいでしょ。努力次第で何とでもなりますよ。 なお幸福の実現は壮大でも崇高でもないと思いますよ。世の中には与えられた現状で幸せを感じようとする人は結構います。むしろ日常的な事であってそれを特別な事として受け取る考え方は理解できないですね。 まあ貧困の連鎖なんて余り気にしないことでしょ。平成に入ってからピカイチの、日本の最高指導者にまで上り詰めた方も3代さかのぼれば○○○でした。一方、平安時代は貴族の最高のポストだったのに江戸時代の初めには小大名、明治にはすでに農民になっていた、そんな例もあります。'連鎖'なんて言葉だれが言い出したのだろう( ^)o(^ )

nijik
質問者

お礼

 失礼ながら、これは回答ではありません。  幸福論・歴史観については、他のスレでお願いします。

回答No.19

「貧困から抜け出す」には、「イヤでも一生懸命に働く」しかありません。 ほとんどの貧困の原因は、病気や障害が無ければ、その個人の資質が原因です。 「規律を守れない」「我慢が出来ない」「根気が続かない」と「楽をしたがる気質」が 一番の問題です。 この資質を生み出す一つの大きな原因は、親の生活態度です。 親の自堕落で、享楽的な生活態度を見ながら成長した子供は、同じような生活を始 める可能性は、高いと言わざるを得ません。これが「貧困の連鎖」を生じさせてい ます。 ご質問の「貧困の連鎖を断ち切る」方法としては、 「親から引き離す」「住んでいる場所を変える」 しかありませんが、これは個人でも社会でも実施不可能です。 ご質問の趣旨に反しますが、私は「貧困の連鎖」を助長する今の風潮が問題と思っ ています。 「ホームレス」「ニート」とか、訳の解らない言葉で、実態を誤魔化していないか? 仕事に好き嫌いを言い募り、「生活保護の権利」のみを主張し過ぎていないか? 社会の一員としての自覚が欠如し、甘えの意識しか無いのではないか? 学校、もしくは社会全体で、「勤労の義務」「恥の文化」の倫理教育をすべきです。 結論は、 「貧困から抜け出す」には、「つべこべ言わずに働け」しかありません。

nijik
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  厳密にいうと、「貧困から抜け出す方法」と「貧困の連鎖を断ち切る方法」とは異なります。  ご回答は、前者に対しては「イヤでも一生懸命に働く」  後者に対しては「親から引き離す」等でしょうか。(ただし実施不可能)

  • uraoraura
  • ベストアンサー率22% (17/77)
回答No.18

コメントが削除されてしまったようですね。ダイレクトにそのものずばりのコメントをしたつもりなのですが残念です。結局は先に書いた以外にないということ(残念ながら)なのですが、くどくど書いた方が良かったのかも。 「貧困の連鎖を断ち切る」、その根底には幸福の追求がありますよね。ならその根本的な問題、すなわち幸福はいかにして実現できるかに置き換えても良いのであればまた別のコメントも出来ます。 求めても得られないものを得ようとする時に人は不幸と感じます。求めても得られそうにもないものはきっぱりとあきらめる。貧しくても愛情豊かな家庭を持つことができるなら、子供にとってはそれが一番です。そのような家庭を持つことは誰にでもできます。愛を持てばいいだけの話なのですから。『五体不満足』と言う本を読まれたことがありますか?はた目には絶句するような状況、それでも幸福と感じられる。そこには親御さんの深い愛情があります。一度読んで見られてはいかがですか? なお貧困の連鎖、何代にもわたる貧困、と言いますが、必ずしもそれは言えないと思いますよ。今は栄えていても数代先には没落なんてよくある事です。逆に今は赤貧でも数代先には子孫繁栄を謳歌しているなんてことも良くある事です。その意味でも一度歴史(特に日本史)を勉強されてはいかがですか。 最後にもう一度、幸不幸は自らの心が作り出すもの、ということです。

nijik
質問者

お礼

 たびたびのご回答ありがとうございます。 >幸福はいかにして実現できるかに置き換えても良いのであれば 「幸福はいかにして実現できるか」はたいへん崇高・壮大なテーマですが、崇高・壮大すぎて、私には扱いかねます。申し訳ありませんが、おきかえは無しで、「貧困の連鎖を断ち切る、教育以外の方法。政治や行政ではなく個人ができること」でお願いいたします。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.17

そもそもなぜ「教育」なのか、ということを誰も検証していませんね。 少なくとも貨幣経済においては「教育」は豊かになる(賃金を多く稼げる)重要な要素です。 なぜなら個人が持っている「労働資本」が教育によって決定されるからです。 たとえば日本では江戸時代の中期になると寺子屋が発達しました。これは日本中に貨幣経済が浸透した時期とほぼ同じで、なぜ寺子屋が発達したかというと「読み書きそろばんが出来なければ、商家にあっては番頭に成れず、船乗りにあっては船頭に成れない」といわれからです。 つまり銭勘定とそれを保存する帳簿を扱えなければ、利益を得ることは難しかったということです。 現代では多少複雑になっていますが、それでも同じです。 実際問題として、小学校・中学校で得られる知識というのは「その後の勉強や社会活動において、必要となる知識習得ためのツール」にすぎないのです。 つまり、高校や大学または就職してから得られる資格や経験などを自分の労働資本にして金を稼ぐ、という点から見て小中学校レベルの知識では、現代社会においては不十分でありそれでは稼げず、あくまでもその先のいろいろな知識習得のための最低限の準備にすぎない、ということです。 この点に小中学校の時点において、貧困層の子供はすでに問題があります。 大きな点で言うと ・親がまともに子供の面倒をみないことによる、食事や生活態度の不良による学習意欲の減退 ・収入が低いことによる、学習サポートの不備(塾などだけでなく、授業に必要な文房具をまともに買えないなどもあります) ・親の教育レベルが低い為に、子供が学習で躓いても気がつかない、または気がついてもサポートできない(漢字もまともに書けない、九九もまともに出来ない親だっているわけです) などがあり、これを親以外の誰かが肩代わりしないかぎり、子供たちは貧困による学習能力不良のまま、どんどん大きくなり、中学を卒業する年齢にはすでに手遅れになり、3K労働や非合法活動などのいわゆる不良になっていくわけです。 これを貧困の連鎖、というわけです。 ですからこれを抜け出すにはたしかに「教育」が必要なのですが、実は一番重要なのは「学習意欲の向上のためのサポート」と「貧困家庭であっても、学習に必要なコストは必ず誰かが負担する」ということなのです。 つまり質問者様のいう「また、ほぼ全員が教育だけに集中したら、集団から頭1つ抜けるには、教育以外の要素で“差別化”することも必要になるのでは?」というのは、そのサポートが成功して競争が激化してからの話であり、上記のサイクルをみればサポートが成功したとしてもそれほど競争が激化するとは思えないこともお分かりになると思います。(なぜなら本来一番サポートすべき親が、高学歴の親ほど積極的に支援しないからです) それでも、最低ラインの貧困の親がいて、少しでもサポートを受けてすこしでも貧困から抜け出すことができれば子供は「教育の大切さ」を認知し、自分の子供には「親としての教育サポート」を行うことができるでしょう。そうすればその次の子供はさらに改善された環境を得ることができ、4代目ぐらいには東大に入れる人物を輩出でいるようになるかもしれません。 これが教育による循環であって、国民全体の階層の流動化を生む力になり、貧困層のルーツをもつエリートは深く自国の問題点を追求できる、と言う事になっていくはずなのです。 このことを知っていた戦前の人々(特に地方の地主階級)は、近隣の貧困家庭の出身者でも学習意欲があり、能力の高い子供がいると地元のお金持ちが融資をして、そのような子供たちに高等教育を受けさせたのです。 たとえば野口英世なども、そのような地域のサポートを受けたひとりですし、戦前の教育にはそういう有徳者と呼ばれるお金持ちの存在も大きかったのです。 もちろん今のように全員が少なくとも小中学校に行ける生活レベルとは比べものになりませんが、しかし、同時に有徳者のようなサポートを与えるシステムがなくなったことで、貧困層が固定化されつつあるのも事実です。 貧困の連鎖を断ち切るのに必要なのは「教育そのもの」も重要ですが、それ以上に「学習意欲を妨げないようにするサポート」が重要なのです。

nijik
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  ご意見にはほぼ同意ですが、ご意見の多くは「政治や行政ができることであって、個人(子を持つ親や、子自身)ができることではない」と感じます。  まあ、野口英世の例などは、「政治や行政ではなく、個人でもなく、地域ができること」というかたちですが。

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