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高校時代、甲子園優勝投手や準優勝投手でその後プロで

野手(打者)として活躍した選手と言えば誰が思い浮かびますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • yama1998
  • ベストアンサー率41% (1168/2843)
回答No.5

ヤクルトの小川監督も習志野高校の優勝投手でした。

popoumauma
質問者

お礼

小川監督は優勝投手ですね。中大時代から野手転向。甲子園優勝時整列した時、他の選手と比べかなり大きく見えました。

その他の回答 (4)

回答No.4

王さん ハムの中田 有る意味堀内(投手だけど並の打者よりホームラン打ってますし)

popoumauma
質問者

お礼

王は既出ですが、中田の最高成績は1年夏の準決勝進出(当時は5番ファースト、2番手投手。エースは辻内、4番は平田)2年春、3年夏は出場出来ず。2年夏(故障明けのため打者専念でレフトで4番)は2回戦で早実に敗退、3年春は準々決勝で常葉菊川に敗退。全て、優勝校に敗れたのですが。 堀内は確かに打撃は良かったですね。3打席連続本塁打も記録。この試合4打席連続を逃した時点で「仕方ないからノーヒットノーランでも狙うか」と。そして達成。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.3

>高校時代、甲子園優勝投手や準優勝投手でその後プロで 野手(打者)として活躍した選手と言えば誰が思い浮かびますか?      ↓ うろ覚えですが、思い出に残る投手⇒打者は ◇早実高の王貞治(巨人):世界の王・ホームラン数世界一 http://1st.geocities.jp/dogyamanet/player/sportsou.htm ◇法政二高の柴田勲(巨人):赤い手袋で好走手の選手・盗塁王として巨人のV9に貢献 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%8B%B2 ◇池田高の畠山準(横浜他):やまびこ打線の中軸兼エースとして大活躍、プロ入り後に打者転向 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E6%BA%96 その他、質問の主旨とは違い甲子園大会で優勝や準優勝はしていないが打者として大成した選手と言えば・・・ 川上哲治(巨人)・イチロー(ヤンキース)

popoumauma
質問者

お礼

王、柴田に関しては先の方のお礼でコメント済みですので、畠山で。 3年夏の甲子園では当初から注目の投手(出場前から蔦監督の秘蔵っ子と呼ばれる)。投手として南海で期待されるもこれからという時に故障し野手転向。自由契約となり、移籍した横浜で活躍。当時の池田の打線凄かったですよね。3番江上、4番畠山、5番水野。 川上さんは2度準優勝投手になっています。

  • azmsyr
  • ベストアンサー率46% (96/205)
回答No.2

ちょっと古いですが、 いわずと知れたジャイアンツの王選手 早稲田実業でピッチャー、甲子園で3年の春優勝、巨人入りですぐにバッター転向 ファーストを守る。 やはりジャイアンツの柴田勲 法政二高でピッチャー、甲子園春夏連覇、1961巨人入り V9の戦士としてセンターを守る。 ロッテの愛甲猛 横浜高校で3年夏、決勝で早稲田実業の荒木と投げあい勝ち優勝投手となる その後ロッテでピッチャーを数年やるがファーストにコンバート 強肩のため外野手も経験したことがある。 私が知ってるのはこの人たちくらい。 でもプロ野球選手は小中高を問わずどこかでピッチャーをやってる人は多い。 そりゃそうだ、少年野球は4番ピッチャーが圧倒的に多い。 ピッチャーでできるってことは野球がうまいって事。だから4番、 4番打てるってことは野球がうまいって事、だからピッチャーやったことがある人が多い。 その中から淘汰されていって本物のピッチャーになっていく。 素質だけでやってた子はバッターへと転向していく。

popoumauma
質問者

お礼

王貞治は入団時既に投手としては駄目だったようですね。野手転向で大スター選手に。「世界の王」 柴田勲は当初は投手で、のち外野手転向。甲子園では2年夏、3年春連覇。夏春夏は準決勝で尾崎行雄の浪商に敗退で達成出来ず。フジテレビの福井アナに「銀座の盗塁王」と名付けられていましたが。 愛甲は外野手としては捕球はあまり上手ではなく、かわりにかなりライト線の二塁打コースの当たりを二塁で刺していましたね。 関係ありませんが、私が小6の時のチームの4番はファーストでした。エースは3番、私は2番でした。中学時代は私が当初4番でのち3番でした。

  • p-p
  • ベストアンサー率35% (1977/5634)
回答No.1

一番に思い浮かぶのは 活躍度でいうと元近鉄・中日・西武の金村 義明(報徳学園) それと元ロッテの愛甲猛(横浜高校)首位打者とりました。 元巨人・近鉄の吉岡雄二(帝京高校) 元広島の西田真二(PL学園)ちなみにPLの控え投手が元広島・日ハムの金石昭人投手 最近なら広島カープの堂林(中京高校)だけど 実績はまだまだですね http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/baseball/koshien_pitcher.html http://kanya.at.webry.info/201109/article_4.html

popoumauma
質問者

お礼

金村義明は夏優勝した時派手にカエル跳びをしていましたからね。 愛甲猛は当初は自身の希望で投手を。のちに球団の意向通り野手転向し成功。チームリーダーに。ただ、愛甲は打撃タイトルを獲得していません。タイトルではない年間最多二塁打であればありますが。 吉岡は元々打撃センス、特に長打力が魅力でしたが、当時の巨人の戦力では控えで目立つ存在にはなれず、トレードで近鉄へ移り大成功しましたね。1億円プレーヤーに。 西田は法大時代から外野手転向ですね。鶴岡監督の下、PL甲子園初優勝。最終回逆転で。西田-木戸のバッテリー、2年に小早川毅彦。3人とも法大へ進学。 堂林は若いのでこれからでしょう。長打力は高校時代から魅力的でした。

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