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恥ずかいということ

道徳的な意味ではなく、もっと生物学的というか、恥ずかしいという感情はどこから出るか気になりました。 恥ずかしいという感情は他人がいて発生すると思うのですが、次の2つでどちらが恥ずかしいと感じるでしょうか。 1,顔を隠して同じような体型の人(複数)らと、全裸を見知らぬ他人に見せる。 2,素性を明かして、個室に入り、排泄をして(しているところは見せない)、個室から出て何も言わず排泄物を見せる。他人の排泄物でも良いし、自分のである事を明言する必要はない。 あんまり真面目にならずに、どちらが恥ずかしいかと、理由をお願いします。

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noname#210680
noname#210680
回答No.2

1は、まあスーパー銭湯なんかでは当たり前の場面、特に恥ずかしいと感じることなく、そこに女性従業員がいてもやっぱり恥ずかしいと感じたことはありません。 それが街中だとしたら、まあ、顔を隠して複数ならば、やっぱり恥ずかしいとは感じないと思います。 2に対しても、自分はくそったれ、誰もがくそったれ、それが当たり前なので、恥ずかしいとは感じないと思います。子供の頃の検便や検尿は恥ずかしいとか感じてましたけどね。 恥ずかしい、という感覚は、自分が恥ずかしいと感じること、その恥ずかしいと感じているとき、その自分そのものが恥ずかしいことだと認識しています。 教室で、自分の意見を言わなければならない状況になったとき、自分の意見、自分が考えていることを知られることが恥ずかしい、知られることが怖いと感じて心が萎縮して何も言えなくなる、その自分が恥ずかしい。 自分の意見をハキハキと言えたら、何も恥ずかしくない。 自分の考え、自分の存在、そこに意識を向けられると恐怖を感じる感覚、これが恥ずかしいという結果でしょ。僕の子供の頃がそうだったですからね。 今じゃあ、なくなりましたけどね。 昔の僕ならば、1も2も耐えられないほど恥ずかしくて、どっちも選べなかったと思います。自分が恥ずかしいと感じていることを知られることが怖かったですから。

回答No.1

『恥ずかいということ 』は他の動物には無い感情と思えますが、この感情には人間の人間らしさが窺えます。こう云った事を聖書では指摘しています、幼子はこう云った感情を持ち難いという意味です。 思春期頃から人間は悩み始めますが、その理由は知恵が付いたためと説明しています。その理由が貴方が知りたい事の本質を言い当てています。自分と他人と、を比べて見る機能が付いたためです。 思春期頃の変化を『失楽園』と聖書は書いていますが、その本質が人間の苦しみの元も言い当てていますので、その理由を説明したいと思います。 思春期頃から、他人と自分を比べたり、優越感に浸ったり劣等感に悩んだりします。自分の裸でさえ親にでも見せる事に『恥ずかしい』という感情さえ抱くように変化します。心的には様々な疑問が、沸きあがるようになります。自分自身は何者か?と幼子は考える事さえ出来なかったからです。 こういった変化の原因は『脳の機能分化』が関係しています。人間の心の中に変化が現れる背景には、脳内の人格が関係していますので、人間の脳の機能を科学的に研究した事でその成果が認められた研究のひとつを紹介したいと思います。ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳』 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 この研究が一過性のものになってしまって、更なる研究が進まなかった事を残念に思いますが、この研究成果を裏打ち出来る動画を載せたいと思います。脳卒中になってしまって、生死の境をさまよって、人間の脳内には意識(人格)が二つ存在する事を『自らの体験として実証出来た』脳科学者の動画です。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 この動画が語っている内容は、或る意味では『宗教体験』=『神秘体験』とも言える内容です。キリスト者なら『神と会って和解している』内容という意味です。或いは仏教徒なら『見性体験』を語っています。 人間の幼い頃では、不安や安心する事や、恐怖する事は『脳内に刷り込まれていた事柄』として、不安は不安のままに、恐怖する時は、恐怖するままで居ます、つまり『あるがまま』という心的な態度が出来ています。この理由は『頭の中には、心が一つしかなかった事が』関係しています。 『見ている者』としての自分だけが頭の中に存在していたことを意味します。 思春期頃、知恵が付いたために『もう一つ意識が生まれる事で』『見られている自分』という心が芽生える事になるからです。此処で『恥ずかしい』という感情が芽生えていますが、同時に此処から人間の悩みが深刻になる場合があります。その深刻な悩みとは『生と死』の対比です。こう云った考えが湧き上る事を『失楽園』と表現しているようです。 有限のこの身と、『永遠への願望』の対比が人間としての深刻な悩みになる場合を示唆しているからです。この苦しみを味わって克服する人達が『宗教家』として、或いは悩める人達の指導者として『宗教文化の発展の後押しをして』宗教が発展してきた歴史を作っています。 内在する『自分自身に、”考え”や”感情”を湧き上がらせている者』との出会いによって、魂の救いが成就します。この動画が語っている事はこの一点を言い表しています。

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