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「76億5千万年の後」?

予言と言えば予言だろう、けどさ 「信教の自由」でもあるけどね どうして、そんな、信憑性も無い、 途方も無い数字が出て来ちゃったのだろう。

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  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1224/4399)
回答No.2

 76億5千万年後と弥勒菩薩が釈迦の入滅後56億7千万年後如来になると約束されているという話が関係あるかないかわかりませんが(笑)  この56億7千万年後という数字は、「弥勒菩薩」のウィキペディアのコピペをここに載せると 「弥勒はゴータマ・シッダッタ(悟りを開いたのちは仏陀、釈迦牟尼仏現在仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、シッダッタの入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。 前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天での寿命が4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算に由来する。そして、後代になって5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったと考えられている。」  時間が経つに連れ、いろんな人が「盛った」結果でしょうか(笑) 日本神話でも「八万(やよろず)」の神様がいつの間にか「八百万(やおよろず)」の神様と100倍盛ってますし(笑)

kurinal
質問者

お礼

born1960様、ご回答ありがとうございます。 >「前述のように弥勒の下生は56億7千万年後とされているが、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天での寿命が4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000×400×12×30=5億7600万年かかるという計算に由来する。」 なるほど。 これは、紛れもなく、ベスト・アンサー候補とさせて頂きます。

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その他の回答 (4)

回答No.5

当時の人は天文学を習得できていないので、70億年後にも地上(=地球)があると思ったのでせう。 地球は50億年後あたりに膨張してきた太陽に飲み込まれますので”地上の楽園”は無くなるのです。

kurinal
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、 今回は、質問者が20億年ばかり、勘違いしておりました。 といえ、56億7千万年後のことまで・・・ >「できていないので、・・・思ったのでしょう」 行き掛けの駄賃に・・・「当時」ってのは、せいぜい、一万年以内です。 (釈迦は、BC500年頃でしたか)

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回答No.4

天上界から救いが来る、というのが、百年とか千年といった 期間での話なら、人類の有史以来の伝承の中で、それに 類した天上界との交流が起きていてもおかしくない、という 気になる。 「天上界からの救い」などというものは、普段はかけらも目に する事のない稀有な事であるという、ハッタリは大げさな方が 信憑性があるという詐欺の常套手段が、76億5千万年という “途方もない”数値でしょう。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「ハッタリ」 ・・・先生に、このようなことで、お手を煩わせるとは。

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  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.3

宗教学者の見解によれば、 「この時代のインド系の人種は、壮大な数字が大好きだった。」 ということです。 蓮華経の翻訳本を読んでみれば、そこにあるのはスターウオーズの世界です。 「我こそが真の釈迦の後継者!」という大乗仏教は競争の時代だったので、この頃に出来た教義はほとんどそんな感じです。 途方も無い数字を出すと、「おお、すげぇ!」と皆が感動したのかな。

kurinal
質問者

お礼

o-sai様、ご回答ありがとうございます。 >「宗教学者の見解によれば、」 既に、、、ということなんですね。

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回答No.1

「76億5千万年の後」 ここで太陽系をに起こる出来事とは、ウルトラマンの故郷M78星雲で起きた天体現象とまったく同質のもので、人類は天体現象レベルの環境変化を克服してウルトラマンに進化する。 これは、76億5千万年間有効な私の予言だ。

kurinal
質問者

お礼

あっ、はっはっはっは・・・。 あ、Flareon様、ご回答ありがとうございます。 >「これは、76億5千万年間有効な私の予言だ。」 ・・・なんなら、もう少し長くしておきましょうか?

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