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意識と無意識についての質問

はっきりと自覚できる意識と自覚できない無意識が人間には在るそうですね。 そして意識と無意識の間のものも存在するそうでそれはひらめきが起きる前のなんかひらめいたような気がすると思うよな感じなんだそうですが説明しづらいです。 ここで悩み事を言わせてもらいます。私は物事の段取りがとても悪いです。何か行動している時にこうすれば作業が早くできると心のそこで思っているような気がするんですがはっきりとそれがどんな考えなのか出てきません。他人から注意してもらうとそれを無意識と意識の間で気づいていたと思ってしまいます。意識的にはっきりと考え方が出てこないのです。 これはいったいなんなのでしょうか

質問者が選んだベストアンサー

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  • mudpuppet
  • ベストアンサー率35% (388/1094)
回答No.6

無意識という実体があるのかどうかについては疑問はたくさんありますね。 たとえば訓練によって自動化されている行動を説明するために、 無意識からの命令とかを想定する必要はありません。 (あいさつとか車の運転とかですね) 心理学という学問では計測不可能な領域になるのですが、 人間には滅多に使用されない問題解決能力が備わっていることが実証されています。 その使い方をマスターするのは現代人にとって必須でしょう。 たとえば何かの質問を思い浮かべながら日常を過ごすと、 いつもは全然気づかなかった日常の風景や 何とも思っていなかった人のありがたみに気づいたりすることが頻繁にあります。 正しい質問をするとどういうわけか解決に役立つものに気づけるようになるのです。 この法則の説明として無意識が引き合いに出されることが多いですね。 成功法として有名な引き寄せの法則もその一例と言えるでしょう。 さて、質問者さんの悩みにお答えします。 問題に上手く対処できないのは質問の数が足りないからです。 多くの人は「どうしたらいいんだ」「何でこんなことに…」で終わります。 僕の個人的な話になってしまいますが、 困ったことが起きたとき20以上の質問を自分に投げかけます。 「誰に頼ればいいんだろう」というのは当たり前で、 「この問題を解決することでメリットはあるのか」 「3年後に振り返ったときこの苦境をどう感じるだろうか」 といった変な質問もします。そしてメモしておきます。 その質問を続けたまま解決に向けて働いているときに急に解決策が閃きます。 質問者さんも「どうやったら速くできるだろうか」だけでなく、 もっと色んな方面からの質問を自分に投げかけてみてはどうでしょうか。 もう一つのアドバイスとしては、集中するための環境を作ることですね。 作業をしている最中は他事を一切しないというのは鉄則です。 仕事のできる人で携帯オフにする人が多いですよね? 作業を終えた後に学ぶべき教訓があったらメモするのも大事です。 「どうしよう。どうやって速くやろう」という悩みそのものが 作業の妨げになっている可能性を重く捉えるべきでしょうね。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

その他の回答 (5)

回答No.5

毎日の積み重ねの中で、仕事は上手くなってゆくと思います。そうして考えないでもやれるようになった時には、『自分の身体も心も、無意識が自動運転をしています。』その時には『自分の心が、勝手に次の段取りを考えています。』 そうして一つの工程が終わった時、考えないでも次々と次の段取りが自然と出来上がっています。こうならないとしたなら、もっと習熟された行動になれるように訓練が必要と思います。 人間は一つの事をやっている時、次の段取りを考える事が出来ます。いまやっている事が次の段取りにどういう影響を与えるのかも、次第に習熟してゆきます。無駄がない仕事、或いは水が流れるが如きスムーズな仕事の流れ、と言うものを掴む事が出来るようになります。 何事も訓練次第と言う言い方も合っているのかも知れませんが、何時もたゆみない努力が必要と思います。全身全霊で事に当たる姿勢と言う意味です。 人間の行動がスムーズに行く場合では『無意識の自分』が身体と心の主導権を握っています。その時の『自我意識という心』は、主導権を手放しています。良い仕事をしている時は『我を忘れている事』が多いからです。 我を忘れる事が出来ない時『意識地獄に入っている事が多くなります。』自転車の運転を覚える時と一緒です、心は『転んだら如何しようか?転ばないで運転するようにするのには、どうすれば良いだろうか?』と自問自答しています。 無意識の自分に任せる事など出来ないでいます、ですが慣れて来た場合では『自分の心は自転車の運転などしないでいます。』心は目に入る景色を見たり、携帯をしたりしています。自分の心は『安心して自分の無意識に、自転車の操縦を任せています。』こうなった場合では『身体も心も』疲れ難くなっています。 うつなどの場合では、『無意識の自分と、交替する事が出来ない状態になっていますので、心も身体も疲れやすくなっています。』自分を忘れる状態の反対の『意識地獄の状態になっているからです。』 意識地獄の状態とは『意識する自分』VS『無意識の自分』が、戦っている状態を示しています、従って自分の力が『内部抗争に使われていますので』仕事でも勉学でも半分も出来ない状態を指しています。 オリンピックなどの演技や競技で説明するなら、全身全霊で行動出来ている選手に比べるなら、『予期不安で頭の中が一杯になってしまって、身体も心も自由に動かなくなってしまって、がちがちな身体と、真っ白になった頭で如何する事も出来なくなっています。』この状態が『自分の心が内部抗争に使われている』と言う意味です。 仕事でもスポーツでも、上手くやれるようになる為には、練習をする他に手立てがない事を意味します、ですが、只時間だけ長くだらだらと練習するばかりでは、上達もままならないと思います。スポーツならそのスポーツの基礎から、仕事ならその仕事の基礎からという事が大事と思います。 基礎を学んだら、次には応用編という風に段階があると思います。 貴方の場合では、先輩の助言を良く聞いて生かして、段階を踏む事によって上達する道が開けると思います。上手く行かない時は『初心に戻って、基礎から積み上げる努力が必要』と思いますが、如何でしょうか?

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 具体的に書いてくださりありがとうございます

noname#202739
noname#202739
回答No.4

論理的に進まないか、言葉が出てこないか、どっちかです。 というか、どっちも密接にかかわっていることですが。 あなたの何となくについて、考えるのをやめてしまっているのが問題です。 考えるのをやめないこと、「まぁいいか」という思いが出かかってきたら、 「いやダメだ」と思うことです。 「なにかあるはずだ」と言葉に出してもいい。 それから大事なのは普段から本を読んだり、何事にも疑問をもち、思索するクセをつけることです。 その時のポイントは「ふーんこんなことがあるんだ」ではなく、あなたなりの答えを出すことです。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます やはり考える事をやめているんだなぁとおもいました。

noname#210533
noname#210533
回答No.3

段取りが悪いというのは自分のこととして 私も良く理解できます。 判っているのに出来ない。 というより、しなくちゃならないことは 認識しているけど、手順や優先順位などの 「実施」細目にまとまらない、ということでしょう。 でも、自分では何とか出来るようにしようと あれこれ考えて、余計にまとまらない。 これは、一種の完璧主義です。 全てを不足なくこなそう、と思い過ぎていて あれもこれもと頭の中で並べ過ぎて、 そのうち限界量を超えると、モグラたたきみたいに 次々と忘れたり勘違いしたり。 優先順位を考えない。 どれは出来る、どれは出来ない、の判断がつかない。 忘れたり勘違いしたりするだけでなく、一つ一つの 仕事をスピーディにこなす「パッケージ化」が出来て いない。 なので、堂々巡りを繰り返したり、準備しているだけで 時間を使い果たしてしまったり、ピントがずれていて あれこれ考えた作業が殆ど無駄なことをしていたり。 ひどいストレスになりますよね。 一つ、若干訓練は必要ですが、短期間に改善する 方法があります。 それは、「判断や思考を他人に任せる」という方法です。 今ここで10個、やらなければならない仕事があると します。 自分でもそのうち3~4個は後回しにしてもいいだろう、とか 判断がつくはずです。 そうしたら、メモに書いた10個の仕事の箇条書きから それを横線引いて消してしまう。 残りの優先順位や期限について、上司先輩に相談し、 とっとと考えてもらって決めてしまうのです。 それから、判らないことを自分で調べることと、何でも 資料として取っておこうとするのを止める、のは無理なので それをする前に上司先輩に訊いてしまう、教えてもらう。 これを習慣化します。 大体、自分で仕事を抱え込んでグチャグチャになる人は 相手に怒られないか、迷惑がられないかをとても気にします。 だから、訊くのも勇気がいるし、一度訊いて判らないと、 二度、三度と訊き直す勇気が出ません。 何とか自分でやろうとして・・・ドボン、となる。 でも、「ごめんなさい、判らないんでもう一度だけ教えて 下さい」を連続で繰り返すと、三回目には相手が迷惑に 思います。 でも、二度訊いて、よく考えて、やっぱり判らない。 何がどう判らないのかを整理してから、もう一度訊いて みます。 済みません、私が誤解してるようなのですが、これは こういうことではないのですか? 聞き方も三つ四つ工夫しておきましょう。 最初は頭が悪いと怒られたり、自分で考えろと 突っぱねられることもあるでしょう。 でも、自分はどうせバカなんだから、訊いて教えて もらって、少しでも早く仕事を覚えなきゃ、と思うと 体で覚えるように、何度か訊いて確認したこと、 教わったことは、自分で悩んで調べるよりも はるかに仕事がはかどることに、気が付きます。 そして、こう云う人は、困ったことに忘れっぽい。 ならば、忘れぬようにメモしよう、ということに なりますが、なまじ丁寧に記録しようとして 現実に追いつけず放り出してしまったり、 早くメモろうと殴り書きで済ませたら、自分でも 何が書いてあるのかよく判らなくなったとか、 挙句に、適当な紙に適当に書くものだから、 その紙自体がどこにいったのか判らなくなって しまう。 こういう、メモ地獄、手帳地獄に陥ります。 私の場合は、とにかく、聞いたらその場で 手帳のカレンダー欄にメモします。 絶対に後回しにしないことを留意しています。 でないと、本当に忘れてしまうので後でいつも 後悔する羽目になります。 丁寧な文章になどする必要はないけれど、 日時、場所、箇条書き、と要点だけ書きます。 コツは、殴り書きで早く書くことではなくて、 小さな字でチマチマ書くことです。 何故かはわかりませんが、チマチマ書くと 要点だけ書こうとするようになるんです。 だから、ノートのような大きな欄に書こうとして あれこれ書き過ぎでパンクするのに比べて、 もともと書ける場所がカレンダーなので小さい。 だから、大した量が書けません。 そのおかげで、直ぐに書けて、継続出来て しかもカレンダーなので見やすい。 その場で必ず。チマチマと小さな当日欄に、 書ける要点だけ。だから継続可能。 後で楽に検索可能。 その理由が、この手帳のカレンダーばかり 毎日確認するようになるからです。 仕事もプライベートもみんなこれにチマチマ。 なので、どうしてもA5,B5,A4サイズ位の手帳を 使うことになりますが、これ一冊なので対して 邪魔になりません。 電話番号一つメモるにも、後ろの白いページに 分類もなく、羅列して書きます。 ただ一点だけ注意するのが、電話番号だけしか 書かない、という愚を犯さないこと。 社名と名前、何屋さんかだけを書き添えておく。 ちょっと立ち止まって、チマチマ丁寧に書く。 こういうことを繰り返してくると、冒頭であなたが 仰った、無意識の情報処理を脳が行うように なります。 「習慣」というものです。 チマチマと、訊く、書く。 考えるのは、上司先輩、それと過去の記録。 前の仕事の困ったことやポイントだけでも このカレンダーにメモって置くと、同じような 仕事をする時のバイブルになります。 で、これが一年経ちますよね。 そうしたら、年末年始にこれを最初から めくって、再利用できる情報を赤ペンで マーキングするか、赤くまるく囲って置く。 これを教科書として手元に置いておく。 電話帳などは切り取って次の年の手帳に ホチキスで留めておいても可。 これを繰り返していくうちに、余計なことを 考えずっこけ時間を無駄にしてしまう悪習から 抜け出せる時が増えてきます。 おおむね人並に出来るようになった仕事の 単位は、自信を与えてくれます。 すると、その仕事に関しては、手順や必要事項、 要点がピン、と来るようになり、仕事の全体が 「見える」ようになってきます。 ここまで至って、初めて縦横に意識を操り 仕事をはかどらせることが出来るようになりすま。 スマ? あれれ。

barutokai
質問者

お礼

面白い回答ありがとうございます   最後の最後で大切なところをはっきりさせないところが文章を呼んだ人のよみきった達成感をなくしていますね。 ですが最後のNO1から見ていきましたので最後の文章を先に目が入ったのでいたずら文章だとはっきりわかりました。 アカウント視させてもらいました。面白い方ですね。賢いギャグの出来そうな人ですね。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.2

ご質問の内容ですと、「事務処理能力」に該当するかと思います。 得て不得手の物ですので、訓練で少しづつ上げて行くしかないのではないでしょうか。 ただ、無意識下で答えが見えていると言うのは有り得るかも知れません。 大切なのはそれを表面に出すには、訓練しかないと言う事です。 実際に無意識下で答えを見つけるのは良くある話で、それをひらめきと言うのもその通りでしょう。 それを心理学用語で「自我」(意識)と「エス」(無意識)とそして其の間を取り持つ『超自我』と言います。 ただ脳科学的実証はありませんので、あくまで一仮説ですが。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 訓練とは具体的にどういうことでしょうかね

回答No.1

そんなに難しく考えることはありません。 無意識と意識の間で気づいていた、というのは単に気づいてはいなかったということです。 自分はこうすれば早くできると思っているけどそれが出てこない、というのは単に出てこないだけです。 難しいことを考える前に、段取りをどうすればできるのか、落ち着いて考えましょう。

barutokai
質問者

お礼

ありがとうです

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