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神棚のお社、お供えの相談ですが・・・
年末の大掃除で神棚を掃除していたら、お社の前に鏡(ご神鏡)がないのに気が付きました。お社に鍵がかかっていたので中を確認するこはできませんでしたが、普段扉はどうしているのでしょうか。しったかぶりするわけにはいかないので相談させていただきたのですが。あと、毎朝お水と、炊いたご飯を神棚にお供えしているのですが、あるHPでは、水、米、塩となっていたのですがどちらがよいのでしょうか。お米、塩をお供えする場合は毎日取り換えてお供えした方がいいのでしょうか。お恥ずかしい相談ごとでありますが、この際正しい作法を学びたいと思い相談いたしました。
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鏡はアマテラスが我が身と思い祀れとニニギノミコトに託したものです。なので元はご神体そのものというわけです。 しかし神社によって主祭神はいろいろですね。だからご神体は鏡だけではありません。 さらに鏡は権威の象徴でもありました。卑弥呼に鏡100枚などとあります。実際に絵などに描かれている様に巫女が鏡をかざして神宣を下したかどうかは判りませんが、神様の神威を表すためにご神体の前に鏡を置くようになり、いまでも神様が宿る神籬やご神体の前に鏡を置くのはこのためで、それが神棚の鏡の飾り方になったようです。 ということで今の常識としては神棚の前に鏡を置きますけど、ご神体としてお宮の中に納める飾り方もあるのです。 氏神様や本宮の出張所、それが神棚です。だから神社の様式をそのまま家に持ち込んだ形式になります。 神社では普段は御扉を閉めておきます。そして例大祭の時だけ御扉を開扉します。一部朝に開けて夕刻に占めるという風習も残っています。なので納めている神様、神宮大麻ではなく氏神社や崇敬神社のやり方に合わせることが多いようです。このほか、榊を取り替える朔日・十五日に開くという人もいます。どれを選ぶかは自由でイイと思います。 本来神饌ですから農作物や海産物を備えるのが本来の姿です。実は水、米、塩および別に供える酒は神饌の中の項目の一部なんです。つまりコレのほかに地元の産物をささげるというのが神饌なのです。それが簡素化されて、水。塩・米だけを供えるようになりました。神棚に供える米には米を供える生饌とご飯にして捧げる熟饌があります(神饌でも調理したものを熟饌といいます)神宮での米は蒸してあるそうです。 中には朔日十五日だけに取り替える人もいます。毎朝ささげ夕刻に下げるという人もいます。さらに毎食前に奉げげ、食後の下げるという人もいます。さらに食前に奉げ、すぐに下げて食べるという人もいます。 私は直会の精神から、生米なら奉げて拝礼後下げて一緒に炊く、あるいは炊きたてのご飯を奉げて拝礼し、すぐに下げて食べてしまうという方法をお勧めしています。 いまでこそ神社本庁が神道の代表のように言っていますけど、明治までは各神社ごとに作法が存在し、今でも神社本庁以外の神道団体が存在します。つまり神社本庁だけが代表ではないのです。なので「コレが正しい」とか「正当だ」などというものは存在しません。 神社本庁のサイトや冊子にもほとんどの事柄に「地域の風習を優先する」とか「風習に従ってよろしい」と書かれています。
補足
有難うございました。我が家の作法はちょっと違っていましたので、正しい方法で祭ります。あと、神鏡はご神体の中ですか、外ですか。