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受想行識亦復如是の意味

はじめまして。仏のことまったく不学者です。 ある縁があり、般若心経というお経を知りました。 受想行識亦復如是は色不異空、空不異色、のくだりの後で出て来る一節ですね。 これは、人間の感覚も感情も思考も意識も死ねばまったく残らない、つまり、死んでしまえば何も残るものは無い、と解釈しては間違いですか?視点を生死の事にせばめすぎている気はしますが、あえてこのような問を発してみました。 未熟で恐縮ですが宜しくお願い致します。

noname#84286
noname#84286

みんなの回答

  • teinen
  • ベストアンサー率38% (824/2140)
回答No.1

 おそらく間違いでしょう。  「受想行識亦復如是」の前にある「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」はご理解なさっておられるでしょうか。「受想行識・・・」は「色不異空・・・」の一節を念押しをしている一節です。  「感受したことも,想ったことも,行ったことも,知識もまたこれ(色不異空・・・)に同じである」という意味です。  お釈迦様は,死んだらこうなるというようなことをおっしゃらなかったそうですから,死んでしまえば何も残るものはないと解釈するのは間違いだと思います。

参考URL:
http://www.mandala.co.jp/shingon/heartsuitra.html
noname#84286
質問者

お礼

ありがとうございました。深遠なことを、あっさり聞いてしまったみたいですね。

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