• 締切済み

集団における秩序の維持者について

 集団の秩序が維持されているという現象は、その集団の凝集性やゲーム理論等で説明されているものが多く見られます。確かに、それらの理論や実験でも秩序の維持されている状態は説明できていると思うのですが、私は集団の秩序の維持にはその集団のリーダーとは別の属性として「秩序の維持者」が存在していて、それが機能しているのではないかと考えています。これはフェスティンガーの凝集性の要因として集団の成員同士の魅力の総体があるという説明ではなく、例えば家族ならば方向性を決める父親、家族のまとまりを維持する母親がいるように、リーダーとは別に集団の秩序を維持する属性があるということです。  この考え「その秩序の維持者はどのような要素や能力を持っているものなのか」という点を考えてもう少し掘り下げてみたいと思うので、以下の点で心当たりのある方に回答をお願いしたいと思います。 1、私の考える「秩序の維持者」について類似する論文等をご存知の方。 2、この考えを掘り下げるにあたり何かアドバイスをしていただける方。(押さえるべき論点など) 3、秩序維持者が集団を維持しているという具体例が見られる現象や著作をご存知の方。  よろしくお願いします。

みんなの回答

  • Mychuo
  • ベストアンサー率23% (8/34)
回答No.1

リーダーにある統率力とは別に、集団の秩序を維持する存在、その者の能力は、リーダーの存在があっての存在だと過程して考えて「集団の秩序を維持する形」でその者が持っている要素とは、 「リーダーとは異なる視点からの集団への理解からの働き」でもあり、それはまた、「リーダーを客観視した上での自己認識からの集団への理解と働き」でもあるので、リーダーとは必然的に異なる存在になります。 しかしそれだけではリーダーと違う属性とは限りません。 すなわち、そこに「別のオリジナリティがあってこその別の秩序維持者」と言えます。 その能力は、リーダーの維持する秩序に反さない上で、 「集団から観た個人(別の秩序維持者)、その個人の個性から判断される、その個人へ集団が求めた、客観的な個性へのパラドクスな統率視の判断によって、必要とされるものを抽出できる能力」ではないかと、個人的には思います。

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