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起業して生き残る確率はどのくらいでしょうか?
はじめまして、現在起業をするかどうかを迷っております。内容はスマートフォンアプリ開発等です。まだ具体的な事業計画はなく検討しているところでございます。最近起業する方が増えているのですが、現実的には1年後、2年後と会社が存続する確率というのは何パーセントぐらいなのでしょうか?勿論、業種によって様々だと思うのですが、如何せん私が世間知らずで、ざっくりどのくらいの割合で生き残っているかを現実的に知りたいと思っております。起業して成功されている方、又は失敗されている、先輩方のご意見をいただければ幸甚でございます。宜しくお願いいたします。
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確か起業後10年生き残れる会社は1割程度だと聞いた覚えがあります。 スマホのアプリなんて、むしろそうそう長く稼げる業態ではないでしょうから、一気に稼いで引き際を見極めて撤退する必要はあるでしょうね。 アプリ系は無料提供が当たり前になってしまったので課金に持っていくのはすでに難しいのではないかなぁ。 こういう尖端物は真っ先に参入して稼げるだけ稼いで後発組がでて市場が飽和する前に撤退するてのが王道だと思われます。 これを見誤った企業は多いです。
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- chinpoo
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別に起業して失敗したって死なねえだろ♪99%生き残ってんじゃねえか。 だいたい起業なんて経営なんて特別なことじゃねえ。うん千億、兆にするのが難しいだけだべ。
>…会社が存続する確率というのは何パーセントぐらいなのでしょうか? 残念ながら、「何をもって存続しているとみなすか?」の定義自体が難しいので、kazu6394さんが知りたいような「統計データ」も存在しないと思います。 つまり、「その業界にいる人の実感」や、「起業した人をたくさん知っている人の実感」といった「数字では表せない曖昧なもの」しかないということです。 たとえば、以下の記事にありますように、「起業」といっても、「法人を設立する」必要はないので、「趣味の延長でお小遣い稼ぎをしている」というような場合も「起業」に含めようと思えば含められます。 『どのくらいの確率で成功するのか? | 起業・独立の教科書』 http://kigyou.kyokasho.biz/archives/115 >>…個人事業主の場合にはどこまでが消滅しているのか明確ではないし、会社が消滅しても別の会社に衣替えしているケースもある。一度商売をたたんでも、また2年後に再開しているようなケースもあるだろう。… たとえば、「お小遣い稼ぎ」が「それで生活も可能になる」と、「一般的な考え方での『事業』と呼べるだけの商売」になるわけですが、「そこそこ稼げるが、それ一本では無理」というような状態をどう捉えるかで、「存続する確率」は大きく変わってくるでしょう。 ちなみに、【税法上も】、個人の「事業所得」と「雑所得」に明確な境界線はありません。 『事業所得と雑所得の違い』 http://tax.niwakaikei.jp/archives/596.html 『個人事業の開廃業等届出書は、出さないと怒られる?』 http://kojinjigyou.columio.net/ --- (参考) 起業(にまつわる「いろいろな手続き」など)の相談に乗ってくれる団体には、「商工会議所・商工会」というものがあります。 『全国商工会連合会>相談したい』 http://www.shokokai.or.jp/somu/main_soudan.htm 『起業・独立開業の相談相手は、商工会議所・商工会が一番!!』(個人サイト) http://www.shoko-navi.com/kaigyou/soudan ※「民主商工会(民商)」は【別団体】です。
- chie65536(@chie65535)
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社長業やってます。 そこで一句。 社長業 3つ潰して 一人前 字余り。
- tzd78886
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会社が存続していると言っても、いろいろなケースがあります。 1.創業者やその一族が経営を続けている。 2.元従業員が引き継いで経営している。 3.乗っ取りや買収で創業者とは無関係の人が経営している。 4.形の上では残っているが、事実上別会社になって書類上継続しているに過ぎない 5.他社に吸収合併され、社史の上でのみ形跡がある。 いずれも形の上では存続していることになるのでしょうが、1で、しかも営業品目も全く変えずにやっているところというのはごく一部でしょうね。 一例を挙げます。実在の会社です。 昭和30年に福岡で機械を扱う商社が創業しました。事業を大きくするため、東に支店を造り、やがて東京に到達しました。 当時は新幹線もなく、飛行機も本数が少なかったために次第に東京の支店は福岡の本社と疎通になり、やがて独立しました。以下は東京の会社についてです。 昭和42年に通信機器を扱うようになりました。そのうちの客先に電話工事会社があり、やがて交流も盛んになって、経営統合しました。 40年代半ばには規模がだいぶ大きくなり、社員100人を超えました。この時、大学を出たばかりの男が入社してきました。彼は社長に大変気に入られました。 この時の社長は福岡から独立した時からやってきた人でしたが、年齢も高く、引退しようと思っていました。そこでこの入社した男を新社長に任命して会社を譲りました。 ところが、従業員のほとんどは、この若い男が社長になることに納得せず、新会社を設立して会社を去りました。残ったのは5名だけです。 新社長は自分の弟をはじめとして新しい従業員を入れ、再出発しました。もとの事業所は広すぎるので、別な場所に移りました。 その後、ほぼ同じ規模のまま従業員だけは入れ替わりながら存続し、2003年に倒産しました。つまり一生を終えたわけです。 この会社は福岡での創業時から数えれば50年近く続いたことになります。しかし、経営自体は福岡の本社から独立した時に始まったともいえますし、新社長が最出発した時に始まったとも言えます。 会社というものは生き物です。どの視点から見るかで大きく異なり、簡単に言い切れるものではありません。