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親との関係
私は家族の前では無口なキャラを演じます。 家族の前で自分の言葉で話すことが恥ずかしくてたまらないんです。 本当は伝えたい言葉が山ほどあるのに実際に伝えるのはそっけない対応だけです。 自分の本心としては親ともっと喋りたいし、なんでも言い合える関係でいたいです。 しかしそこに恥ずかしいという感情が入り、ブレーキがかかってしまいます。 会話の面以外にも私は親に本当の自分というものを1割程度しかみせられていません。 小学校の高学年の時、母と兄は私が自主的にサッカーの練習に行こうとすると笑いながら茶化してきました。恥ずかしさと怒りが入り混じった感情が湧きあがり、たまらず部屋に戻りました。 そこから私は努力を家族に見られないところで行うようにしました。 また母親は私の服装について「それじゃ暑くない?」とか「寒くないそれ?」とかいった風に口出ししてきます。さらに親の前でかっこつけることは私のなかでトップクラスで恥ずかしいことなのでおしゃれして出かける時などはその服装を親に見られないよう家を出ます。 私は小、中学校でサッカー部に所属しておりました。 小学校ではサッカーは(私としては)遊びに近い感覚で、試合に勝つとかそんなことより友達とサッカーをやれていることが楽しかったと感じていました。なので練習の最中やその合間などにふざけることが楽しく、友達同士もそれを楽しんでいました。 しかし、その一部始終をたまたま見学に来ていた親に見られ、家でそのことを責められました。私はとても恥ずかしくて、みっともない気持ちになりました。それから私は親が見学に来ている時はふざけることをやめ、楽しげに話しかけてくる友達に対しては「いま親がいるから後でな」といってその場を取り繕いました。 私は小学生~中学生の時、絵が得意で友達に自分の絵を見せたり、自由帳に書いた漫画を友達に見せたりしていました。 そんな楽しい日々もつかのま、ある日母親が私に「○○くんの親から聞いたけど、○○くんになんか変な絵を見せてるんだって?」と言ってきました。私は自分が楽しんでやっていることを”変”だと言われてバカにされたようなみじめな気持になりました。なにより私と友達の中でのやりとりを親に見られ、そこを無神経に変だなんて言ったことが許せませんでした。 そして私は友達にあまり親に絵のことを言わないよう頼むようになりました。 上記のようなことが多々あり、私は家族に本当の自分をさらけ出せないようになっていきました。 中学3年にもなれば親の前ではほぼなにも喋らないようになり、友達と楽しく喋りたい状況で親の存在が確認された時には親をこの世から消してしまいたいと思いました。 そして高校に入り、私はどんどんうまくいかなくなっていきました。そしてそれを親のせいだと決めつけました。 私はなにか人に嫌なことをされても割とすぐに忘れてしまう性質なので、そのせいで親への怒りを忘れてしまうことが許せなかった。そのため、「親だけは許すな」と自分に暗示をかけていました。 私は自分の人生がうまくいかない惡の根源を親とすることで平静を保っていました。 中学時代までは親への不信感などで親とのコミュニケーションを取らなかったのですが、高校時代は親への復讐心で意識的にコミュニケーションを断っていました。もういつも「死ね」とか思ってました。そしてそんなねじまがった考えや無口キャラの習慣は家の外(学校など)でも出るようになり、いつしか鬱のような状態にまで落ち込みました。それもこれもすべて親のせいにしました。 大学に入り、親という存在への関心も薄まり、親のせいだという他人本位な考えから脱却し 自分の人生は自分で切り開くものだという当たり前のことに気付いてからは、今まで抑え込んでいた自分を出していこうという考えになりました。親がまたうざったい横槍をいれようとも跳ね返すことのできる人間になろうと思いました。 そして今、就職先も決まり来年の4月には社宅に入り、実家を離れるという状況になってまた考えが変わってきています。 それを決定づけたのが家族揃っての外食での出来事でした。 久しぶりに社会人の兄と私と両親、家族4人揃うということで私はとても緊張していました。 なぜなら私は大学生活を経て高校時代に比べ大分変わることができたのですが、いまだに高校時代にしっかりと印象付けた無口キャラというもので家族に接していて、それを脱するべきか守るべきかで揺れていたからです。 しかしやはり長年続いているキャラは変えがたく、また私はほとんど話さないままでした。 全部兄が両親と話しているだけでした。その中で出たひとり暮らしの話題で私は伝えたいことがたくさんありました。 兄がひとり暮らしをするのはいいがちょくちょく家に帰って親に会えといいました。 母親は兄を褒め、私に「そんな考えは一切ないだろ」といいました。 私は親には思いっきり甘えて、思いっきり親孝行したいという気持ちです。 親とは仲良く話したいし、自分のいいところも見せたいです。 でも現実に親は私の神経を逆なでするようなことばかりしてきます。 それをいちいち気に留める私も問題ですが、その時は親に向かって「そういうひと言が余計なんだよ」と言ってやりたかったです。 しかし改めて両親の顔を見てみると自分がまだ親と意思を通わせてた頃と比べると大分老けていて、親が中年のいち夫婦に見え、この人たちになんの恨みもねえんだよな・・・と感慨深くなりました。 やはり親というのは最後のよりどころですし、この世で一つしかない大切な存在だと思います。 大切にしなきゃいけないのはわかってるんですけど、まだ心にブレーキがかかってしまいます・・・。 長くなりましたがまとめると、私としてはいい親子関係でいたいと思うなか、昔の親への怒りや今までの習慣でそうはなれないという状況についてなにか意見をもらいたいです。親子の関係のあり方について色々お聞きしたいです。 また私と同じような経験を持つ方はどうやって過ごしてきたのかなどもお聞きしたいです。(なかなか同じ悩みの人が見つからないんですよね)
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補足・・・すみません。 >同じような経験を持つ方はどうやって・・・ 同じように悩んで生きてきました 一時期、私は家族とは音信不通にまでしていました。 初めて親が私の話を真剣に聞いてくれたのは 親自身が「死」の宣告を受けた直後です。 「もっと話を聞いておけばよかったな・・・」 この一言で・・肩の荷が下りたというか 一生分のわだかまりが消えたように思いました。 ですが、親が若くして亡くなったため その後、私の人生が大きく変化して、色々なものが見えてきた時には 話をすることができませんでした。 しかし、兄弟姉妹とはその分話ができるようになったと思います。 一番の親孝行は ・あなたが心身共に健康で、自立して生活できる人であること。 >就職先も決まり来年の4月には社宅に入り、実家を離れるという状況になって・・・ 半分はできていますよね 今は、もう半分の自立に向けて頑張ってくださいね。
現在の親子関係・・そんなに悪いとは思いませんよ。 あなたは「昔の怒り」とか言ってるけど それを暴力で親にぶつけたり・・はしていないのでしょ。 顔を会わせると自分を作ってみたりするけれど 会うことを拒否したりはしないのでしょ 心にブレーキをかけることのできる人は現代では少なくなっていますが とても良いことですよ。 親や兄、年上の家族にとって 年下の家族は・・とかく頼り無く見えてしまうんですよね。 お兄さんだって、数年戻せば同じだったりするのにね。 無理に何かを変えよう・・とか思う必要は無いと思いますよ。 あなたにとっては、まだ親や兄の見えていない部分がとても多いです。 歳と共に見えてくるものもたくさんあります。 状況の変化によって見えてくるものは、ものすごく大きいです。 就職、職場で後輩ができる、結婚、出産、育児・・・ その時その時で、いろいろなものが見えてきた時 考え方はその都度、大きく変わっていきます。 いつかは・・ 「あの時は、こんなこと考えていたんだよ」 と笑って話せる時が、きっときますよ。 あなたは、状況によって考えを変える「柔軟性」を持っています。 そして、親に対し怒りを持つことで 自立心も高いと思います。 どんな事にも、良い面、悪い面、必ずあります。 良い方を伸ばしていけば良いだけのことです。 今は「卒業・就職」に専念しましょうよ!