新美南吉の言葉に感銘を受ける

このQ&Aのポイント
  • 新美南吉の言葉には深い哲学が込められており、その思想に触れると感銘を受けます。
  • 彼は自身の存在について謙虚であり、その姿勢から生まれる悲しげな色が彼の言葉にも表れています。
  • 有名作品以外にも、彼の残した日記などを通じて彼の人間性や思想に触れることができます。
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新美南吉の言葉

先日、新美南吉記念館に行きました。 南吉の言葉が、いくつかパネルで展示されており、下記の言葉に大変感銘を受けました。 ========== ほんとうにもののわかった人間は、俺は正しいのだぞというような顔をしてはいないものである。 自分は申しわけのない、不正な存在であることを深く意識していて、 そのためいくぶん悲しげな色がきっと顔にあらわれているものである。 ========== 私は、まだ、有名作品以外に彼の残したもの(日記など)を読めていません(いつか読みたいです)。 他に、南吉の「人に感銘を与えるような言葉」をご存知でしたら、お教えください。 どういう言葉に感銘を受けるかは、人によって異なりますので「自分はそう感じた」との回答で構いません。 どうぞよろしくお願いいたします。

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回答No.1

こんにちは。 新美南吉が学生(今の高校くらい)だった頃の南吉と教員との会話です。 南「先生、教師というのは非常に無反省に陥りやすい立場におかれていますね」 教員「うん、そうなんだよ。でも突然、なんで?」 南「他の職業だと自分のやっていることがすぐに自分に響いてくるので、反省せざるをえないですよね」 教員「そりゃあそうだ」 南「例えば百姓なら、下手な耕作からは少ない。商人なら客扱いが悪ければ商売がはやらないというように」 教員「……」 南「しかるにですねえ、教師は相手が不平を言わぬ生徒だから、相手ばかりを責めてそれで進んでいくんですよ。だから、世には生徒に反省を強いていながら、自らは反省をしない先生があまりに多いんじゃあないですか?」 教員「うん、いやあその通りだよ。それに気づいただけでも君は立派な今日したる資格があるよ。」 南「いや、はずかしいもんですよ」 教員「いや、立派なものだ。僕は君のように考える人と、もっと教育を語りたいものだよ」 教員という職種の人間が陥りやすい欠点を見事に看破していることもすごいですが、このような指摘を受け入れる南吉の教員も度量が大きくてすごいと思います。物事の本質をきちんと見抜ける南吉の慧眼は現代にあっても通じるものがあると思います。 教師と呼ばれる方々は肝に銘じなければならない言葉だと思います。 蛇足ですが、半田市の記念館ですよね?南吉の記念館の奥の方に「林先生」という方のコーナーがありませんでしたか?彼こそは偉人です。「The Teacher」と呼ばれるべき方です。 長文失礼しました。南吉ファンがいてくれて嬉しいです。

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質問者

お礼

そうです。半田市の記念館です。 その日は他にも用事があり、少し駆け足だったためか、林先生のコーナーは気が付きませんでした。 私は半田市まで車で一時間くらいの距離に住んでいますので、再訪したいと思っています。 その時、気を付けてみてみます。生家や養家なども見学したいと考えています。 教えていただいたエピソードは、師と仰がれる人は全て気を付けなければならないことですね。 教師然り、医師しかり・・・。しかし、学生の指摘を、反発せず受け入れた先生も懐が深いですね。 新美南吉は宮澤賢治ほどメジャーではないかもしれませんが、ファンは多いと思います。 私には南知多出身の知人がおり、小中学校時代に学校で南吉の作品に触れる機会は多いらしいですが、 地元の子たちでも有名作品しか読まないそうです(教科書掲載以外の有名作品を読む程度だそうです)。 南吉は、大人になってから読んだ方が、奥の深さがわかるのかもしれませんね。 ご回答、ありがとうございました。

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