• ベストアンサー

「絶対的な違い」という表現、おかしくないですか?

「違い」という言葉は、何かと何かを比べた(相対的な)結果を表す時に用いられる言葉だと思うのです。 なので、「絶対的な違い」という言葉はおかしいと思うのですが、如何思われますか? 例えば、 「うちの製品は他社とは絶対的な違いがあって、うんたらかんたら~」 と言っている人がいたとします。 この文章は間違えで、 他社と比べている時点で「絶対」ではないと思うのです。 しかし…絶対の定義である「唯一」という言葉。 この唯一も他と比べない限りは、「唯一」だなんてわかる訳もないので、 絶対と相対の線引きは曖昧なものとして割り切る他ないのでしょうか?

  • heyu
  • お礼率67% (50/74)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • AR159
  • ベストアンサー率31% (375/1206)
回答No.1

そうですね。おかしな表現だと思います。 「絶対評価・相対評価」という考え方もありますが、そういうことではなくたぶんその人は「ものすごく違う」という意味で使っているのかも知れません。 しかしそうは言っても、現実に「違いがある」ことが確かなら「絶対的な差がある」という表現は、あながち間違いではないかも。

その他の回答 (4)

noname#194996
noname#194996
回答No.5

>絶対的な違い」という言葉はおかしいと 私もそう思います。 >>絶対的な違い これは 絶対的な差がある としたほうが意味が通るかもしれません 強いていえば 比較することが無意味なほどの大きな差がある と私は解釈しています。 比較はしないということで これでも意味は通りますが、 意味合いから整合性をただせば  絶対負けないほどの差をつけている ということではないでしょうか。 >絶対と相対の線引きは曖昧なものとして割り切る他ないのでしょうか? そんなことはありません。 2つのことば(の意味あい)は次元が異なっっています。 おっしゃるように、本来同じ土俵で争う言葉ではないのでしょう。

  • fxq11011
  • ベストアンサー率11% (379/3170)
回答No.4

>何かと何かを比べた(相対的な)結果 私の認識では違います。 何と比べるかが問題です。相対的に変化しないものと比べたら・・?。 抽象的になりますが、「うちの製品」と「他社の製品」を絶対的な座標で表示して比較すれば、言いえるのでは。 たとえば、ある性能?、数直線に表示すると、他の三社は、50、55、60、うちの製品は120。

回答No.3

「他社との比較で分かった違い」=「相対的な事(物)」⇒「結果(データ)」=「違い」。 相対的な事から出てきた「結果(データー)」というのは、絶対的なものだと思います。 その「結果」を他の「結果)」と比較しない限りは、「相対的」なものではないと思います。 そして「結果」の事を「違い」と言っているのだと思います。 なので、正しいのではないでしょうか。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.2

辞書によれば、「絶対」は他に並ぶものがないこと。他との比較・対立を絶していること。 一切他からの制限・拘束されないこと。「絶対の地位を保つ」「絶対の真理」 決して、断じて、どんなことがあっても必ず。 となっています。 質問者さんのおっしゃるとおりですが、何かと比較して、一方を強調する場合 日常的に使われています。 こっちの店の方が絶対においしい。あの子の方が絶対可愛い。 他にくらぶべきもない絶対性を保証することは困難なので、あいまいに使われていくしかないのでしょう。

関連するQ&A

  • 絶対○○

    最近よくこの言葉を使う方が多いように感じるのですが、 goo辞書より… (名・形動)[文]ナリ [一] (1)他に並ぶものがないこと。何物にも比較されないこと。比較や対立を絶した存在であること。また、そのさま。 「―の真理」 (2)一切他によって関与・制限されないこと。無条件。 「上官の命令は―だ」「―の権力をもつ」 (3)〔哲〕「絶対者」に同じ。 「唯一―の神」 ⇔相対 〔absolute の訳語。明治期には「絶待」とも書かれた〕 [二](副詞的に用いる。「に」を伴うこともある)どうしても。なにがなんでも。必ず。決して。 「―間違いない」「―行かない」「―に反対する」 安易に使う方が多い気がしませんか? 自分の発言によっぽど自信があるのかなぁ…

  • いい表現をください

    例としては 群雄割拠のお笑い業界において○○は生き残れる ただ生き残れるというだけではなく、その中で価値ある存在の一人となれるという意味をもった言葉にしたいので、「生き残れる」に代わる適切な表現を探しています。 以下思いついて却下された言葉です。(例文の「○○は~」からの続き) ・唯一無二足りえる→他にも同じような人たちがいるので唯一無二ではない ・オンリーワンになれる→唯一無二に近いし、ただでさえ文章がくさいからきつすぎる ・存在感を示せる→示すのではなく、こういう存在(価値ある存在の一人)になれるという意味なので微妙なニュアンスが違っている ・光り輝ける→勘弁してください、くさすぎる できるだけ短く、とにかくあっさりした(くさくない)文章でいい表現はないものでしょうか。

  • 絶対値とか絶対ってなんですか?

    科学者の皆様、おばかな質問ですみません。 よく、「世の中に絶対はない」みたいなこといいますが、そもそも、「絶対」とはどう言う意味でしょう? また、ないはずの「『絶対』値」なるものが、数学ではあるのですが、日本語の絶対と関係はないのでしょうか? 日本語辞典でしらべましたが、前半は分かるのですが、後半になると分かりませんでした。 平方根がどうだとか??? 私が「おばか」であることを忘れずに御教授いただければ幸いです。 >ぜったい 【絶対】 (名・形動)[文]ナリ [一] (1)他に並ぶものがないこと。何物にも比較されないこと。比較や対立を絶した存在であること。また、そのさま。「―の真理」 (2)一切他によって関与・制限されないこと。無条件。「上官の命令は―だ」「―の権力をもつ」 (3)〔哲〕「絶対者」に同じ。「唯一―の神」⇔相対〔absolute の訳語。明治期には「絶待」とも書かれた〕 [二](副詞的に用いる。「に」を伴うこともある)どうしても。なにがなんでも。必ず。決して。「―間違いない」「―行かない」「―に反対する」 >ぜったい-ち 【絶対値】 実数 a が正数または 0 ならば a 自身、a が負数ならば負号を去った数を a の絶対値といい、|a| で表す。複素数 z=a+bi の絶対値は a2+b2 の平方根で、これは複素平面上で原点からその点 z までの距離を表す。

  • D,L 表記は絶対配置?相対配置?

    立体化学の用語で、D体やL体というのがありますが、これが「絶対配置」に相当するのか「相対配置」なのかがわかりません。 絶対配置と相対配置という概念がしっかり理解できていないためかと思います。 ある化合物の立体構造が与えられたときにそれ単独で判別できるもの(RとSなど)が絶対配置で、その他が相対でしょうか・・・? D、Lが、グリセルアルデヒドを基準に決められるようですが、この「グリセルアルデヒドを基準にしている」という事実から考えれば相対配置のような気がしますが、グリセルアルデヒドはそもそもDL体の定義でもありますので、それを考えれば絶対配置のような気もしてしまうのです。 その他dとl 、axialとequatorialについてもそれらが絶対配置に相当するのか相対配置に相当するのか判断しかねています。 どなたかお詳しい方がいらっしゃれば、ご教示いただければ幸いです。

  • 統計学の相対不確かさ

    現在計量士の勉強をしています。そこで相対不確かさの定義が出てきました。 相対不確かさとは、不確かさを測定結果の絶対値で除したものである。 とありました。 標準不確かさはバラツキを求めていることは分かるのですが、 この相対不確かさとは一体何を求めているのでしょうか? またこの相対不確かさの使い道を教えてください。

  • 《絶対》という概念を使いこなすようにならねばと

     ・・・思います。そのことをめぐって 問います。  おそらく互いのやり取りをつうじて 《絶対》は 互いのあいだに浮彫りになる。そういった問い求めのすがたが想い描かれますが そうであるかどうかは 発進してみなければ分かりません。  すでに幾度も問うていますが そういう意味でさらにすすめたいと考えました。  たたき台です。  1. ひとは おのれの存在が永遠ではないにもかかわらず 《永遠=無限=絶対》という言葉を持つに到り これを使っています。  1-1.  その意味で 《神》ということばも――そして《無い神》も―― 用います。  2. すなわち この経験世界を超えたところに《永遠=無限=絶対》を想定して それにもとづき言葉として・ゆえにそれなりに概念として使いこなしています。  2-1. 《経験世界を超えた》という意味は 経験事象における因果関係から自由だという意味です。  3. ですから 不思議なことにひとつの逆説のごとくに 《ことばそして概念》としては 《絶対=無限=永遠》は、経験世界に属します。  3-1. 経験世界を超えた《非経験の場》が 経験世界の内側において用いられています。  4. もうひとつに この《想定》のもとに 一人ひとりの主観の内にあっては あたかも《絶対なる者が この相対的で経験的な世界に 降りて来た》といった派生的な・第二次の想定をも持つことが自由であり これは ゆるされています。  4-1. 良心・信教の自由あるいは表現の自由という公理であるようです。  5. 繰り返しですが 《絶対=永遠=無限》は 非経験の場であり 《非在》です。定義(想定)において こう確定します。  5-1. 存在するか存在しないか どちらとも人間にとっては分からない場であり 場としてのチカラだと思われます。  5-2. ゆえに 神としては 有神論か無神論かは どちらも――自由に――あり得て 互いに同等ないわゆる信仰の立ち場です。  6. 同じく確認として言えば 或るひとりの人間の主観のうちにあっては 定義とそこからの派生的な想定として 《絶対=永遠=無限》は 二重構造となって過程しています。  6-1. 《絶対》の二重構造:   ・ 《非経験の場》そのものとしてのわが心の庭〔なる神〕:無根拠   ・ 《神》という言葉としてまた概念として用いられる《絶対》:因果       関係などの合理的な根拠を科学的に明らかにする場合に       すら用いられることがある。        たとえとして都合がよいのだと思われる。        6-2. すなわち 《無根拠で非在なる非経験の場》が 主観の内なる経験世界に 《定義としてのまぼろし(非思考の庭)》と《仮りにでも姿かたちを表わしたその現実(精神と思考の緑野ないし密林)》との《二重構造》を呈しています。     以上です。ご批判をつうじて精緻なものにして行きたいと考えます。  ちなみに 《絶対》をめぐる次のような文章もありますので ご紹介します。  ● (司馬遼太郎:絶対について) ~~~~~~~~  近代以後の日本の文学者が、西洋の小説を読み、読みおえてから小説を書きはじめたことは、いうまでもありません。  ただ日本には「絶対」という思想、慣習、あるいは日常の気分がなかったということが、決定的に不利でありました。・・・  むろん、絶対などは、この世にありはしません。宇宙にも、科学の中にも、存在しないのです。  しかしある、と西洋人は、千数百年をかけて自分に言いきかせつづけました。  絶対、大宇宙の神は存在する、うそではない、ということを、哲学として、神学として、論理をきわめ、修辞をきわめ、思弁のかぎりをつくして説きに説きつづけてきたのです。  ヨーロッパの荘厳さというべきものであります。(開高健への弔辞)    http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/S/sibaryotaro.html  ~~~~~~~~~~~~~~

  • 絶対音感・相対音感

    絶対音感と相対音感ってなんですか?違いとかいまいちよく分からないので、教えていただけるとありがたいです。 あと音感にもレベルとかありますか?細かく分かる人とか、なんとなくの人とか… ちなみに私は周りの音は聞いて分かります。チャイムとかテレビの音とかも何の音だかは分かります。でも雨の音とかは音に(音程に?)聞こえるときと聞こえない時があります。パーカッション的な音?は音程に聞こえません。これはなんというのでしょうか? 小さい頃はドの音だけ分かり、そこから数えていました。これは相対音感ですか?音感って成長するんですか? 非常に分かりにい文章ですみません。お願いします。

  • どうしても《絶対》ということが 腑に落ちないでしょうか

    どうしても《絶対》ということが 腑に落ちないでしょうか  たとえば次の文章の中の《永遠的なもの》 これが《絶対》を表わします。《時間的なもの》は 《相対》です。経験世界における経験的なものごとです。したがって 絶対は 非経験です。  ▲ (アウグスティヌス) ~~~~~~~~~~~~  たしかに時間的なものと永遠的なものの違いは次の点にある。  時間的なものはそれを手にする前にはとても大切に思われる。  しかしいったんそれが手に入ると 値打ちがなくなる。  永遠だけが真実の確かな住み処である人にとって 時間的なものはたましいを満たしてくれないからである。  ところが永遠的なものはそれを獲得しようと願っていたときよりも ひとたび獲得すると 以前よりもいっそう熱烈に愛するものとなる。  (アウグスティヌス:クリスチア二スムのおしえ 1・38)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《絶対=非経験=無限=永遠》は たしかに表象し得ないことですから 無いと言えば無いですし そもそも根拠もありません。ただのナゾであるだけではなくはっきりと無根拠です。  これをわれわれ日本人も 《かみ》と言って表わしてきたのではないでしょうか? やほよろづの神々は その絶対なる《かみ》が仮りにみづからを表わした分身のすがたなのではないでしょうか?  表象し得ないナゾですが このように仮りに言葉で表わしたなら それとして概念となります。  この《絶対》という概念を ふつうに日常に使えるように知るための《たとえ》は ないものでしょうか?   いくつかの視点からのご見解ともども おしえてください。

  • 『OEM』と『下請け』と『外注』の違いは何?

    OEMというものは、調べてみると、自社の製品を他社のブランドの製品として作ることとなっていましたが、これは下請けや外注と何が違うのでしょうか? また、下請けと外注も同じと考えてよろしいでしょうか?(言葉の使い方は違うのでしょうが...) 違いを明確に教えて頂くと助かります。

  • 相対的貧困と絶対的貧困

    昨今「(絶対的)貧困の生活はこんなに苦しい」「国民の(相対的)貧困率は1/6」のカッコ内をはずして、さも絶対的貧困が国民の1/6であるかのようにミスリードする記事が目立ちます。相対的貧困の定義派は「等価可処分所得=世帯所得/(世帯人数^0.5))が中央値の半分」で、それが国民の1/6だそうです。 一方、絶対的貧困の所得の定義はどのようで、それは国内にどれだけいるのか教えてください。 生活保護家庭が絶対的貧困だとは思えません。そもそも国民の7割が持っているものは買える水準の給付であり、文化的な最低限度の生活を送れる水準です。家族4人の場合、医療費やNHKの受信料その他の優遇を合わせると年収500万円家庭に相当すると言う試算もあります。本当に苦しいのは単身者くらいでしょう。絶対的貧困って国内にいるのはホームレスか生活保護を水際作戦で止められている人たちくらいではないかと思いますが。