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★演繹法による絶対善の定義
道徳的論理とは皆さんがこれは当たり前だ、それは常識だと言うものを使って組み立てていくものです。みんながまだ妥当だと思っていないものを使って組み立てていくのは論理的とは言いません。論理的文章とは筋が通っている文章です。筋というのは道理的ということであり、道理とはみんなが「それはそうだ、間違いない」と考えている妥当的なものを言います。命が一番大切だと言えば「いや命より心やアイデンティティー、信念が大切だ」など非道理的な反論は止めていただきたいものです。 道徳的文章は、みんなが「そうだ、それに間違いない」というもので組み立てていって初めて論理的文章になるのです。私が絶対善を演繹法で定義した方法を見てみます。 その民族にとって最も大切なものは、その民族の命である(それはそうだ、間違いない) また最も大切なものを守ることは、絶対的に正しい事である(それはそうだろう) そうであるならば、最も大切な民族の命を守ることは絶対に正しいことである(うん、そうなるな、間違いない) 善とは道徳的に正しいことを言う。ならば絶対善は絶対に正しいということである(うん、間違いない) これらから絶対的に正しいこと、つまり絶対善は民族の命を守ることであり、それは民族の維持、繁栄である、これはよく言われるように種族(民族)保存である。 このようにして絶対善とは種族(民族)保存であることが論理的に導かれた。 科学的論理は数学の証明問題のように問題を解く式が全部真であって初めて答えも真であると言えるのです。式がしっかりしていなければ正解とはなりません。道徳的論理もこれと同じで、論に妥当的な、道理的な筋道があって初めて、結論も正しいと言えるのです。 このように私の善の定義は論理的に演繹法で導かれたものです。ですから否定するなら、論理的に否定しなければなりません。あなたたちの感情に合わないからといって事実を価値判断で否定してはならないのです。 何度でも言いますが、感情による否定では私の信念は揺るぎません。否定するなら論理的に否定してください。 しかし世間では絶対善など絶対に分からないと言われている。ならばどこかに瑕疵があるに違いない。どうです皆さん、私の絶対善の定義を否定してみませんか。
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- atomonados
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(A→P)∧(B→P)→(B→A) のようにトートロジー(恒真)ではない推論は、論理的に妥当な推論とは言いません。 これが妥当な推論ではないことが分かる例をあげます。 (A→P)「犬は動物である」 ∧「かつ」 (B→P)「猫は動物である」 →「したがって」 (B→A)「猫は犬である」 あなたの論法はこれと同じ形式であるので論理的に妥当とは言わないのです。 (A→P)「民族の保存は絶対に正しい」 (B→P)「絶対善は絶対に正しい」 (B→A)「絶対善は民族の保存である」
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
絶対善だ、という為には、次の条件を総て満たす ことが必要だと思います。 1,例外が無いこと。 2,相対的でないこと。 種族保存の為に、他の種族を殺すことは 他の種族からみれば善とは言えないでしょう。 故に、種族保存が絶対善とは言えないと 思います。
お礼
コメントありがとうございます。 1,例外が無いこと。 その全ての種族にとって種族保存することは絶対的に正しく例外はありません。 2,相対的でないこと。 種族保存より大切なことがありますか?これは絶対だと思います。 食べられる方は良くないでしょうが、そのために種族保存が絶対善であることが否定できるでしょうか。別の問題では?
お礼
コメントありがとうございます。 私は哲学も論理学も素人なので助かります。 感情論的な否定ばかりでしたので、論理的な否定は歓迎します。。 しかしこれは少し違うと思います。 (A→P)「民族の保存は絶対に正しい」 (B→P)「絶対善は絶対に正しい」 (B→A)「絶対善は民族の保存である」 私が書いているのは その民族にとって最も大切なものは、その民族の命である 最も大切なものを守ることは、絶対的に正しい事である ゆえに最も大切な民族の命を守ることは絶対に正しいことである 言い換えれば、種族(民族)保存は絶対に正しいことである ですから論理的にあっていると思います。