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忍者とは何か

川原 文月(@bungetsu)の回答

回答No.6

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 回答しようかどうか迷っていました。 >>最大の疑問は暗殺はあったのかということです。 この答は、「あった」とも「なかった」とも言えます。 なぜならば、忍者の書き残した物が一切ないからです。 すべて口伝で証拠を残さないように配慮していたからです。 ただし、伊賀忍者は伊賀忍者だけが使う文字を持っていました。 これは文献で明らかになっています。 例えば、「木」へんに「色」が「い」。 「火」へんに「色」が「ろ」・・・などです。 私は、忍者は実在したと考えます。 それが証拠に半蔵門で有名な服部半蔵が実在し、大奥の中に唯一男性の詰める場所があり、「広敷向」(ひろしきむき)と言いますが、役目としては次のようになります。 大奥での事務や警備等を担当する「男性役人」の詰め所。唯一、男性の入ることのできた区画です。しかし、火事などの非常時以外は御殿向や長局向へ出入りは「厳禁」でした。 ★「広敷用人」は、大奥の御台所や上臈(じょうろう)御年寄りなど、大奥の上級お女中から頼まれた事務を取り仕切った。「御用達」は、用人の指示により、出入りの商人から買い物などを調達する掛り。 ★「広敷番」は、大奥の女中が城外への出入りに使用した「平川門」(不浄門)の警護や御錠口という「御殿向」と「広敷向」とを区切るための扉の警護。さらに、「七つ口」と呼ばれる「長局向」と「広敷向」とを区切るための扉の警護。この七つ口は、朝五つ(午前8時)に開き、夕七つ(午後4時)に閉まることから「七つ口」と呼ばれるようになりました。 ★「広敷伊賀者」、大奥の上級者たちが社寺へ詣でるような時の警護役。 >>暗殺するくらいの実力はあったのですか? 当然あったと思いますが、先にも述べた通り、いかんせん、史料としては残っていません。 (よもやま話) ★忍者とは 起源は、聖徳太子の側近の大伴息人(おおとものそくじん)が記した書の中に「志能便」(しのび)がはじまりとされている。名実ともに特殊技術と認められるようになったのは、奈良朝中期に遣唐使の吉備真備(きびのまきび)が中国からもたらした「孫子」の中にスパイ術が書かれてあり、これを源とする。 ★忍者の原形 修験者が体得し広めていった。貴族が信仰するような優雅な仏教文化と違い、修験者は眼に見える現世的な力を見せて、庶民仏教として受け入れられことを目指した。そこで、山中などの厳しい環境に身を置き、気合術、催眠術、医療術などを体得していった。これらの技術は日々進歩し、長く伝わっていった。 ★「陽忍」と「陰忍」 まず、「陰忍(いんにん)」は一般的に知られる、種々の「技」(わざ)を使う忍者で、源平合戦のころの「義経流」(ぎけいりゅう)に端を発している。つまり、鞍馬山中で修行した「体術」を駆使する者である。これに対して、「陽忍」(ようにん)は知能的な諜報、謀略を主としている。南北朝の「楠流」(くすのきりゅう)を受け継いだといわれている。 ★忍者の格 忍者のランクとしては、「上忍」(じょうにん)、「中忍」(ちゅうにん)、「下忍」(げにん)の3階級に分かれる。「上忍」は豪族で、主に、「陽忍」を使った。「下忍」は、もっぱら、体術を使う「陰忍」であった。「中忍」は両方を使い、「下忍」の組頭的存在であった。 ★伊賀と甲賀 どちらも、自然的条件がそなわっていた。まず、伊賀(三重県)であるが、鈴鹿山系と笠置山系に囲まれ、外界からは隔絶していた。山岳修験者が好む山あり谷ありの絶好の修行場であった。また、京にも近く、古来より戦いの進撃路でもあり、敗残兵の潜入場所にもなった。宗家の「服部家」は、その土地の豪族であった。服部家は家康に仕え江戸時代に全盛期を迎えた。「半蔵門」は服部半蔵から名前をとっている。一方、甲賀(滋賀県)は本来の地名としては「こうか」と言うが、忍法に関してのみ「こうが」と呼ぶのが一般的である。甲賀も鈴鹿山系と信楽(しがらき)盆地とそれらを囲む丘陵地であり、甲賀衆は普段は農業や行商人に身をやつし、「上忍」はおらず、「中忍」と「下忍」だけで構成されていた。甲賀衆は、織田信長を経て豊臣秀吉に仕えて手腕を発揮した。しかし、忍者は戦陣においても他人に「忍者」とわからないよう、また、同じ忍者同士でも悟られないようにしたという。そして、雇ってくれる者があれば敵味方関係なく働いたので、いちがいに、伊賀は○○方甲賀は△△方と所属を分けることはできなかった。その他、雑賀衆(さいかしゅう、または、さいがしゅう)、根来衆(ねごろしゅう)なども忍法を駆使して戦いで活躍した。また、一説には「柳生」も剣とともに、忍法を用いたとも言われている。 ★本当に伊賀対甲賀? 本来、甲賀衆も家康に尽くした。伊賀衆は、天正九年(1581)に織田信長が戦のたびに神出鬼没のゲリラ戦に業を煮やして伊賀を攻めた。女、子供にいたるまで容赦なく殺戮したという。通称、「天正伊賀の乱」である。この時、甲賀は家康の「とりなし」で信長に攻められることなく無事であった。したがって、家康には恩義を感じていた。一方、伊賀衆は天正十年(1582)の本能寺の変で信長が討たれた時、家康は信長の招きで堺遊覧の最中であったが、信長の死を聞くや、家康は必死の形相で伊賀、甲賀の山中を逃げ回り、伊賀衆の助けを受けて伊賀の白子浜から海路三河に逃げ帰った。その後、慶長五年(1600)の関が原の戦いでは、甲賀衆は伏見城籠城に参戦し100人もの戦死者をだした。家康は幕府を開いてから、この甲賀衆の戦死者の子弟100人を召抱え「甲賀百人組」を結成させている。さらに、「伊賀同心」より1階級上の「与力」に任じている。伊賀も甲賀も家康を陰で支えた功績は多大なものであった。忍法的には、さほど違いはなかった。 ★陽忍の七変化 陽忍は、いわゆる、大物スパイであるので、あらゆる人物に化けた。虚無僧、山伏、出家、商人、放下師(手品師)、猿楽師(猿まわし)、常の形(普通の人)、これらの七種類の変装用具を用意していた。これを「七方出の術」(しちほうでのじゅつ)と呼んだ。もちろん、扮装だけではすぐにバレてしまうので、ふだんから物腰や教養、技術などを身につけていなければならなかった。高級忍者たるゆえんである。 ★陰忍のユニフォーム 忍び頭巾、上着、たっつけ(伊賀ばかま)、帯、忍び刀がユニフォーム。そして、携行品としては、手拭、鉤縄(かぎなわ)、石筆、薬、附竹(発火用具)を必ず身につけていた。よく、黒装束というが、黒よりも柿色が多かった。暗闇でも黒色は割合目につきやすいが、柿色は意外と見えない。さらに、血がついても目立たない。実際に柿の渋で染めたという。 ★くノ一 忍法「くノ一」は、もちろん「女」である。これは、女を敵方の奥向きへ仕えさせて情報を収集するもの。「陽忍」の高等術の一つであった。 ★特訓 忍者の家に子供が生まれると、畳の上に濡れた唐紙二枚を重ね貼りした襖を置く。親の忍者がその子の手を引きその上を歩かせる。子供は襖の端に置かれたお菓子が欲しくて「よちよち歩き」をする。当然、唐紙は破ける。それを叱りつけて唐紙を破らぬようになるまで毎日歩かせる。何千回、何万回と繰り返すうちに「足形」も残さないように歩けるようになるという。忍者が敵方へ潜入したとき、足音を殺し、足跡を残さないための特訓である。真綿からつむいだ細い糸を鼻の穴のすぐ上に貼り付ける。そよとも動かさずに呼吸をする。敵がまじかに潜むとき、息を殺すための修行である。大きな桶に水を満たし、その中に首を突っ込んで長時間耐える。これは潜水のための訓練。こうした幼少からの反復練習が驚異的な体術を生み出すのだ。伊藤銀月著「忍術極意秘伝書」の中に書かれてある。 ★忍法のその後 徳川幕府が安定してくると、戦いもなくなり、当然のことながら、戦場での「忍法」も必要なくなっていった。したがって、「陰忍」はしだいに姿を消し、「陽忍」だけが残るようになった。一説には、寛永十四年(1637)の島原の乱で「陰忍」はすべて消滅したと言われている。それ以後は、「隠密」と呼んだ。

noname#179745
質問者

お礼

すばらしい!@@何度も見直してお勉強させていただきます。忍者が廃れてからだいぶ立ちエセ忍者、娯楽忍者、マンガ忍者、架空の話などなどぐちゃぐちゃになりました。忍者は現在に必要ないですからね。ただ古今東西非常に特異なものでありゲームや観光などで人気を博すのはよくわかります^-^ま、本当の技は危険だから娯楽では、空中さっぽうしかないのは、しょーがないですね^^;閲覧者様も悪用はされぬよう。

noname#179745
質問者

補足

あ、すいません。ほかにもこねたあれば聞かせてください。

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