正しさより厚みがほしい

このQ&Aのポイント
  • 正解に近づくためには理論的で無駄のない行動が重要ですが、それによって経験則や新たな習慣が得られず、自分を破壊している気がします。
  • ただ正しいだけではなく、積み上げや新たな価値を持つことも大切です。自分の周りで新しい発見をし、厚みを感じることができる方法を探しています。
  • 正しさだけでなく、個々の経験や感覚も重要であり、それが自分自身の厚みを生み出します。どのようにすれば理論的でありながらも厚みを持った行動ができるでしょうか。
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正しさより厚みがほしい

最近、自分について、間違った習慣などを直したいと思い、本などよく読んだりして情報を集めます。 それで間違った行動などについて正しくできたりすることがあります。 原理的により正解に近づくということだと思います。 理論的で正解に近づく分、より筋肉質で無駄がない行動が増えるということですが、その反面今までの経験則などが消えて、さらにあらたな理論で訂正された後にも経験則、新たな習慣・価値観がつきません。 いわゆる自分を破壊しているのでしょうか。 形が形成されず、新たな価値感を創出されず、高さや厚みを感じないのです。 原理的に正しくすることも大事ですが、それよりも積み上げ、新たな価値などを持つにはどうしたらいいですか。 自分の周辺で新しい発見によって正してばっかりですが、人なので正しいよりも厚みがほしいです。

noname#209756
noname#209756

質問者が選んだベストアンサー

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  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.3

収集した情報を丸飲み(鵜呑み)にしていませんか? 新しい情報は、今までの経験を踏まえている古いものと新しいものを使って 自分の中に再構築していく作業です。 再構築していく段階で、新たな習慣や価値観は徐々に出てくると思います。 ただ情報の差し替えだけなら、厚みはついてこないでしょう。

noname#209756
質問者

お礼

情報を鵜呑みにしている。そうかもしれません。 再構築の仕方がおかしいのでしょうね。 ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (8)

  • foosun
  • ベストアンサー率12% (13/104)
回答No.9

恋愛する 虫と戯れて遊ぶ 海外旅行する 運動する 福島に行ってみる 歌舞伎町で飲み食いする 風俗に行ってみる など

noname#182794
noname#182794
回答No.8

厚みに頼る者は、厚みによって滅ぶ。 人間の厚みなど、まぼろしである。 人間には尊厳があるのだ。 たとえ紙一枚の厚みしかもたない人間であろうと、 厚さにかかわらず尊厳はあるのだ。 人間の尊厳は、利用価値などではない。 人間が生きることによって、尊厳があり、 尊厳があることによって、人間が生きるのである。 この真理を得たならば、もう厚さにこだわる必要はない。 人間の厚みなど、塵と砕けよ。 わが生涯に一片の悔いなし。 天に帰る時が来るのだ。

noname#209756
質問者

お礼

尊厳。最終的にそうなると思います。 重要な言葉ありがとうございます。

回答No.7

本を読み終わったら、あとは、リアルを鮮烈に体験するしかない

noname#181644
noname#181644
回答No.6

無理をしないで、というのが回答になるでしょうか。まずは落ち着いた暮らしを実現し、そして世の中や自分のことに目を向け、手を必要とするところには、平静な心のまま対峙できたなら、一級品でしょう。火事を見て平静で居るのが難しいように、世の中や自分の、手を必要とするところを見て平静で居るのは難しいことだからです。

noname#209756
質問者

お礼

ありがとうございます。 今の自分を見ているとそれにつきる気がします。 ご回答ありがとうございます。

回答No.5

他人に自己顕示するためや、他人を責めるための道具と しての言葉の上の単発的な知識ではなく、環境の認識の 深まりとして、総合的な多次元情報体として捉える事。 情報は、単線的な丸暗記より、相関させた方が情報量が 指数関数的に増大する。 そして何よりこの世界の情報は、数学や哲学、物理などと 分断されて存在している訳ではなく、1つの複合体であり、 学ぶ時には単線的な文章として、分断された学問として 取り入れるにしても、それらを詰め込みの知識としてでは なく、感じる環境の認識に投影し、生き方に反映すべき ものなのです。

noname#194996
noname#194996
回答No.4

非常に抽象的なお話で、どのように考えていけばいいのか迷いますが、たとえば 義務教育だけを終えて徒弟制度の残る技能系の職についたひとが、先輩方に教わったことを身につけてそこそこの仕事が出来るようになった。そして、後日、自身の仕事に関する技術的な書籍を読む機会があって、自身が体で覚えた技能や知識を再確認し、理論的に再構築し、また違っていたこともあって、それらを正していくことで更に技能や知識を深め、その後の新たな実践経験がより深い意味を持って当人の知識に加わるということになるはずです。 >さらにあらたな理論で訂正された後にも経験則、新たな習慣・価値観がつきません。 こういうことはないはずです。 >原理的に正しくすることも大事ですが、それよりも積み上げ、新たな価値などを持つにはどうしたらいいですか。 積み上げ方が悪く、量的にも足りないのでしょう。 >正しいよりも厚みがほしいです。 間違ったことをいくら高く積み上げても価値のないごみの山だと思います。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.2

人類や民族の経験則というのもゴミなのですけど、まあ個人の経験則よりもましなので 自分を頼るのを諦め、人類や民族の経験則を学んではどうでしょうか。 ただし、盲目的に学ぶのではなく、自分の日常生活の中で人類や民族の経験則との共通点を発見する学びになりますのでご注意を。

noname#209756
質問者

お礼

個人の経験ってたかがしれてますよね。 同感です。 ご回答ありがとうございます。

回答No.1

貴方は知識の置き換えをするからそうなるのです 貴方の言葉に 筋肉質 とあります 知識は置き換えるものではありません 間違いでもその上に正しい知識を積み重ねる事が重要です 貴方は図らずもその様にしている自身の行動を 置き換えた と表現していますが それは貴方の錯覚です 知識はスリム化するものではありません 過去・現在・未来に向かう貴方自身の時間の集積であるのです 過去だけ 現在だけ 未来だけ 時間軸を切り取って生きていく事は人間には不可能です

noname#209756
質問者

お礼

いえ、上積みしているのはしているのですが、 自分の新しい価値が見つかるような情報を手にいれないからそうなるのでしょうね。 ご回答ありがとうございます。

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