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欧州における1848年の歴史的意義(その2)

世界史論述の問題集を解いていて気になった点があります。 『改訂版 詳説世界史論述問題集』山川出版社 練習問題60での解説では、 革命運動の挫折は、二月革命支持の自由主義者が六月暴動鎮圧後に保守化したことと連動する全ヨーロッパ的な現象だった。 とあります。また、例題66でも同様の記述があります。 そこで疑問なのですが、 本当に、欧州各国の革命運動失敗は自由主義者(産業資本家?)が保守化した事によるのでしょうか? 自由主義者を産業資本家と読み替えられるなら、 イタリア・アイルランド・イタリア・オーストリア・ポーランド・ベルギー・ハンガリーで同じく産業革命が起きていたのでしょうか? イタリア:サルデーニャの統一運動はオーストリアに敗れて失敗。ローマ共和国はローマ教皇の反動で崩壊 アイルランド:(詳細不明...イギリスにより鎮圧とは思うものの) オーストリア:反動勢力の成功を背景に反撃に転じて鎮圧 ポーランド:ロシア・プロイセン・オーストリアの3軍により鎮圧 ベルギー:(詳細不明...一部選挙法改正のみ成功) ハンガリー:オーストリーおよびロシアの介入で失敗 どういう点で自由主義者の行動いかんにより各国の諸運動が失敗したのか分かりません。 (多くは他民族による鎮圧であり自国民による影響とは思えないという点で) 自由主義者という思想家という点で見るなら、 まるで自由主義者という国際的なフィクサーがいたかのような説明に聞こえます。 (ルターが監督主義に変わり農民戦争鎮圧。ルソーとヴォルテールの両名の死亡で啓蒙主義が革命主義に変わった。という事例もあり、思想家の影響は大きいのかもしれませんが。例が見当違いかもしれませんが...) 分からない点は以下の5つです。(複数質問していいのかわかりませんが) 1.自由主義者は産業資本家と読みかえられるのでしょうか? 2.自由主義者(思想家)の協力が得られなかったから失敗したのでしょうか? 3.自由主義者(思想家)が積極的に鎮圧にまわったのでしょうか? 4.「自由主義者が保守化した」というのは全ヨーロッパの各国で具体的にどういう干渉があったのでしょうか? 5.他民族により鎮圧された場合、その”他民族”側の国の自由主義者が鎮圧に協力的だったのでしょうか?(2~4に絡んでしまいますが) みなさんご教授の程よろしくお願い致します。 --- ちなみに『詳説世界史研究』山川出版社(旧版1997年ですが)に「二月革命とその意義」の項目があり、その締めくくりに、 (a)労働者が政治世界に登場、社会変革を志向 (b)産業資本家と労働者が政治経済での対立が深刻化 (c)欧州各国に影響を与え、ナショナリズムや自由主義運動を高揚させた (d)ウィーン体制は完全に崩壊 とあります。 ※『改訂版 詳説世界史論述問題集』山川出版社 ISBN 9784634030398 ※『詳説世界史研究』山川出版社 ISBN 4634034204

みんなの回答

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.3

度々すみません 19世紀の自由主義者の目的とは何か それは個人の経済活動を妨げる障壁の除去 市場経済を円滑に行う為の経済、社会各制度の整備と国家の経済への中立性の維持(国家が特定の経済的利益を追求しない) それとともに自由主義者がこだわったのは選挙制度の《財産と教養》での制限をかけた選挙制度の施行です もし普通選挙が施行されれば当然労働者の支持を受ける社会主義勢力が多数を制し 自由主義勢力が多数派になりえません しかしながら社会主義者を含む勢力で組織されたフランス2月革命革命で成立した共和政府は 破綻した銀行組織再建、財政再建、そして社会主義者の設立した国立作業場などで その財源を直接税の大増税に求めたため ブルジョアジーや中産階級、保守化していた自営農民層の猛反発を受けました さらに共和政府は普通選挙法を施行しますが 自由主義者たちは社会主義者の拡大を恐れていたので 前述の通り、内心財産と教養での制限選挙制度を希望していました 表だって制限選挙制度を施行できない為 巧みに枠を掛けようとします 1850年の普通選挙法では選挙権を有する者は3年以上同じ居住地に住んでなければならないという枠を掛けました 当時の労働者は移動が激しいため、事実上、労働者層から選挙資格を剥奪するものでした 結局、ルイ・ナポレオンがクーデターを起こし共和政府を打倒したため 居住条件を緩和した普通選挙法に落ち着きますが その後も自由主義者たちは選挙制度を制限選挙化しようと執拗に様々な法案を出し続けました 一方、統一されたドイツでは不平等な三階級普通選挙制度を施行していましたが 普通選挙なので労働者層も議員を選出されるが 財政により一票の較差をつけている為にドイツの自由主義者が容認できる選挙制度でした 世界で最も先進的な社会保険を施行し民衆も迎合したビスマルクと自由主義者たちは予算審議権を巡り激しい論争をしますが 自由主義者たちは自分たちの要望通りの労働者層には不平等な三階級選挙制度に関しては一切、手をつけなかったのです 結論的には自由主義者たちは急に保守化したというよりは もともと労働者層の支持する社会主義者や急進主義者の対立を内包化していたと見るべきだと思います やがて革命が挫折した社会主義者、労働者層は社会民主党(労働党、社会党)、労働組合を組織 一方、経済活動の自由と法整備を確保し自由主義者の要望が達成されると自由主義は退潮し 自由主義右派を含む保守主義者はカトリック系保守党を組織し勃興するのです

jonathan4403
質問者

お礼

「自由主義者」に関して商人や工場経営者以外に特別な意味がないという事なので納得できました。 ありがとうございます。

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.2

続いて ・プロシア 失敗したとはいえ、3月革命は無駄でなく エルベ以東のグーツヘルシャフト(農場領主制)も領主裁判権を放棄し資本主義的経営への変質を余儀なくされました 余剰になった農業労働者や資金なく農地を得られず自営農民になれなかった者はシレジアの工業地帯で労働者になりました また不平等であるはあるが男子普通選挙の三階級選挙が施行されます かつてバーデン革命の弾圧者であった皇太子ヴィルヘルムも皇帝に即位すると自由主義者には寛容な態度を取りました ・イタリア サルディニア王国はオーストリア支配下のミラノの蜂起に呼応し他のイタリア諸国を誘い対オーストリア戦を起こしますが もともと反動的な教皇や両シチリア王国の裏切り離脱で単独でオーストリアと戦うはめになり またオーストリア軍も有能なラデツキー将軍により破られ失敗します イタリアの統一は統一後も連邦制を維持したドイツ帝国とは違い サルディニア王国による他国の吸収併合の中央集権的統一で カヴールが企図する統一イタリアに入っていなかった南イタリア(両シチリア王国)がガリヴァルディにより制圧された為、慌てて統合されますが この強引な統合で匪賊の反乱といわれる南イタリアで内戦化します ・ハンガリー 急進的独立派は一時、ウィーンの急進派と結び、一旦独立しますが 自ら支配下民族であるクロアチア人やトランシルバニアのルーマニア人にマジャール化を強制し反発されます 特に元々パンデュール(クロアチア猟兵)という兵種があるように皇帝に忠誠的であったクロアチアでは クロアチア人イェラチッチ大佐が反ハンガリーを唱えクロアチア軍を率い、皇帝軍に合流 有能なハイナウ将軍の皇帝軍は独立軍を鎮圧します これを機にハンガリー急進独立派のデアーク、アンドラーシは転身し皇帝との妥協を目指すことになります 1867年にそれが達成され体制側になると今度は チェック人とのボヘミア和協や南スラブとの妥協を阻止します ハンガリーの相対的地位低下を恐れたためです ・ポーランド ポーランドでは1846年唯一どこの国にも併合されていなかったクラクフで独立蜂起しますが オーストリアのガリツィア地方でシュラフタというポーランド人中小貴族に過酷な支配を受けていたウクライナ人が逆蜂起し オーストリア皇帝軍に協力しポーランド独立蜂起を潰します これをかなり恐怖したポーランド人たちは皇帝側にすりより 後に妥協したハンガリーに準ずる地位特権を得ます

jonathan4403
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

jonathan4403
質問者

補足

(自分の元発言に追記できないので、こちらで失礼いたします) ひとつ補足したいのですが、 練習問題60での記述は「仏で失敗したのと同様、他でも全部失敗した」だけだと読めなくも無いものの、 > とあります。また、例題66でも同様の記述があります。 例題66では省略しましたが、以下がその記述です。 「これらの運動は急進化を恐れた自由主義勢力が保守化してほとんど鎮圧された」

  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.1

世界史の教材にそう書いてあるなら受験用ならそうなのかも知れませんが 一概に各国とも同じようには規定できないと思いますが 穏健な自由主義者と急進的な民主主義者、社会主義者の対立が内包されているとは思われます 1848年の時点ではイギリスと第二の産業革命国であるベルギーが鉄鋼業で他を圧倒していました 1850年代からフランス、そして政治的統一より先に経済的小ドイツ主義統一されたドイツ関税同盟で産業革命が進展 オーストリアでは1880年代頃にずれ込みます 各国の状況は ・スイス フランスの2月革命に影響を与えたスイスの内戦であるゾンダーブント戦争は 統一連邦制を主張する自由主義諸州連合(カントン)と保守主義・カトリック主義諸州防衛同盟(ゾンダーブント)との戦いでした 戦争は自由主義諸州側が勝利しましたが それに対し保守主義、正統主義を主張するフランス、オーストリアが干渉しようとします それをイギリスが抑えスイスの自由主義は守られました ・フランス 政権を掌握する為、表面上では協力した自由主義者と社会主義者も いざ政権を掌握すると対立が表面化 失敗を見越して社会主義者ルイ・ブランの失業者を収容した国立作業場設立を容認しますが 案の定、非熟練労働者の集まりにすぎない国立作業場に仕事が来るわけなく、労働者が暴動を起こし自由主義者たちに鎮圧の口実を与えます 自由主義者には産業資本家だけでなく、最終的勝者となる金融資本家や中産階級も含まれていました 最も保守化傾向にあったのは大革命時代同様に自営農民でした 彼らは折角手に入れた農地を手放しくたいですから当然の如く社会主義者の主張に同意するわけがありませんでした ・ドイツ フランクフルト国民会議では穏健な自由主義者と急進的な民主主義者で対立以外に小ドイツ主義、大ドイツ主義の対立、立憲連邦主義と集権議会主義と共和主義の対立なので議事が進行しないうちに シュレスヴィッヒ・ホルシュタインを巡りドイツ連邦の要請で出兵しデンマークに対し勝利したプロシアも ロシア、フランスの強要でマルメ休戦を締結させられ国民会議の急進派が蜂起すると 穏健派は政権側と結ぶことになります 急進派は革命が成功したドイツ南西のバーデン大公国へ集結しますが バーデン大公の要請で出動したプロシアのヴィルヘルム皇太子率いるプロシア軍に鎮圧されます この時、民主主義者の大量の海外移民が起き 特にアメリカ合衆国へ移民、アメリカの民主主義発展に寄与 その中の1人カール・シュルツは内務長官にまでなります

jonathan4403
質問者

お礼

長文でご回答ありがとうございます。 検討するのに時間がとれず、お礼が遅れてしまいました。 まだ手付かずですが... 史実から歴史上の意義を見出すのは大変な事だと思います。

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