• ベストアンサー

百済と新羅と倭国は何故、高句麗と戦ったのですか?

百済は農耕民、高句麗は広大な領域を持つ遊牧国家ですよね? どうして戦争をしたのでしょうか?経済的理由ですか? 単なる覇権主義ですか?最初に仕掛けたのはどっちですか? どうして朝貢、冊封しようとは思わなかったのでしょうか? 結果的には百済も高句麗も唐に滅ぼされ新羅が 漁夫の利を得てしまいました。

  • 54721
  • お礼率47% (9/19)
  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • zep19
  • ベストアンサー率45% (138/306)
回答No.1

高句麗の建国時の主要民族は貊族と夫余族で遊牧民ではなく、有畜農耕民で、寒冷な地で困難な農耕を補助するため漁労や狩猟に従事しました 高句麗の四方への膨張的拡張の過程から遊牧民の契丹の一部や将来女真族 となる半狩猟半農の靺鞨の一部を配下にしました 高句麗は当初は地方政治単位である5部を主体にした貴族中心の専制的軍事国家(depotic military state)で 露骨な軍事的膨張、被征服民の集団隷属民化を国家戦略の中心としました 高句麗の軍制は古くから整っており 中央軍と軍管区的性格を持つ各5部の地方軍からなり 中央軍司令官は大模達 1000人の兵を率いる指揮官は末客、100人の兵を率いる指揮官は百頭と呼ばれました 兵種も多岐に渡り おおまかに騎兵、歩兵、水軍に別れ 騎兵も札甲、鎧を装備し長槍や剣で武装した突撃騎兵である鉄騎(中国や半中華化した遊牧民の影響?) 軽装で弓を武装した騎乗弓兵(遊牧民の影響?) に別れ 歩兵は刀斧兵、槍兵、弓兵に別れ さらに築城術にもたけていました 前燕との遼西地域の争奪戦に敗れ西進が絶たれたため 百済に対し4世紀半ばに故国原王が遠征を企てますが 百済王の近肖古王に撃退されるどころか逆侵攻され故国原王は戦死します 逆恨みというべきですが 高句麗はこれを国辱と将来まで覚え、以来執拗な百済攻撃を企てるのです 故国原王戦死後、即位した小獣林王は仏教、儒教を取り入れ律令を施行し 5部を解体し、貴族を抑えるため国王直属の官僚で官庁を設立し中央集権化します

54721
質問者

お礼

回答ありがとうございました

関連するQ&A

  • 世界史はローマ帝国やペルシア、漢や隋、唐、百済や新羅、高句麗や李氏朝鮮

    世界史はローマ帝国やペルシア、漢や隋、唐、百済や新羅、高句麗や李氏朝鮮、またまたインド エジプト イギリスなど世界史は優れた武将 軍師的な人がたくさんいて 優れた国 国家がありそして優れた陣形 戦法 戦術 奇策 計略などが生まれました 世界史で凄いなあと思った戦術 奇策 計略を教えてください 時代や歴史は好きな 得意な分野で構いません 詳しい方教えてください お願いします

  • 日本と唐はどうやって外交で仲良くなったのか?

    白江村(はくすきのえ)の戦いで百済(くだら)に味方して 唐と新羅(しらぎ)連合軍と戦って負けたと習いましたが 馬厩皇子(聖徳太子)が遣唐使を派遣して交流が復活しましたよね(後に菅原道真が唐の勢力が衰えて中止になりましたが) その間は日本は何をして唐と外交を復活したのですか? あと高句麗(こうくり)はどうなっていたのですか?日本と百済の連合軍側でしたか?

  • 日中戦争、日朝戦争のシナリオ

    米国は昔から 有色人種同士を争わせ漁夫の利を得る戦法で資本主義国家を広げてきたようですが、 戦後、日本には自辱、中国韓国には反日思想を植え付け今日にいたってますが、最近になると中国韓国が日本の領海を侵し始め、米は米で軍事縮小しながら、日本に軍事力増強を促してますが、これは日中間に戦争を起こさせる、又は中国の援護で朝鮮と紛争を起こさせ、中国が弱ったところで漁夫の利を得る。 なんてことは、ムチャな考えでしょうか?

  • 高句麗の好太王の石碑

    中国吉林省(満州)には、高句麗の好太王の石碑があります。 石碑には、4世紀末に、倭国(日本)が、攻めてきて、戦ったことが、刻んであります。 日本から、朝鮮半島を飛び越えて、満州を攻めたとは、考えられません。 当時は、朝鮮半島全体が、全部、日本の支配下だったんじゃないでしょうか? 古事記を読むと、新羅、百済は、日本の朝貢国として書かれています。 ”神功皇后の新羅征伐”も出てきます。 紀元1~2世紀に、内戦の末、日本を統一した大和朝廷が、その勢いのままに、朝鮮半島に侵攻します。(ここまでは、豊臣秀吉の朝鮮征伐と同じ) そして、朝鮮半島攻略に成功して、次に、高句麗をも攻めた、というのが、歴史的事実なんじゃないでしょうか? 白村江の戦い(663年)で、百済が滅んで、百済の王族、貴族は、日本に亡命します。 百済時代の古墳は、日本の大和地方にある古墳とそっくりです。 百済の国王は、日本の天皇家の分家で、百済の貴族は、日本人だったそうです。 (専門家の調査で判明したそうですが、専門家が隠しているそうです) 百済が、日本人の国でなければ、日本が援軍を送るはずがないし、百済の王族・貴族が、日本に亡命するはずもありません。 それ以降、日本が、朝鮮に援軍を送ったこともないし、朝鮮から、王族・貴族の亡命もありません。 もう、それ以降は、日本人の国では、なかったからです。

  • 古代の朝鮮人は二文字姓?

    朝鮮人は今は一文字姓ですが、古代には二文字姓だったという説を聞いたことがあります 鬼室福信なんて名前だったのが、新羅が朝鮮統一する時に唐の援助を得るために、中国式の名前にしたって説です 同じツングース系の日本人や満州人(金の完顔氏や清の愛新覚羅氏(元々は覚羅氏))は二文字姓なので朝鮮人も二文字姓だったていうのも納得できるんですけど、 百済や高句麗の王族も一文字姓だったから辻褄が合わないような気がします 元々朝鮮は亡命中国人が建てた李氏朝鮮があったから、百済や高句麗の王族も中国系かもしれないけど この説は本当なんでしょうか?韓国で研究とかされてるんでしょうか?

  • 古来より日本は文明国ですよね?

    紀元前に日本には縄文人がいましたが、大陸から渡ってきた弥生人達を受け入れ争いなく平和に暮らした。また縄文時代から発達していた水稲である熱帯ジャポニカなど日本から朝鮮半島へ水稲が伝わった。彼らは倭人と呼ばれ、文身をしカラフルな服装をしていた。また船で航海をしあらゆる文化を吸収し高い文化を共有していた。 沢山の倭国が生まれ倭国連合になり大倭国と呼ばれるようになる。大倭国の範囲は朝鮮半島南部、九州、四国、中国、近畿と広大な範囲になり、大倭国は、百済、新羅、高句麗などをその支配下に置いた。百済王家は必ず后を倭人とし、王になるまでは大倭国に人質として暮らさなければならなかった。 大倭国のアメノ タリシヒコ大王は自ら天子と名乗り、隋の煬帝に「日出でる天子、日没する天子に・・・」を送り、煬帝が激怒した。当時、大倭国と隋の国家の広さは同じくらいなので当然といえば当然であった。 その後、隋は唐になり大唐になり、大倭国と百済の連合国と大唐と新羅の連合国が戦い大倭国が敗れ、日本に変わった。大唐に敗れた百済、高句麗の王族は日本に亡命し、百済王、高麗王と姓を与えられ下級貴族として日本の建国に貢献した。 敗れた大倭国の人達は自らを恥とし、日本に変わって新しい国家作りを行った。大陸侵略は止めて今度は、蝦夷や南方に進出し、北海道や沖縄などを日本国に吸収していく。世界では帝国主義的な流れになり、欧米などの国家が他国を植民地化し帝国を築き謳歌していた。 日本はその流れに危機感を感じ自らを大国にし他国の支配化にならないように拡大していった。大日本帝国である。範囲は、本土、朝鮮半島、樺太、台湾、南洋諸島など広大な範囲である。 世界の列強国である、アメリカ合衆国、大英帝国、大日本帝国、フランス帝国、ドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリー帝国、イタリア王国などの一角になり世界に発言力を持つようになる。 しかし大国同士の考えや価値観が違い次第に争うようになる。列強国同士の争いに他の国々も巻き込まれ、第二次世界大戦が始まる。大日本帝国は、オランダ、支那、オーストラリア、大英帝国を敗ったが、最後の砦であるアメリカ合衆国に敗れ、大日本帝国、大英帝国は崩壊。 その後、漁夫の利をいかし、ロシアと支那がアメリカと共に世界に様々なアピールをするようになっている。 これが大まかな日本の歴史じゃないですか? 支那、朝鮮が歴史教科書に文句を言う筋合いは無いと思いますが・・。

  • 大和政権の成立について

    大和政権ができた理由についてですが、自分の見解としては、次のようです。しかし、この解釈でまちがっていたり、いや、そこにはもっと深刻な背景がある!ということがあれば、どなたかに指摘していただきたいのです。↓の文を読んでいただき、お願いいたしいたします。 弥生時代、鉄資源確保のために、朝鮮半島南部の伽耶地域と通交していたが、4世紀になると朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の3つの統一国家が成立し、かれらが国力を上昇させるために鉄資源を集積しはじめたため、日本への鉄資源供給が滞った。そこで、日本ではそれまで分立していた小国が、鉄資源の確保という目的に一致点を見出し、朝鮮半島の統一国家に相手にしてもらうためには、まず国家的体裁を整えるべきと考え、畿内で大王を中心とした連合政権が形成された。 以上、よろしくお願いします。

  • 高句麗、百済、任那(加羅)、新羅についての質問

    1.これら4か国とも民族は違うのですか? 2.これら4か国のなかで絶滅してしまった民族もいますか? 3.これら4か国の民族は今は何人と呼ばれている人たちなのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 韓国時代劇を観ていての疑問

    現在は、「デジジョン:月~金PM1:00~PM1:50サンテレビ」と「ヨンゲソムン:火~金AM11:59~PM1:00テレビ大阪」を観ていますが・・・<注>番組名の漢字が難しいので片カナ表記 いつも感じている疑問があり、就いてはご存知の事がありましたら、お教え願えませんでしょうか。 Q1:何れも朝鮮の国家が中国の侵略や横暴を撃退してますが、史実はどうなのか? また歴史問題(漢や隋や唐の時代)・創作なので現代の中国(共産党政府)は抗議や反発をしないのでしょうか? Q2:ドラマに登場の高句麗・新羅・百済等は度々戦争をしてますが、それが現代の韓国の選挙でよく言われる地方別の極端な政党支持率・大統領候補の集票に血閥や旧国家の系統が大きく関係しているんでしょうか? Q3:創作・娯楽ドラマとは言え、史実や時代考証等は余り重視されないのでしょうか? ◇女性の活躍、剣客が目立つが、男尊女卑の厳しい国柄のイメージと乖離しているが、実際には・・・ ◇残酷な処刑や拷問シーンが多いのですが、半身不随や生命に関わると思われるような人物が、次のシーンや次回では痕跡を残さずキレイな顔で活躍するのは、当時から特殊な整形整体医療が充実していたのかor演出や脚本が甘いのか・・・

  • 中大兄王子(後の天智)の対応・改革への評価

    以下の文は「内戦の日本古代史」(倉本一宏著)の一節です。 国際情勢と壬申の乱  そしてもう一つ、壬申の乱と密接に関連しているのが、「大化改新」以来の北東アジア国際情勢であった。そもそも、中大兄王子(後の天智)が百済復興をめざして救援軍を派兵したことの目的は、中央集権国家建設のために対外戦争を起こして、国内の統一をはかるということであった。  たとえ倭国が敗北してしまった場合でもなお、中大兄王子は、あたかもこれから唐・新羅連合軍が倭国に来襲してくるという危機感を国内に煽り、国内の権力を集中して軍国体制を作るために、むしろ敗戦は好機と捉えていたのではないだろうか。  天智七年正月に正式に即位した天智は、国内改革を推進して、甲子の宣による支配者層の再編成と、天智九年に造られた庚午年籍に代表されるような地方支配の徹底をめざした。特に戸籍を造るということは、在地における地方豪族の権力に対する中央権力の介入につながり、その反発を招いたことであろう。これが壬申の乱における地方豪族層の行動基軸につながっていくという意見もある。  倭国の中央・地方の支配者層は、天智の作戦に見事に乗せられ、いつ果てるとも知れない戦時態勢のなか、自己の伝統的な権益を放棄し、天智に協力して、中央集権的な国家体制建設への道を歩みはじめたのである。……以下略 以上 質問を読んでいただいた皆様のご意見を伺いたいと思います。お願いしたいのは以下の3点です。どれか一つでも構いません。 1 「百済復興をめざして救援軍を派兵したことの目的は、中央集権国家建設のために対外戦争を起こして、国内の統一をはかるということであった。」ということについて。 たしかに、外交とか、対外戦争というのは、国内を統一するための手段として使われる例は少なくないとは思いますが、この時の百済遠征が、本当に国内統一を目指してのことなのか、疑問に思っています。 2 「むしろ敗戦は好機と捉えていたのではないだろうか。」ということについて。  ちょっとうがちすぎという印象を、私は持ってしまうのですが、どうでしょうか??? 3 「天智の作戦に見事に乗せられ、」ということについて。    白村江の戦い以降の天智の危機感を煽った対策や改革が、「天智の作戦」であり、中央・地方の支配者層は、「見事に乗せられ」のだろうか???という疑問です。私は、天智にはやはり、白村江の戦いの敗戦は大きな痛手であり、唐や新羅に対する恐怖心はあったと思う。とても「作戦」というほどの余裕があったとは思えないのですが。