異議あり!哲学の思考と通常の思考・知識の相違点について知りたい
- 今朝方投稿された質問に寄せられた回答を見て、私は哲学とは何かという問いに興味を持ちました。回答No.2が選ばれたベストアンサーでしたが、私には回答No.1とNo.3がより哲学を表しているように感じられます。何か意見を求めたいです。
- 今朝の投稿で質問者が哲学の思考と通常の思考・知識の相違点について知りたいという質問をしました。3人の回答が寄せられており、回答No.2が選ばれたベストアンサーです。しかし、私は回答No.1とNo.3がより哲学を表していると感じます。
- 私は今朝の投稿で質問者が哲学の思考と通常の思考・知識の相違点について知りたいという質問をしました。回答No.2が選ばれたベストアンサーですが、私は回答No.1とNo.3がより哲学を表していると思います。意見を求めたいです。
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異議あり!
今日(もうじき明日になりますが)、今朝方、投稿された質問に「通常の思考・知識」と「哲学の思考・知識」の相違点が知りたい、というのがありました。 三名から回答が寄せられていて、質問者さんの選んだベストアンサーは回答No.2でした。 私は、いまだに哲学とは、と云った問いにうまく答えることができないでいるので、この質問にはとても興味を持ちました。なるほど、こうした質問の仕方があるのか、こうした視点で「思考」と云うものを考えてみることで、「哲学」なるものが今よりもっとはっきりとつかめるかもしれないな、と思ったのです。 でも、質問者さんが選んだベストアンサーに、どうも納得がゆかないのです。 批判が目的ではありません。 哲学とは?と云ったことにもっと迫ってみたいのです。 私には、回答No.1,3、の方が、より「哲学」と云うものを表しているように思えたので、できればさらにこの問題に、意見を求めてみたくなりました。 ご意見のある方どうぞよろしくお願いいたします。
- Y Y(@yy8yy8az)
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- 哲学・倫理・宗教学
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質問者が選んだベストアンサー
質問を参照しました。 私もNo1さんの回答のほうが適切かと思います。 ただNo2さんの回答はわかりやすいです。例をあげているので。 お礼のところにも 「大変わかりやすかったです。」 とあります。 それが的を得ているかは別として、質問者さん(今朝の)にとってのベストアンサーが「最も理解しやすいもの」であるならば、ベストアンサーはNo2でよろしいかと。 質問は 「通常の思考・知識」と「哲学の思考・知識」の相違点を教えてください。どうかよろしくお願いいたします。 でした。 ここからは想像ですが、 今朝の質問者さんは学生か何かだった。 レポートあるいは課題で 「通常の思考・知識」と「哲学の思考・知識」の相違点 についての問題が出た。 ゆえに 今すぐに理解できる、他人にも説明しやすい内容を求めていたのでは? ↓ ここから哲学の話。(ほぼNo3と同じ) 哲学とは人間が生きるために必要なこと、一番大切な部分だと思います。信条といってもいいでしょう。No3さんのおっしゃる通り「正しいもの」が何か、を考えるのが哲学という学問です。ゆえに哲学とはすべての学問の根幹にあたる部分といえます。複雑なものの中から普遍的な法則を見つけ出すことが学問の本質ですから。 確かに常識が正しいとは限りません。しかし正しいときもあると思います。「常識」=「間違い」と思っている人がいますが、そんなことはないです。少なくとも大多数の人が信じているのですから、何か大事なものを秘めています。大切なのはまずは常識をすべて理解することです。常識に批判的では世の中うまくいきません。「非常識」になるために「常識」を知り尽くしましょう。そして何が正しいかは自分で選択していかなければなりません。 少し話がそれました。 では「哲学の思考・知識」があれば人生において、間違いを見つけられるのかといえば、そうもいかない時もあります。 所詮は人間が考えて決めたことです。必ず正しいは言えません。その哲学がどんなに有名な人が説いたものだとしてもです。 それでも人間は生きる上で、どうすればいいか選択していかなければなりません。 そうやって絶対に正しいとは言えないとわかっていながら、絶対的に正しいものを探す行為。 これが哲学だと思います。 まさに人生そのものだと思いませんか。 私は好きです。 わかりやすいと定評がある「これから正義の話をしよう」(マイケルサンデル)という本があります。 ニーチェやゲーテよりは読みやすいと思います。すごくお勧めです。
その他の回答 (5)
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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わいわいえいとさん こんばんは。 ★ 「通常の思考・知識」と「哲学の思考・知識」の相違点が知りたい ☆ 遅蒔きながら 次のように考えます。 わたしたちがふつう考えるというのは 生活をどのようにいとなむかです。 職業をえらぶときに 何がよさそうか? 自分に向いているものは何か? 経済的に見て暮らして行けるか? などなどです。 えらんだ仕事を どのようにおこなうか? 仕事と生活一般との割り振りをどうするか? 人生設計はどうなのか? などなどを考えて生きて行きます。 けっきょく通常の思考と知識は――決して次のものに限定されるということではありませんが―― こういった生活の上での考え方が 《いま・ここなるわたし》にとってどうすればよいか? であると思われます。 むろん 社会のさまざまな問題や世界の出来事などなどについても知識を得て考えます。 そうして総合的に捉えて その思考は誰のでもなくワタシ(一般的に或る人)の生活にとっての態度としておさまると思います。 この生活態度が 《思想》であると捉えます。 世界にあって広く知識を得て社会にとっての生活全般を考えることもあります。これは 《社会思想》と呼ばれます。この社会思想を自分の生活態度としてかたちづくりその幅広い思想を生きる人もいます。 思想は おおよそ通常の思考であると見られます。 では哲学の思考とは どういうことか? 早い話としては先に結論づけるなら この生活態度としての思想を考えるにあたって さらになお《ひとりのワタシにとって》だけではなく 《いま・ここ》だけでもなく けっきょく《つねに・どこでも・誰でも》にとっても当てはまる幅広くそれゆえ普遍性を持つと考えられる内容を問い求める。これだと思います。 言いかえると 哲学は 自分の身の周りの問題や見方に限ることなく いちいちわざわざあの人この人その人たちにとっても生活のいとなみがどうであるかなどなどあらゆる可能性について 考える。ということだと思います。(*) 言いかえると いま卒業を控えて就職するという問題があっても とにかく世界がどうであるか? どうすればよいか? について考えます。仕事に就くのを回り道して考える。けっきょく回り道しても 結論が出ないならば いつまでも哲学している。ということになります。つまり 迂回作業としての思考 これを中身としているようです。 思想はすでに船を漕ぎ出して海を行くというとき そのような執行者として行政府があるとすれば それに知識や知恵を提供する諮問機関やシンクタンクなどは 哲学にたとえられるのではないでしょうか。 (*) わたしは 個人としてキリスト者ですが 哲学としては あらゆる信仰のあり方について捉えようとします。またわたしは世に言う宗教については どうでもよいと思っていますが(解体して欲しいと思っていますが) これについても宗教とは何かについて考えます。宗教全般について考え 信仰の普遍的なあり方について問い求めて行きます。 つまり 哲学は どの宗教にもどの信仰形態にも当てはまる理論を用意するために考えます。 《考える》ということ自体には あまり違いはないように思います。
- miko-desi
- ベストアンサー率19% (69/352)
学習欲には目的が出され原因を探ったり順を追って計画立てたり 関連を見出してきます。 しかし、哲学は最初から最後まで「手段(仮説」で 原初的(根拠)なものと最先鋭(結果)を統合させたい哲学は INTERSUBJEKTIVITAETを活用します。 などと横文字も書くと現象学的に賢そうにみえるはずです?
お礼
横文字は全く駄目ですが、一応「主観」と捉えてみました。 ありがとうございました。(2013/2/23 10:35)
- atomonados
- ベストアンサー率31% (55/174)
yy8yy8azさんこんばんは。 人は、対象を分類する分類表のようなものを持っています。これを普通は意識的に作ってはいないと思うんです。 ジョハリの窓というのがありますね。自分に分かっている・いない。他人に分かっている・いない。というのですが、これは意識的に作られたものです。 矛盾概念を区分原理として、また、自己と他者も矛盾概念といってよいと思いますが、それらを軸にとって、二次元的に分類領域を4つ配しています。 心理学者が考え出したものですが、この分類表を考え出す行為は心理学の対象ではありません。対象を秩序付けるための道具に関する知的な活動です。 哲学的思考というのは、抽象的対象に対しての、この道具の制作と活用だと思うんです。 ソクラテスは手持ちの道具から、それは対話者にも納得できるものですが、まあいいけどなんでそれで?というような意表をつくものを持ち出してきて、対話者の主張を分類していきます。この分類に熟達していて、簡単に矛盾に追い込みます。たいてい対話者は緻密に分析して整合性をとるなどせずに、自己主張しているだけですから。 論理的というと推論を連想しますが、ソクラテスの論理力は主にクラス分けのような気がします。 道具の制作段階では、区分します。例えば、存在には有限な存在と無限な存在があるとか、知識には純粋なものとそうでないものがあるとか。 道具の活用段階では、分類します。例えば、快苦は無限な存在であり、知識は有限な存在であるとか、工芸から測定・求積・計測をとりのぞけば、俗に言う芸術的な仕事となり、それは訓練と経験と苦労によって身につく能力によるが、これは純粋な知識ではないとか。 いずれも、対話者に一つ一つ確認をとりながら進めていきます。すると漠然としていた概念がどんどん明確になっていきます。そして意外なところに分類せざるを得ないものが出現します。 こういう思考様式をぼくは哲学的と思っています。議題を掲げて是か非か討論する方法というのもありますが、それは、大枠過ぎますね。 「哲学とは何か」にかぎらず、その本質を問う問いは、それだけでは議論は進まず、道具の制作と活用が必要だと思います。ありきたりのものを使えば、すべての対象は無限か有限かのどちらかであらねばならないが、哲学はどちらか?とか。 しかしすべての対象は無限と有限に区分されるだけでは説明できず、無限に有限を混ぜたクラスが必要ではないか、また混ぜる原因のクラスも必要である。哲学は有限を無限に混ぜる原因のクラスに属すのではないか。ソクラテスならそうすると思います。その他の分類表は思いつかないですが、始めにあげたジョハリの窓をつかいましょうか。 哲学する人には、4つの種類がある。 I【公開された哲学者】 自分もきづいているし、他人もそのことを知っている II【秘密の哲学者】 自分には分かっているが、他人には分かっていない、 III【盲点の哲学者】 自分は哲学していることに気づいてないが他人はそれに気づいている場合、 IV【未知の哲学者】 自分も他人も哲学していることに気づいていない こうして制作された道具を活用して分類してみて議論を進めたい方向に有効かどうかみていくとよいと思います。 制作された道具では拉致があかぬとなったとき、創意工夫で新たな道具を制作するということになります。以前メビウスの輪の質問がありましたよね。あの構造を道具にすると「きみは哲学ではないといっていたがこうやってたどっていくと哲学になるのだよ」みたいなことになりませんか。
お礼
宗教的意味合いでの良心。 私は知っている、つもりでいる。 他人は知っているつもりでいるが、実は知らないのかもしれない。 社会性を帯びた良心。 私はよく解っていないようだ。 知識人はよく解っているようだ。 真理。 私も他人もまだ誰も知らない事柄かも知れない。 悟性。 曖昧なこの言葉はいまだにうまく別の言葉に言い換えられない。 個性、に属すようには感じるので他人と共有はできそうにないように思う。 一部の人、内省に長けた人は理解しているらしい。 欲望。 誰もが持っている。でも内容は様々。 だから他人の欲望が自分の欲望と同じわけではない。 自分自身でさえ欲望そのものが刻々と変化してゆく。 他人もそうかもしれない。(演繹っぽいかな?) 狂気。 私は狂気ではないことを自覚している。 他人もそれは知っているはずだ。 でも彼のディオゲネスは・・・・・ ディオゲネスは、自分が狂人であることを知らないが、他人はそのことを知っている。 こんな感じでしょうか。見当違いかもしれません。 区分分けも曖昧のままですが、それに拘らずに試みました。 方程式、なんて言葉を思い付きで使いましたが、哲学には、こうした手段があるんだと教わりました。 回答ありがとうございました。(2013/2/23 10:15) ☆一つ前のお礼の日時の年月を間違えて(2012年)と入力してしまいました。ごめんなさい。
- hanniyagi100
- ベストアンサー率21% (8/38)
老子と孔子の出会い、対決?の話しがあります。 孔子が、道(とう)を聞くべく老単(老子の正体ではないかと言われる)を訪問したところ。 道、を知りたくば、まず、その身なりを改める事だ。といって追い帰された。という話しです。 孔子は身の丈7尺、髭を整え、衣服は常に洗濯したての、立派な装束をまとい、知識が豊かで威風堂々としていたようです。 そんな孔子に、身なりや人の評価に、心を配る(自己を基準にしている)ようでは、 明(みん:道を知る知恵)は無理だ。と言った事になります。 孔子は老子を、彼は龍である、と評しているようですが。老子にとって孔子は 「朝に道を知らば、夕に死すとも可なり」つまりは、道、が全く解っていないのに、自己主張をし 社会に影響力を誇示しようとする、困った先生、だったのでしょう。 この、明(みん)が、一般の思考知識とは区別した、世界の在り方、起こり方、と合致する、 思考法、と認識、道を知る知恵。であり、いわゆる、哲学の思考と知識。となるものでしょう。 明が解っている、会得している、と言えそうなのは。釈迦の縁起の理法、と 老子の、道は道にして常の道にあらず、の。道理(とうり)ぐらいだと思いますが。
お礼
東洋思想と云うものは、処世術のような“役に立つ”思想という印象を持っています。 また、「道」についての物言いは、断定的であって明解ではあるけれど「なぜ」という説明が無いようで、西洋の真理を求める姿勢に“?”が付いているのとはだいぶ違うように思います。 そのあたりに少々物足りなさを感じています。東洋思想は苦手です。 回答ありがとうございました。(2012/2/23 9:40) ☆ひとつ前の回答へのお礼は一時間ほど前、八時十五分ごろでした。
異議あり!そこに哲学としての意義がある。 ワイワイ様は、ご立派でいらっしゃいます。 私など、なかなか真似はできません。 ところで、この命題について、おさんかたとも、 優れた回答をなされておられます。 特に3番のかたには、学問をたしなむ者としての じゅうぶんなご配慮をみることができます。 なかでも、短絡的な表現を避けておられるところ、 そして、明確にできないことを、あえて明確にしない 姿勢に、わたしは心うたれました。 単純明快なものにこそ、気を付けなければ ならないのが、哲学というものでしょうから。 それでは少し、哲学に迫ってみましょう。 ワイワイ様の、おっしゃるとおり、哲学は芸術である のかもしれません。 哲学は、主観の爆発であっても良いはずです。 もっともっと、拡散していきながら、混ざり合い、 真理を求めて、己の存在さえも爆発させてこそ、 哲学者といえるのかもしれませんね。 かの、ディオゲネスのように、己は自然の一部であり、 動物なのだから、犬と同じように生きようと決心したり、 それを実行し、また、そこから混沌を生むのが哲学者でした。 すでに定義されていることについても、おもいきって座標ごと 転回させてもかまいません。まさにそれが超人であり、 新たなる滴の到来を告げる、告知者となるのです。 それはあたかも地上を照らす稲妻となり、雷鳴となるでしょう。 そのとき地上では、あまりに人間的であった人々が、 われにかえり、神の世界、仏の世界を思い出すのです。 かくして、大地は息を吹き返し、人々に恵みを与えることでしょう。 そして神が真理をたずさえて、地上に復活するのかもしれません。
お礼
ディオゲネス。 すごい人がいたんですね。これでは奇人、変人と思われても一般の人に哲学者とは知られなかったでしょう。 ベストアンサーになった回答に、哲学的思考の世界に嵌まると皮肉めいた結果を招く、という意味のことが書かれていて、だから哲学は嫌いだと云う、そのことが理解できるような気がします。 哲学的思考を日常生活に持ち込もうということに無理があるんでしょうか。 哲学とはそうした性質のものなんでしょうか。 いただいた回答の後半部分は精神の高まりを感じさせて、気持ちが引き締まります。 演繹とか帰納とかの手段も、すでに疑問視されているようで、これなども“座標ごと回転”させた思考から発展したのだと思えました。 回答ありがとうございました。
補足
回答ありがとうございました。 ご返事が遅れていて、すみません。 なかなかうまく整理出来ないでいます。 土曜日には何とかご返事しようと思って、もっか勉強中です。 (2月19日12時35分)
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