• ベストアンサー

哲学のことで

「通常の思考・知識」と「哲学の思考・知識」の相違点を教えてください。どうかよろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sorakana
  • ベストアンサー率26% (21/79)
回答No.2

1つの考え方ですが。 通常の思考・知識 これはは常識です。 哲学の思考・知識 これは常識の中の、間違いを見つけ正しい考え方を身につけることです。 常識とは、大多数の人間が支持するものを常識といいます。 ですが大多数が支持すれば、それが正しいわけではないですよね。 例えば、昔や外国では宗教主体が盛んでした。 それは大多数の人間が支持したからです。 しかし常識を疑えば神も仏もいませんよね。 いない者を信仰する、という常識を疑うのが哲学者です。 忠宗教が、必ずしも間違っているわけではありません。 宗教のおかげで救われる人もいます。 虚実でも人を幸せにするというのが一つの哲学的考えかもしれません。 今上げたのは、分かりやすい例です。 他にすぐ例を上げるのなら、男が男らしくあるべき(女は女らしくあるべき)、とい常識を持つかたもいますが、これもおかしいですよね。 ここからはさらに私個人の考えになりますが。 確かに哲学的考えは、人を理性的で論理的にしますし、より物事を正確に見ることができるようになるかもしれませんが、必ずしもそれが幸せだとは言えません。 真実や正しい思考を持つ事は、人に生きる上での足かせや咎を見つけることになります。 常識が誤っていることを認識した時、世の中に常識を疑わない人が大多数であることが分かると孤独を覚えることもあります。 この思考自体が哲学的な考えですが。 要は馬鹿にならないために哲学的思考をした結果、哲学的思考がその人を不幸にすることが分かった・・・馬鹿の方が幸せであることが分かった・・・という、皮肉めいたことになるので、興味があるのなら注意した方が良いです。 私は哲学が嫌いです。

veilsidefto
質問者

お礼

回答ありがとうございました。大変わかりやすかったです。

その他の回答 (2)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12101)
回答No.3

No.1さんの回答でほとんど尽されていると思いますが、ここでは、もう1つ別の観点からの要約・敷衍を試みます。 我々は日々物事を判断し選択しながら生きていますが、その際の「判断基準」は大別して2種類あると思います。 (1)生活局面で、おもに「いかに生きるか」について判断するための基準で、これを「要・不要の基準」と呼ぶことにします。簡単に言えば、「自分にとって何が必要か」を考える時に準拠する基準のことです。 (2)多少なりと思索的な局面で、おもに「何が正しいか・真理とは何か」について考えるための基準で、これを「正・不正の基準」と呼んでおきます。個人を離れ、大局的な見地から見て「何が正しいか」を考える時に準拠する基準のことです。 そこで、veilsidefto様がお尋ねの 「通常の思考・知識」は、主として前者「要・不要の基準」に関する認識を深め、「哲学の思考・知識」は、主として後者「正・不正の基準」に関わる認識を深めるものと思います。ただし、区分は必ずしも明確ではありません。特に、「哲学の思考・知識」は、広く「いかに生きるか」の問題にもかなり深く関わりますね。ちなみに、すでによくご存知かも知れませんが、哲学(philosophy)の語源は、philo「愛」+sophy「智」、すなわち「智を愛すること」であると言われます。 ごく大雑把に図式化しますが、我々は上の「2つの判断基準のうちのどちらをどの程度重視するか」によって、個々人の価値意識なども変わってくるのだと思います。

回答No.1

どちらも「認識の深まり」という共通点はあります。 ただ、通常は日常生活や必要に迫られた生産行為の中で 必要とされる実用的知識としての、現象的多様性や直接的 に作用する原理性に関わる認識の深まりであるのに対し、 「哲学的」という場合は、そうした日常的営為に対具体的な 因果関係を伴わなずとも、未知への好奇心や長期的将来 に対する不安などにより、認識自体の深まりを目的とした ものだと言えます。 (もちろん心の安寧や生き方の確信といったものを具体的な 利益というなら、哲学も具体的な得をもたらすものですが)

関連するQ&A

  • 哲学の有効性について

    私は個人的に哲学が好きです。 学生時代はたくさん本を読みました。 でも、やはり麻薬だったのかなと思います。 現在は事務の仕事をしていますが、実際哲学も必要ないですし哲学的な思考も必要ありません。 必要なのは会計や法律の知識ばかりです。 むしろ、哲学を学ぶことで現実から遠のいているようなきがします。 これは私の哲学的思考が未熟なのでしょうか。 企業で会社員として働くものにとって哲学というのは有効なのでしょうか? そもそも、哲学の会社員にとっての有効性を考えようとすること自体、哲学的ではないのでしょうか。

  • 異議あり!

     今日(もうじき明日になりますが)、今朝方、投稿された質問に「通常の思考・知識」と「哲学の思考・知識」の相違点が知りたい、というのがありました。  三名から回答が寄せられていて、質問者さんの選んだベストアンサーは回答No.2でした。    私は、いまだに哲学とは、と云った問いにうまく答えることができないでいるので、この質問にはとても興味を持ちました。なるほど、こうした質問の仕方があるのか、こうした視点で「思考」と云うものを考えてみることで、「哲学」なるものが今よりもっとはっきりとつかめるかもしれないな、と思ったのです。  でも、質問者さんが選んだベストアンサーに、どうも納得がゆかないのです。  批判が目的ではありません。  哲学とは?と云ったことにもっと迫ってみたいのです。  私には、回答No.1,3、の方が、より「哲学」と云うものを表しているように思えたので、できればさらにこの問題に、意見を求めてみたくなりました。  ご意見のある方どうぞよろしくお願いいたします。    

  • 哲学の幅広い質問ですが考えてくださったら幸いです

    1.哲学、文学、宗教の特徴 2.ギリシア神話の基本的思想 3.七賢人について 4.自然哲学について 5.ソフィストとソクラテスの相違点

  • 哲学を独学することは

    こんばんは。質問させてください。もし哲学を大学で専門的に学んだことのある方がいらっしゃったらぜひお聞きしたいのです。 ・哲学するにあたって、哲学の専門教育を受けることはその議論・思考のレベルに決定的な影響を及ぼすと感じますか? ・素人が哲学を独学することは危険、或いは不毛と感じることはありますか?ある場合はどのように? ・哲学と哲学研究の違いは何ですか? つっこみどころの多い質問かと思いますがお許しください。 私は昔から哲学に如何ともしがたい魅力を感じ、また哲学科卒の先輩に哲学を学ぶことを勧められたものの、迷いが生じています。※しかしここで進路相談したいわけではないのでこの点については触れなくてかまいません。

  • 哲学の理解力と速読力

    このカテには、「まだまだ勉強中」とか「初心者」と銘打っていながら、とても広範な知識を詳しく述べていく人がいます。サイトの規定で個人名は出せないようですが、どうすればこのように難解な哲学をスピーディに理解し、自分の思考にしてしまうのか、その「順序」というものがあるのではないかと思うのですが、スピーディに広範な哲学を網羅するセオリーのようなものがあるとすれば、それはどういったものでしょうか?

  • 哲学するための自然科学の知識について

    私立の大学の哲学科に通っていますが、 自然科学の知識がほとんどないため、 あまり充実した哲学的思考を持てません。 ラッセルや、古代ギリシャの哲学者の様に、 というのはかなり先ですが、 とりあえず、各分野を最低限習得するためには、 どういった勉強をすればいいのでしょうか? お勧めの書物やサイトなどを教えていただければ、幸いです。

  • 近代哲学と現代思想との相違点とは?

    はじめまして。私、「khaos218577」といいます。 早速ですが、アンケートです。 (1)近代哲学と現代哲学(思想)の本質的な相違点とは何なのでしょうか? (2)近代と現代との境界線を引くなら、あなたはどこに引きますか? 皆さんならどう考えますか? あなたの率直な意見をお書き下さい。

  • 大学で哲学、倫理学を学ぶ意味はありますか?

    大学の哲学や倫理学の知識だったら自分で本を読めばいい話です 論理的思考を身に着けるのだったら数学科や情報学科の方に行けばいいし、そっちの方が身につきます 批判的思考や深く考える思考も大学で学べば身につくことではない また倫理学については、大学の生半可な倫理学を学ぶより大学の法学を学んだ方がよっぽど高度に倫理学をしていると思います その辺の倫理学の数十倍は高度に実践哲学の様相を示している。かなり踏み込んだ次元まで粘り強く思考し、複雑な難題に取り組んでおリ、しかもそれが現実・実践・実用に直結している。 大学で哲学、倫理学を学ぶ意味はあるのだろうか?

  • 西田哲学

    西田哲学における「場としての無」は老子の無の自己限定とどのような相違があるのでしょうか?

  • 哲学は怖い学問ですか?

    私は高校生の頃に倫理を勉強してからというもの、哲学や宗教に大変興味を持っています。現在24歳・男です。 たまにこちらで哲学的思考にとらわれてしまい、常に悩み苦しんでしまっている方の書き込みを目にします。 哲学を深めれば深めるほど、哲学無しには生きていけなくなってしまうのでしょうか? 私は哲学を"個の宗教的価値観"として捉えているので、他者に押し付けたりしませんし(押し付けた時点でその哲学は宗教へと変化してしまう)、他者の哲学をまるまる信じてしまうこともしません。 しかしやはりニュースなどを見ると、哲学的な観点で見ることが多いです。例えば、殺人事件のニュースを見たときに『加害者はどういう生き方を送り、どういった価値観を持って人を殺してしまったのだろうか』とか、『もし、この○○が××だったならばどうなっていただろうか』などなど、真剣に背景の推測をすることが多々あります。 倫理の資料集などで様々な宗教や哲学者について簡単に学んできましたし、それらが自分の生き方に大なり小なり影響を与えてくれたのも確かなので、哲学的思考は捨てたくありません。・・・もう癖になっているので捨てられるわけもないのですが・・・^^; もしかしたら私の"哲学"という言葉の使い方は間違っているかもしれませんが、哲学の専門家の方がいらっしゃいましたら回答していただけると助かります◎ よろしくお願いいたします。