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武田vs小笠原
どちらが、上なんですか?
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- genpeikasai
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小笠原長清の父親である加賀美遠光が皇室と縁が深いです。加賀美氏は甲斐源氏の庶流で、子孫には秋山氏、小笠原氏、南部氏などがいます。武田氏は甲斐源氏の嫡流ですね。加賀美流の祖である遠光は京都の御所で滝口の武士でした。高倉帝の信任が厚く「王」の字を賜ったそうです。ちなみに「王」とは皇族で将来天皇になる家柄だけが使える文字です。また伝承では高倉帝から「小笠原」の姓を賜ったとのことです。 http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/outline/history/history.html 結果論ですが、加賀美氏流の子孫が現代でも繁栄しているのを見ると、武田氏よりも上なのではないでしょうか。
- あずき なな(@azuki-7)
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小笠原 武田は滅亡したが小笠原は残り 家康の影武者まで努めました
- toshineko
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小笠原長時は、武田信玄からの降伏勧告を受けた際に、 「昔より武田小笠原とて兄弟たりといへども、在京して宮仕奉り、 武田より上手の小笠原、只今長時が代に武田の被官になる事思ひもよらず」 (小笠原と武田は同族であるが、京の宮中では小笠原が格上である。 長時の代に武田の家臣になるなどとんでもない)と言っている。 【二木壽斎記】より 家柄では小笠原の方が上だったようです。 武力はともかく、政治力・統率力は雲泥の差?
- Pinhole-09
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源義光を祖とする、甲斐源氏の清光の子の信義が武田に 本拠を構え、武田氏を名乗り甲斐源氏の総領として君臨 した。 源義光伝来の重宝「御旗楯無」が総領の印。 弟の加賀美遠光の子の一人が小笠原長清である。 信濃の一郡の地頭になった。 小笠原氏は武田氏と同族だが格下。 武田晴信が諏訪を手にいれたのち、晴信が村上義清らに 敗れたのを機に、近辺の西方衆と小笠原長時が呼応して 諏訪奪回を計り、晴信と戦った。 天文17年の塩尻峠の合戦である。 小笠原、西方衆は敗れその後次第に領土を失った。 長時は流浪し会津で死んだといわれる。 しかし子の小笠原貞慶が本能寺の変に乗じて旧所領を 回復し徳川に従い大名として残った。 武田氏(直系ではないが)が旗本なので最後の勝利は 小笠原か。
お礼
分かりやすく説明して頂きまして ありがとうございました。