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数学で「自然」って?

0の0乗の説明 http://ja.wikipedia.org/wiki/0%E3%81%AE0%E4%B9%97 を見ると、次のような文が出てきます。 「n が正の整数のとき 0^n = 0 であるから、0の0乗を 0 と定めることも自然であると考えられる。」 数学で「自然」という言葉が使われるのにすごく違和感があります。 まるで多数決で物事を決めてるような。 それはさておき、0を2と置き換えて 「n が正の整数のとき 2^n は偶数であるから、2の0乗を偶数と定めることも自然であると考えられる。」 ということを根拠にして、2^0 は未定義だと言うことはできますか? できないとしたら、この2つは何が違うのでしょう?

みんなの回答

回答No.7

>指数法則で弾かれているのは0除算であり、0^0 ではありません。 ちょっと硬直気味ですね。未定義のものは暗黙のうちに除外されるのが 鉄則ですし、付帯条件を増やすのも減らすのも自由ですよ。 新たな定義を導入したのなら、いちいちその扱いは決めないといけないのですよ。 類推にまかせたらいけません。 新たな定義を導入するってそういうことでしょ?

fusem23
質問者

お礼

> 未定義のものは暗黙のうちに除外されるのが鉄則です 未定義のものは除外して成立するものが法則だ、と解釈します。 成立しないものを未定義と称し除外して法則とするのは、出来れば避けたい事態です。 また、その定義に数学的必然性が存在するかどうか考える際に法則を前提にするのは当然ですよ。 法則を満たす値が1つなら、「それ以外ではありえない」という意味で必然ですよね。 その値と定義するのが自然だと思う人が多く現れるでしょう。 なお、0^0=1 と定義するのが必然だと言うのではありません。 指数法則を満たさないべき乗や指数関数を定義しようと自由です。 個人的には決してそんなの認めませんけどね。 > 新たな定義を導入したのなら、いちいちその扱いは決めないといけないのですよ。 > 類推にまかせたらいけません。 少なくとも、この質問の中では、新たな定義(0^0=1 のこと?)を導入するという話はしてません。 べき乗の定義を前提にするなら、0^0 を未定義とするのは必然。それが標準です。 私がやりたいのは、それ以外の未定義である理由を吟味し根拠が薄いものを消すことですよ。 ……ところで、話を元に戻しませんか? 1次関数や2次関数だと推測するのは自然で、冪級数のような複雑な関数だと推測するのは不自然だという意見ですか? 回答ありがとうございました。

回答No.6

まず、最初に立ち戻って、「自然」にですが、 かなりあいまいな形で使われている言葉だとは思いますが、 既存の法則や定義などを参考にして、新しい定義なり書き方なり のアイデア考えだすことだと私は思います。多分に直感的で 人の感性や美意識に訴えかけるものなので「自然」という言葉が使われるのでしょう。 それが正しいか、有用かははまた別の問題ですが、科学の一つの 原動力であることは確かです。 瑣末な例ですが 例: 2次元のベクトルは (a, b) と表記するので、その自然な拡張として 3次元ベクトルは (a, b, c) と表記するのが自然だろう。 例: 2次元のベクトルの内積 (a, b)・(p, q) = ap + bq なので、3次元への自然な拡張は (a, b, c)・(p, q, r) = ap + bq + cr だろう。 0^0≠1 が否定されるかという話ですが、否定は無理でしょう。 質問者さんの言うところの指数法則は本来付帯条件として 0^0 の存在は 弾いているはずなので、それを新しい定義と一緒に緩めれば問題が起きるでしょう。 緩めなければもちろん問題はありません。 ゼロ割を定義しないからといって、割り算もゼロも否定されないのと同じでしす。 なので、後は「都合がよいか否か」だと思います。 私は 0^0≠1 や 0^0=0 が都合がよいとは思いませんが、そういう分野があるのかもしれません。 0^0=1 以外考えたことがないので、そのあたりはご存知の方にお任せします。

fusem23
質問者

お礼

何度もお付き合い頂き、感謝の限りです。 > 0^0≠1 が否定されるかという話ですが、否定は無理でしょう。 省略してしまったせいで、余計な誤解が生じてるようですね。(誤解でもないですが) 私が否定しなければならないと考えてるのは、以下の文脈での「0の0乗を 0 と定めることも自然である」です。 「n が正の整数のとき 0^n = 0 であるから、0の0乗を 0 と定めることも自然であると考えられる。」 この論理は、一見無害で、非常に強力です。 0, 0, 0, ... と書かれていれば、無限に続く0 を表しているのは明白です。 でも、その暗黙の了解を基に、「0が自然」を何らかの証明であるかのように受け入れるべきでしょうか? 0^0 が 1 ではなく未定義の理由として、この論理は中心を占めてると思います。 0^0=1 は都合が良いが、この論理のために「全てに都合の良い定め方はない」と判断されています。 私が「n が正の整数のとき 2^n は偶数であるから、2の0乗を偶数と定めることも自然であると考えられる。」と同じくらい根拠が薄いと感じているにも関わらず。 n が正の整数のとき f(n)=0 で、f(0)=1 となる関数なら私にだって作れます。 二項定理をちょっといじり f(n) = Σ[k=0,n]C(n,k)(-1)^k とすれば良い。 こうして 0^n の候補となるべき2つ目の関数ができました。 あとの選択はどちらが「自然か」に掛かってきます。 何を理由にして f(0)=0 が自然であると判断しますか? > 質問者さんの言うところの指数法則は本来付帯条件として 0^0 の存在は > 弾いているはずなので、それを新しい定義と一緒に緩めれば問題が起きるでしょう。 指数法則で弾かれているのは0除算であり、0^0 ではありません。 0^1 * 0^2 = 0^3 という式に誰も異論は挟まないでしょうし、0^0 が未定義でなければそれも含まれると思います。弾く理由がありません。 回答ありがとうございました。

回答No.5

ちょっとストップストップ! この質問は「0^0の定義に「自然」がどういう意味で使われているか」ということではないんですか? それとも 0^0=1 の是非なんでしょうか?  それと >実は、0^0≠1 とすると、これ以外にも色々と問題が生じます。 >指数法則が成立しなかったり、0^-1 が何か分からなくなったり。 は、なぜ具体的に書かないんですか? どういう意図で書いているのですか? 質問が何をもとめているかわかりません。

fusem23
質問者

お礼

> この質問は「0^0の定義に「自然」がどういう意味で使われているか」ということではないんですか? その通りです。 > それとも 0^0=1 の是非なんでしょうか?  それは、次の段階の問題ですね。 「自然」の意味が分からなければ、0^0=1 の是非は議論できませんよね。 >>実は、0^0≠1 とすると、これ以外にも色々と問題が生じます。 >>指数法則が成立しなかったり、0^-1 が何か分からなくなったり。 > なぜ具体的に書かないんですか? 具体的に書くと以下のとおり。 ・0^0 * 0^0 = 0^0, (0^0)^-1 = 0^0 が 0^0≠1 では成立しない。 ・0^-1 には 0 の逆数という意味と、0^-1 * 0^1 = 0^0 の意味の2つが存在し、0^0≠1 ならばこの2つは異なる。 > どういう意図で書いているのですか? 「自然」の意味は「べき乗の定義」に関連させて解釈すべきなので、例を挙げてそれらは関係ないと言ったつもりです。 そうでなければ、結局 0^0 の議論には何の影響もないですから。 別な質問で最近書いた内容なのですが、余計だったかもしれません。 > 質問が何をもとめているかわかりません。 「0の0乗を 0 と定めることも自然」が否定できるか否か。 回答ありがとうございました。

  • itshowsun
  • ベストアンサー率41% (15/36)
回答No.4

質問者とは少し違った意味で、 私は今「自然さ」という言葉に興味を持っています。 数学者が使う「自然さ」とはどういう意味なのか、 テキストにこの言葉が出てくるたびに意味を探っています。 残念ながら数学的自然さについて書かれた本は まだ私は見つけていないので、私なりの考えを述べます。 一つ確かなことは、直観主義的(または構成主義的)数学では、 「自然さ」は数学者の直観によるのであって、 言語で完全に表現できるものではない、ということです。 次に「自然な」という言葉が出てきたら、「自然な」写像を考えます。 たとえば、2つの集合 A = {2, 3}, B = {9, 10}がある場合、 (2→9, 3→10) または (2→10, 3→9) などが考えられますが、 この場合どちらでもいいので、おそらく自然な写像と言わないと思います。 (集合には構造がないので、2 < 3, 9 < 10 は成立しない) そこで、上の2つの集合を < で順序付けを行なうと、 {2→9, 3→10) が自然な写像と言えると思います。 その理由は、Aで 2 < 3 であり、B で 9 < 10 であるから, この構造を保存する写像を考えるのが自然だからです。 しかし、⊆ で順序付けを行なうと、A と B のなかでこの関係は成立しませんが、 2 ⊆ 10, 3 ⊆ 9 ですので、<の構造を考えないのであれば、 (2→10, 3→9)なる写像が自然な写像になるかも知れません。 同じようにして、「自然」という言葉が出てきたら、 構造を持つ2つ集まりが何であるかを考えて、それら2つを対応させるのに もっとも自然な(構造を保持するような)対応を見つけるようにしています。 大切なことは、数学者の直観です。大体今のところ「自然」という言葉を見つけたら、 上の考え方で私は納得しています。

fusem23
質問者

お礼

> 「自然さ」は数学者の直観によるのであって、 > 言語で完全に表現できるものではない、ということです。 > その理由は...この構造を保存する写像を考えるのが自然だからです。 「構造を保存する」という理由が仮にあるなら、言語化できるかもしれません。 問題は、集合の構造を明らかにせずに 2→10 が自然だと言われた場合ですね。 数学者の直観だと言われてしまえば、かなり反論が難しくなってしまいます。 ある数列があった時、1からnまではAという性質を満たしたとする。 では次の数はAを満たすかと考えた場合、2つの可能性がある。 Aを満たす場合とAを満たさない場合です。 多分大多数の人は、Aを満たすのが自然だと考えるでしょう。 しかし、そこで終わってたら数学ではないと思いませんか? 次の数がどうなるかには「数学的帰納法」という方法がちゃんとあって、数学者はこれを使って石橋を叩いて渡らなければならない。 私は「自然」という言葉の裏には、そういう証明が存在しなければならないと信じる。 回答ありがとうございました。

回答No.3

>0^0 が何であろうと、都合が悪いとは言えません。 Wikipediaに載っていた例に似ていますが、一例を示します。 多項式を a_n・x^n + a_(n-1)・x^(n-1) + a_(n-2)・x^(n-2) + ・・・ + a_0 とします。これを毎回長々と書くのは大変なのでΣを使って表すと (Σ[kを1~n] a_k・x^k) + a_0 です。しかし多項式の定数項だけ仲間外れは美しくありません。そこで Σ[kを0~n] a_k・x^k とすれば、この式は x≠0 では機能します。しかし、残念ながら x=0 では 0^0 が 未定義なので駄目です。こういう例外は数学では好ましくありませんし、思いっきり 美しくありません。のどに刺さったとげのようです。 そこで 0^0 = 1 とsれば a_n・x^n + a_(n-1)・x^(n-1) + a_(n-2)・x^(n-2) + ・・・ + a_0 = Σ[kを0~n] a_k・x^k となります。 この場合、0^0≠1 では都合が悪いですよね。 以上です。 x^y は R^2 の原点の近傍でどんな値でもとりますから。原点での値は 未定義というのが最もまともな考え方だと思います。 後は便宜上の話だと思います。

fusem23
質問者

お礼

> この場合、0^0≠1 では都合が悪いですよね。 二項定理の公式を成立させるには、0^0=1 でなければならないようです。 私が言ったのは、べき乗の定義についてですね。 実は、0^0≠1 とすると、これ以外にも色々と問題が生じます。 指数法則が成立しなかったり、0^-1 が何か分からなくなったり。 でも、それらは、べき乗の定義ほど本質的な問題とは見なされてないようです。 > x^y は R^2 の原点の近傍でどんな値でもとりますから。原点での値は > 未定義というのが最もまともな考え方だと思います。 y = sin(x) + a^2 * sin(3x)/3 + a^4 * sin(5x)/5 + ... という関数を考えてみましょうか。 a=0 ならば単純な正弦波、a=1 ならば矩形波となります。 矩形波には不連続点が存在し、正弦波には存在しません。 よって、奇妙なことが起こります。 a=1, x=0 の近傍では、矩形波の最小値と最大値の間ならば、どんな値でも取れるのです。 にも関わらず、関数の定義式からは明らかに x=0 なら y=0 が成立します。 あなたの予想には外れもあるのです。 回答ありがとうございました。

  • itsu-ki
  • ベストアンサー率66% (2/3)
回答No.2

確かに、数学で「自然」といった言葉が使われると違和感を感じますね。 私は、数学は「自然」がどんな法則なのかを追求していく学問だと考えていますから。 おそらく、この文脈での「自然」は「都合がいい」「こうなるはずだ」といった意味合いで使われているのだと思います。 さて、本題の方です。 質問者様は引用ページの説明を誤解なさっているように私は感じます。 「通常は0の0乗を定めない」だけであり、続きを読んでいくと分かる通り、「0^0=1」と定める(=定義する)場合もあります。 そもそも、「数学」と一口にいっても、「代数学」「解析学」「幾何学」などさらに多くの分野に分類することができるように、様々な考え方を持った研究者がいます。 各研究者は自分たちに都合のいいように定義を作っていくので、同じ言葉でも定義が異なることがあります。 おそらく 「0乗を定義する際は、関係 x^(n+1) = x^n × x^1 が n = 0 でも成り立つように定めるのが自然である。よって、x^(0+1) = x^0 × x^1 より、x が 0 でなければ x^0 = x/x = 1 となる。」 と言う部分に対して 『「n が正の整数のとき 2^n は偶数であるから、2の0乗を偶数と定めることも自然であると考えられる。」 ということを根拠にして、2^0 は未定義は未定義だと言うことはできますか?』 といった疑問が出てきているのだと思います。 累乗の定義から分かるように、「xの0乗」はそもそも定義されていない(=未定義)なのです。 しかし、参照URLのように「x^0=1」とすると都合がいい場合が多いので、そういうことにしてしまう場合が多いだけです。 つまりそのように考えるのが「自然」なのです。 質問者様のように 「n が正の整数のとき 2^n は偶数であるから、2の0乗を偶数と定める」 と考えるのであれば、2の0乗は(具体的な数が何なのかはこれだけでは分かりませんが)偶数としてしまってよいのです。 つまりそのように考えるのが「自然」なのです。 質問者様が数学者であれば、「具体的には何の数なのか」または「この定義がどの様な場面で有効に働くのか」をという研究に続いていくことでしょう。 ただ、この定義が有効に働く場面がなければ学問的に無駄な定義(=なくてよい)ですが・・・。 長く読みにくい文章になってしまってすみません。 以上でいかがでしょうか? 分からない部分、納得できないことがあれば、追って回答致します。

参考URL:
http://www3.ocn.ne.jp/~fukiyo/math-qa/qa-0jou.htm
fusem23
質問者

お礼

> おそらく、この文脈での「自然」は「都合がいい」「こうなるはずだ」といった意味合いで使われているのだと思います。 「都合がいい」という意味だと仮定しましょう。 それは、逆に言えば、「そうでなければ都合が悪い」ということになります。 2^n については 2^0 を偶数と仮定すると都合が悪いのはすぐに分かります。 でも、 0^0 が何であろうと、都合が悪いとは言えません。 都合が悪い数が存在しないにも関わらず、0 を都合がいいと判断する理由はあるのでしょうか? 回答ありがとうございました。

  • masics
  • ベストアンサー率52% (22/42)
回答No.1

するどいですね.おそらくwikiの書き方はよくないのでしょう. ぼくは鈍感なのですかね,いままでこの書き方を見たことあるかもしれませんが,違和感を感じなかったです. しかし 「n が正の整数のとき 2^n は偶数であるから、2の0乗を偶数と定めることも自然であると考えられる。」 のほうについては,n=1から数字を書いていくと 2 4 8 16 24 というような数列になっていますから,自然なのは2で割った1ではないでしょうか?(あえて自然という言葉を選びました.) 一方, 「n が正の整数のとき 0^n = 0 であるから、0の0乗を 0 と定めることも自然であると考えられる。」 の場合は,n=1から数字をかいていくと 0 0 0 0 0 0 という数列になりますから,n=0のときは0となるのが自然ではないでしょうか?(ここもあえて) どうでしょう. 自然という言葉は数学には適さないのではないか,という主張には賛成です.

fusem23
質問者

お礼

> 自然なのは2で割った1ではないでしょうか? これは、n が 1 少なければ 1/2 になるという法則に気付いたからだと思います。 つまり、この法則に気付いた人は 1 と考え、気付かない人は未定義と考える、と言い換えられるかも。 「0の0乗を 0 と定めることも自然」と考える人は、それ以外の可能性を知らないのかも。 ……何を自然と思うかは、その人の知識の量で決まる、という仮説が成り立ちますね。 また、「0 0 0 と続いたら次も 0」という法則に気付いたから「0の0乗は0」という訳には行きません。 もしそんな法則を主張するなら、0のマイナス乗も0 という結論になりますから。 すると、「2^n は偶数である」と「0^n は 0 である」はどちらも単なる共通点から得られた知識。 前者は 2^0 が例外であることが明らか。後者に例外がないと言えるだろうか? 回答ありがとうございました。

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