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「神」は必要か?

 ・・・てなタイトルにしてしまいましたが、もっと砕いて言いますと、「人間は生きる上であの世が必要か」ということです。  私は10年以上前に最愛の姉を二人立て続けに亡くしたのですが、その時に「神様もいないし、あの世もないな」と痛切に思い、また姉の最愛の友人だった人とも心ならずも議論してしまいました。「神は詭弁だ」と・・・ その方は寂しげに姉の死に顔に見入っておられましたが、今自分の思い上がりを戒めるのです。「神は詭弁でも、その詭弁である神を必要としているのが人間なのだ」と・・・   私は無神論者です。ですが、物語としての「神」、物語としての「あの世」の必要性を痛感しています。それが加わることによっての人生の精神的豊かさを思うのです。皆さんは如何でしょう? 「神」(超越者)を必要としていますか? あの世(実際のものというより物語を完成させるものとして)の価値を重んじられますか? 私はいずれも「イエス」です。今更ながらに「あの世」を作り上げた古人の知恵に深く頭を垂れるものです。人は「あの世」を思ってこそ自らの人生の価値を深めることができるのだと・・・  いろんな方面から多くの意見を賜りたく存じます。「神は必要か?」「あの世は人生に必要か?」・・・宜しくお願い致します。

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  • deadman
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回答No.19

わ、面白そう。知ってる方もいらっしゃるようなので混ざりにきました。 僕もこちらのQの多数派の意見と同じです。僕自身、神サマがほんとに居るかどうかは別として、いるとでも考えん事にはこんな人生アホらしくてやってらんねーべよ。みたく、いると仮定して生きた方が精神衛生上より好ましい結果を生むであろうことは確かです。 また、真の意味で「公平な世界」とはどういうものかを考えたばあい、輪廻転生とか死後の世界などという要素を加えれば、非常にきれいで万人を納得させるモデルが作れることもまた明らかです。 ですが、世界のありようをつぶさに見ていくと残念ながら神サマなんて居ないんじゃねーの的な見解に傾かざるを得ません。実際、全知全能の神サマが創られたにしてはこの世界の出来は確かにお粗末に見えます。 ただ、もし神サマが「信仰」という要素を重視していらっさるのなら、あらゆる材料が神の不在を指し示すこの状況はむしろ、必然というか、神サマにとっては都合のいいものでしょう。 もしもある日、どっかの科学者が神の実在を実証してみせたとします。「私の発明した神サマ発見器によって、神サマは100%いると証明されました。突撃インタビューを試みたところ、生前に功徳を積めば天国行きは保証するとおっしゃってます。その後はもう酒池肉林のウハウハです」。それを見て、ああ、じゃあ私も今日から善人になって功徳を積もう、なんて決心したとしてもそれはもちろん、信仰でも何でもありません。保証された利益と引き換えに今、代価を支払っているという意味では単なる商取引と同じです。 僕には信仰心をうんぬんする資格なんてありませんが、少なくとも僕の中では信仰とはそんなもんじゃありません。 いやしくも信仰とは、理屈や証拠で「信じられる」から信じるものではありません。あるかないかもよう分からんような頼りなげなものに対して、あえて「信じることを選択する」という行為を指しているのです。 もしも僕が神サマの立場だとしたら、どっちを向いても神サマなんているハズないわと思わせるような出来事ばかりのこの世の中で、それでもあえて信心深く生きている人を見つけたばあい、それはさぞかしその人を可愛く思うことでしょう。なんかごほうびをあげたくなっちゃうかも。 読み返すとけっこう長文ですね。どうも失礼しました。

masatoshi-m
質問者

お礼

 あ、deadmanさん。お名前からしてあの世の方?(ぉぃ) 私はある意味deadmanさんに嫉妬心を覚えています。だって、○○さんから「是非お会いしたい」とアプローチかけられてる。私もそういう言葉を掛けられてみたい(ぉぃ)。あの人もdeadmanさんの回答常連者だし・・・(←嫉妬の目(コラ)) >また、真の意味で「公平な世界」とはどういうものかを考えたばあい、輪廻転生とか死後の世界などという要素を加えれば、非常にきれいで万人を納得させるモデルが作れることもまた明らかです。  うんうん、そうですね。私もかつて、そのように考えていた時期がありました。でも人生斯くの如し、少しもきれいでなく、万人を納得させることもなく、不条理極まりない人生が、あるいは世の中が、未だ私の前に投げ出されるばかりなのです(笑)。 >もしもある日、どっかの科学者が神の実在を実証してみせたとします~~保証された利益と引き換えに今、代価を支払っているという意味では単なる商取引と同じです。  うわっ、おもろ、ホントにおもろ。なるほど、ここまで頭の良い方だったんですね、deadmanさんは。だから女性ファンが多い(ぉぃ)・・・ 実に鋭い考察ですね。言うことなし!!! >もしも僕が神サマの立場だとしたら、どっちを向いても神サマなんているハズないわと思わせるような出来事ばかりのこの世の中で、それでもあえて信心深く生きている人を見つけたばあい、それはさぞかしその人を可愛く思うことでしょう。なんかごほうびをあげたくなっちゃうかも。  今度生まれ変われるとしたら私はdeadmanさんに生まれ変わりたいかも(ぉぃ)。 >読み返すとけっこう長文ですね。どうも失礼しました。  いえいえ、とんでもない。長文でもなんでもないですよ。deadmanさんの文章ならこれからでもずっと読んでいたい(笑)。(でも「ライバル」ってこともホントだからね(ぉぃ))  何だかホンワカした気分になってしまいました。心癒されるご回答、有難うございました。ライバルの戦いはこれからもつ・づ・く(←バカ) 

その他の回答 (20)

  • chapanese
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回答No.10

まーちゃん(きゃっ、呼んじゃった)ことmasatoshi-mさん、こんにちは。 今回もchapaの戯言にお付き合いくださいね。 >もっと砕いて言いますと、「人間は生きる上であの世が必要か」ということです。 必要かというのもですが、あの世は事実存在するような気がします。 いったい人は死んだらどこへ行くのでしょうか? 人間だけでなく、この世に生を受けた者は遅かれ早かれ死にます。それはまぎれもない事実ですよね。 その昔、「野辺の煙となって」などと歌にも歌われてましたが、煙と化すのか、大河の一滴と化すのかわかりませんが、なんていうのかな、この世に命を生み出す世界、それがあの世のような気がします。 そして、この世での勤めを終えて、自分の生まれた故郷(源)である世界に戻っていく、そういう繰り返しなんじゃないのかな、って思うのです。 以前も申し上げたかもしれませんが、わたしはどういうわけか子供のころから海(大河)の流れをみると、なぜか心落ち着くというか、ここに戻るんだろうな、という思いを漠然とですが抱いておりました。 (それゆえに五木先生の「人はみな大河の一滴」というお言葉に共感するんです) chapaも「神」という固体というか、そういう存在は ないんじゃないかな、って思うんです。 でも、この世を動かす世界はあるような気がしますね。死んだらそこに戻っていくような気がします。 最近思うのです。 「善き者は逝く」ということを。 自殺するのはあの世のよさを知っているからじゃないのかと。この世=苦しい、あの世=幸福、という図式をその人は知ってしまったからだろうな、と思います。(だからといって決して自殺ということはしてほしくありませんよ) 「善き者は逝く」・・・きっとmasatoshi-mさんのお姉さまもそうだったのでしょうね。 よき者は早くになくなってしまう。それはきっとこの苦しい世に生きていく「図太さ」「しぶとさ」がなかったんじゃないか、いえ、この世にしぶとく生き残ったものは「罪深い」ことなんじゃないのか、って思うこともあるんですよね。 正直わたし自身も長生きしたいな、って思ったことはないです。 だけど、ふと手をあわせることはあります。 誰に対してというわけでもなく、「日々穏やかにすごさせてください」とかつぶやきながら。。 とりあえず、まずはこの辺で。

masatoshi-m
質問者

お礼

>まーちゃん(きゃっ、呼んじゃった)・・・  (*^o^*)・・・ > 必要かというのもですが、あの世は事実存在するような気がします。 いったい人は死んだらどこへ行くのでしょうか?  chapaさんはあの世肯定派なんですね。若い頃の私と違って今の私は(と言っても、まだ私も若いんですからね。誤解なさらないでくださいね。念の為(笑))何の気負いもなくそれを受け止めることができますよ。若い頃の私なら「君、何バカな事を言ってんだ」ぐらいが関の山(笑)。  だって、事実、私如きに「あの世はない」なんて断言できるはずもない。勿論「ある」とも断言できないわけですが(笑)、「あるような気がする」と思ってらっしゃる方々を否定する傲慢さは疾うに振り払ってしまいました。 >(それゆえに五木先生の「人はみな大河の一滴」というお言葉に共感するんです)  うんうん、人は皆、大河の一滴です。本当に大河の一滴なのです。こんなにも豊かな生命のさざめき。こんなにも豊かな生命の流れ。それは本当に怒濤のように流れ、溢れ返っています。私たち一人一人はその巨大な命の流れを形成する、まさに「大河の一滴」なのです。その一滴であれることにどんなに深い畏怖の感情を抱くことでしょう。命の素晴らしさを思う気持ちは今まさに私の全身を満たしています。

masatoshi-m
質問者

補足

>chapaも「神」という固体というか、そういう存在は ないんじゃないかな、って思うんです。  あーっ、chapaさんの漢字の間違い、見ーっけ(ぉぃ)。神様を固めないでね(笑)。固体じゃなく個体ですよね? (#これからは俺もchapaさんとのやり取りでは漢字を間違えられねえぞ。すぐにツッコミが入りそう(笑))  そうですね。個体としての神は存在しないでしょうね。存在すれば笑っちゃいますよね、不謹慎な話ですが(笑)。 >でも、この世を動かす世界はあるような気がしますね。死んだらそこに戻っていくような気がします。  なるほど・・・その感覚は分かるような気もしますね。こうした感覚を現代人の多くは失いかけていますね。命の源、と言うか、命を生み続ける源泉のようなものがあって、命は絶えず循環し続ける「流れ」なのだ、と・・・ >「善き者は逝く」・・・きっとmasatoshi-mさんのお姉さまもそうだったのでしょうね。  う~ん、姉たちが「善き者」だったかどうかについては甚だ自信がありません。(^^; でも、本当に優しい姉たちでした。何で一遍に俺の手から二人とも奪っちゃうんだよ、神様は・・・と思ったこともありました。 >いえ、この世にしぶとく生き残ったものは「罪深い」ことなんじゃないのか、って思うこともあるんですよね。 正直わたし自身も長生きしたいな、って思ったことはないです。  ・・・そうですか、長生きしたいと思ったことはない・・・ う~ん、やばい、私は健康で他人に迷惑をかけないで生きられるなら150歳ぐらいまでも生きていたいと思ってるヤツなんです。(^o^; 私は私の「罪深いこと」は百も承知しておりますので、生き延びれるだけ生き延びたいと、そんなふうに考えています(笑)。もっと若い頃には「夭折希望」の文学青年だったはずなのですが、今は生にしがみつく俗物の中年オヤジに成り果てたのかもしれません(笑)。でも「生きる」ってのは素晴らしいことですよ、掛け値なしに。私はchapaさんの内面世界にもう少し降りることができたら、と思っています。ご回答、有難うございました。

  • koebi
  • ベストアンサー率31% (613/1930)
回答No.9

こんにちわ。 私自身は無神論者ですし、あの世も仏も信じていないです。お墓参りもあまり行かないし、お仏壇にもあまり手を合わせないです^-^;; 実父や義母・友人が立て続けに亡くなり、皆、良い人だったのに早く死に、御仏を重んじて大切にしている母や義父がそんなに幸せそうに見えないから、余計神も仏もない。と思うのかもしれません。 けど信じる事によってその人の心の支えになるのであれば、決して面と向かっては否定はしません。 人ってきっと何かにすがる事によって安らぎを得たりすると思いますし、仏壇に手を合わせ愛していた人が御仏になって自分の側にいる。と信じる事によって寂しさが紛らわされるならその人には必要な存在なのでしょう。 それにお墓を荒らしたり他人の物を平気で盗み、マナーが悪いのは生きている今、自分だけが全てだと思っているからかもしれません。あの世を信じていた時代の方が民度が低くなかった気がするのは善行をし、極楽へ行きたいと思っていたからかも。 ただ、押しつけられたらきっぱりと「信じてないから」とは言いますけど。 あぁ、難しくて思うように伝えられていないかもしれませんが、あくまでも一個人の意見ですので。

masatoshi-m
質問者

お礼

 koebiさん、こんばんは。 >実父や義母・友人が立て続けに亡くなり、皆、良い人だったのに早く死に、御仏を重んじて大切にしている母や義父がそんなに幸せそうに見えないから、余計神も仏もない。と思うのかもしれません。  なるほどね、信仰心篤い方々があまり幸せそうに見えないから余計に神も仏もないと感じられるわけですね・・・ 何だかその気持ち、分かるような気がするなあ・・・信仰心は幸せを呼び込みそうな気がしますもんね。勿論私がここで言っている「幸せ」とは飽くまで心理上の話で、信仰のお陰でお金が転がり込むとか、仕事が順調に行くとかのご利益ではありませんよ(笑)。気持ちの上で充実感と言うか、満たされた感覚と言うか、そういう「幸せ」ですね。 >人ってきっと何かにすがる事によって安らぎを得たりすると思いますし、仏壇に手を合わせ愛していた人が御仏になって自分の側にいる。と信じる事によって寂しさが紛らわされるならその人には必要な存在なのでしょう。  おっしゃるとおりでしょうね。人間はそれほど強い生き物ではありません。何かを信ずることによって勇気や希望や力を与えられるのかもしれませんね。 >それにお墓を荒らしたり他人の物を平気で盗み、マナーが悪いのは生きている今、自分だけが全てだと思っているからかもしれません。あの世を信じていた時代の方が民度が低くなかった気がするのは善行をし、極楽へ行きたいと思っていたからかも。  これも何だか共感を覚えるご意見です。神や仏やあの世を否定するようになって刹那的に生きる人が多くなってきたのかもしれません。神や仏がいないとなると人間が一挙に覇権を握れるわけですからね(笑)。少々傲慢な生き方、他人に迷惑を掛けるような生き方をしても罰が下らないとなれば、やはりやりたい放題の人生を送りたくなるでしょうしね(笑)。科学知を得て謙虚な心を失ってしまうのでは、と疑問を感じざるを得ませんね。 >あぁ、難しくて思うように伝えられていないかもしれませんが、  私なりにかもしれませんが、koebiさんのお気持ち、ご意見は充分理解できましたよ。ご回答、有難うございました。

回答No.8

この手の質問って、賛否両論で、 難しい問題ですよね。 実際このせいで、争いが起きていたり、 人が死んだりしているわけで、 日本では、宗教団体が、テロを起こし、 また、金集めの商売としてもなりっているわけですからね。(たとえば霊感商法ど) いろいろと書きたいこともありますが、 1つだけ。 自分は、あの世はあると思って生きています。 で、どういう時かというと、 たとえば、気に入らないやつがいる場合って、 もちろん、直接的にものを言えればいいけど、 言えないことってありますよね。 そういう時に、 「生きている間は、いい気になっているけど、 絶対おまえ地獄に落ちるよ」 「法律は、おまえを許すが、神は絶対に許さない」 と思うと、すっきりして、落ち着きます。 (いなやつですみません) そういう風に、自分は、しております。 なので、自分には、あの世は必要です。

masatoshi-m
質問者

お礼

>日本では、宗教団体が、テロを起こし、 また、金集めの商売としてもなりっているわけですからね。(たとえば霊感商法など)  人の心の弱みに付け込んで金儲けを企む連中にはホントに腹が立ちますね。純真な信仰心を逆手に取るようなバカどもはみんなまとめて地獄に堕ちちゃえ! えいっ!!! (って、何度突き落としてもヤツらは這い上がってきそう(^_^;)) >そういう時に、 「生きている間は、いい気になっているけど、 絶対おまえ地獄に落ちるよ」 「法律は、おまえを許すが、神は絶対に許さない」 と思うと、すっきりして、落ち着きます。 (いやなやつですみません)  なるほどなるほど、そういう方法でストレス解消をなさってるわけですね。何が「いやなやつ」なもんですか。相手(の体)を傷つけない、最高の「恨み解消法」じゃないですか(笑)。 >そういう風に、自分は、しております。 なので、自分には、あの世は必要です。  うん、これはこれでまたいい「必要のあり方」です。やはり「あの世」の存在は、人間の精神を深く癒してくれるようですねえ。「あの世」を商売道具にしてしまうような連中は言語道断、全員縛り首にしなければなりませんが(笑)、いろんな形で「あの世」は人々を癒してくれているんだと、改めて思いました。ご回答、有難うございました。  

noname#8695
noname#8695
回答No.7

masatoshi-mさん こんにちは。春は近づいてきましたか?? また、今日はなんと難しい質問を・・・・(では、回答するな!って?) 私は普段は「あの世なんてないさ~」と思っています。 人間はそれだけが特別の存在ではなく、草や木と同じく生えて枯れるだけ。 なんて思っています。 でも、そうとばかり言い切れないのが「感情」の存在ですよね? 実は先日、親戚の者が亡くなりましてちょっといろいろあったもので悲しかったのですが 夫が「これで彼(死んだ人)は両親や子どもの処に行けたね。」というのを聞いてとても心が休まりました。 今はあちらの世界で先に死んだ人と彼が笑顔でお話している姿を思い浮かべています。 あの世って 死んだ人のためにあるのではなくて生きているもののためにあるのではないかしら。 お墓だってそうですよね? 生きている者が心のよすがにするためにあるような気がします。 でも、masatoshi-mさん。「神」の話とはまた違うと思うんですよ~。 「神」の話は、また今度。(あるのか?!笑) どうも失礼致しました。つまんない回答でごめんなさい。 どうぞ、お元気で~♪

masatoshi-m
質問者

お礼

 あ、5656464さん、こんにちは~ (^_^;)・・・あ、顔文字間違えた・・・(^。^) ご回答、有難うございま~す。  そうですねえ、今日の福岡・博多はもうほとんど春の陽気。今年初めて厚いコートを脱ぎ捨てました。いつツバメがやってきても不思議ではないぐらいの暖かさです。\(^o^)/ 春はもうすぐ・・・♪ >私は普段は「あの世なんてないさ~」と思っています。  あらま、そんな夢のないことを・・・(ぉぃ) >人間はそれだけが特別の存在ではなく、草や木と同じく生えて枯れるだけ。 なんて思っています。  うん、全く同感です。人間だけが特別な存在であってはならない。同じこの地球に生を受けているもの、悉皆平等の命でなければなりません。仮に人間が特別な存在であれるとすれば、それはこの精神の深さ、心の創造性を以ってして、でしょう。 >夫が「これで彼(死んだ人)は両親や子どもの処に行けたね。」というのを聞いてとても心が休まりました。  いい言葉ですね。それをサラリと口に出せるパートナーさんは素晴らしい。それに比べ「お父さんは死んだらもうそれまでだからね。あの世に行く予定はないからね。お父さんがあの世で見守ってくれているなんて思わないでね」と子供に言っている私は罰当たり者。(^_^;)  いや、私も心を入れ替えよう。これからは「お父さんは死んだあともお前たちをあの世からずっと見守っているからね」と言うことにしよう。その方がどれだけ家族の絆が深まることか・・・(笑) >でも、masatoshi-mさん。「神」の話とはまた違うと思うんですよ~。  う~ん、よーく考えたらそのとおりだった。一緒くたにしちゃダメでしたね~(笑)。 >つまんない回答でごめんなさい。  とんでもない。5656464さんのご意見はいつもよく参考にさせていただいています。その見事な「突き抜けぶり」(ボケぶりじゃありませんからね。念の為)は只者じゃないと、常々私の畏怖(恐怖じゃありませんからね。再度、念の為)の対象となっております(笑)。「ほらほら、これが僕の骨・・・」  5656464さんもどうぞお元気で~。私はこのところ「花狂い」にますます磨きがかかってきましたので、今年は少し多めに時間を取って「花」を見て回るつもりでーす。(ホントに時間、取れるのかな?)

  • eviko
  • ベストアンサー率37% (325/865)
回答No.6

神様に合った事無い、あの世にも行った事も無いから存在として居るのか場所が有るのかは解らない。 でも自分の中には必要だと想ってる。良い一日を過ごせたり色んな嬉しい事を味わえた事や全ての感謝する全ての対象としても、自分が人間で有り続ける為にも。。 必要ってよりも居る。良心じゃない。 だって凄く嬉しいって思うと神様ありがとう、って思うし何かあると神様ごめんなさい。って自然に思ってるもん^^ あの世・・人間って魂が自分で決めた使命をもって産まれて来た姿なんだと思う、それをやる遂げる事が出来たら天国に行くのかな、出来なかったら又生まれ変わってもう一度使命を果たすのかな?その意識が無いのはそれを見つけるのも課題になってるのかな?って。でも解ってる人も居る。それは前世の自分が頑張ったご褒美かなって。。俗的に言うとケツまくる生き方してるとやる事から逃げると金利と一緒でドンドン膨らむ、ドンドン辛くなる、少しづつでも返済して行かないと人生の差し押さえ。自己破産してもやり直すにはやっぱり犠牲は伴う。そういう視点から考えると結局今生きてる自分がやらないと又生まれ変わった時凄い大変何だと思うし情けは人の為にあらずって本当だなって。。運の良し悪しも今の自分次第。人生の差し押さえ食らうまで逃げてると次の人生は闇金?ヒョえー--怖い!!だからあの世ってきっとあるんだともう。人によっては亡くなってからの方が辛い、それは使命がなんだったのかその時に解るから一番裏切ってたのが自分だったってわかる、だから地獄、、頑張れたら天国。そう捉えてる。 でも強くない、だから神様って存在は支えにはなると思う。宗教については一括りにはできないと思う。でも私も無神論者。ってよりも自分の中の神様に名前が無い・・。

masatoshi-m
質問者

お礼

 ご回答、有難うございます。 >神様に合った事無い、あの世にも行った事も無いから存在として居るのか場所が有るのかは解らない。    あはは、そのとおりですね。本当に分からない。 >でも自分の中には必要だと想ってる。良い一日を過ごせたり色んな嬉しい事を味わえた事や全ての感謝する全ての対象としても、自分が人間で有り続ける為にも。。 必要ってよりも居る。良心じゃない。 だって凄く嬉しいって思うと神様ありがとう、って思うし何かあると神様ごめんなさい。って自然に思ってるもん^^  いいですね、こんな生き方。素晴らしいと思います。私はevikoさんのような生き方を全面的に支持しますよ。実に素晴らしい。謙虚な心で生きようとしている姿が心を打ちます。驕りもなければ卑屈さもない。「正しい無神論者」ってこんなにも心豊かな生き方ができるんですよね。勿論私も「正しい無神論者」です(笑)。

  • tokyo24
  • ベストアンサー率50% (116/228)
回答No.5

masatoshi-mさん、おはようございます。 わたしも「神は必要だ」そして「あの世も人生に必要だ」と感じています。それが「有る」のか「無い」のかはわたしにとって重要ではないんです。ただ、「心の拠り所として」必要なのです。 。。。例えを出すとするならば、耐えられない位の苦しみにぶつかった時、あまりのつらさに人生を捨ててしまいたくなった時に「これは神様がわたしに与えた試練だ。」と受け止めるのと「神も仏もあの世も無い、こんなのはただの拷問だ。」と受け止めるのとでは心の有り様が違って来ますよね。 また、最愛の人を亡くした時も「ああ、この人はきっと神様に呼ばれてあの世へ逝ったのだな。」と思うのと、「あの世なんてないな。」と思うのでは悲しみを乗り越えるのに必要な時間も違うと感じます。 難しい事は何も分からないわたしですが、「いつも、誰も、見ていなくても、わたしの心は試されている(銀色夏生氏の御言葉)」とも思って生きています。 以前、家庭のある人に惹かれそうになった時にも、この言葉↑がわたしにストップを掛けました。 「誰が見ている」、「何がわたしを見ている」と明確には言えないのですが、自分よりももっと強く大きな物に、いつも見守られている感じがします。 それが言葉で表わすなら「神」であり「あの世の存在」なのでしょう。 ***** 全く拙い文章で投稿するに値するのか悩んだのですが。。。思う所を書かせて頂きました。 tokyo24

masatoshi-m
質問者

お礼

 あ、tokyo24さん、こんにちは。(^。^) ご回答、有難うございます。  tokyo24さんのおっしゃること、よ~く分かります。そして「心の持ちようひとつで人は心豊かにも心貧しくも生きることができるんだな」との思いを深くします。無神論者は如何にも知性派ぶって(笑)「神のいないこと」「あの世のない事」を論じますが、心の領域に触れてくるこうした問題というのは「客観的事実」はあまり価値を持たないのですね。尤も、こうした勢力の人々がいないと似非宗教団体に騙されて「あの世」や「霊魂」を餌に金を騙し取られたりしますので、そうした「信じやすい人々」への警鐘としての役割は果たしていると思いますが・・・ >「誰が見ている」、「何がわたしを見ている」と明確には言えないのですが、自分よりももっと強く大きな物に、いつも見守られている感じがします。  はい、私がいつでもどこででも見守っております(笑)。  それにしてもこういう感覚を持てるtokyo24さんって羨ましいな(笑)。私はいつも見放されている感じがしておりますので・・・(ぉぃ)。  軽薄な無神論者なら「そんな感覚は単なる錯覚だよ」と一笑に付して片付けるところでしょうが(「軽薄な無神論者」さん、勝手に決め付けてごめんなさいm(__)m)、人は皆そのようにして生きていくのだと思います。「心豊かに」の原点は科学知をいたずらに振り回すことではなく、まさにtokyo24さんのような心で生きることだと思います。正しい科学は人の生活を物質面で豊かにしてきてくれましたが、同様に正しい宗教は人の生活を精神面で豊かにしてきてくれたのではないでしょうか。

noname#251407
noname#251407
回答No.4

「神は我が心にあり」です。 「神」も「あの世」も個人の主観によるもので、必要か・不要かはその人の価値感によると思います。 「鰯の頭も信心から」とも云われます。

masatoshi-m
質問者

お礼

 ご回答、有難うございます。 >「神は我が心にあり」です。  あ、的確な一言(笑)。強いて言うならまさにその一言に凝縮されるのかもしれませんね。人間の心の世界は本当に探れば探るほど、深めれば深めるほど、その無限の神秘性を見せ始めてくれますからね。「人の心の不思議」は神をも宿らせてしまうのかもしれません。

  • Michelina
  • ベストアンサー率40% (97/242)
回答No.3

神と言う存在をどうとらえるかによりますが、ブライアン・ワイス著、PHP文庫、「前世療法」という本を是非読んでみて下さい。 この本は精神科医によって書かれた、神の存在(直接的ではないですが)、人生の意義、輪廻転生、わたしたちがどうして生まれてくるのか、死んだらどうなるのかが実体験に基づいている入門本のようなものです。面白いと思われたら、それに属する著書がたくさん出ています。 信じる信じないはあなたの選択ですが、多分全く新しい見解を与えてくれると思います。 神・あの世、は必要か、というご質問、必要と言うより、存在するのです。古人が作り上げたものではありません。それをどうとらえるのか、どうご自分の人生に生かしていくかが、私たち人間に与えられた課題だと思います。

masatoshi-m
質問者

お礼

 ご回答、有難うございます。 >「前世療法」という本を是非読んでみて下さい。  前世療法・・・ですか。精神世界を深める意味でも面白いかもしれませんね。機会があれば是非読んでみたいと思います。  

回答No.2

こんばんは 神も仏も信じていなので、死ねば、肉体はただの物体になる。と割り切っていますが、 人は死ぬと、あの世(天国)という、何の苦しみもない所で、先に行っていた肉親と、楽しく過ごす。 と思うと、なんとなく、夢があっていいなと思います。

masatoshi-m
質問者

お礼

 こんにちは。ご回答、有難うございます。 >神も仏も信じていなので、死ねば、肉体はただの物体になる。と割り切っていますが、  かつて検事総長を務めた人だったかに「人間死ねばゴミになる」という刺激的なタイトルの書物を著した方がいらっしゃいましたよね。私も買ってきて読んだ記憶があるのですが、その内容についてはもう殆ど記憶が飛んでしまって・・・(^_^;)  まあ神・仏を信ずる信じないはひとまず置くとしても、私も人間は死ねばただの物体(ゴミ)になると思っています。それ以上でも以下でもない。しかし人は心の奥底でいろんな神話を欲しているのですねえ。それはそれでいいじゃないか、大いに認めようじゃないか、と。いや、更に一歩進んで、あの世があって初めてこの世は成り立っているのではないかとさえ感じているんです。客観的事実として存在するか否かという問題は手に負えませんので、この際パスしますが・・・(笑) >人は死ぬと、あの世(天国)という、何の苦しみもない所で、先に行っていた肉親と、楽しく過ごす。 と思うと、なんとなく、夢があっていいなと思います。  そうですね。あの世を否定する人も、神・仏を否定する人も、ここらあたりをもう少し大らかに受け入れてくれればな、と思いますね(笑)。

  • densha
  • ベストアンサー率29% (333/1123)
回答No.1

 答えは死ぬ瞬間までわかないと思います。 若くして必要な方もいるでしょうし、 死の直前に欲する方もいるでしょう。  その神(と言うか宗教)が戦争の原因になっている (利用されている?)のも甚だ疑問なのですが・・・  考えていると、考えが右往左往します。 答えは、正に「神のみぞ知る」 が私の結論です。 ※主観のカタマリなので回答とは言えませんね・・・  どちらかの結論を出している方も、説明するには  数冊の本(でも書ききれない?)になるでしょうね。

masatoshi-m
質問者

お礼

>答えは死ぬ瞬間までわかないと思います。  そのとおりでしょうね。でも客観的事実としての答は求めていないし、仮に求めているにしてももうその答は私なりに持っているんですよ(笑)。 >その神(と言うか宗教)が戦争の原因になっている (利用されている?)のも甚だ疑問なのですが・・・  そのとおりですね。神や仏の名の下に紛争や戦争を巻き起こしている連中は「バカの極み」ですね(笑)。「我に正義あり」と思うのでしょうが、だからと言って「我以外」を攻撃の対象にしてはいけませんね(笑)。 >※主観のカタマリなので回答とは言えませんね・・・  とんでもない。立派な回答ですよ。大変参考になりました。有難うございました。

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