• 締切済み

安部公房の「棒」について質問です。

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 昨日の補足並びに追記事項です。 質問者様が高校生であるとして「正解」を求めるならば、そうした質問をすること自体にさほどの意味も認められません。 先だって、文学は多様な解釈が可能であるとのお話しをさせていただきましたので、その理由もお解りであると存じます(試験問題ならば「基準に沿った範解」はありますが、許容範囲以内ならば解答は他にもありえます)。  さて追加並びに補足として再回答させていただいた理由ですが、もう一つの視点を提示する((1)は国語の先生がガイドラインとして喜ぶ視点)読み方です。 (1)この作品の冒頭と最後の部分に見られる「対比」が何を表そうとしているか (2)学生AおよびBと先生は「棒である私」の言葉を聴いているのか (3)この三人と「棒である私」との距離感はどれくらいか、の問題が残っています。    先ず(1)ですが、冒頭の部分から読みとることのできる「私」の「日常性」とは、どの様なものであるか。休日以外は家庭サービスのできない平凡な勤め人が日曜日に子供とデパートの屋上へ行き、つかの間の「父親像」を演ずる。 この光景は「仕事としての父親を演じている」描写であり、「私」にとっては「非日常」といえる描写です。これに対応する「私の言葉」が「仕事を邪魔されでもしたように叱りつけて、」との一節に示されていて、ここで「私」と「子供たち」との間でのギャップが生じ始めます。 子供たちからすれば、それは押しかけ女房のようにお節介な形かもしれないが、私からすれば「父親の仕事をしている」との建前を果たしているにすぎない。  一方作品の終盤では「『父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん………』という叫び声が聞えた。私の子供たちのようでもあったし、ちがうようでもあった。」として、相手側が求めてくる形に変わっています。  冒頭では「私が子供たちに使われる一つの対象」として描かれています。子供たちにとっては「自分たちの相手をしてくれる相手」が別段に「父親を演じる私」でなくともさほどの問題もない。けれどそうした問題を裏返せば「私って一体、何?」との根源的な問いも生じてくることになります。つまり「他人との関係や距離感」がなければ、私が私として存在する意味がないとのいささかおぞましい話にもなります。  そしてこの問題((1)および(2))に答えるには、この作品が「誰の目線で」描かれているかがヒントになります。 突然にして「棒」と化してしまった私が言葉を発している部分は全て「私が観察している対象」を説明する形、つまり独白ともモノローグともいえます。ですからこの作品で台詞として書き込まれている以外は全て、「私の言葉」であると説明することもできます。  次に「棒」を単なる「もの又はモノ」と解釈するならば、それは三人の人間からみれば、自身の身の回りにあるありふれた対象であると理解する立場とそれが特定の目的を持ったモノと理解する立場に分かれます。  この言葉が何を意味しているかといえば、「誰しもが棒になりうる」「私しか棒になることができない」との違いです。  私が棒になったことは確かに「非現実的」であり「非日常的」な事象です。そのいきさつと理由は作品では一言として語られてもいません。「なぜ、棒なのか。他のものではないのか」。この問題は残ったままですが、ヒントは作品中にあります。「誰かが使う。何かの目的で使う」のが「もの」であるならば、誰かに使われなければ、そして何かの目的がなければ存在する意味がない、との説明も成り立ちます。これが三人の他人が私に下した「裁きの理由」です。棒はものである。つまり使われねば意味がないとの一見正当な論理ですが、それに対する学生の問いに先生は確実に答える術を持っていない。だから「しかし何もいわずに、二人をうながして歩きはじめた。」と問いをシャットアウトする形でその場を立ち去って行く。  この作品のオリジナル(『棒になった男』)と比較してみますと、オリジナルでは「全ての人間(マスとしての社会に生きている人間)がモノ化する可能性に生きている」として締めくくっていることと対照的ともいえます。

関連するQ&A

  • 安部公房の「棒」について

    読書感想文を提出しなければいけないのですが、この作品をどのように思いましたか?例えば、どうして「棒」になったのかとか、「棒」になった「私」とはどんな人物か、とか、棒をさばく「先生」や「生徒」はどんな存在か考えみようと思っています。全体の結論はどうしたらいいでしょうか。変な質問でごめんなさい。お願いします。

  • 安部公房について

    こんばんは。 安部公房がもしもう少し長生きしていたら、ノーベル賞を取れたと思いますか? 『砂の女』という作品は13ヶ国語に翻訳されていて、海外の先進国では川端康成を同等の評価(またはそれ以上)をうけているらしいです。 僕は『壁』しか読んだことがないので(他の作品を読んだからといって判断できるわけではないですが)、上に書いたような事実からしか判断できないのですが可能性はかなり高かったのではないかと思ってます。 皆様はどう思いますか? ※作品の具体的な内容はあまり書かないでいただきたいです。これから読もうと思っているので(^^; 宜しくお願いしますm(__)m

  • 安部公房

     最近安部公房が好きになり、著作を全部網羅して読みたいと思っています。ですが、いったいどれだけ作品があるのかよくわかりません。  安部公房の作品をもらさず収録した全集や、文庫のシリーズなどがあったら教えてください。  全作品リストなんかも知りたいです。  古いものでもいいので、内容がおすすめのものがあったら教えてください。  どなたかどうぞよろしくお願いいたします。

  • 安部公房の「燃え尽きた地図」

    わたしはこの作品が大好きです。 同じように「燃え尽きた地図」の世界にはまった方の感想を聞いて共有したいです

  • 安部公房の作品

    安部公房を二作以上読んだことのある人に質問です。 どの作品が一番良かったか教えてください。 私はまだ『笑う月』しか読んでいないので、次にどれを読もうかなーと選んでいるところです。 よろしくお願いします。

  • 安部公房の論文を。

    インターネットで必要な論文がどこの図書館にあるかと調べる時に使うホームページがあったような気がするのですが、なんだったか忘れてしまいました。どなたか親切な人教えて下さい。

  • 安部公房の本で

    作品の名前は知らないのですが、猫か何かの遺骸の様子をずっと記録した本があったと思うのですが・・・ もしよかったら作品の名前を教えてください

  • 安部公房『鞄』について

    安部公房の『鞄』という作品で、最後に主人公は「私は嫌になるほど自由だった」と言っているのですが、この話の中で、彼の言う『自由』とは、どのようなものなのですか?また、この鞄の中には、何が入っていたと、皆さん思われますか?

  • 安部公房の赤い繭について

    学校の授業で安部公房の「赤い繭」読みました そこでこんな課題が出ました 「変身するラストシーンを通して、作者は何を伝えようとしているのだと思うか本文の内容を元に あなたの意見を答えなさい。またラストシーンで繭になった男を拾う彼がなんというもののメタファーであるかもついてあなたの解釈を述べよ」 という課題です 僕自身よく考えてみたのですがこの話を何度読み返しても中枢の深い部分まで読み解くことができませんでした。 これは課題なのであくまでも自分自身でやらなければいけないんですけど どうしてもわかりません よろしくおねがいします。

  • 安部公房の本

    最近安部公房に目覚ました。 といっても砂の女しか読んでません。 次に読むのにおすすめな名作はありますでしょうか?? よろしくお願いします。