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平田神道へのキリスト教の影響について
平田篤胤の神道思想にキリスト教の影響があるという説がありますが、 具体的にはどのような影響でしょうか? 神観などに関係があるのでしょうか? また、平田神道と国家神道との関係についても教えて下さい。
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神の道を極めんとすればその真髄は似たり寄ったりのものになりはしませんか? 例えば西洋の武士道も日本の武士道も似ているところはある。合い通じる部分は必ずあります。だから少なくとも明治時代くらいまでは、歴史のない米国はともかく、フランス、ドイツ、スペイン、英国やロシアなども敵対しながらもお互いの武士道は理解し、尊敬しあっていた。 『以下は私が把握している範囲なので、別の解釈や真実がまだあるかもしれません。』 それを何処かの神職上がりの牧師などが「神道のルーツはキリスト教に在り」などと言っているだけの話。要するに日本の文化、柔道や合気道、剣道からインスタントラーメンまで自国発祥と言い張っている某国と同じ発想です。 たしかに平田篤胤は世界中の文化や宗教を学びました。それは所謂“比較社会学”的なものではないでしょうか。 神道は江戸時代には既に神仏混淆より千年の時を経て、純粋な神道ではなくなっています。従って神道の中から影響されたと考えられるものを除外しなければ真の神道には到達しない。あるいじゃ神道独自の思想を見つける。そのためには諸外国の思想や宗教・文化を研究するのは当然のことです。 それを平田が西洋文化を研究し、キリスト教徒似たところがあるから平田神道はキリストの影響を受けているというのはまさに独善的なキリスト教の姿勢の証明でしかありません。もっともキリスト教の布教の根本は独善的信仰にあったわけですから、それを踏襲しているに過ぎないのでしょう。 江戸時代、神道排斥の姿勢はありませんでしたが、長年の神仏習合の歴史とキリシタン対策のための仏教中心政策により、末期には壊滅状態だったといわれます。 明治政府は自らが正義だと主張するために、また仏教中心の徳川政権を払拭するために、天皇中心の神道国家を構築しようとしました。しかしながらそれまでは各神社ごとに作法などが取り決められていたので、これを統一する事にしたのです。それが皇室神道、伊勢神道、神社神道です。また明治政府は教育にも神道をとりいれるようにしました。 この両方を成り立たせるためには神道を理解しなければなりません。しかしながら明治政府の指導者はほとんどが地方の下級武士やせいぜい下級貴族でとても政治を行えるものではなかったのです。だから初期には慶喜に日参して教えを請うたほどです。これは神道も同じ。全くの素人なので、江戸時代の国文学者に頼ったわけです。 ところがこの教育への応用は見事に失敗し、神社神道は教理ではなく祭事だけを守るものへと方向転換したわけです。(このとき、出雲大社教をはじめとする各教派神道などが離脱し、新宗教となりました) しかし国の神道中心の政策は留まる事はなく、靖国神社の建立により次第に国家神道への道を進むことになりました。 国家神道には二つの意味があり、一つは明治政府が目指した神道国家日本が支える国家の神道という意味の国家神道。もう一つはマッカーサーが指摘した靖国神社中心の軍閥的国家神道です。とうぜんマッカーサーが禁止したのは後者ですから、直後に神社本庁の設立も許可しました。このとき神社本庁は靖国神社を排し、現在でも靖国派単立神社です。しかし昭和25年頃から政治的発言を強めようとして、国(与党)と結託して国家神道復古運動が盛んになりました。このときには残念ながら二つの解釈を分離できる人材がなく、現在でも後者に近い国家神道を目指しています。 冷戦時代、米国の原爆増産計画に呼応してブルトニウム生産工場である原発推進を国が進めると同時に神社本庁も、反対派の宮司を除名処分にするなどしてこれに加担しました。 従って明治時代の前者の国家神道を確立するために平田だけではなく、他の国文学者や生き残った神道家の情報を参考にしたということです。
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「人の霊魂は幽冥界でオホクニヌシノカミの審判を受ける」と聞いたら、どう感じますか? このページをみてみましょう。 b.平田神道と国家神道 http://www.aguro.jp/d/file/r/reli42.htm 比較宗教学 宗教の神学 http://www.aguro.jp/d/file/k/kbi_reli00.htm
お礼
ためになるサイトの御案内をありがとうございました。
お礼
私も神道のルーツをユダヤ教と混同している説は信用していません。 詳しい解説に感謝を込めてB・Aとさせて頂きます。 また、よろしくお願いします。