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国家神道・国体について

学校の方で、古典に関するプレゼンテーションがあったのですが、私は神道について調べました。そのとき先生に「『国体と国家神道』について調べてきて」といわれたのですが、私は、国家神道に関しては、昭和時代に日本が軍国主義に走る際に利用した、というあやふやな知識しかなく、先生は「国家神道はもっとずっと昔からあったよ」と言っていて、いまいちよくわかりません。ましてや、「国体」は検索かけてもさっぱりわかりませんでした。日本の開国から終戦まで、いったいどのような経緯で神道が日本に影響しているのか教えてください!

質問者が選んだベストアンサー

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  • nemosan
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回答No.6

書籍を紹介します。 学研の『Books Esoterica 2 神道の本』は、神道入門にお勧めです。 これの「神道史チャート」によれは、「国家神道」は江戸中期に本居信長や平田篤胤によって作られた「復古神道」の流れにあるものらしいです。 国体と神道の関係の記述もあるので、役にたつのでは?

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4051060241

その他の回答 (5)

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.5

そもそも国家神道というもの自体、戦後に共産党などが名付けたもので、そのような実態はありません。 国家が、神社を管理していたのは事実ですが、それは管理であって国を神道で管理していたわけではありません。 むしろ実態は、国の中心から遠ざけたというのが本当のところです。なぜかというと明治維新につながる原動力に神道が関わったからです。国学神道などが維新の理由付けとして使われました。したがって明治政府が出来たとき、神祇官は太政官と同列でした。しかしそのままではまさに中東あたりによく有るような,宗教国家になってしまいます。そこで近代化を図る政府は神祇官を逐次縮小し、最後は文部省の一部署にしてしまいます。それ以降、官幣社、国弊社などに分類され管理してきたのです。なお東京招魂社は靖国神社と改名され別格官幣社として陸海軍省の管理とされました。昭和21年の神道指令がでるまでこの状況が続きます。 決して神道の教えに基づいて国家運営をして来た訳ではありません。

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.4

 我が国固有の民族信仰である神道は、宗教学で言えば、神人同格教(しんじんどうかくきょう)です。つまり、人間も修養をつめば、死して神になることができるという思想で、伊勢神宮のアマテラスオオミカミも、東照宮の徳川家康も神に祭られていることからは同一です。ただ、神格としての相異があるだけです。キリスト教やイスラム教などでは、神は人間の上にあって、人間を支配し、賞罰を与え、人間はどんなに修養しても神になることはできません。これを神人懸隔教(しんじんけんかくきょう)と言います。  仏教はその信者が死後誰でも仏になれるという点で神人同格教と同じ性質を持ちます。この共通点から本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想を生み、神仏は混交して一本となって栄えました。やがて、結果的には仏教の方が優勢となり、神社には社僧とか別当(べっとう)という管理職の僧侶が出現し、神道側は圧迫されました。明治維新後に『神仏分離令』が制定され、神道は仏教から離れて、国家の手厚い保護が加えられます。しかし、第二次世界大戦後、新憲法下では国家が宗教に係わることが禁じられ、神道は独立自活を余儀なくされました。  古代の神道は、古代国家の形成と発展に伴って、整備・体系化が進められました。『神道』という語も、七世紀後半に展開する古代律令制度の中で位置ずけることができます。  『神道』の語の最も古い記録上の初見は、『日本書紀』用明天皇即位前記にみえる「天皇仏法を信(う)けたまい、神道を尊びたまふ」とある記事です。用明天皇の即位は585年。

noname#14405
noname#14405
回答No.3

以下、「国家神道」についての記述をご参照ください。葦津の論旨の梗概です。

参考URL:
http://www.geocities.jp/showahistory/history2/36a.html
回答No.2

国家神道については葦津珍彦『国家神道とは何だったのか』(参考URL)を紹介しておきます。必読書と言っていい本です。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4915265609/249-4412680-6485962
回答No.1

神道は鎌倉時代末期の元寇のとき、2度も元に襲撃されたにもかかわらず2度とも自然災害(台風)によって元は壊滅状態になったことから、「日本は神の国である」と主張する者が現れ、この事実を理論付けして宗教化したことが始まりではないでしょうか?しかしこのときの神道は国家神道ではありませんでした。 「国家神道」が生まれたのは明治時代になってからで、これと同時に仏教の迫害(廃仏毀釈)が行われました。当然、キリスト教など、仏教以外の宗教も迫害を受けることになりましたが、信仰を禁止するものではありませんでした。国家神道は鎌倉時代の神道とは全く異なり、日本という国は神々のによって生み出され(神々が日本列島を出産した)、その神々の子孫が天照大神であり、さらにその子孫が神武天皇となり、 その後世襲の天皇が2千年にわたって日本を治めてきたのであり、天皇は神聖不可侵であると考える宗教です。 その後、5・15事件、2・26事件などの軍部皇道派のクーデターによって軍部が政権を確保するようになってから、国家神道が強制されるようになったといわれています。 国体とは国家の統治体制のことであり、たとえば、戦後『国体の護持』と保守勢力が盛んに主張したのは、天皇制を廃止すべきとする連合国(ソ連、オーストラリアなど)から、天皇制を守ろうとしたことの現われです。 日本史の学習からはしばらく離れていますのであまり自信がありませんので、図書館などで歴史の教科書(高校程度のもの)を数冊(できれば扶○社以外のもので)調べることをお勧めします。

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