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無宗教者が葬式に行く場合(必要性)
私は無宗教者です。 先ほど彼女と葬式談義に花を咲かせていましたが どうしても理解できない点がいくつかあったので 質問させて頂きます。 1 例えばその彼女と結婚して 彼女の身内に不幸があった場合(何かしらの宗教に属してる場合) 葬式に出る必要がどの程度あるのでしょうか 2 1で出る場合 仏式?だと手を合わせたりお焼香や 宗教によりやり方は様々違うにせよ 形式的なものがありますが それをやらなければいけないのでしょうか? 3 また2であげた儀式的な個人の行為は 例えば仏式なら仏式で強制しているものなんでしょうか? 仏教なら釈迦がそれをやれと言ったのか 今釈迦の後を継いでる方?(誰かは知りませんが理事長的な 笑 それをやらなければならないと言ってるのでしょうか? 私は亡くなった方が私に対して 葬儀に参加してほしいと 個人的に言われたらもちろん参加しますが(遺書や生前に) でもそれ以外では参加したくありません (手など絶対に合わせたくありません 手を合わせたところで何の価値があるかわからないからです) 理由としては 私自身の考えが論理的に説明できないことが嫌いだということ また法律を『意識的に』普段の生活の中心に置いていること ですので 憲法で信教の自由が保障されていることがいちばん大きいですが 21世紀の現在も尚 こういったことが形式的に行われていることに疑問符です 長文になりましたが宜しくお願いします
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- rokometto
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人は死んでしまったら生き残った人の記憶の中でしか存在できないんです だから形式だろうがなんだろうが亡くなった相手に哀悼の意を示すのは生きる人間として必要最低限のことです じゃあ哀悼の意ってどうしたら示せるの? そんなの誰もわからないし正解はありません だから宗教の形式を借りてるだけの話 きっと命の重み、生きてることの価値、死ぬことへの恐怖や悲しみを知らずに生きてきちゃったんじゃないかな あと自分以外の人への感謝もないっぽい
- organic33
- ベストアンサー率36% (615/1664)
1)彼女の身内に不幸があった場合、質問主様は100%出なければなりません。これは宗教と言うより、仏を中心にして縁のある者が集まり供養する、言い換えれば彼女を中心として縁のある者が集まり、その一人だった仏を供養する事です。 さらに表現を変えれば、質問主様の身内が亡くなられた時には、質問主様が出席しない事でその外側の方達を断ち切る方法はありますが、自分だけは出席して女房の身内を呼ばなかったりするのは論外です。 それと、結婚はするんですか?ひとりだけ?複数の女性と?結婚相手の数、法律以外の論理的な説明、出来ますか? 2)式での行動はあなたの判断で良いんですよ。織田信長が抹香を遺灰に投げつけたような事も、仏前に出て歌を歌っても。或いは張り付け台(今の時代十字架なんて言いますが)を棺に刺しても。 手を合わせたくなければあわせなくても良いですし、逆に柏手を打つ事だって構いませんよ。どうせなら、横綱の土俵入りのように手を大きく開いて思い切り打ちましょう。 法律って日本の?世界中の法律を色々積み重ねて、都合のいい事を抜き出してやっていませんか。 わたしなら、一夫多妻の国のその条文だけ抜き出してわたしに適用したいですが。 質問主様が自身の考えを通せば、仕事も見つからないと思うし、奥さんも出来ない気がしますが。
- カルマ(@mimicry-budda)
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1 「身内」や「親しい人」の葬儀に「出るか」、「出ないか」。 これは、「自分が無宗教」なんて関係ないんじゃないですかね?。 「お世話になった人」、「親しかった人」が亡くなったのなら、その人が「仏教徒」だろうと「キリスト教徒」だろうと「イスラム教徒」だろうと、葬儀に出るのが普通だと思うのですが?。 2 葬儀に「出る」以上は、最低限の「マナー」や「作法」くらい覚えて出るべきでしょうね。 質問者さんは、「自分が無宗教」なのを「言い訳」にしたいようですが、「それなりの場」に出て「やるべき作法を怠る」のは、大変失礼な事にも成りますよ。 極端な話、 「俺は、【結婚披露宴】なんてモノには興味が無い。 しかし、お世話になった人だし、招待されたから来た」 と、裸足のサンダルにジャージ姿、ボサボサ頭の寝起き姿で披露宴に出たら「どうなるか?」ってコトです。 3 先にも書いたように、「宗教」では無く「マナー」の問題です。 「結婚式」に置き換えて考えてみれば、少しは理解出来ると思うのですけどね。 >手など絶対に合わせたくありません >手を合わせたところで何の価値があるかわからないからです ↑ 「価値観」は、その人個人の問題です。 自分の価値観なんですから、「葬儀」という悲しみの場で、大勢に披露する必要性も無いでしょうね。 「マイナス面」ばかりが目立ってしまう気がして成りません。
- toteccorp
- ベストアンサー率18% (752/4134)
宗教は自由。葬式への参加も自由。作法も自由でしょう。 葬式の不参加は非常に大きなトラブルの原因になりますので、なるべく我慢して出るべきと思います。 身内の場合、絶縁になる事も多いでしょう。 私も宗教には属していません。 出席するのも大嫌いです。 しかし、会ったこともない人の葬式にもたまに出ることがあります。 嫌な風習、常識と思います。 亡くなった方と付き合いがなかったとしても、亡くなった方のためではなく、その家族や、自分や、自分の家族などのために出る。 葬式は他人に迷惑をかけず、家族だけで行えば良いと思いますが、常識の範囲で我慢して出席するべきと思います。 人生の中では、小さな我慢だと思います。 手を合わせる価値が分かる人などほとんどいないでしょう。 亡くなった方に気持ちを伝えるためではなく、自分を見ている人がいるから、他人と同じように真似をする。 自分の身内の葬式だったとしても、ほとんど関係ない人に来てもらうのは申し訳ないです。
- Pochi67
- ベストアンサー率34% (582/1706)
1.日本人で一般的な常識を持つ者なら、参列するべき。 個人的な付き合いがなく、彼女に連なる人に対して敬意を払う気持ちが全くないなら、個人の自由ですけど。 2.葬儀は故人の信教に合わせて営まれるものです。 自身の信教に反する行為ならば拒否も認められるかもしれませんが、参列する以上は合わせてください。 3.強制はしていませんが、ひとつひとつに意味があります。 意味があるから、故人をおくる儀式の中でやっています。 意味のない作法は組み込まれていません。 葬儀に参列するかどうかは、本人の自由です。 普段から【参列しない】と主張していれば周りも納得してくれるでしょうけど、その時になってそんな主張をしても【常識のない奴】になります。 したくないなら、常に周知させておく努力をしておきましょう。 > 憲法で信教の自由が保障されていることがいちばん大きいですが > 21世紀の現在も尚 > こういったことが形式的に行われていることに疑問符です 信教の自由だから、故人の信教を否定しないように。 また、形式的であっても、その儀式を行うことで生きている人達が故人との別れを受け入れる心の整理をする方法のひとつであることは間違いないです。 あなたにとってはそうではないかもしれませんけど。 あなたにとっては論理的でなくても、【あなたが導いた論理的な答え】が正しいという証明にはなりません。 ひとりひとり意見が違うのは当然なので、受け入れられないと主張するのは構いませんが、相手を否定するのはダメです。 なぜなら、今回の場合だと、あなたはあなたの意見を証明するものを何も挙げず、また、宗教や宗教儀式を行う者が納得するような否定材料を挙げていないからです。 誰が考えても無意味だという答えを引き出せないなら、他人の信じるものをとやかく言ってはダメですよ。
故人の供養とは、残された人の安心感・満足感であると思います。 貴方が安心・満足できる方法が最良の供養だと思います。 葬儀やお墓・仏壇、お寺やお経はその手段です。
- ko-taroo
- ベストアンサー率20% (25/122)
OK WEB にログインするのもアンサーするのも久しぶりです。 あなたの質問に出逢うことも、回答することも何かの縁だと思います。 私も無宗教者ですが、「運命・出逢い・当選 は偶然ではない」と信じています。 祝いの場合、つながりの近い人にしか参加する機会がありませんが 出席する人に「おめでとうございますと伝えてください」とお願いします。 通夜・葬儀の場合、「~だから」 「~じゃないから」 という理由で決めません。 直接 縁がなくても 間接的に縁があれば・・・ 本人、家族、友人、知人と少し悲しみを分かち合う「理由づけ」が成り立てば 参列します。 手を合わせることに宗教的なこだわりがあるなら、礼を尽くす「会釈」でいいですよ。 「あなたがそこにいること」に対して「一人だけでも価値」を感じてくれるなら 参列する意義があるかもしてません。 無意味でも 彼女が悲しんでいるなら 一緒にいてあげてください。 人の終わりの儀式には 心に何かを生み出すきっかけもあります。 自分なりの勝手な理由付けをして 一応参加 程度でいいんじゃないですか?
補足ですが、 あなた自身が葬儀を出す側になった経験はありますか? 参列者が少ないって惨めですよ 親兄弟いて、自分だけどこからも来てくれないと親族間でも肩身が狭く感じられます そういうの体験すると、形だけでも駆け付けてくれる人はありがたいです。 村八分でも協力したって理由が少しわかります 村八分 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%88%86
- mibuna
- ベストアンサー率38% (577/1492)
人によって葬式に出たりでなかったりすると 周りから裏表のある人間だと思われて総スカンくらいますよ。 出るなら出る。出ないなら誰の葬式にも出ない位の根性見せましょう。 (これはこれで習慣儀礼を知らないただの変人だと思われますがw) 余計なおせっかいだけど、わしも結婚はしない方がいいと思うね。 120%嫁の身内と仲たがいするのが目に見えるわ。
- sweet76
- ベストアンサー率39% (584/1497)
1.お葬式って、別に宗教がどうとかってことで出席するわけではないと思いますが? 生前にその方にお世話になったとか、残された家族の方を見舞うとか、対人間同士の関係で行われるものだと思っています。 ですから、私は一般的な宗派の仏教徒ですが、社会的に批判されているような宗教に属している場合でも、相手との関係性があれば、宗教を理由に欠席することはありません。 2.周りを無視して長々お経をあげるとか、儀式的なことをするとなったら別でしょうけれども、仏式の葬式で、十字を切る方にはお会いしたことはあります。ただし、お焼香もしていました。 その点はご遺族を不快にさせず、周りの方に迷惑が掛からないはんいであれば、許される状況もあるとは思います。 すべての宗教が許しているのかまでは知りませんが。 3.宗教家じゃないので詳しくはわかりませんが、年月を経る中でだんだんと整えられたものだと思いますので、後世の誰かが形式として作り上げたものでしょう。 >以外では参加したくありません 仮にあなたのご両親やご家族がなくなって、ご葬儀をされたときにあなたと同じ理由で誰一人ご葬儀に参列しなかった(あなたの奥さんや子供、ご友人など)場合に、それでもいい、それが正しいと思えるなら別にいいんじゃないでしょうか? そうでないのなら、理論が矛盾しますから出席しないとだめと、あなた自身が思っていることになると思いますが・・・。 ただ、一般的には特に配偶者の身内や身近な友人などなら不義理を責められる覚悟は必要ですけどね。 社会生活って個人の思想だけでなく、相手の考えも尊重するものだと思いますから、あなたが行かないことで相手がどう思っても責められませんよね。 個人的には葬儀っていうのはなくなったご本人よりも、残された遺族や友人などが気持ちの区切りをつけたり、生前お世話になった人にお礼を言ったり言われたりする場だと思っていますので、身近な人間を見送ってみると必要かなとは思います。
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