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ぶっきらぼうは いただけませんか?

  • 質問No.7780173
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お礼率 92% (10857/11721)

 愛想やおべんちゃら あるいは果ては八方美人といった社交性の観点からの問いでは 必ずしもありません。それは かつてすでに質問しました。

 【あ】 言わば《ぶっきらぼう》の絶対値をとらえて それは どのような文体であるか? 

 【い】 あるいは広く漠然とした概念ですが どのような性格であるか? 

 こういった問いになります。あるいは:

 【う】 《ぶっきらぼう》とは どういう実存であるか?

 
 自由に見解を述べて ご回答をお寄せください。


       *

 ぢゃあ ぶっきらぼうとは何だ? と言われましょうから 辞書を見ると:

 ▼ (ぶっきらぼう :三省堂「大辞林 第二版」より) ~~~
  http://jisyo.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search_wd?ie=utf8&q=%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%8D%E3%82%89%E3%81%BC%E3%81%86&mode=0&type=0&dic=0&id=jj_17799000&s=1&e=5&ej=1&je=1&jj=1&ns=1&ct=0

  (形動) 〔「ぶっきり棒」の転〕 話し方や態度に愛想がないさま。
  「―な口のきき方」
 ~~~~~~~~
 ☆ とあります。やっぱり 愛想の問題でした。ですが・ただし:

 ▼(ぶっき・る【▽打っ切る】 :三省堂「大辞林 第二版」より) ~~~
 (動ラ五[四]) 勢いよく切る。激しい力で切る。
 「魚の頭を―・る」
 [可能] ぶっきれる
 ~~~~~~~~~
 ☆ との説明があるのを見ると 二転三転して必ずしも愛想の問題でもなく つぎのようでしょうか。

 【え】 ぶっきらぼうとは:
  言葉づかいの上で 言い放った一文がそこで話をおしまいにしてしまうくらいの勢いがあるさまを言うようであり よく言えばキレがよい わるく言えば相手の話を突っ撥ねるかたちになりがちである。

 でしょうか? それでは:

 【お】 ぶっきらぼうは いただけませんか?

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.8
  • ベストアンサー
>○ ぶっきらぼうによって自説が切られたゆえに それにウラミを持つということはあるとお考えですか?

あ-それはですね
もうウラミっぱなしですね。
血管がぶち切れそうな感じです。
ぶっきらぼうの鋭い刀で見事に切られっぱなしで、全身傷だらけです。
満身創痍で よくここまで生きてこれたなと、我ながら感心します。
(失敗だらけで)右も左も真っ暗闇・・とか
筋の通らぬことばかり・・とか
傷だらけ人生・・・・・・という素晴らしい愚かさを味わってきたわけでして
ぶっきらぼうへの感謝に耐えないのです。 ・・・。

とまあ
言葉が
概念伝達ではなく、感情伝達の道具になってしまうという事もあるわけでして
そういう面から見た ぶっきらぼうとは 良い面と良くない面をもつようです。
Bさんがよくおっしゃる共有性ということにおいての相反する有効性があるように思います。
短い言葉が心の共鳴を引き起こす、或いは激昂を引き起こす といった作用もありますから

無意識における符号化ですが
これは、情報に対する感性的符号化のことです。
知らず知らずのうちに、全てに対して符号化を行って情報の整理をしている といったことです。
この符号の付け方や取り扱い、用い方などが 言葉となって顕れてくるように思います。
このへんについては人間学というのか深いものがあると思います。

ぶっきらぼう とは素晴らしいのか つまらないのか 愚かなのか
状況次第で様々に見える
まあ 何といいますか 人間模様の一幕でしょうかね。
Bさんがご質問なさった意味が何となく分かったような感じがします。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 いやぁ ぴったりずばりど真ん中のお答えをありがとうございます。


 そうですね。
 まづは
 ★ ~~~~
 無意識における符号化ですが
 これは、情報に対する感性的符号化のことです。
 ・・・
 ~~~~~~ 
 ☆ これについて先に取り上げます。

 いやぁ わたしは必ずしも《符号化》はしませんね。《情報》はそのまま情報としてしまっておくと思います。《要らないとはっきり判定する》とか《中身はいいから そういう情報があることだけを記憶しておく》とか《これは最重要ゆえに 何度も振り返ってみるのだ》とか そういう仕分けはしますが 符号化はしませんね。

 ★ ~~~~
 この符号の付け方や取り扱い、用い方などが 言葉となって顕れてくるように思います。
 このへんについては人間学というのか深いものがあると思います。
 ~~~~~~
 ☆ ううーむ。

 あっ。少し気づきました。ほんの少し。つまり たとえば一冊の本があります。読んだあと 《あの情報は 終わりのほうの左のページにあったな》とか 《その情報はしっかりと赤線をつけてあるはずだ》とか こういう《しるし化》はしていますね。
 あるいは あの本は 書棚のあそこの位置に置いただのといった《しるし化》はありますね。

 ただ 残念ながら そこに《人間学》のにおいを嗅ぎ取ったことはなく なんとも・・・。

 これは 人ひとりひとりで違うものなのですか?
 つまり そういう情報の符号化をおこなっている人びとのあいだで その実際のやり方はまちまちなのでしょうか? そこに性格や人となりが現われるといったような?






 さて ぶっきらぼう問題。
 ★ ~~~~~~
 あ-それはですね
 もうウラミっぱなしですね。
 血管がぶち切れそうな感じです。
 ぶっきらぼうの鋭い刀で見事に切られっぱなしで、全身傷だらけです。
 満身創痍で よくここまで生きてこれたなと、我ながら感心します。
 ~~~~~~~~
 ☆ これはですね。わたしに一家言あるのです。

 ふたつの主題で説明できます。精神のストリップ論とそして《人は誰からおそわるか? 自分からではないか?》論 このふたつです。

 この答えを知っていて あばうと72さんに議論を振ったかっこうに成りましたが それは待っていたのかも知れませんし あるいは われながらほんとうに何か喉につっかえるものがあって設問したという実際もあったかと思うところです。



 けっきょく一般的な人生もそうだと思うのですが 特に哲学としての道では けっきょく《精神のストリップ》は――むろんまづ自分からする者はいないと思いますが―― いやでも応でも そういう羽目に落ち入る。のではないでしょうか? 
 弱点や恥部まで けっきょく全部 《情報公開》をする羽目になる。いやがおうでも です。
 真理の探求とは そういうことだと考えます。



 もう一点。
 【Q:ひとは だれから おそわるか】 ~~~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4974759.html

  【命題】:おしえる者は ほんとうには ただ記号(つまり通常は ことば)を伝えるだけである。
 これを受け取って おそわる者は 自分の記憶野に尋ね 知解し 当否を判断する。
 ゆえに 単なる知識や情報のやり取りでないなら ひとは だれからも おそわることはない。自分で能力を開くのである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 よって

 1. ひとは 自説が切られたとき 何ら傷を受けるものではない。

 2. それはただ それ以前まで持っていた《自慢》がくづれただけである。(思索の過程とその中身は どこまでも 有効でありつづける)。その自慢に わが精神はほんとうには居着いていない。よって 心が傷つくことはない。

 3. それは――つまりもし 傷つきウラミっぱなしの部分があるとしたなら それは―― ぶっきらぼう氏が みづから通って来た道である。ほんとうには傷ではなかったと知っており ウラミの問題ではないと知っていることを意味する。

 4. このように――それでもウワベの心理のうごきにおいては 火の中をくぐり抜けて来るような試練の過程なのだが このように――試練が人びとの前に・心の中にそなえつけられたごとく待っているのは それでも神の慈愛である。

 5. なぜなら 《自慢》の旗を人知れずひそかに高々と打ち建てたのは ほかならぬおのれであるのだから。神は ひとが願う願わないにかかわらずこのしんきろうなる旗をいっぺんどういうものか考えてみてみなさいと言ったことになる。


 ★ まあ 何といいますか 人間模様の一幕でしょうかね。
 ☆ でしょうかね!?


 《わろきこと》は おのが心に。
 《よきこと》は――神にと言わないなら―― じんるいの秘所なる共有性の部分に。





 カッコウをつけすぎましたか。
投稿日時:2012/11/07 10:43

その他の回答 (全8件)

  • 回答No.9
>いやぁ ぴったりずばりど真ん中・・・

ホームランボールを投げてしまった
ファールになってよかった
もう一球投げてみようか・・・
いやよそう
この打者は手ごわい
同じコースでフォークかチェンジアップでいこう
相棒のサインもそうだ
よし、
あっ フォークが曲がらない
と きれいな放物線だな・・・
やってしまった
(監督) 馬鹿、どこへ投げてんだ、アホ、マヌケ
というわけで敗戦処理のピッチャーの登場です。

とまあ冗談っぽいですが
この場合の、司令塔である相棒のサインは
すべての状況を総合したうえでのサインであるわけです。
この一つのサイン、符号に状況のすべてが凝縮されている と見ることもできます。
勝負事に限らず、ビジネスの世界においても同様の事例を見ることができると思います。

設計図書や見積書、納品書、請求書、協議書などのビジネス文書は、すべて必要最小限の言葉・サインで書かれています。
余計なものは書かれていませんし、書く必要のないものです。
つまり、ぶっきらぼう的な味気ないものです。
また、危険性を伴う工事現場においての指示などは、正にぶっきらぼうの言葉・サインそのものです。
そうでなければならない理由は明白です。
作業員を迷わすことなく的確に作業を進め、危険を防ぐためです。
指示は強く、はっきりと出さなければならない理由はそこにあります。

私が仕事でお世話になった会社の社長とのメールのやりとりもそうでした。
私は現場の状況やら、作業工程やら、こと細かく説明したメールを送っても
社長から返ってくるメールは、実に単純であっさりしたものでした。
ぶっきらぼう でなければならないものもある という事でしょう。
この社長さんと実際に会って話をしてみると、案外ぶっきらぼうではなく、気さくでいろいろな話しもします。
面白い感じです。
仕事上の事については、余計な事は言わない、書かない、と割り切っているのでしょう。
日常会話ではとても、ぶっきらぼうとは思えない感じでした。

こうした例を見ていって感じるのは
ぶっきらぼう的な言い方を、普段の会話の中に持ち込むのは誤っている、ということです。
当たり前といえば当たり前ですが
中にはこれが出来ない人もいます。
出来ない、というよりも沁み込んでしまって、どうにもならなくなってしまう人もいます。
戦士の悲しさでしょうか

私も説明魔の方だと思いますが、長く現場に立ってきたせいでしょうか
ぶっきらぼう的な短縮形の言葉使いが、自然と出てしまう時があります。
普段の会話の中では気をつけたいですね。

共有性、実存、感性、符号・・・また、機会があったら改めてお話したいと思います。
このへんで逃げます。
だいぶ出血がひどくなってきたので
早く輸血しないと・・・
鎧を捨てた落ち武者を見逃して
洞窟はどこか・・・
満員か ・・・。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 ははははは。おもしろいですね。

 あばうと72さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。うまく受けてもらえましたし 受けてもらいました。


 ★ 共有性、実存、感性、符号・・・また、機会があったら改めてお話したいと思います。
 ☆ なるほど おもしろそうですね。
 《感性》が入るところ。

 しかも情報と情況のすべてが ひとつの《符号》にまで凝縮することがあるのだとか。その現在 そのいまの一瞬になのだとか。



 ★☆ 《ぶっきらぼう的な短縮形の言葉使い》と《説明魔》によるものでさえあるような説明  これらの適宜な使い分け
 ☆ が肝心だというお話ですね。



 まぁ 《落ち武者》だとか《洞窟》というまでのお話ではないと思いましたが。・・・
 ありがとうございました。
 それでは またの機会にて。
投稿日時:2012/11/07 22:00
  • 回答No.7
> ☆ そうなんですか。だとすると けっきょく――言葉には出さなかったけれども―― あばうと72さんには そういうかたちで喋っていたのかも知れませね。

かもしれませんね。
無口だからといって、声をかけずらい感じでもありませんでした。
相性もあったのかな、とも思いますけど

>受け留め型

でしょうね。
この頃はスズメが子供のように思えてきました。
賑やかなスズメがかわいくて、かわいくて
どうでもいい事ですが・・・


結局、人格と言葉の扱いの問題のような感じがします。
また、言葉における感情移入の面からも取り上げる事ができると思います。
「実存」となると、どうでしょう。
言葉における存在感が、そのまま実存に結びつくというのは、少し早計な感じもしますが
ぶっきらぼうの言葉が、静かな言葉に及ばないことも多々あるように思います。
実存と言えるほどの全人格的な言葉を聞く機会というものは、早々ない、滅多にないと思いますが
稀にそうした事もあるようです。
稀にというのは、或いは間違っているかもしれません。
気付くことが稀なのかもしれません。

いわゆる一生忘れない言葉という類のものですが
この中で一番多いのが、単純にみて、名前の呼びかけだと思います。
そのフレーズは短く、相手の姿形と重なって強く印象に残ります。
自分という存在を呼び覚ます一番の言葉に違いないと思います。
名前という、ぶっきらぼうのもつ働きがそこにあるのでしょう。

誰でも、名前というぶっきらぼうを聞かされている
その瞬間に喚起されるものとは
相手だけではないように思います。
自分自身のマーク、シンボルへの呼びかけを通して目覚めさせられるものがある
感性的な実存への働きかけなのでしょうか。
そう捉えてみると、無意識における符号化の怖さみたいなものがあると思います。

ぶっきらぼうという符号をつけるに相応しい言葉があるならば
人はどこかで、そのように整理していることになるのでしょう。
案外、ぶっきらぼうは整理し易い かもしれない
そんなふうにも考えます。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~
 実存と言えるほどの全人格的な言葉・・・
 ・・・
 いわゆる一生忘れない言葉という類のものですが
 この中で一番多いのが、単純にみて、名前の呼びかけだと思います。
 そのフレーズは短く、相手の姿形と重なって強く印象に残ります。
 自分という存在を呼び覚ます一番の言葉に違いないと思います。
 名前という、ぶっきらぼうのもつ働きがそこにあるのでしょう。
 ~~~~~~~
 ☆ それに まづ あいさつことばをつけ加えたいように思います。名前と同じくらい けっこう
 ★ 強く印象に残ります。
 ☆ と思っているのですが・・・。名前もたしかに 実存ないしその人の文体とのカカワリをうながしているように感じます。

 もうそのまま引用しますが:
 ★ ~~~~~~
 誰でも、名前というぶっきらぼうを聞かされている
 その瞬間に喚起されるものとは
 相手だけではないように思います。
 自分自身のマーク、シンボルへの呼びかけを通して目覚めさせられるものがある
 感性的な実存への働きかけなのでしょうか。

 そう捉えてみると、無意識における符号化の怖さみたいなものがあると思います。
 ~~~~~~~~~
 ☆ 末尾の一文 これは よく飲み込めませんでした。
 ★ 無意識における符号化 の怖さ
 ☆ ですか? 名前にかかわって
 ★ 感性的な実存への働きかけ
 ☆ のことをおっしゃっていますか? それを言いかえたということでしょうか?




 ちょっと話が違いますが 乱暴に怖いもの知らずに言ってみますが

 ○ ぶっきらぼうによって自説が切られたゆえに それにウラミを持つということはあるとお考えですか?

 ちょっと言ってみました。
投稿日時:2012/11/06 21:58
  • 回答No.6
>つまりあるいは 無口な人 寡黙な性格というのと ぶっきらぼうとは 重なる面
もありつつ どうも違うというようにも感じられます。

これはありますね
こちらの実例も上げておきましょう。

やはり仕事関係で知り合った人でしたが
普段は田舎に住んでいた人で、仕事は東京の国会の事務をされていた方でした。
激務だったのだと思いますが
週末に田舎に帰ってくると、自宅の広い庭の草取りなどを一人で静かにいつもやっていました。
私が話しかけると
静かな口調で言葉少なに会話ができました。
ぶっきらぼう、といった感じでもありませんでした。
何か分からないようなところがありましたけれども、心の中ではいつも周りと会話をしている
といった雰囲気がありました。
いつも穏やかな感じで、す-と話しができたのですが
口数が少ないのは、お付き合いの始めから終わりまで同じでした。

その方にとって、私との会話は、心の中の会話に入ってきた一部だったような気がします
まあ、ふところが広いというのでしょうか
話しをしていて、刺激的な感じが一切なかったように思います。

寡黙な中にも、どこかしら饒舌なものも秘めていたような気がしたものです。
でも表には出さなかった。
叙勲を受けた方でしたが、いわゆる名士ぶったところは全くなく
相手に合せた言葉で話す人でした。
私にとっては、いい人だったように思います。

印象としては、姿形や雰囲気は残っていますが、言葉は残っていません。
寡黙な姿が一番印象に残っています。
仕事の内容はまったく話しませんでしたし、また何となく聞きずらい感じでもありました。
自然体の無口といった感じだったと思います。
ぶっきらぼうとは、また違っていたのでしょう。
会話以前の、相手との心の中でのやり取りが違っていたような、静かだったような気がします。

こちらはもう馬鹿とは言えない感じがします。
これも一種の人格なのでしょう。


だいぶそれてしまったようですが
無口であることが、ぶっきらぼうとは限らない
無口という無言の饒舌の深さは人を惹きつけるものでもあるようです
言うよりも、言わない方が魅力的であるという

私も、黙っていればいい男なのに
と皆にきっと言われているのでしょう。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 ★ 寡黙な中にも、どこかしら饒舌なものも秘めていたような気がしたものです。
 ☆ これは おもしろいですね。

 またそれほど めづらしいことでもないかも知れません。

 最後までそうなのか? つまりほんとうにしゃべらなかったのか?
 ―― おっと ここまで ごあいさつを忘れていました。あばうと72さん あらためましてこんにちは。ご回答をありがとうございます。――
 わたしなら どこかで・だれかひとりには喋ってしまうと思います。つまり 自分のことで言えばです。


 ★ ~~~
 何か分からないようなところがありましたけれども、心の中ではいつも周りと会話をしている
 といった雰囲気がありました。
 ~~~~~~
 ☆ そうなんですか。だとすると けっきょく――言葉には出さなかったけれども―― あばうと72さんには そういうかたちで喋っていたのかも知れませね。
 (このことは あとの文章で確認できたように思います)。

 ★ ~~~
 印象としては、姿形や雰囲気は残っていますが、言葉は残っていません。
 寡黙な姿が一番印象に残っています。
 ~~~~~
 ☆ これも おもしろいですね。



 あばうと72さんは 戦う男と言い都会の道路の分離帯のスズメと言い 出会いが多いですね。
 受け留め型(?)なんですかね。
投稿日時:2012/11/06 10:15
  • 回答No.5
追加します。
追加するということは、ぶっきらぼうではない、という事になります。
くどくどとした説明魔の馬鹿であるという、私の証明になりますが・・・

実例を上げてみましょう。

昔、私が仕事でお世話になった方がいました。
事業で成功して大金持ちになった方でした。
そのご夫婦とよく一緒にお茶を飲みました。
奥さんは大変気さくな人で、話しが途切れない感じで賑やかでした、優しい感じもしました。
旦那さんはまったく正反対の人で、口数が少なく、ポツリポツリと話します。
人の会話の邪魔をしないというか、会話の中に入ってこない感じで、とにかく余計な言葉を言わない、使わない感じでした。
こちらから話しかけると、少ししわがれた声で、やや間のある口ぶりでボソッと言います。
口数の少ない人が話すせいでしょうか
旦那さんが話している間は、誰も黙って聞いていました。
話し終わってからも、すぐには誰も言葉を出しずらい感じもしました。
相槌を打つ形で、あれこれ話すと、「あっ・・そう」というだけのことが多かったと思います。
まあ、何というか
無愛想で、とっつきにくい感じでした。
それでも、嫌味があまり感じられなかったのは、雰囲気というのか人格だったように思います。
人の会話の中には入ってはこないけれど、知らんぷりをしているわけでもない
じっと人の話しは聞いています。
今になって思い返してみると
旦那さんは、自分がどう見られているのかを分かっていたような気もします。
馬鹿と見られていることが分かっていたのかもしれない
馬鹿を承知で話していた
演技ではなく です。

読んだ末に一手を打つ、といった感じだったと思います。
常に何かを読んでいたのかもしれません。
印象に残っている言葉もありますし、話し方も覚えていますが
ぶっきらぼうの話し方に負けていたのかもしれませんね。
感じとして、何か及ばないものを、この人は持っていたと思います。
素晴らしい人間とは思えないが、深みというか、間がありました。
事業をしてゆく中で培われた間でしょうか。
真剣勝負の勘みたいなものが底にあったのかもしれません。

ぶっきらぼうが生みだした空白を、こちらがどう読むのかは自由です。
また或いは、隙を見せて、どう打ちこんでくるのかを見ているのかもしれない

旦那さんは、そうした真剣勝負の癖が抜けなかった
奥さんは、その事が分かっていた
そんなふうに思います。
今はすでに、お二人とも他界されましたが、生前は仲の良い夫婦でした。
説明魔とぶっきらぼうのコンビだったのでしょう。



ぶっきらぼうが身に付いてしまうという事
ちょっと悲しいような配役
戦う男の悲しさ、と言えば案外いける 
馬鹿な配役で満足して死ねるのも幸せかもしれない・・・

悪口はこれぐらいにします。
バチが当たるといけないので。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 あばうと72さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 今回は むつかしいですね。分かり易い文面で書いてもらっていると思うのですが。

 ★ 悪口
 ☆ ともおっしゃっていますからねぇ。どう取り扱っていいいのか むつかしいですね。



 つまりあるいは 無口な人 寡黙な性格というのと ぶっきらぼうとは 重なる面もありつつ どうも違うというようにも感じられます。



 つまりその人は 言わばビジネス戦士でありつつ ふだんは人とまじわるときにも言葉少なであるというふうにも受け取れますし。
 
 あるいは奥さんがいっしょにいるときには 話を奥さんにまかせていたとも考えられますし。(可能性は少ないかも)。

 


 ★ ~~~
 ぶっきらぼうが生みだした空白を、こちらがどう読むのかは自由です。
 また或いは、隙を見せて、どう打ちこんでくるのかを見ているのかもしれない。
 ~~~~
 ☆ ここなどは まさしく《実例》としての真骨頂であるようにも受け取れますが いかんせんまだ実感を湧かせて応答するには 分かりにくさも残るといったところです。
 つまり あばうと72さんにあっては おそらく相当の実感をもってこの観察と分析をしたためておられるのではないかと確かに感じます。
 臨場感があるということまでは伝わって来ます。
 ただし その相手の人についてこちらが何かを言って応答するまでの内容としては まだむつかしいですね。


 あるいはこうかも知れません。
 ぶっきらぼうは 必要なだけ話をするわけだから 
 ★ 生みだした空白
 ☆ というものがないように――本人の心つもりとしては――している。ともわたしが思っている節がある。なので すんなり話を受け留めて こうこうこうでしょうかと応答しがたく感じている。のかも知れません。

 ううん。こういったところが しょうじきな感受でしょうかねぇ。

 いやぁ こんかいはむつかしいです。
投稿日時:2012/11/06 08:03
  • 回答No.4
言葉の余韻や余白がある ものの言い方という感じがします。
それは受け取る側の印象です。
本人においては不必要なものを捨てた言い方なのでしょう。

俳句を例に上げれば
「説明であってはいけない」 とされています。
こうですよ、あ-ですよ というのはいけない
他者にへりくだったものの言い方、や、説教じみた言い方もいけない
自分の見たまま、感じたままを表せばよいとされています。
相手がそれをどう受け止めるかは自由だし、
その事にかまう必要はないのです。

悪く言えば、オール主観の勝手な言い方です。

だが、こうしたものの言い方は、時として重く、心に響くことがあります。
一人の人間の確かな主観の重みです。

共感を得る場合もあれば、撥ね付けられる場合もあります。
その事を承知しながら言っているわけですから、そのへんの感覚が面白い。
いわゆる「偈文」的な感じだと思います。

主観を伝えるのに、必要最小限の言葉を選び、必要最小限の言い方しかしない、という短縮形
それが、主観伝達の最良の方法として適切であるという選択がなされている
時と場所と人と、という状況に応じてなのでしょう。

でも、これも悪く言えば、鋭くはあっても馬鹿丸出しの言い方です。
くどくどと言うのも馬鹿ですが、それよりも、たちが悪い。
言葉の解釈は自由にしろ、というたちの悪さです。
硬派的なものの言い方のようです。

居合抜きで一刀両断・・・みたいな
痛快でしょうね。
そして、その痛快さは癖になる
切れない刀を振り回すという愚かな癖になるようです。

立ち回りがきれいに見えることもあれば、馬鹿げているように見えることもあるようです。
大方、後者の場合が多いようです。
主観伝達の丁寧さに欠けていると受け止められてしまうからです。


丁寧な説明がいいのか、鋭い刀のような短い言葉がいいのか
さて、そのへんの自由な使い分けが可能なのか
どうでしょう
難しいですね。
ぶっきらぼうが日本人好みなのは確かだとは思いますが・・・。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 あばうと72さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。




 ここまで 閲覧数では人気が高いようですが 回答はなかなかつかないようです。

 《どういう実存か?》などと問うているので みなさん しり込みしてしまったでしょうか。
 趣旨説明欄での【え】のようにまとめてはいますが 今回はたたき台がないにひとしいとも言えるようです。

 当初の見込みとしては ぶっきらぼうへのツッコミが入って それに対して質問者として考えるところを述べ そこから《実存》もしくはそれの対義語であるかも知れない《本質》に迫って行こう。こういう腹積もりでした。


     *


 さて 初めからの順序でご回答に沿って捉えつつ考えてまいります。

 ★ 本人においては不必要なものを捨てた言い方なのでしょう。
 ☆ わたしの主観のみで言いますと:

   ○ 本人において必要と見なしたことのみを言う。
 
 そういう言い方だと思っていました。微妙に違うかも知れないし けっきょく同じであるかも知れません。
 同じではないと思ったのは

 ★ ~~~~
 言葉の余韻や余白がある ものの言い方という感じがします。
 それは受け取る側の印象です。
 ~~~~~~
 ☆ これが 意外だったことです。つまり 正直なところを述べますが 

   ○ 何かをほのめかすようにして言葉少なく言っている。のではない。

 と思っていたからです。つまり《余韻や余白》を無くして 必要なところだけを言うというかたちではないか。
 ただし 《受け取る側の印象》としては けっきょくさまざまな結果がありうる。こうは やはり思い返しました。

 いろいろですね。


     *


 要するに この問いを問うわたし自身のきっかけとしましては 一方で必要なことをつたえるというふつうのことをおこなっていつつ 他方でそのことが けっきょくぶっきらぼうゆえに かえって伝わらないという結果が出てしまうかも知れない。ここにありました。

 そして このことは No.2およびNo.3の ねむりねこさんのご回答を承けてのやり取りでかなり煮詰めることが出来たのではないかとも思っています。


     *

 俳句の
 ★ ~~~~
 自分の見たまま、感じたままを表せばよいとされています。
 相手がそれをどう受け止めるかは自由だし、
 その事にかまう必要はないのです。

 悪く言えば、オール主観の勝手な言い方です。
 ~~~~~~~
 ☆ これも 結果として・相手の受け取り方において いろんな側面を持つかに思われ 微妙ですね。そのことに頓着しないという割り切りがあるようですが。


      *


 ★ ~~~~
 だが、こうしたものの言い方は、時として重く、心に響くことがあります。
 一人の人間の確かな主観の重みです。
 ~~~~~~
 ☆ そのとおりなんでしょうけれど つまりそのことこそ大きな問題であり主題であると思うのですが それよりも先にはまづ 単純な反応が返って来るというように思います。
 ・ まづ 案外重要だと思うのですが 《分かんない》という反応があり得るのではないか 正当にも。
 ・ その意味では ぶっきらぼうの場合は ともかく本人の考えとして必要なことがらを答えたり伝えたりしている。ということだと思われます。

 そのあとでしょうね。それぞれの《主観の――あるいは心の――重み》が 相手に響いたり あるいはさらに本人にもあらためて帰って来たりするのは。


     *

 あらためて
 ★ ~~~~
 主観を伝えるのに、必要最小限の言葉を選び、必要最小限の言い方しかしない、という短縮形
 それが、主観伝達の最良の方法として適切であるという選択がなされている。
 時と場所と人と、という状況に応じてなのでしょう。
 ~~~~~~
 ☆ ここから出発しています この質問は。まさにそうなのです。

 言いかえるなら
 ★ 時と場所と人と、という状況に応じてなのでしょう。
 ☆ これを 《対機対応》という呼び方で――No.2およびNo.3では――捉えましたが そのとき単純に言えば相手との関係において潤滑油を必要とするのではないか? というおそれを取り上げていました。


 ところが・ただし どうもそれとは別のおそれもあるということのようですね。すなわち:


      *


 すなわち:
 ★ ~~~
 でも、これも悪く言えば、鋭くはあっても馬鹿丸出しの言い方です。
 くどくどと言うのも馬鹿ですが、それよりも、たちが悪い。
 言葉の解釈は自由にしろ、というたちの悪さです。
 硬派的なものの言い方のようです。
 ~~~~ 
 ☆ つまり
 ★ ~~~
 居合抜きで一刀両断・・・みたいな
 痛快でしょうね。
 ~~~~~
 ☆ いえ これは《痛快》のもんだいではないように思いますが まづはつづけて
 ★ ~~~
 そして、その痛快さは癖になる
 切れない刀を振り回すという愚かな癖になるようです。
 ~~~~~ 
 ☆ これはちょっと違って来ていませんか?

 つまり ぶっきらぼうは 《切れる》のです。早ばやとものごとの本質にせまって行き その事態を核心において捉えるということはしていると思うのです。つまり そうでなければ《ぶっきらぼう》とは言わない。つまり《ぶっ切る》ということが出来ていないことになりますから ぶっきらぼうではまだ ない。


     *

 そうして
 ★ 主観伝達の丁寧さに欠けていると受け止められてしまうからです。
 ☆ こうなると もとの出発点での《おそれ》の側面に戻りました。相手の気持ちをとうとびそれに配慮して 対機対応をしなければならないのではないか? というおそれと主題です。


 ★ ~~~~
 丁寧な説明がいいのか、鋭い刀のような短い言葉がいいのか
 さて、そのへんの自由な使い分けが可能なのか
 どうでしょう
 難しいですね。
 ~~~~~~~
 ☆ まさにこういう問題であり主題です。

 そして いくらか細かく見るとすれば 問題は

  ○ ぶっきらぼう人間は すでにそれとしてみづからの文体として確立しているように見える。だとすれば それを《ていねい体》へと作り直すことも容易ではない。

 ところにあると考えています。《ていねいな説明》や相手への思いやりは けっきょくぶっきらぼう発言を終えたあとになってしまう。ここに問題があるようなのです。

 といったことのように いまの段階で捉えています。
 みなさんは どう考えるでしょうねぇ。
 ありがとうございました。
投稿日時:2012/11/04 21:32
  • 回答No.3

ベストアンサー率 50% (540/1073)

おはようございます。



~~~~~~
 ★ 時に、相手が隠している《本音》や《嘘》などを見抜き、それをボソリとつぶやき、言い当てる。
 ☆ もしこのよい側面を活かそうと思って考えるなら たしかに《愛想がない》のは それだけものごとの真相を言い当てているのなら もはやそこで話に角を立てないために社交辞令を言わないだけではなく 自己弁明を述べる立ち場に立つこともない。

 というのも 話し合いの潤滑油こそないかも知れないが 対話にとって欠かせないものごとの真実を言い当ててその話し合いをよい方向にすすめようとしている。

 こういった感じでよろしいでしょうか?
~~~~~~
はい、わたしの《ぶっきらぼう》に対するイメージは、そのようなものです。



~~~~~~
 【か】 たとえば潤滑油ひとつないというのでは 話としてまとまるものもまとまらないではないか? 話の中身がよくったって 相手の気持ちをとうとびそのことにも思いやってそれとしての言葉をかけること これは 大事であり必要なのではないだろうか?
~~~~~~
はい、そこが問題です。
人間には、理性の他に感情があります。
相手の感情を害してしまったら、何にもなりません。
《一言居士》のままでは、敬遠されるだけだ、と思います。



~~~~~~
 【き】 中身がよくても――そしてそれによって話し合いの核心部分を捉えこれを明らかにし すでに成果も互いに得られるようにしようとしていても―― 相手がその話に乗って来なければ何にもならないのではないか? 相手を突っ撥ね相手を置き去りにしていないか?
~~~~~~
その通りだと思います。
愛想をよくしろ、ご機嫌取りをしろ、とは言いませんが、
《ぶっきらぼう》にも相手の感情を思いやる、もしくは、思いやっていることを言葉や態度で明確に表す、必要があると考えます。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 ありがとうございます。ただちに煮詰まってまいったようで 感謝申し上げます。

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。



 そうですね。
 よく噛んで読むにつれ 疑問がなお残ると思うようになりました。

 ★ ~~~~ 
 【き】 ・・・(ほかの問いをも合わせて省略にしたがいます)・・・
  
 その通りだと思います。
 愛想をよくしろ、ご機嫌取りをしろ、とは言いませんが、
 《ぶっきらぼう》にも相手の感情を思いやる、もしくは、思いやっていることを言葉や態度で明確に表す、必要があると考えます。
 ~~~~~~~
 ☆ つまり確かに問題は煮詰まって来ていて 次のふたつの側面に分かれる一点にしぼられて来たでしょうか。



 【く】 ~~~~
 いわば《対機対応》になる。これが結論だ。

  1. 必要最小限の潤滑油すなわち 相手への思いやりは 欠かせないのだ。
  
  2. ただし 《ぶっきらぼう人間》は それとして確立した文体でもあるので たぶん臨機応変な振る舞いは しないか または つねに事後的になると思われる。 
 ~~~~~~~~

 ★ ~~~
 相手の感情を害してしまったら、何にもなりません。
 《一言居士》のままでは、敬遠されるだけだ、と思います。
 ~~~~~
 ☆ たぶんぶっきらぼう人間は 相手の感情を害するという気持ちはみじんもないはずですが――ただし その真実の言い当てに自信がある場合は 相手に恥ぢ入らせようという心つもりはあるでしょうね―― 対機対応に出ようとするときというのは すでに相手の気持ちをそこねてしまったあとだということになります。


 そういう問題があると思います。
 《相手に恥ぢ入らせようという心つもり》とは その結果 相手が恥ぢをかくということが付随してしまってもよいと思っているということです。


 特に哲学の話としては ひとがあやまつことはまぬかれず いわゆる精神のストリップは むろん自分もすでにやる羽目に落ち入ったことしばしばなのであって 相手もその事態に落ち入っても仕方がないと思っている節がある。


 わたしの場合はすでに《あやまつなら わたしはある》とそのつど開き直って来ていますので バカ丸出しでやって行けますが 人びと一般は 無理なんでしょうかねぇ。

  

  《対機対応》

 なんですよねぇ。早めの。事前の。(《事中の》と言うべきでしょうか)。
投稿日時:2012/11/04 07:30
  • 回答No.2

ベストアンサー率 50% (540/1073)

こんばんは。


《ぶっきらぼう》はただの「話し方や態度に愛想がない」とは違うような気がします。
短い言葉や態度の中に《むき出しの感情》や《本音》がストーレトに現れていないといけないような。。。。
時に、相手が隠している《本音》や《嘘》などを見抜き、それをボソリとつぶやき、言い当てる。
言われた相手は、ハッとして、その場しのぎに「ぶっきらぼうな奴だ」とか「愛想がねぇな」と苦笑いして誤魔化す。
私には、《ぶっきらぼう》に対して、そのようなイメージがあります。
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 ねむりねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうなんですか。いいイメージなのですね。うわべは突っ張ったように見えても コミュニケーションの中身としては いい線を行っていると見てよいと言うべきかたち。・・・


 ★ 時に、相手が隠している《本音》や《嘘》などを見抜き、それをボソリとつぶやき、言い当てる。
 ☆ もしこのよい側面を活かそうと思って考えるなら たしかに《愛想がない》のは それだけものごとの真相を言い当てているのなら もはやそこで話に角を立てないために社交辞令を言わないだけではなく 自己弁明を述べる立ち場に立つこともない。

 というのも 話し合いの潤滑油こそないかも知れないが 対話にとって欠かせないものごとの真実を言い当ててその話し合いをよい方向にすすめようとしている。

 こういった感じでよろしいでしょうか?




 第二考を述べます。
 たぶん・おそらく そのときには 次のような反論が返って来るものと思われます。

 【か】 たとえば潤滑油ひとつないというのでは 話としてまとまるものもまとまらないではないか? 話の中身がよくったって 相手の気持ちをとうとびそのことにも思いやってそれとしての言葉をかけること これは 大事であり必要なのではないだろうか?

 と。つまり

 【き】 中身がよくても――そしてそれによって話し合いの核心部分を捉えこれを明らかにし すでに成果も互いに得られるようにしようとしていても―― 相手がその話に乗って来なければ何にもならないのではないか? 相手を突っ撥ね相手を置き去りにしていないか?

 と。
 どうでしょう。どうなんでしょうねぇ。
投稿日時:2012/11/03 21:31
  • 回答No.1

ベストアンサー率 12% (13/104)

何を問いたいのかがよくわからない
自己満足のために難しい表現をつかっているように思える
お礼コメント
bragelonne

お礼率 92% (10857/11721)

 ご回答をありがとうございます。


 【え】・・・わるく言えば相手の話を突っ撥ねるかたちになりがちである。

 ☆ このようであってもよいか? おそらく ぶっきらぼう人間は それでもよいと思っている。よいと思っていなくても たやすく直せるとは思っていない。むしろぶっきらぼうであることをよい方へ向けて用いようとするであろう。・・・

 といった自問自答のような過程――葛藤とよぶのかどうか――を思いやるとき どう考えるか? おしえて欲しい。
 という問いです。
投稿日時:2012/11/03 21:12
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