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★太平洋戦争の勝率について

poomenの回答

  • poomen
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回答No.7

 石油の面から見てみましょう。当時中東の油田はまだ開発されておらず、日本は石油資源の80%以上をアメリからの輸入に頼っていました。日中戦争もアメリカからの輸入石油頼みという現状でした。    が、フランスがドイツに降伏したことで日本は現在のベトナムに軍を進めました(南部仏印進駐)。当時アジアで知られた油田というのはボルネオ島(現在のブルネイ王国)でしたので、ここを確保し用という意図は明白でした。  これがきっかけでアメリカは日本への石油輸出を止めてしまいます。備蓄分はもちろんあったのですが、国民生活、工業用に必要な石油にあわせて、軍艦や輸送船、商船などの船舶は停泊中も発電機を回していますので備蓄分はどんどん減ってゆきます。企画院というところだったと思いますが、42年1-2月には備蓄分が底をつくという試算を出します。  つまりそれ以降は苦労して整備した海軍の艦船、海軍・陸軍航空隊の飛行機に必要な燃料がなくなってしまう。整備した軍備を全力投入できるのは42年1-2月までという切羽詰まった状態になりました。もちろん日中戦争も続けられません。  そこから開戦の決断が生まれたというのが一つの説です。第一目標はボルネオの石油資源、石油精製施設の確保。実際、真珠湾攻撃よりこちらの確保のための戦闘開始時間が早いんですね。  一方、ここら辺は英国やオランダの植民地ですから、戦争を始めれば当然フィリピンやハワイのアメリカ軍との戦争も避けられません。  そこから真珠湾奇襲という戦術が生まれました。アメリカの反撃体制が整う前に石油を確保して持久戦体制を整えようということです。しかし結果的にボルネオの石油資源を確保しましたが、それが日本に精製されて送られることはありませんでした。施設が事前に破壊されていたこと、ボルネオから日本への輸送がアメリカ海軍潜水艦隊のために妨害されたからです。  日本海軍の主要艦船がトラックやパラオに停泊していたのも燃料不足が原因です。よく大和や武蔵をもうちょっと活用しておればという説がありますが、燃料不足で思うように作戦行動が取れなかったというのが真実のようです。                      ☆  蛇足ですが、この歴史を踏まえてか、アメリカは現在も北朝鮮に最低限度の石油を与えています。北朝鮮の暴発を避けるという狙いがあると私は考えています。

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