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三権分立の担保について

司法の判断が下された場合、これを担保する機能が不全になっていると思います。 正しいでしょうか!? 例えば、憲法では法の下での平等を謳っておりますが、1票の格差が違憲判断されております。これは、担保されていません。 実際、違憲状態で国会議員が法案を可決したりしています。 それに、このままで、解散選挙となったら違憲の上に違憲となってしまいます。 また、水俣訴訟で国の不作為を全面的に認めましたが、行政は水俣病の症状の判断基準さえ明確にしていません。つまり、司法の判断が、行政(内閣)に無視されています。 これは、司法の怠慢なのでしょうか? あるいは、行政の怠慢なのでしょうか? 機能不全なのでしょうか?

みんなの回答

回答No.1

 大変深刻かつ思慮の価値がある質問だと思う。 あくまでも個人的見解として回答しませう ア:一票の格差(投票価値較差訴訟)の事例について  指摘するように、最高裁が、違憲状態と判示し、「違憲ではないが、合理的期間内に投票価値較差是正措置の責任が立法にある」と述べたことに対して、立法、内閣は積極的政治措置は行っていないし、結果として公職選挙法改正は行わていない・・という事実があろう。 そして、次の総選挙に対応しえる公職選挙法改正がなされていない事実から、次回の総選挙も前回よりも拡大した投票価値較差になることが、総務省の統計からも指摘できよう。 したがって、立法の不作為として糾弾するべきことは見解としては理解しえる イ:公害及び特殊疾病に関する国家賠償訴訟における認定基準の恣意性の問題について  指摘される通り、特殊疾病に関する行政の不作為に関する問題では、行政の怠慢と言える事実もあるだろう しかし、実態として行政が知りうる限りの状況下での不作為として責任を負うべき・・というレベルになると判断が高度になり難しいと思う これらは、質問者が理解できているだろう”高度に専門的な事犯の司法判断の限界”という部分では簡単に結論を提示できるものとは思えないし、自分のような素人が論説にする”烏滸がましい”と思う次第でもある したがって、このような高度な事犯に関しては、もはや現行の司法制度では評論できないもの・・ということで、回答は避けたい ウ:『司法と怠慢であるか?』 憲法判断に関する司法消極主義・司法積極主義という問題が指摘できるだろう 現憲法が、憲法裁判所を想定していない上に、訴訟法が当事者適格を厳格に審査したり、統治行為論・部分的合憲判定・そして、行政訴訟法の「事情判決」などの事例を考えれば、 法律的に、”怠慢が許されている”という評価が可能でもあろうし、司法の積極性は主権在民の原則からしても、一定の緊張感が必要にされる事実があろう 司法自身が、”怠慢で批判されても間違いを犯さないことを重視している”という理性的権力の存在意義を覚悟している・・・というのが自分の見解なので、現状を一定レベルとしては是としているが(個人的には)  根本的に司法が立法・行政権よりも積極的であるための正当性・正義性・正統性の担保が必要であろう・・という見解もあるので、現状の司法の立場を怠慢と批判する気持ちは理解できるが、基本的には三権のバランスの問題として、現状を容認するしかないように思われる ところで、本件について思慮するときに思うのが、司法による立法的判示の妥当性である 国籍確認訴訟(国籍法改正の経緯になった憲法訴訟)において、主文が積極的に法改正に踏み込んだ意見を提示していた。 当事、保守系評論家が”もはや司法が立法であるような判決だ”などと批判したことを思い出すのだが、 この司法の立法的判決の妥当性について、本義はもっと議論するべきだった・・と思う 現憲法41条は明らかに国会だけに立法権を認めているわけで、それをもって司法の立法的判示を批判するのは理解できるが、判示は立法そのものではないし、過大評価したとしても法律原案の提示に留まるに過ぎないだろうと自分は考える それでも厳格な三権分立を思慮するならば、という評論もあるだろう そもそも、三権分立の首座は、権力同士の相互監視であろう。監視は、双方の領域を犯さない・・という概念とは言えないことも考えれば、司法の立法的判示は三権分立を犯すような性質とも言えないわけだが・・・・ エ・行政・立法の怠慢なのか? 難しい。ただし、個人的には、立法には判断する十分な能力がない・・という見解である つまり、立法は立法のための十分な知識だけではなく、責任感さえ持ち合わせていない・・・という考えである つまり、立法には何ら期待していないので、怠慢とは思えない。つまり、「この程度しか出来ない連中であるし、無理に積極性をもって立法されるとむしろ困る」という見解である 悲観的な見解だが、むしろ、立法は怠慢である方が望ましい・・・という見解だと思っている 一方行政だが、行政の怠慢という批判も可能だが、行政側のディレンマもあるように思う 積極的な立法・法解釈の権限が要請され、司法消極主義であるが故に、行政が独創的に政治判断するしかない部分も見られる 確かに行政訴訟を見る行政の怠慢という部分もあるように思うが、有責判断を下すには・・という難しさを感じる したがって、個人的には、立法・行政とも怠慢だと思う部分は多いが、致し方ない・・という結論はある オ:機能不全か?  基本的には、機能不全と考えるのが適当だろう 三権の適切なバランス関係を考えれば、アメリカのような厳格な三権分立こそ至高だと思う そもそも、議院内閣制を三権分立と捉えることが間違い、というのが本音でもある したがって、根本的には、現行憲法の抜本的な見直しが必要だと思っている 具体的な条文・システムまでは提示できないが、司法をもっと細分化し国民参加を促し・ADRを広げたり、立法体制ももっと厳格かつ高度な委員会主義にしたり、行政ももっとタウンミーティング的なシステムを盛り上げることによって、”主権在民の三権分立”を目指すべきように思う 結論から言えば、機能不全であろう しかし、その機能不全の原因は、システム部分よりも、国民・住民の問題が大きい そして、国民レベルでの機能不全の原因を改善するのはシステムの再構築しかない・・・と思う 以上、極めて個人的見解だが

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質問者

お礼

非常にご丁寧でしかも豊富な情報量にてご回答をありがとうございます。 この辺は、門外漢なので自分なりに調べましたが、良く分かりませんでした。 しかしながら、感覚としてわれわれ国民に問題があるように感じておりました。 主権在民で投票権を有しながら、それを放棄するような投票率では、 三権を非難できないと思います。 例えば、国民の60%しか投票に行かない現実である。 これで、三権が60%の出来でも致し方ない気がします。 若者に至っては、35%でしかない。 60点の国民からは、60点の司法、行政、立法しか存在しえないと思います。 三権分立と投票率は、一見関係ないように見えますが、システムを支えるのは国民であり、 国民の為のシステムのであります。 また、国民は同時に司法であり、行政であり、立法でもあります。 この観点から、三権分立の主役である国民が、これを維持して磨き上げ発展させる努力を する必要があると理解しました。 ありがとうございました!

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