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戦争時代の日本の思想について

こんにちわ。 今、日本は中国や韓国から戦争時代に侵略したことについて責められ続けていますが、 日本は他のアジア諸国も侵略するつもりだったのですか? もしそうなら、他のアジア諸国が日本をいつまでも恨まないのはなぜでしょう? 日本は、日本がリーダーとなってアジアを団結させたかったのだと思います。 欧米諸国が有色人種に対して行ったような植民地化や奴隷にすることなどは目指していなかったと思うのですが。具体的にどのようなアジアの未来を理想として、欧米諸国に抗おうとしていたのでしょうか? 中国を占領した日本軍は、中国人が言うように残酷だったのでしょうか?

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  • dagon2012
  • ベストアンサー率21% (8/37)
回答No.13

どさくさまぎれに、嘘を言っている方がいるようです。 日本人だからといって、愛国者とは限りません。(売国奴とまでは申しませんが) 本当に日本人かはわかりませんが・・・ 嗚呼 大和 (戦争責任を叫ぶ人達の正体) http://www.youtube.com/watch?v=twxtQ6_qTIU >「日本がリーダーになってアジアを団結させたかった」は、旧ソ連邦下の東側諸国のようにクレムリンの意向に逆らえない状態を意味するのだとも解釈できますし、実際にそう受け止めた人も多かったです。 実態の評価や考察もなしに、「反対者がいた」(全ての国民に指示される政策などありません)、というだけで、否定するのは、頭の悪い考えです。反対者=正しい意見 とは限りません。 田中角栄時代の反日デモについてですが、 ↑のデモの実態は、スハルト政権への批判です。(華僑だけが儲けて、地場の中小企業が衰退していました) 【元駐タイ大使・岡崎久彦 中国はもう反日デモはできない】 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120601/chn12060103240000-n2.htm (かつて、田中角栄首相の東南アジア歴訪に際して、ジャカルタ、バンコクで反日デモがあった。デモ参加学生たちのその後の述懐によれば、通常デモは禁止なの に、反日デモだけは当局が許可する由なので大いにデモをしただけの話だ、あれは、反日デモでなく反政府デモだということであった。) 実は、アジアの反日運動は現地の華僑や韓国人によるものです。 2005年、天皇陛下がサイパンを訪れることを決めた時、韓国人が反日・反天皇デモを計画しました。 サイパンの住民は、「もし韓国人が天皇陛下に抗議するなら、我々は韓国企業をボイコットする」と言ってくれています。 そのおかげで訪問は実現しました。(実はこのとき、天皇陛下は韓国人戦没者の慰霊も行っています) 華僑は、アジアが植民地だった時代に、白人の代理として、現地人の支配を手伝っていました。 白人は直接には手を出して恨まれたくない為に、華僑に特権を与えて、現地人を支配させました。 日本のアジアの開放によって、それらの特権を失った為に、華僑は日本を憎んでいます。 ラジャー・ノンチック(マレーシアの上院議員) 「日本軍はマレー人を一人も殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。それに、日本の将兵も血を流しました」。 >台湾人は「狼が出ていったら豚が来た」という言い方をします。 ダウト! 正解は「犬が出ていったら豚が来た」です。 この場合、犬=躾けの良い、役に立つ と言う意味ですが 豚=下品、モラルの無い、と言う意味です。 >「アジアを解放した」は単なる偶然です。欧米諸国を追い出したことは事実ですが、アジアが独立したのはその日本帝国が敗北した結果を受けてのことであって、これが日本の目的だったわけではありません。 ↑は日本が欧米に変わってアジアを植民地にするつもりであったという、前提で話をしています。 しかし、それは推測に過ぎません。 その根拠となる事実を示さずに、仮定を事実と誤認させて、その上に更に論理を展開するのは、詐欺師が良く使う詭弁です。 【自虐史観から真実の歴史認識へ】 http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi01.htm (1941年、日本は真珠湾攻撃と同時に、マレー半島に進撃。イギリス軍を打ち破りました。日本軍はその後、マレーシア独立のために訓練所を造り、マレー人青少年の教育に力を注ぎました。) >アジア諸国の独立は日本の戦争遂行に役立つかぎりにおいて採用された政策にすぎませんでした。 ↑は、「礼を言う必要はない」ということを言っていると思いますが、 とりあえず、日本は酷い事はしていない という事でもありますね。 それに、 私は、相手がどんな理由であっても、 結果として助けられたら、感謝は当然と思っていますし、 100%の善意によるものでなければ、その行為には価値がないとも、するべきではないとも、思ってはいません。 (これは、人に拠って意見はわかれるところでしょうが)

  • 8823mujin
  • ベストアンサー率30% (81/270)
回答No.12

日清戦争の当時、清(中国)はまだ「眠れる虎」と呼ばれていました。それは、列強諸国との局地戦に敗れる等の事態から国力の衰えは顕著であったものの、それでもアノ広大な国土と人口、それに本気で戦争となった場合どうなるかの見通し等々の事情から過大評価され、それが幸いして一応の大国の面子は保てていた訳です。 で、当時の日本はどうだったかと言うと、それこそ駆け出し中の駆け出し。明治維新を契機に西欧各国との差を知り、このままでは日本も侵略され植民地にされかねないとの思いから食べるものも惜しんで軍事増強に励んでいた時でした。だから好んで戦争などしたくない。しかしアジア唯一の大国である清(中国)が軍事増強に走り、日本が緩衝地帯と見ていた朝鮮への影響を強めた事で日清戦争の幕が落とされました。 で、質問者さんへの回答なのですが、当時の日本は他国への侵略など一切考えていませんでした。それに又そんな余裕も無かった。全ては自国が侵略されない為。またそれが為の緩衝地帯の確保しか念頭に無かった。だから、もし当時の朝鮮が日本に協力的で、日本と共に列強諸国と戦う意思を見せていたなら、日本は朝鮮の独立を支持し支援していた筈です。しかし悲しいかな歴史はそうはならなかった。当時の朝鮮が日本を嫌い、清そしてロシアに組みした事で今の歴史となっています。 じゃあ他のアジア諸国はどうだったのか。これはもう既に列強諸国の植民支配を受けていた国々です。そして時は太平洋戦争当時に進みますが、日本はアジアに進行し植民地開放に貢献した。勿論、これらの国々においても戦後一度は旧宗主国の植民地支配に戻るのですが、その後直ぐに独立を果たし、現在に至っています。 で、ここで分かっておいて欲しいのは、日本が戦って各地で列強諸国に勝ち列強諸国を当地から追い出したと言う事実です。この太平洋戦争にしても本当の所はしたくてした戦争では無い訳なのですが、ある意味せざるを得ない状況で戦争に突入した。確かに中には満州国設立と言う行き過ぎた行為はあったものの、基本は朝鮮の時と同じで先ず自国を守る事が目的で、それが為の緩衝地帯としてアジアの自立があった。だから日本としては端から軍事占領地を植民地化する考えは無かったものの、当時の日本は既に一等国としての自覚が芽生えていた為、軍事占領地に対しては日本を模範とするアジア共栄圏を設立し、ある意味日本の息の掛かった地域にしておきたかった訳です。 でも残念な事に終戦を迎え、アジア共栄圏の夢は敗れた。しかしアジア諸国には日本が植え付けた自立の意識が芽生え、また日本が戦って勝ち取る姿を教えた事でその後の独立に繋がって言った訳です。質問者さんがお尋ねの未来の理想については、幾人もの人がその理想を述べている為、もし実現したとしてどの理想となったかは不明ですが、少なくとも当時の日本人の精神性をモデルとした高潔な社会を目指していたのだろうと思います。 最後に、日本軍が残酷であったかどうかのお尋ねですが、当然戦争につきまとう残虐性はあったと思います。しかし当時の日本人の精神性から考えれば、今だ中国で言われている類の行為は考え難く、現存する証拠から考えてもこれは言いがかりとかしか言えないと思います。

  • sync-mag
  • ベストアンサー率57% (98/171)
回答No.11

 世の中に「侵略するぞ」といって侵略する国はありません。どこの国でも侵略しているつもりなんかなくて攻め込んだり、支配下においたりしたりしているのです。ただ、それが攻められた側、従わされた側からすれば「侵略」と受けとれるケースがあるだけです。  こちらはどういうつもりだったのかなんてどうでも良く、問題は相手がどう思ったのかです。  「日本がリーダーになってアジアを団結させたかった」は、旧ソ連邦下の東側諸国のようにクレムリンの意向に逆らえない状態を意味するのだとも解釈できますし、実際にそう受け止めた人も多かったです。ナチスだって共産主義から「解放する」とうたって侵略しましたよ。  「八紘一宇」「アジア解放の聖戦」「大東亜共栄圏」と、どれも言葉としては美しいですが、いつの時代でも、またどの支配者も、こういう美しい言葉をもてあそぶのです。  当初は、たしかに宗主国たるヨーロッパ諸国を追い出して歓迎されましたが、日本をリーダーとするよう強要する政策はかなり恨みを買い、戦争も末期にはビルマやインドネシアなどで抗日闘争も戦われていました。  田中角栄首相(当時)が東南アジアを歴訪したときに巻き起こった反日デモの話を聞いたことはありませんか。いまの中国の反日デモがかわいく見えるくらいでしたよ。ベトナムと国交を結ぶときも戦時中の日本の圧政・失政が問題になりました。これも聞いたことはありませんか。  もっとも、どちらも戦時中の日本の行動だけに理由があるわけではありませんが、それでも「日本はひどいことをした」と思う人が大勢いたし、それだけの「事実」が語り継がれていたことも事実です。  たしかこのころでしたか、戦時中の日本を取り上げた映画(タイトルは失念しました)が東南アジアで大ヒットしました。日本がいかにひどいことをしたかを延々描いたあとで、クライマックスに原爆が投下されると拍手喝采だったそうです。  もちろん日本人としては言いたいことが山ほどありますし、話に聞くだけでもひどい映画だと思いましたが、それでもこれに「喝采」を叫ぶ人たちが大勢いたことは事実なのです。  日本が東南アジア諸国を植民地にしなかったのはただ力不足だったにすぎません。石油その他の資源をねらって東南アジアに進出しながら、そこで日本の支配を貫徹するだけの国力と技能と情勢に恵まれなかったので、日本を「リーダー」とする体制を作ろうとしたのです。結局はこれも中途半端にしかできませんでしたが。  「アジアを解放した」は単なる偶然です。欧米諸国を追い出したことは事実ですが、アジアが独立したのはその日本帝国が敗北した結果を受けてのことであって、これが日本の目的だったわけではありません。アジア諸国の独立は日本の戦争遂行に役立つかぎりにおいて採用された政策にすぎませんでした。  個人としてはこれらの理想を心底信じる人もいたでしょうが、日本国の政策として採用されたのは大義名分が立ちつつ日本の利益を追求できるからであって、アジア諸国のためになされたわけではありません。  また戦後、各国の独立運動に参加した旧日本兵もいましたが、これは個人の行動にすぎません。  では、現在にいたって韓国・中国――北朝鮮は事情が大きく異なるので除きます――と、他のアジア諸国の対日感情は大きく違っているのはなぜでしょう。  と、これまた広範な問題なので簡単に済ませますが、  1)現実にこうむった被害の規模と期間が違う。これが一番理由としては大きいように思います。  2)戦後の各国がそれなりに否定的な経験をつんだので、日本の支配が相対化され「歴史」になった。たとえば、台湾人は「狼が出ていったら豚が来た」という言い方をします。狼が日本で、豚が国民党というわけです。  3))戦後の日本の発展と外交を信頼するようになった。多額の援助もさることながら、それも含めた日本の対外政策に対する評価と、経済大国になった事実に対する評価はまちがいなくあります。  4)仕事などで滞在した日本人の中に評価される言動があった。買春ツアーなどその反対の行動も山ほどありましたが、地元の人から信頼されるような日本人がいたことは重要です。国のイメージは意外とこういうところで形づくられたりするものです。。  5)これがアメリカの政策だったから。戦後のアジアを構想する過程で、アメリカは東南アジア諸国を日本の友邦(言い方を変えれば市場)とし、韓国・中国との関係はいつも微妙なものになるよう計画しました。これは単なる陰謀論ではなく、国務省の公式な文書として残されています。  以上、わたしの「回答」です。  日本は悪いことだけをしたわけではありませんし、いたずらに卑下するべきでもありません。しかし、だからといって現代の私たちにとって都合の良い「歴史」をもてあそぶことは、わたしはまことに「愛国心」にもとる行為だと思います。  ご質問が基本的――初歩的という意味ではなく本質的という意味です――なので長文回答になってしまいました。最後のご質問には答えていませんが、ご容赦下さい。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.10

>私の質問は、ヘイトスピーチに見えましたか? >気をつけます。 >そんなつもりはなかったです。 質問者様の事を言ったわけではないのですが、そう読めるような書き方ですね。 大変失礼しました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.9

日本は中国も韓国も侵略していない。 1910年に韓国併合ニ関スル条約を寺内正毅統監と李完用首相が調印し、純宗の裁可を受けました。 中国では国共内戦に巻き込まれただけ。 当時、アジア諸国などない。ベトナム・カンボジア・ラオスはフランスの植民地。インド、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマー(ビルマ)・マレーシア・シンガポールはイギリスの植民地、インドネシアはオランダの植民地、フィリピンはアメリカの植民地。 日本はイギリス、オランダ、アメリカと戦争したのであって、植民地と戦争したわけではない。日本はアジア諸国の独立を助けようとしただけだ。植民地化したイギリス、オランダ、アメリカを恨まずに日本を恨むとすれば馬鹿じゃないかと。どのようなもへったくれもないでしょう。何でも日本中心に回っていると思い込んでいるって馬鹿じゃないの?それぞれのアジア諸国の独立を目指す有志にだって考えはある。皆と話し合って決めるのが筋でしょうが。それが1943年の大東亜会議だった。まあ日本と話し合う気などないという人もいたけど。 「温故一九四二」 日中戦争の最中の1942年、大飢饉に苦しむ中国河南省の農民を救ったのは日本だ。それが残酷だというのか? 蒋介石は堤防を自分で決壊させて、農村を洪水にして、堤防を切ったのは日本だと宣伝して、逃げ回っていた。それは焦土戦術であり、宣伝戦術であった。しかし蒋介石に見殺しにされた農民は、真実を知っていたのだ。 いまだに蒋介石の謀略宣伝を信じているのは質問者さんと澤村大津市教育長ぐらいだろう。(了)

  • dagon2012
  • ベストアンサー率21% (8/37)
回答No.8

>今、日本は中国や韓国から戦争時代に侵略したことについて責められ続けていますが、 まず、この認識から間違っています。 日本は韓国も中国も侵略していません。 李氏朝鮮は、建国当時から中国(明、清)の属国でしたが、それを、日本が日清戦争に勝って、清国から独立させました。 しかし、大韓帝国(独立後の朝鮮名)は自力で国家の運営ができず、失政や権力闘争を繰り返し、外国勢力(ロシア)の介入を招き、それが原因で日露戦争が起りました。 日本は、辛うじて勝ちロシアの朝鮮半島への進出を防ぎましたが、その後も朝鮮では内部で権力争いを続け、最早国家とはいえない程に乱れてしまいました。 日本と朝鮮は1910に平和的に併合しました。(植民地ではありません) これは自業自得の失政で破綻した朝鮮の要請を日本が受け入れたもので、日本が侵略したのではありません。 当時の朝鮮は、日本の平安時代程度の文明レベルしかない世界でも最貧国で、日本には併合するメリットなど、全くありませんでしたが、放置すれば、ロシアが侵略することは明らかで、そうなった場合、日本も危険に晒される為に、国防上の理由から併合を決定しました。 当時の世界も、この併合は両国の合意に基づく平和的なものだと評価しています。 当時の朝鮮人も列強の一等国である日本人になれたことを喜んでいました。 日本は朝鮮のインフラを整備し、教育を普及させ、農業指導をして食料を増産させ、朝鮮人の暮らしを豊かにしました。(これらは、当時の外国からも評価されています。) 朝鮮人を差別や虐待してもいません(強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません)。 【朝鮮半島の本当の歴史】 http://www.youtube.com/watch?v=4wd2ugxylYc 中国ですが、日本となった朝鮮に、国民党軍が侵入してきて、破壊活動やテロなどの挑発を行ったために、日本の部隊が暴発したのが、そもそもの始まりです。 日本は、朝鮮内だけで抵抗していたのですが、それだと彼等は奥地の本拠地に逃げて、また同じ事を仕掛けてくるということを繰り返しました。 日本軍は、彼等の本拠地を叩く必要を感じて、奥地まで軍を進めました。 これが日中戦争です。 当時の中国は、蒋介石の国民党と、毛沢東の共産党が争っていましたが、日本軍が国民党と戦い弱体化させたことで、共産党が中国を支配する事が出来ました。 毛沢東も、日本のおかげで国民党に勝てたと言っており、日本に感謝さえしています。 現在の彼らが日本を非難している理由ですが、 自分達の失政の責任による発展の遅れを、過去に日本が侵略した為だと、国民に嘘の歴史を教育する事で、責任転嫁しているだけです。 両国は、それを続けてきたために、国民全員がそれを信じてしまい、今更嘘を教えていましたとは言えない状態になっています。 >日本は他のアジア諸国も侵略するつもりだったのですか? ちがいます。 日本がアジアで戦ったのは、アメリカや英国と戦う為の資源を確保する為です。(失敗しましたが) そして、現地を植民地支配していた白人と戦いましたが、現地人に酷い事をしてはいません。 一時的に統治はしましたが、当時の彼らは、いきなり独立させても、国家経営は無理だったでしょう。 これらについては、アジアの人たちも認めています。(動画参照) また日本がアジアの盟主を目指していたという意見もありますが、 アジアから白人勢力を追い出して独立させても、当分は日本が面倒を見るしかなかったと思います。 実際、当時のアジアの国力・文明レベルを公平に見た場合、日本とその他 という認識にしかなりません。 日本もそのつもりだったと思います。 しかし、それが殖民地支配の為だというのは、間違いだと思います。 >中国を占領した日本軍は、中国人が言うように残酷だったのでしょうか? むしろ、中国人の方が残酷だったと思います。 南京事件は捏造ですし、その前に通州事件 とか起っていますから。 【通化事件(通化大虐殺)亡国の現実から学ぶべきこと】(中国人による日本人の虐殺) http://www.youtube.com/watch?v=PbvzgzdLxa4 【黄河決壊事件】(国民党軍が日本軍を止める為に黄河を氾濫させた。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D.E3.81.AE.E5.AF.BE.E5.BF.9C ↑による犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。 中国国民党は「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」との発表を行っています。 しかし、現実には、日本軍は決壊箇所の修理や避難民の救助を行っています。 それに対しても、国民党のゲリラが攻撃を仕掛けています。 また、当時の中国軍は、軍とは名ばかりの、ならず者の集団で、行く先々の村で略奪などもしており、中国人は日本軍より彼らを警戒していました。

回答No.7

アジア解放などと称して恩義せがましくしているので、中韓は、面白くなく文句を言います。 竹島も尖閣諸島も戦争をきっかけに日本の領土としたので中韓ともども面白いはずがありません。 戦争のことなど一切白紙にし竹島、尖閣諸島はどちらの国の領土とするのかを決め直さなければなりません。 日本は戦争を嫌いになった国として、一から竹島、尖閣諸島の領土は、どこの国が治めるべきか国際的に提起して決め直すべきでしょう。 戦争を完全にリセットして考えるためにそうするべきです。 単純に近いから治めるのに適しているのか?そういった観点で考えないといけないのです。

回答No.6

すみません 戦国時代と見間違えてました 笑 太平洋戦争では日本はフィリピンからインドネシア タイ ミャンマーまで征服していましたよ ただ とうじ東南アジアはポルトガルやイギリスに植民地支配されており日本はそれを解放したため 東南アジアの国々は今も日本とは仲良しです 一方中国はどこにも支配はされておらず 突然関東軍が満州国などを建国 南京で大虐殺を行うなどしたため うらまれています

回答No.5

秀吉はインドも攻めるつもりでしたよ

osakana888
質問者

お礼

アグレッシブですね。 でももうちょっと後の時代のことです。 日中戦争・第二次世界大戦あたりのことです。

  • kamikazek
  • ベストアンサー率11% (284/2372)
回答No.4

戦争に正義も勝者もございません。

osakana888
質問者

お礼

私は「正義」なんてどこにも書いてませんよ。 「勝者」はいますよ。 現に日本は負け、「敗者」になりました。 敗者がいるので勝者もいます。

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