感情的にはよく判ります。
でも、見方を色々と変えてみてください。
アジアは欧米列強から、思い通りに商売が出来る
チョロイ奴ら、と思われていた訳ですが、日本も
国連に満州国を認めてもらえずに逆ギレして国連を
脱退して英米に原油の供給を止められてしまい、
東南アジアなどを占領して石油をはじめとする資源を
只同然で手に入れようとした側面も忘れてはなりません。
良い悪い、ではなくて、日本は尻に火がついていたの
です。 自分達が滅びないためにやるっきゃなかった。
少なくとも、当時の軍部は本気でそう思っていた訳です。
軍部はともかく、徴用されただけの多くの兵隊は
学校の先生だったり八百屋さんだったりと普通の人達
ですから、フィリピンでもパラオでも地元の人々と
交流もしたでしょうし、事実大戦後も現地にとどまり
義勇軍として戦死した英雄的な人もいました。
奴隷のようにしか現地人を扱わなかった欧米に比べて
日本人は土木工事を進んでやったり学校を作ったり、
喜ばれることもした記録が沢山残っていますから、
凶悪な犯罪者集団では無かったとは思います。
(ベトナム戦争で虐殺の限りを尽くした韓国軍などに
比べれば確かに人間らしい行いです)
結果的に搾取を続けるオランダなどの列強を退け、
アジア人でも白人に対抗できる勇気と自信を与え、
独立をもたらしたことも、確かに真実だと思います。
それでも、東南アジアの全ての人々が日本軍に感謝して
いたか、私には確信が持てません。
頼んだわけでもないのに一方的に財産を頂戴しに来た
ことは間違いありませんし、アジア連合を目指したことも
ペテンでは無いと思います。
でも、それでも「あなたのためだから」と武力を持って
悪人が居座る他人の家に、土足で上がりこんだことには
違い有りません。
国家レベルでの歴史観はともかくとしても、個人レベル、
家族レベルでは、突然やってきて勝手に住みつき、時には
人の妻や若い娘に手を出したり、酒に酔って地元の人々に
暴行をふるった事などほとんどない、とも言いきれません。
戦後、独立はしましたが、経済的には貧しく、長きに渡り
沢山の日本人の観光客が売春ツアーにフィリピンやタイに
赴き、ただの遊びで多くの親無し子を産ませたこともまた、
事実なのです。
日本に移住して水商売や性産業に従事しながら本国に仕送り
する娘達が入れ替わり立ち代わり東南アジアから日本に来て
いることも事実です。
それは決して「日本のせいじゃないよ」ではないんですから。
戦前から戦争を通して尚、現代まで続く日本のアジアに対する
見方やあしらい方の一面であることは疑いようのない事実なの
ですから。
様々な切り口で、沢山の「個人的事情」を思い浮かべながら、
国家や巨大な資本家の言い分と、民衆の処遇とを同列には
扱えない、私はそう思うのです。
侵略国、という批判もあって当然だし、恩恵を施してやった、
と正当化するのも思い上がりと思える部分もあるのです。
戦いに行った兵隊さん達もみな高齢で、間もなくその実体験を
直接聞く機会も失われていくでしょう。
彼らなら、何と答えるでしょうね。
私はいつも、無力な庶民の目線を忘れることが出来ません。
お礼
ご回答ありがとうございます。