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どうして世は乱れてしまうのでしょうか…
どうして世の中はみだれてしまうのでしょうか… 疑問?です… これという言葉がほしいです よろしくおねがいいたします
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- vantice
- ベストアンサー率18% (42/227)
すでに出てるけど、「多様性の確保」でしょうかね?・・・。 それとも、今の世の中が悪いのは何故?ってことでしょうか? それならば、「良いことは何か?」がまだ人類が理解してないからでは? 何が良くて、何が悪いか・・・・・・・・・その選別作業が、今の時代です。 だから、イジメ問題とか、領土尖閣諸島・竹島領有権問題が発生したりしているんですね。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
端的に言うと、自分たちのことを動物とは違うと思っているからでしょうね。 サルや犬や猫やライオンやワニの世界では、この程度(どの程度かは好きに考えてください)のことは乱れとは呼ばず、むしろ、それが自然。 猿や犬猫とたいした変わらないのに、わたしは猿や犬猫とは違って高尚な人間だ、と勘違いするから、「乱れている」という認識が生じるわけです。 直接的な回答は以上です。 蛇足ですが、乱れないようにするにはどうしたらよいか、という点に関して述べてみますと、もうすでにお気づきと思いますが、わたしは猿や犬猫と何が違うのだろうか?ということを全ての人間が正しく認識するしかありません。
お礼
ありがとうございます
人が完全でなく、自我と個性を持つからでしょう。 蟻や蜂のように完全に管理されて個が集団というシステムの一つでしかないなら秩序は保たれます。 ある意味で乱れるってのは多様性、あるいは自由であると言っても良いかも知れませんね。 それを理想社会として目指した独裁者は多いですが、訪れたのは恐怖による支配です。 こんな社会はいかに秩序的でも嫌ですねぇ。 でも逆に言えば自由を失うなら、何も考えないで支配に従うだけの独裁制が楽だって考えもあるでしょう。 全てを決めてくれるのですから、感情も持たず、何も疑わず、ただ、従えば良いのです。 某国のマスゲームとか見ると秩序的でありすぎる怖さをつくづく感じます。
お礼
ありがとうございます
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
正義、倫理、道徳、真理が根本原因。 つまり、あなたの疑問、「世の中が乱れる」の裏面の「乱れていない正しい世の中」の正しさのことです。 たくさんの「正しさ」が咲き乱れて、俺が正しい、我こそが正しい、何を言っている私こそが正義だ・・・・なんだと、ふざけあがって私の思想こそが神に与えられた真理だ・・・とても許せん・・殺してやる・・・ あ~、人間の性ってやつでしょ。 男と女がくっつくとどうしてもセックスしてしまうのと同じです。 相手が間違っていて、自分が正しいというのは、射精すると同じくらい快感なんでしょう。 このサイトでも質問者を回答者が強姦するシーンを良く目にします。 その手の下手なサイトよりも興奮しますね。
お礼
ありがとうございます
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
「乱れる」という概念をどのように捉えるか? ということも関係するでしょう。 おそらく、一定の倫理規定を外れた行為を多くの人々が行ってしまうことと解します。 一つには、人それぞれが、それぞれの人生を歩もうとするからです。 もう一つには、状報が大量に双方向的に流れるため、知的・倫理的な規範よりも、情的・衝動的な感性に流されやすくなっているからでしょう。 一定の倫理規定は、集団として社会生活を送る上で必要不可欠なものでしょうが、倫理規定の範囲が狭く、かつ特定の思索以外を排除する思考と結びついたとき、優生学とか、○○主義とかいった排他的な行動が「正しい」とされ、多くの悲劇を経験してきた経緯から、「一定の」すら否定的に扱われてきた嫌いがあると思っています。無論、道徳的な授業が復活しているでしょうが、機能しているとは思えないような状況でしょう。 「倫理」という概念は、トップダウン的に(上から目線的に)、一方的に決定されるものではなく、本来は「これは、こうあるべきだね。その方がいいよね」と説得する側(トップダウン的な方向性)と「それは、そうだね。その方がいいよね」と納得する側(ボトムアップ的な方向性)の双方の見解が一定レベルに保たれて成り立つ概念でしょう。 ネットワークが広く利用される様になって、従来、一方通行的にしか流れなかった情報が、比較的広く・比較的全体的に双方向へと流れるようになったために、従来の報道関係者間で了解されていた「こうあるべきだ」といった一定の倫理観を経由した情報よりも、刹那的に感覚的に衝動的に受け入れられやすい「こうあるべきだ」的な情報が大量に複写されて流される傾向が強くなっていると思います。 トップダウン的な統制を嫌う傾向を有しながら、トップダウン的な指導力を求めるという矛盾した流れが渦巻いているため、中・長期的な視点での政治的決定が為されにくくなっているのも影響していると思われます。
お礼
ありがとうございます
- qawserdtfgyhuji
- ベストアンサー率33% (1/3)
個人の稚拙な意見です。あまり鵜呑みになさらぬよう願います。 人間と他の生物を比較すると、複雑な思考と感情があります。あと、言葉でそれをある程度伝え合う能力が際立っています。 例えば生死の境目に立った場合、感情の乏しい生物ほど各自が己を生かすために動きます。対して人間は、友情や愛情などがそれを阻害することがあります。相手のために己の命を投げ出すようなことなどです。 動物の中では極めて型破りな動き、なのでしょう。この動きによって人々は支えあう行動を取り、相手を助けることで自分も助かるようなシステムを作り出したのだと思います。道徳などもこの派生なのかもしれません。 しかし、人間が本来他の動物と同じように持つ「自分が生き残るための動き」が消滅したわけではなく、システムの中で誰かがその行動を起こすことで乱れが生じます。 同時にシステムの恩恵を受けることで人間特有の欲望が増大します。抗えなくなった者は他人を助けないどころか損害を与えることもあります。システムとは逆の動きです。 億単位が支えるシステムの中では、むしろ動物として自然な動きは害悪に感じられるのです。またシステムが生み出したに等しいバグも迷惑に思われるのでしょう。
お礼
ありがとうございます
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ひとつに 倫理規範や科学的な《ただしい》認識を求めすぎだからでしょう。 あやまちうることば これを スサノヲ人間語と言います。ここから 論理的にマチガイのない認識としての表現を求め また道徳に拠って人格を完成させようとする。こういったことばは アマテラス普遍語です。 普遍語は アマテラス科学語であり アマテラス人格語です。 このアマテラス普遍語は 《あやまつべからざるもの》とみなされ いわゆる無謬性の神話を作り上げました。神聖にして侵すべからずとまでは行かないのかも知れませんが 要するに識者や公民は えらい人だという体制になったものと思われます。 いま――おそらく日本だけではなく世界のどこにおいても――噴出している問題は これまで築かれて来〔て それなりに機能していると思われ〕たこのアマテラス統治体制が ゆらいで来ている。これが ひとつの理由だと考えます。 言いかえると 《 A (アマテラス公民統治)‐ S (スサノヲ市民従属)》連関制 これが その言わば上下関係としてゆらいでいる。つまり要するに スサノヲ市民一般は アマテラス公民の《無謬性なる神話》のウソをはっきりと知っただけではなく 公民の資質や力量についても 完全にうたがいを持つようになった。 ここから どう突き抜けて行けばよいでしょう? どうでしょう。
お礼
ありがとうございます
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
野生動物は、弱肉強食です。 人間社会のモノサシでいえば、「乱れている」と言えます。 人類は、野生動物的なファミリー単位(生殖活動単位)の 生存競争から、社会性(分業化&組織化→市場の拡大) の発達に応じて、集落、地域、国家へと生存競争単位が 大きくなっていったのです。 その「単位」の内では、競争ではなく助け合いが原則となり、 法規やモラルといったムチによって自己中心的な利己主義 は矯正される事となった。 だが社会性の更なる発達において、原始共産制の助け合い から、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を 発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニン ジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 その結果、お金は、自己チュー的な意識のまま社会行動を 強制する=社会生命として生きる事(助け合い=本質的喜び) である労働を、お金をもらうために嫌々働くものに変質させ、 社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、 弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツールなのです。 そこにおいて、無意識にコントロールされている社会性の 部分と、意識的に行動する部分は相反するようになり、 その振幅において特定の文化の内の集団主義と退廃、 あるいはそうした文化集団の盛衰は必須となる(常識に 流されて苦しみながら協調するvs考えて勝手な行動する)。
お礼
ありがとうございます
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
乱れるというのは、秩序が崩れると いうことですね。 人間は秩序を求めます。 秩序が無いと社会が成立しません。 社会が成立しなければ、万人の万人に よる闘争状態になってしまい 文化も、文明も発達しません。 そもそも人は皆食うや食わずになって しまいます。 だから、秩序を求めるのですが、 その秩序がいったん成立すると固定化 してしまいます。 つまり既得権者が出現して、その既得権益 を手放そうとしなくなります。 法律や社会の仕組みを既得権益維持の為に 構築してしまいます。 これは、既得権益を持っていな人間、それに 邪魔されている人間が我慢ならない訳です。 だから、そういう人間のパワーが定点を 超えると あるいは、外来の原因などにより 革命などが勃発して、世が乱れる ことになります。 そして新しい既得権者が出現し、同じことを 繰り返します。 このようにして、世の中は乱れ続けます。 その乱れの程度が著しいのが中国であり、 著しくないのが日本です。 中国などは人口が1/3に減ったことが 一度ではありません。 残りの2/3は殺されるか、死ぬか、国外に 逃げる訳です。 国外に逃げたのが華僑です。 日本は、トップに天皇が居続けたので、その乱れは 中国ほどではありませんでした。
お礼
ありがとうございます
一番(トップ、リーダー)が変わるからです。
お礼
ありがとうございます
お礼
ありがとうございます