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終戦記念日を平和祈念の日にする提案
- 終戦記念日を平和祈念の日にして、国民の休日とすることで、戦争の悲惨さと残酷さを風化させずに記憶する特別な日にすることは、いかがでしょうか?
- 終戦記念日とともに原爆被爆者や戦没者の慰霊や平和祈念式典を国民の参加の下で行うことを提案します。
- 敗戦を終戦と置き換え、10日間を国民の戦争への反省や平和願いの日とすることで、戦争の悲惨さを忘れずにいつも心に留めることができます。
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質問者が選んだベストアンサー
あなたの言われる戦争の悲惨さ、残酷さ、平和のありがたさ・・・はその通りです。いくら景気が悪い、消費税云々と言っても戦争と比べれば何でもないものです。 そのことを踏まえてさらに考えます。戦争は政治なのです。単にケンカ好きな者がケンカするわけではありません。政治的な対立を軍事力で解決しようとする行動です。逆に考えれば国際政治というものは残酷な面もあると言うことでしょう。 政治的な対立を軍事力で解決しないと、いう約束を国際的に決めると言うことはできるでしょうが、パリ不戦条約も簡単に破られてしまいましたように、難しい課題でしょう。 今でも世界各地で戦争は起こっています。こうした戦争を起こす政治的判断をなくす努力は大切ですが、そのためには日本の記念日制定ということではなく、国際舞台での不断の努力が大切だと思います。
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- ゴルゴ 13(@golgo13--)
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自虐史観を讃え、称賛するとは。 全く不愉快極まりない質問内容 まるで、日本が戦争で勝利することはあってはならないと言わんばかり。戦争があったら必ず敗戦し、各国に未来永劫、謝罪と賠償と反省をせよ、と言わんばかり 自国のプライドを捨て、捏造慰安婦強制連行問題、捏造南京事件等の歴史を基に特亜三国向けに謝罪し続けろと言わんばかり。しかも70年も経過しているって云うのにも拘わらず。 いっそ、8月15日は「植民地支配をした特亜三国に謝罪と賠償をし、WW2をしてしまった事を日本は未来永劫特亜三国に反省し、土下座外交を約し、プライドを捨て、旧日本軍兵士の死にざまを歓び、日清・日露・WW1戦争で勝利したことは誤りだったことを認めこれを謝罪し、平和祈念のため特亜三国が脅威に感じている自衛隊を漸次放棄することを約すとともに、日本の国土侵害されても日本国益を無視し、竹島は韓国固有の領土であることを認め、白人諸国がアジア各国を植民地支配し奴隷の如く扱ったことは一切不問に付す記念日」と回答すれば、質問者様は納得する様子。 正回答は↑でよろしいんじゃないでしょうか!!! こういう内容の回答が来ない限り、質問者様はいつまで経ってもご納得をしないでしょう。
お礼
>まるで、日本が戦争で勝利することはあってはならないと言わんばかり。戦争があったら必ず敗戦し、各国に未来永劫、謝罪と賠償と反省をせよ、と言わんばかり・・・以下略 いっそ、8月15日は「植民地支配をした特亜三国に謝罪と賠償をし、WW2をしてしまった事を日本は未来永劫特亜三国に反省し、土下座外交を約し・・・以下略 こういう内容の回答が来ない限り、質問者様はいつまで経ってもご納得をしないでしょう。 ↓ 全く違います! ◇国民の休日の増加を願う。 <猛暑・震災からの復興・節電を考え、家族回帰の背景も含め8月に> ◇由縁や謂われのある祝日を <お盆にあって、先人に感謝し、後世に平和の大切さをメッセージする> そんな一日を家族で偲び考え話題に・・・
- topy7014
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NO1です。答えを休日云々に持って行きたかったのですが、一人浮く回答なので修正を。 私は国民の祝日にすることには大反対なのです。ところが国民の休日にして国民全体で弔意を表す趣旨には賛成です。ここに国民の弔日という概念をもってくればいいと思うのです。 すでにお盆休みであるという意見がありますが、官庁にはお盆休みがありません。 また、そんな古いことにこだわるなという意見がありますが、100年以上前の天皇誕生日や(文化の日)100年以上前に時の天皇が船に乗っただけの日(海の記念日)が未だに休日であることを考えると、古い新しいは関係ないと思います。
お礼
重ねてのご意見・情報・ご考察を頂戴して、誠にありがとうございます。 そうですね、広範な合意形成は難しい事ですが、論議すること自体は有意義だと思います。 ◇国民の休日を増やす賛否&月日の是非と言う問題。 ◇祝日&記念日とした場合の由縁や謂われについての賛否。 ◇8月15日にまつわる思い、考え方、影響。
- kawasemi60
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認識に隔たりが在るようですね。 有色人が国際的に対等の国家を構成すると白人に 認められたのはそんなに大昔の事では在りません。 数百年に渡り白人に数段劣るのが有色人種という のが世界常識でした。それにより過酷な支配体制 が長期間続いていた。有色人種は人間扱いしなく て良いとされ多くの抵抗は残酷に弾圧され滅びた。 過酷な支配体制という中には黒人がキリスト教徒 の洗礼を受けていない事を理由に動物と決めつけ られ白人により殺されて食べられた事が在ります。 殺して食べた白人は事が明るみに出ても無罪でした。 そういう過酷な支配体制を揺るがし現代に導いたの が遼陽会戦における日本軍による最強のロシア帝国 軍との戦闘でした。戦争の勝敗が不明のこの時点で 戦闘状況を詳しく知った白人社会が堂々たる戦闘を 繰り広げた有色人の大日本帝国が現れた事を持って 白人優位社会の変化と終了を知ったわけです。また 白人に虚しく絶望的な抵抗を続けていた民族や集団 に同等に渡り合えるという大きな希望を持たらした。 まさに遼陽会戦こそ有色人種すべての誇り復活の日。 祈りでは無く、不眠不休の大戦闘が今日を開いた。 日本人がこの先人達を称えずにどうする! 称える事を知らない祈りは滅びの道。
お礼
重ねての情報・考察のご紹介ありがとうございます。 大変、参考に成ります。 >遼陽の会戦・・・軍神「橘中佐」が戦死された日露の最初の本格的な戦いですね。 幼い頃に読んだり、聞いたりした記憶があります。 近代史・日清日露の戦いは、特別な思惑・意図は無くても、国難を乗り越えてきた歴史を教え伝える、そんな民族・国家・先人の歩みでしょうね・・・ でも、そのことが、必要不可欠な歴史、平和を誓い祈念する事とは思えない。 それは、別次元の見直したい歴史、偉人、伝えたい業績では有れど、あくまでも歴史の中の1コマ、国に殉じ戦禍に斃れた先人達の偉人伝&エピソードだと思います。
- dragon-man
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大反対です。 理由は、70年も前のことにいつまでもぐだぐだこだわっていては、日本の将来はないからです。 21世紀の日本人は、すべからく前を向いて、未来志向で進むべきです。 付け加えるなら、“終戦”はまったくの誤り、“敗戦”が正しい。 日本は戦争を終わらせたのではなく、負けたのです。それもこてんぱんに。 あなたを含め、多くの日本人が大いなる勘違いをしています。 今の若い人たちは知らないでしょうが、敗戦は凄まじい結果を残しました。 記念日などにふさわしくありません。 ただひたすら、鎮魂の日です。 それも一定年齢以上の戦争の記憶がある人たちだけの。 若い人たちは、そう言う内向的な心情に囚われるべきではありません。 歴史を正しく認識することは必要ですが、誤った歴史観で記念日などと情緒的にとらえるのは大いに間違い、何の進歩も生みません。 あれから70年、日本人はいつまでも独りよがりの反戦平和に凝り固まっていないで、21世紀の世界に通用するしっかりした国家観、未来展望を持って、前を向いて進みたいものです。 ちなみに当方は戦争で親を亡くした戦災孤児です。 家は空襲ですべて焼かれました。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >21世紀の世界に通用するしっかりした国家観、未来展望を持って、前を向いて進みたいものです。 その通りだと思います。 私も、戦争の残酷さ・悲惨さが忘れ去られ、教えられず伝えず風化している現状を危惧するのであって 平和を考え希求する一日であれば、由縁があり,多くの人が心新たに誓い・確認し・未来に発信するならば、それは他の日でも良いと思います。 <因みに8月15日は終戦敗戦の日であるとともに、現在も戦没者慰霊祭が行われており、夏休み・お盆の中の一日でもある>
- kawasemi60
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国民の休日という意味は祝祭日の事でしょうね? 祝祭日とは祝日と祭日の両方を表す単語です。 祝日はもちろんおめでたい気持ちの日。 祭日はお祭りや宗教の祭祀に関係する日。 現在は憲法とのからみで法に基づく制定が困難。 裏技で名目を変え祝祭日に制定しています。 質問の理由自体が現行法の祝祭日に相当しない。 現在の祝祭日はおめでたい日だけとの認識が必要。 それに基づいて新しい祝祭日の提案が在る。 輝きの日一覧。(http://teikoku-denmo.jp/)より 01月01月 正月元旦 01月15日 成人の日(1月の第2月曜日) 02月11日 建国紀元節 03月21日 春分の日 05月05日 子供の日 05月27日 日本海海戦 09月04日 遼陽会戦(りょうようかいせん)勝利 09月23日 秋分の日 11月23日 新嘗祭 12月08日 真珠湾攻撃 12月09日 王政復古の大号令 12月31日 年末おおみそか 中でも重要なのが09月04日 遼陽会戦(りょうようかいせん)勝利の日。 数百年に渡った白人支配体制を根幹から揺るがした 驚天動地の大戦闘を戦った有色人種の大祝日。 8月15日なんか霞んでしまう誇れる大成果です。 祝祭日に09月04日を是非とも制定しましょう~
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 率直に言えば、随分と戦争関連(好戦的)理由の制定が多いですね・・・ 個人的には、敗戦を終戦に言い換、取り繕うのでなく、孫に戦争を終わらせ無くす為、平和の大切さや有難さを感じ誓う日としての→平和(祈念)の日をイメージしているのですが?
- manekin01
- ベストアンサー率0% (0/4)
じゃあ、あなたはなぜ戦国時代は許せるの? もう70年も前の話を子孫までネチネチと自虐的に受け継ぎたくないですね。 確かに戦争なんて私はしたくない、だけどやらなきゃいけないときもあるってことが証明されていることを無視していませんか? あなたの中の正義はなんですか?日本を負かして戦争を終わらしたアメリカにありますか? そのアメリカは世界中でどれだけの無実の人間をどんな理由で今でも殺し続けていますか? なぜ日本が戦争に追い込まれたのか戦後植民地と化したタイ以外の全アジアがその後どうなったのか? 私の中で一つ反省しなければいけない事があるとすれば、それは敗戦してしまったもしくは無意味な反省を戦後70年にわたって強要させられ続けているということだけです。 少なくとも私の子どもや孫たちにはこのような思いは受け継ぎたくないですね。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。
- ゴルゴ 13(@golgo13--)
- ベストアンサー率26% (272/1042)
左翼的思想に毒され、美辞麗句を謳い、「より高い関心と戦争の悲惨さ残酷さを決して風化させない」と主張する人は沢山いる。 戦争は、文字通り「戦って争う」ことだから、当然、死者は出るものでしょう。しかし好き好んで戦争を始める国は、恐らくないでしょう。 私がいつも不思議に思うのは「戦争は悪いこと」なのか?と言うことです。 もし国家主権、国民の生命、財産、国土を侵害された場合、「戦争することはいけないことだと思います」「戦争は悪です」「戦争は悲惨、残酷だからするべきではない」。こんな主張を呑気に言ってられるのでしょうか?国家は、国民の生命、財産、国土、国家主権を守る義務があるのです >「(1)御霊に対し、(2)国際社会に対し、不戦の誓いや平和への祈願を捧げる日として」 ↑矛盾している。 (1)の御霊について 戦地で散った兵士たちは、戦前の体制を維持するべく、そしてその大日本帝国を守ろうとして英霊として死んでいった (2)国際社会に対し云々・・・ 現憲法に明記されている。とくに憲法前文に。詳しく明細に。 だから(1)と(2)を同列にして扱うこと自体に論理の矛盾がある。 現憲法と明治憲法は一見似ていて実は大いなる違いがある。根本から異なっている。 先に回答ある通り「御霊」となると宗教的色彩が強い。違憲の可能性大。「戦没者」なら左翼も納得する表現であろうが「御霊」であれば、左翼達は猛反発すると思われる。どちらかというと、明治憲法復活派、少なくても9条改正派ではないでしょうか。 日本人には信じられないことであるが、中国では、「実戦をすべし」と国民の65%が回答している。また、海軍の増強をすべしと、国民の多くが回答している。 韓国は現在北と「戦争中」(停戦状態)。 日本周辺国では、軍事的緊張が高まる蓋然性が実は高いのです 多くの日本人は「まさか中国が日本に戦争を仕掛けてくるなんてありえない」と思っているのではないでしょうか? 習副主席は、軍備増強、拡大、必要あらば戦争する派です。コキントー主席と思想が違うのです。習氏は軍部の実権を掌握しています(太子党。軍幹部の多くも太子党)。 極東アジア地域が、火薬庫状態になりつつある現在、国益も鑑みず未だに綺麗事、美辞麗句、現実を直視しないで非現実的なことを言い続けている日本人がなんと多いことであろうか、と呆れてしまっているのは私だけであろうか? 因みに、現在8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされています。 特別な日であることは、多くの日本人は既に知っています。しかし休日にまでする必要はありません。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。
- kazutokatu
- ベストアンサー率9% (1/11)
貴方はアメリカ国籍の方ですか?それならば筋の通る意見ですが。私NO2のhekiyoさんの答えに近い、尤も核武装は置いといて、国際社会に不戦の誓いや、平和への祈願を捧げることは、今もやっている。それ以上の日本人を貶める様な行事はするべきでない。幾ら不戦の誓いを世界に訴えても、トナリの国あたりが攻めてきたら其れまで、何せ日本国は戦う事を止めたのだから、、、、そして世界の国々の人達は馬鹿な日本と笑うでしょう。 平和は自分自身[日本)で守るもの、今必要なのはスイスのように自ら戦はしないが、来たらやるでの心構え。アメリカ軍の皆さんにも早期に基地を明け渡してもらい、日本の装備で自衛しましょう。大変お金も掛かりますが思いやり予算を使えるし、国内で動くお金ですから景気向上にもなります。最後に私は大反対です。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 日本国籍・63歳・男性です。
- bismarks0507
- ベストアンサー率31% (192/605)
質問者は知識が足りていないようだ すでに、日本国では、8月15日を「 戦没者を追悼し平和を祈念する日 」と認定している 行政文書の布告は、1982年4月の閣議決定にあるはずだ http://www.gov-online.go.jp/pr/media/paper/tsukidashi/1050.html それを祝日にする法律はないが、慣習的にお盆休暇であることから、祝日にする必要性はないだろう 同時に、祝日が増えることに対する行政措置の煩雑を考えれば、祝日である必要性はないだろう 次に質問者の思慮が足りないのは、 そもそも「御霊に対し、国際社会に対し、不戦の誓いや平和への祈願を捧げる日」というが、”御霊”などという概念の宗教性を考えれば、政治の宗教介入の見地から違憲性が指摘できる 次に思慮不足なのが、8月15日である理由である 戦後、ソビエトの侵略事実を踏まえれば当然8月15日である所以はないし、日本国が終戦に至ったのは、9月2日の降伏文書の発効を指摘するのが妥当だろう そもそも、終戦記念日というが、『敗戦記念日』というのが現実であろう ドイツでは公式的には「終戦」であるが、一般人・学術的には「敗戦記念日」としている状態からしても、真摯に不戦を誓うならば、『敗戦記念日』と称することに何の不合理があろうか? むしろ、合理的かつ論理的であろう。その事実から逃避していることをドイツ人から指摘されてもほとんどの日本人が反論できない醜態ぶりなどは・・まぁ割愛 次に、 そもそも原爆記念日は、終戦とは別次元である 理由付けとしては、あまりにも論理的に関係性がない 同時に、そもそも、民間レベルでの敗戦記念イベントは行われている 特に安保闘争時代は多かったそうである そもそも、不戦の誓いの類は、他の祝日と同じで特定の日を設けて留意する性質のものだろうか? この程度のプレゼンでは説得力はないし、むしろボロが出過ぎている 提案は提案で良いだろうが、提案理由にしても、その論理性からしても、「荒唐無稽」としか言い様がない なにより、官民混濁して論じているのは、あまりにも稚拙すぎる 以上
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 ご高説を承っておきます。
- rifle308
- ベストアンサー率10% (4/39)
貴方のお気持ち、お志はよく理解いたします。大切な友人、家族を悲惨な戦争になど晒したくないと思うのは全人類の希求の思いであると思います。原爆被爆者慰霊祈念式典について、私が約十年前に広島に赴任していた時に聞いた話ですが、広島に投下された原爆に依り両親、姉妹を失った老人(当時70歳代であったと思います)が日常的に平和公園の脇を通る時も平和公園の方を向いたことも無く、もちろん公園内に入ったこともない。平和祈念式典の日には新聞、テレビの二ュースも見ないそうです。原爆投下の日以来、ご当人はその悲惨な日を忘れることなく、現実に向き合いそして失った家族を自己の心の中で慰霊し続けてきていたのではないでしょうか。戦争、原爆の悲惨さを世界にアピールすることは大切な事とは思いますが、この様に犠牲者を慰霊し平和の大切さを実感している人もいるということも知っていて欲しいと思います。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 貴重なエピソードをご紹介頂き、大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。
補足
※質問投稿の背景・心境 余談ですが・・・「私が東京に行く時、靖国神社・千鳥ケ淵戦没者墓苑(無名戦没者の墓)に参拝する気持ち」 そして8月15日には、参拝するか地元にあっても同じ気持ちで最寄りの寺社を訪れる・・・そんな気持ちからの質問?提案?です。 誰からも強制されず、自らの意志で参拝するもor参拝しないのも自由である。 その信条・心情に沿って行動されれば良いと思います。 勿論、地元の氏神様でも教会やお寺でも場所は問わず気持ち心がけの問題だと思います。 慰霊や感謝の心の無い人が何処に何時訪れても、左右の思想や歴史認識があっても異なっていても良いが、一部の特亜国家の内政干渉に追随したり街宣車や軍歌を大音声で流し戦争を美化したり御霊を分離(分祀)したりしようと試みる行動・意向には、声を上げ間違いを正したり大迷惑だと言えない御霊にとっては何ら嬉しくも楽しくも無く、むしろ迷惑に思われるのではないでしょうか。 そこにおわす御霊・英霊・殉難者は、生前の階級も身分も性別も年齢も差別される事のない、ただ国家の為に命を捧げられ犠牲となった方々である。 戊辰戦争以来の、国家の為に、軍人・軍属・空襲で犠牲と成られた方々に、その尊い犠牲と献身によって齎された今日の平和を感謝し、これからの国の行く末を担い、平和と不戦を誓う為の参拝・慰霊でなければ、静かに眠る250万余柱のお気持ち、お心にどう伝わるのだろうか・・・ 私は、参拝の有無で以って→愛国者とか亡国&非国民と区別されるとは思われないが、変な政争や内政干渉のシンボルにされるのは心外であり、迷惑と思われ、国の行く末や安寧を不安に感じられるのではと誠に申し訳なく心が痛みます。 靖国神社の英霊が、森羅万象、全国の由縁の地や海山河に墳墓におわす・・・ その方々が縁あって集い語らい慰めあい、子孫や知人と再会を果たす場が靖国神社である。 静謐なる杜に遺骨は無い、その御霊がおわすだけである。 そして、遺骨は故郷の墳墓に宗教宗派によって異なる方法・様式、由縁やご家族の希望によって弔っておられ、御霊は靖国の杜に墳墓に眠りながら、天空より、この国の行く末と我々の安寧を見守って下さっているだけである。 誰も、その御霊を利用したり便乗したりしては行けない、英霊は靖国神社・参拝を、政治・外交・思想的に対応で国論が分断、論争→そんな事を決して望まれてはいない。 願いは国の平和と繁栄、国際社会での信頼醸成であり、多くの子孫や由縁の方々の近況報告や国創り、平和への誓いをもっての参拝をひたすら望まれているのでは・・・と、ご推測申し上げております。 茲に、私が感激の涙して鑑賞した靖国神社奉納演劇「流れる雲よ~未来より愛を込めて~」のパンフレットがあり、靖国神社への感慨・思い、後世を託された我々への願いを・・・ 私の冗長な拙文で投稿するよりも、我が意が伝わると思いますので→以下に抜粋して要点を掲載します。 流れる雲よ ~未来より愛を込めて~ 原作:草部文子 若き特攻隊員が特攻前夜、現代の我々に問いかけます。 「今、日本はいい国ですか?」 祖国の為に亡くなった多くの先人達への感謝を込め、新しい時代が、幸せな未来へと導かれるように祈りを込め、この演劇を捧げます。 「心ならずも」 彼らは戦場に 散って逝ったのだろうか? いや、そうではあるまい。 「彼らは国家の犠牲」 になったのだろうか? いや、違う。 彼らは国家の危急に立ち上がり、 愛する者達の為に、 その命を捧げたのである。 極寒の大地に、南溟の海深くに、 異国の大空の果てに、 散って逝った彼らは、 靖国の桜の下で、 逢おうと誓い合っていた。 今年も靖国神社の桜は満開だ。 『信じるよ。未来の日本の若者も、この国を愛し、家族を愛し、 同じ人間同士が殺し合などしなくていい、そんな世界を創ってくれるって。』
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お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >今でも世界各地で戦争は起こっています。こうした戦争を起こす政治的判断をなくす努力は大切ですが、そのためには日本の記念日制定ということではなく、国際舞台での不断の努力が大切だと思います。 その通りだと思います。 それでも休日は欲しい、戦争を知らない世代が中心に成る中、圧倒的に多くなっている現実に、戦争や空襲や物資の無かった頃を、戦後の復興に立ち上がり今日に至る日本人の底力を→思い起こしたり学んだり伝えたりする記念日(特集番組や関連行事が行われる)が、私には有っても良いと思うのですが・・・。