• ベストアンサー

足利尊氏・直義の不和兄弟争い、南朝北朝との関係は?

mekuriyaの回答

  • ベストアンサー
  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

当時の最大かつ唯一の政治課題は土地政策です。土地政策は、土地に関する武将の複雑極まる利害対立の解決ということです。土地に関する権利、既得権益をどう守るかが武士の最大かつ唯一の関心事だったということです。 足利尊氏は裁判といった面倒なものはわしの性に合わん、戦のほうがよほど楽じゃ、裁判に関してはお前に任せた、直義お前やってくれ、といったかどうかはわかりませんが、裁判に関する権限を直義に与えたわけです。大雑把にいえば軍事権を尊氏が握り、行政権を直義が握るという分掌です。これを二頭政治といいます。 皆が皆、裁判の結果に納得してくれたら、何も問題ないわけです。これにて一件落着めでたしめでたし。ところがそうはならなかった。敗訴した側が不当判決と叫んで、直義の失脚をたくらみ、尊氏に泣き付く。 そう泣き付かれると尊氏も無視できないわけです。支持基盤を失えば、自分の地位さえ安泰ではない。おい直義、これじゃ丸く収まらんよ、もちっとなんとかしてくれい、といったかどうかはわかりませんが、尊氏なりに解決しようとした。しかし直義は折れるつもりはなかった。直義にだって支持基盤はありました。支持者を裏切ったら直義の立場も安泰ではない。 観応の擾乱の本質は、兄弟争いではありません。裁判で土地争いが決着できずに、対立する両者がそれぞれ尊氏側と直義側に分かれて、武力闘争に訴えたといったことです。本当は私闘なんだけど、それでは大義名分が立たないので、尊氏と直義を担ぎ出して、私闘を正当化しようとしただけです。それぞれの武将が関心があるのは自分の利益だけなので、便宜的に尊氏側と直義側に分かれているだけで全然一枚岩ではないのです。ある時点までは直義側だった武将がころっと尊氏側に寝返ってしまう。負け組につくと元も子もなくしてしまうので非常に日和見的です。自分の権益を守る為に尊氏・直義をかんばんに利用しているだけなのです。 これに南北朝がどう絡むのか。室町幕府は元々北朝を支持基盤とした政権です。尊氏は北朝から直義を討てという命令を引き出します。要は合戦の大義名分にするための政治工作です。そうなれば直義は朝敵となるわけですから、たまらない。そこで直義は南朝につくのです。南朝の支持を得られれば、朝敵の汚名は解除できるからです。そうなると尊氏は困る。南朝を敵に回すわけにはいかない。尊氏だって朝敵にはなりたくない。そうなれば支持基盤を失って、自分が討たれる側になってしまう。そこで今度は尊氏も南朝についてしまうのです。南朝にすれば尊氏の軍事力は願っても無い魅力でした。そこで今度は南朝が直義を討てと命令するのです。そうなるともう直義は御仕舞いです。誰も味方がいない。というよりは直義を担いでいた武将が朝敵になるのは嫌だと怖気づいて離反してしまう。そんな流れで観応の擾乱は決着する。 南北朝の本質は、武将がそれぞれ自分の権益を守る為に、私闘の大義名分を得る為に北朝と南朝にそれぞれついて争ったということです。より多くの武将がついた方が優勢になる。武将が離反してしまえばたちいかなくなる。それぞれの武将は自分が担いだ方の朝廷が正当なのだと主張するわけです。 元をたどれば、全部土地をめぐる利害対立です。自分の権益を守る為だけに謀略、暗殺、戦闘、寝返り、裏切り、取引、駆け引きを繰り広げた時代です。 次の選挙に勝つためなら自民党でも民主党でもどちらでも良いというようなもので、現代は暗殺と戦闘がないことと争いの動機が違うだけです。

lions-123
質問者

お礼

土地問題と朝敵回避(大義名分と結集力の源泉)をキーワードに各々の事例を挙げ、権力移行や時局の変遷の経緯等をご紹介&ご回答を賜りまして、大変、分かり易く参考に成りました。 心より感謝とお礼を申し上げたく、誠にありがとうございます。

関連するQ&A

  • 足利尊氏・直義兄弟の争いの原因は?

    足利兄弟の争いの原因と直義殺害の経緯、そして主な守護・国人の両陣営への帰趨は? また、直冬(兄・尊氏の子⇒弟・直義の養子と成る)の立場や動向は? 室町幕府の確立への初期混乱の一事だと思いますが、ぜひお教え願いたく存じます。

  • 足利尊氏は

    足利尊氏は何故鎌倉じゃなく 京都に幕府をおいたのですか?? 教えてください。

  • 足利尊氏

    建武の新政において、尊氏討伐を命じた後醍醐に対し、尊氏は何故後醍醐にとどめを刺さなかったのでしょう。 その後60年にわたって天皇が二人存在するという南北朝時代といわれる混乱した世の中になるのは解っていたはずです。 これまでに至る経緯は省いていますが、尊氏の人物像に鍵があるように思われます。 一説によりますと、カリスマ性はあるが、政治的能力はそうでもなかったとか。 皆さまはどう思われますか。私にとってこの時代の不思議です。

  • 足利尊氏のお墓はどこにありますか?

    足利尊氏のお墓はどこにありますか? 高山彦九郎が足利尊氏のお墓を国伐と言って300回鞭打ちした傷あとも残っているのでしょうか? あと京都には足利尊氏の子孫の邸宅が健在しているそうですがどこにあるのですか? 子孫は今は何の商売をしているのでしょうか?

  • 足利尊氏の花押を見たい!

    足利尊氏の「花押」が見たいのですが,写真や絵はありませんか? また,そもそも「花押」というものがどんなものか分からないので, その簡単な説明をお願いしたいです。 知っている方,教えてください!

  • 足利尊氏の性格

    足利尊氏は優柔不断な性格だったのでしょうか? それともただ信心深いだけだったのでしょうか(天竜寺の建立)? それとも頼朝のように辛抱強く待てる性格だったのでしょうか?

  • 逆賊 足利尊氏

    大村益次郎も九州から足利尊氏のごとき人物があらわれると案に明治政権にとって西郷を警戒してそのように表現しているとおもいますが、現代でこそ逆賊というイメージで尊氏は語られていませんがいつ時代から逆賊との汚名をうけていたのでしょうか? 室町政権が成立当時から人気はなかったのでしょうか? ぜひ教えてください

  • 足利尊氏について質問です

    足利尊氏の性格を教えてください!

  • 室町幕府は足利尊氏がつくったんじゃないでしょ

    どうも、学校でならったことは、いい加減なことが多いようにおもうのですが 室町幕府って、足利尊氏がつくったとありますが 尊氏は、京の三条坊門に開いたのであって 三代将軍の義満が、花の御所を室町に移したわけだから、 室町幕府じゃなく、三条坊門幕府じゃないのこれって しいて言えば、室町幕府は、足利義満が始めたわけでしょ?

  • 足利尊氏や新田義貞について

    分かりやすく、書かれている本(マンガでも可)があればぜひお教え下さい。