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桑田のドラフトの話。大学へは自己推薦で出していた

s60(1985年)輝け甲子園の星(朝日新聞社)によると 推薦入試の日がドラフトの日よりも遅いので、ドラフトの結果によっては プロ入りも可能にするため「学校推薦」ではなく「自己推薦」で願書を提出している。 あのドラフト後、高校から大学への推薦入学枠が消滅されてしまった、らしいですが、 どうも高校側が被害者だとは思えないのです。 本人も球団も高校も大学も「4者想定内」の出来事だったように思うのですが どうでしょうか?

みんなの回答

  • TK0503
  • ベストアンサー率29% (14/48)
回答No.4

ことの真意は勿論わかりませんが、もし、讀賣が清原を指名したら競合が必至であり、また「球界の寝業師」といわれた当時西武の管理部長である故・根本氏の発言(「今年は清原か桑田が1位指名」)により、それまで西武にドラフトで幾度とやられた讀賣だけに、「(西武が)KKダブル取り」とかんぐる讀賣としては、(複数球団競合必至の)清原をさけ(万が一競合しても西武くらいの)桑田を指名することは、当時の讀賣としては根本氏のお株を奪う戦略だったと思います。実際、根本氏も「讀賣が桑田を1位指名しなければ、2位で指名していた」趣旨述べる(桑田の話だと「当時、4球団が指名の挨拶があった」らしい・・)。 しかし強豪でKK入学以降、春夏5大会連続甲子園出場のPL学園も、この一件で早稲田大への推薦が消滅し、同じ東京六大学の明治、法政も追随したので、しばらく有能な選手が入学しなくなり、甲子園出場もKK3年時、1年だった立浪世代が3年時の87年春夏連覇以降、92年の春まで出場できなくなる。 よってKKコンビ入学後、甲子園5大会にて優勝2回、準優勝2回、ベスト4 1回に貢献したKKで、プロ志望の清原がいるのに、高校側が讀賣の桑田指名を想定内だったとは思えません(大学は上記の通り)。よって球団(讀賣)と本人(桑田)2者想定内だと思います。 しかし西武が桑田を1位指名したとすれば、ここまでの批判はないでしょうし、アマ球界につながりのある根本氏なら、PL、早稲田大にもこの様なことがない様にするでしょうから、(意中の球団に入団できた桑田はどうあれ)讀賣の両校へのフォローの下手さが際立ちますね。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.3

桑田は早稲田に行きたかった。 しかし憧れの巨人軍から単独で指名を受けた。 ぐらぐらっと来たんでしょう。 四年後のドラフトで巨人に行けるかどうかわからないし、多くの指名を受ける立場では可能性は2割から3割くらいでしょう。でも高卒の時点では巨人の単独指名だから間違いなく行けるんです。 早稲田から巨人という最高のコースを行きたかったけど、早稲田以降の保証がまったくない。 最終目的が巨人であれば、この際早稲田を蹴ろうとなるのが自然です。 桑田は十分な制裁を受けました。見ていて哀れでした。18歳でマスコミの悪役となり、バッシングを受けたんですよ。もう十分でしょう。

  • boday
  • ベストアンサー率45% (5/11)
回答No.2

30年近く前の出来事ですが、今でも考えさせられる問題です。 「4者想定内?」と言われていますが、大学「早大」側としては思いもよらない方向に進んで行ってしまったと、思ったことでしょう。 しかし、18歳の野球少年が、ドラフト制の網をかいくぐるほどの悪知恵をひとりで考えだしたとは思えません。球団、高校、そして桑田(家族も)の3者によって編み出されたものにちがいありません。 当時のPLの監督の中村氏は「もし巨人に入団することになったら、責任をとって監督を辞任する」とまで言っていたのに、留意されて続投していました。めちゃくちゃもいいところです。 「そんな昔のことは許してやれよ」と言われますが、大学、しいては社会を欺いた桑田という人間は許すことができません。

  • ahagino
  • ベストアンサー率60% (3/5)
回答No.1

輝け甲子園の星は、朝日新聞社ではなく日刊スポーツではありませんか?

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