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wiz0621の回答

  • wiz0621
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回答No.11

なるほどそんな政治に限らず生き方まで指導する 完璧に善導的な指導者がいるのならば、それは『地上の楽園』とでも 言うべきでしょうね。こんなすばらしい指導者はなんて呼べばいいんでしょう。 大統領ではないのですから・・・『偉大なる将軍様』? これらのフレーズにはちょっと心当たりがあるんですが、 過去にこの種の楽園の暮らしぶりを拝見したときには、 あんまり住み心地はよさそうには見えませんでした。 質問者さんがそんなに移住したいのならば止められないですが。 というわけで指導者はいません。 質問者さんがおっしゃるとおりいないんです。見つけられないわけでもない。 居なくなった、でもない。ありとあらゆる歴史の中で居ないのです。 遥か過去においても、プラトンのアカデメイアは哲人王を生むことは ありませんでした。これは何故でしょうか? つまりは、人間は過ちを犯すためです。 それは(政治的であるかの如何を問わず)指導者であっても同様です。 完璧な人間、というものがそもそも前提としての不合理を内包しているのです。 仮に偉大なる将軍様が誤りを犯したら、それは誰が指摘できるんでしょうか。 過ちを存在しないように出来るのは、過ちを定義できるほどの全権 (すなわち他人の生き方を"善導"する権限)すら有する指導者のみ、というわけです。 歴史上、これを解決しようとして行われた数々の蛮行を、人類は忘れてはならないのです。 例えば神の地上の代行者を名乗り、自身の信奉者以外は人ではないと定義する宗教政治。 平等な分配を名目に、あらゆる富を簒奪し、指導者が"公平に(もちろん指導者の視点で)" 分配する共産主義。 人では無い、と指導者が定義すれば全てが解決するというのでしょうか。 もちろん違いますよね。指導者の主観は、他者の主観と異なる。 幸福の定義にしても、それぞれが異なるものであるのです。 だからこそ、現代においては全ての人間の意見を数的総和として反映させているのです。 では社会の規範とはいかにあるべきか。 there is no such thing as society. とただ断言すればよいのです。 社会規範が存在したとしても、それは 他人から与えられるべきものではないのです。 規模の大小は問題ではないし、主観情報に過ぎない善性や悪性も普遍的たり得ない。 社会規範とは、ごくシンプルに、個々が行うべきもの、であるのです。

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