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日本の思想を学ぶための本?
西洋哲学であればソクラテス、プラトン、デカルトがいるように、日本の思想史において特に重要だと考えられる思想家として、どのような人を挙げることができますか?日本の歴史を考えるうえで最低限必要不可欠な思想家と著作を教えていただければと思います。主に知りたいのは、仏教思想、国体思想、国家思想などです。
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直接の文献ではないのですが、ちょっと思い出したので。 『日本人は思想したか』という本が新潮文庫から出ています。 吉本隆明、中沢新一、梅原猛という見方の独特そうな面々の 鼎談なので、内容的には好みが分かれるかもしれませんが、 関連文献の名前がいろいろ出てきたと思います。 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E6%9C%AC-%E9%9A%86%E6%98%8E/dp/4101289212
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ○ 『古事記』 ☆ ですね。 どういうふうに学べるか? いろんな解釈ができます。ひとつの例を示しておきます。 神話と入り組んでいるわけですが その趣旨を採っていけば 歴史としても日本人の真実としても読めます。 日本人の思想(生活態度)は オホタタネコを市民の代表とし 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱを市長としたミワ(三輪)市政に始まると思います。(紀元300年ごろ 奈良・三輪山付近)。そういう史観に立っての読みです。 §1 シントウの原形またその確立 ――《ネコ‐ヒコ》連関 あるいは《イリなる歴史知性》の誕生―― 三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメに生ませたのが オホタタネコだと言います。ある時 疫病が出て困り 市長は このオホタタネコを探し求めたそうです。祟りという認識でしたから 祀れば 世の中は平らかになるだろうというものでした。(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシの記述には 薬草を求め医療に熱心であったともあります)。 けれども 《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子(彦)・日女(姫)で太陽の子です。これは 一人の人における身体(=ネコ)と精神(=ヒコ)とに当てはめられるでしょうし あるいは 市民政府として 市民一般(=ネコ)と市長および公務員(=ヒコ)とに やはり当てはめて捉えてもよいと思います。つまり 社会形態としても そのように確立し始めたと考えられます。 つまり この《ネコ‐ヒコ》連関は 基本的に一人の人間において 《身体‐精神》の総合なる存在を表わし また かれ(かのじょ)が 社会的にも 《市民(わたくし)‐公民(おほやけ)》の両要素の連関から成る存在であると主張します。 そしてそのような内容をもって 《イリ(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。 崇神(いわゆる天皇としては 第十代ですが)ミマキイリヒコイニヱのミコトの名にある《イリ》であり《ヒコ》のことです。そういう歴史知性であり これは 人の自然本性(=《ネコ(S)‐ヒコ(A)》連関)にそのまま《入り》したというその自己還帰のことです。市民のほうは その代表として あたかも概念として 《オホタタネコ》(⇒スサノヲ)が当たります。 §2 歴史知性の以前――《ヨリ》なる歴史知性=原始心性―― 《オホタタネコ( S )‐ミマキイリヒコ( A )》連関の社会の以前では イクタマヨリヒメというように《ヨリ(憑依)》の知性だったわけです。アニミスムないしシャーマニスムであり(――たとえば 卑弥呼を想え。つまり崇神ミマキイリヒコの少し前の三世紀のことである――) 何ごとにも寄り憑くというべき歴史知性以前の知性です。原始心性とも言います。これも シントウの原始的なかたちだろうと思われます。その《何ごと》は ことごとく《かみ》と呼ばれたのですから。 人は 《イリ歴史知性》の自覚のもとに ものごとに対して 《ヨリ原始心性》としての寄り憑くことが少なくなった。このように 歴史的な自然本性(――つまり 農耕のように 種蒔きから実のりまで時間の経過を人も共に生きるそのような時間的な・相対的な自然本性――)に自己が到来するなら 人間の生活は そしてさらには 人類の社会と歴史は すでにふつうに 営まれていくと言えます。(そこでは 人間の知性や意志やもろもろの潜在能力が ただちに現われようとして待機している状態にまで来たと言えるでしょう)。 §3 《イリ》歴史知性からさらに《ヨセ》なる超歴史知性の出現 イリなる歴史知性に基づきつつも まだ 昔のヨリ(憑依)なる原始的知性の状態にある人びとは 残っていました。これを導こうとして 自らの力のもとに かれらを《ヨセル(寄せる)》ということを行なう人間が出ました。 すでにその原形が 卑弥呼(ヒメのミコトの ヒとミとコで 中国の史書に載ったか)のシャーマニスムでした。《ヨリ》原始心性なるアニミスムの親分というような性格の心性です。つまり《ヨリ》の力が強いか弱いかで 或る種の《主人としもべ》の関係をかたちづくったわけです。 しかも こんどは すでに歴史知性に芽生えたあとの《ヨセル》です。これは すでに イリ歴史知性を その知性の能力にものを言わせて 高きところへとアマアガリしていくようなスーパー歴史知性です。たぶん 観念の帝国を すでに いの一番に 思い描くのでしょう。 神功皇后オキナガタラシヒメのときに この《ヨセ》の記事はあるのですが その後も かのじょの系譜に見られるという意味で この《ヨセ》なる超歴史知性を 広くアマテラス族と呼びます。 《タラシ》でもいいはずです。アマテラスのほうが 一般性があります。正確には 崇神ミマキイリヒコも アマテラス族ですから やはり それとは区別するなら スーパーアマテラスと呼ぶといいでしょう。 §4 《イリ歴史知性》を基礎として 《ヨリ原始心性》および《ヨセなる超歴史知性》とが 共存する アマテラス(天照らす)というのは その言葉どおりに もともとは ヒコ(日子)と同じであろうと考えます。人間の精神であり 理性の光であり 社会的な役割としての公民です。 崇神イリヒコなるアマテラスの系譜には のちにタラシ系統(スーパーアマテラス)から出た雄略ワカタケによって 謀略に遭い殺されたイチノベノオシハのミコがいます。その双子のオホケ・ヲケは その現場から命からがら逃げて あとで身分を明かし名乗り出るといった歴史があります。そのあと 市長となったとき(顕宗ヲケ=弟そして仁賢オホケ=兄の順序でなったとき) 父の仇の雄略ワカタケの陵墓から ほんの少し土をけずって 復讐に代えたという逸話があります。 つまりふつうのイリヒコ系アマテラスと ヨセ=タラシ系のスーパーアマテラスとのちがいを 見たいという主観(えこひいき)です。 したがってというほどに 後者の《ヨセなる超歴史知性》は けっきょく そのヒコ=アマテラスなる指導者の地位を 専門化させ――それはそれは もともと秀才でもありましたが 人一倍も二倍も勉強し努力しました その結果―― 社会から単独分立し もともとの市民政府ではなく その上に社会的な第二階を築き そこを 自分たちの住み処としてしまいました。 平屋建てから二階建てになりました。市民たちは 《国譲り》をして かれらに好きなようにさせたのでした。 §5 では 何が問題か ですから ここから オホタタネコの父親とも言われる神(霊)なるオホモノヌシは けっきょく 第二階に住むスーパーアマテラス族のための神となってしまったかも知れません。(あるいは 三輪山に 元のまま あがめれているとも思われます)。 また もともと やはり 市民たちの宮であった伊勢神宮(その前身の外宮)も かれらのための制度となりました。(この伊勢神宮については むしろ崇神ミマキイリヒコの時代の制度発足として記事があったりしますが どうでしょう)。 このいわゆる二階建ての国家の問題は 天武オホシアマ天皇の――六七二年(壬神)の乱を経ての――改革によって 一定の収拾を見ました。市民が主役であるという考えをできるだけ採り入れようとしました。(八色の姓。万葉集の過半数は 無名の作者です)。国家という二階建ての形態は その後も残ったわけです。 ちなみに すでに崇神イリヒコのときに あたかもスーパー歴史知性による《ヨセ》としての統治ではないかと思わせる記事があります。やまとから日本の四方八方の各地に《四道将軍》を派遣して 王化の徳を及ぼそうとしたと書いてあります。つまり 服属させたわけです。 やはりえこひいきして言えば これほど素晴らしい《イリなる歴史知性》を自覚した人びとが ほかの隣人に伝えてやりたいと思って やったことでしょう。或る種の啓蒙思想でした。それほど奇異なことではないように思います。あるいは 《宣教という愚かな手段》(パウロ)のことです。 かくて社会は 平屋建てではなくなり スサノヲ市民圏( Susanowoschaft )とそしてアマテラス公民圏( Amaterasutum )との二階建て形態が いくらかの期間――世界史においても――つづいております。 《わたしは無宗教です》というように 現代の日本人は もう崇神ミマキイリヒコの社会を忘れているのだと思います。無宗教であっても イリ歴史知性のことを忘れなければ いいわけですが この原形としての社会は 神話としては スサノヲのイヅモの国でのスガの宮のことだと考えられます。これは のちに子孫のオホクニヌシの代になって アマテラス国から 服属の要求を受け かれは非戦論であったので 国譲りをしています。主戦論も非戦論も 人間の弱さから出ると考えたからです。 アマテラス公民天国という事態は 伝統ではありません。わたしたちは 何が何でも自分たちが一番だというスーパー歴史知性に対して 好きなようにさせたのだと考えます。長すぎました。そばが延びてしまいました。そういう情況にあると考えます。 §6 補遺 その昔 そして個体別に 一人ひとりが その後もそうしてきたように いわゆるスーパーアマテラス族の人間類型は ガリ勉かどうかは別としても それはそれは 努力の人を表わしていました。指導者を目指すのですから しかも同時に 謙虚です。少なくとも表向きは 謙虚のかたまりです。人間的になり ますます人間的になり もうこれ以上は 人間的になれないというほどの人間になったとき 周りを見渡すと だれも この謙虚と見識の深さに重きを置いていないと気づく。勝手にやっていることだというわけです。そして自分自身も この《徳》の高さは けっきょく相対的なものであって みながどんぐりの背比べであると覚ります。 ここから ふつうの《イリ歴史知性》に立ち戻ればよかったのですが(そして そうした人びとも いたでしょうが) そうではなく 既存の秩序は守らねばならぬと考え 既得利益についてはこれを失いたくないという方向へ走りました。 一般のスサノヲ市民の中からは むしろ これら超歴史知性なるスーパーアマテラス類型へと靡いていく人びとが出ましたし(官民の癒着あるいは ゆすり・たかり) これらの勢力が 現象としては 有力になっています。 * このような思想の問題を明らかにしようとしている思想作品であると考え 古事記を挙げます。
お礼
ありがとうございます。『古事記』は名前は知っていますが読んだことがこれまでありませんでしたので、一度しっかりと取り組んでみようと思います。
- cse_ri2
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専門家ではありませんが、私の知っている限りでは「ない」ですね。 神道をベースにして、仏教や儒教など多くの宗教思想がごった煮になったのが、日本という国の精神文化なのです。 この日本独特の思想を「日本教」と呼んだ山本七平氏の着眼点は、実に当たっていると思います。 というわけで、日本の歴史をざっと学んだ上で、『山本七平ライブラリー』に目を通すのがよいかと私は思います。 あとは、司馬遼太郎の作品集でしょうか。 晩年の作品である「この国のかたち」なんかは、実に読みやすく書かれています。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。確認してみます。