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宗教を信じるものの心理

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

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回答No.3

 私は浄土真宗の俗にボーさんと呼ばれているものです。副次的な専門ですが、宗教心理学を長いこと勉強させていただいております。 >>宗教を信じるものの心理  この「宗教を信じる」ということについて、進化論生物学者リチャード・ドーキンス氏は「人間はそもそも信じやすい生き物だ」と述べておられます。これは宗教に限ったことではありませんが、人間はたとえ根拠が乏しくとも疑うことより信じることを重視する傾向にあるといえます。  例えば、数字をランダムにコンピューターが選び出すタイプのロトくじを1ドル買ったとします。買った直後に、2ドルはらうからそのくじを売ってくれないかと、頼むとほとんどの人が躊躇して、手放さないと言います。20ドルまで行かないと手放さないケースも多いといいます。  また、サイコロを振って6が出たら、一万円くれる賭け事をするときに、「サイコロは何度振ってもかまいません。しかし、賭ける時はサイコロを振る前に千円をかけてください。」と言われたとします。すると、6が出る確立はサイコロですから何度投げても6分の1の確立で、最初だろうと2回目だろうと、37回目だろうと、確率が変化するなんてことはありえないのに、人間は「今だ!」と賭ける。  これ等の事例を見ても、人は根拠があるから信じ、根拠がないから疑うと言うような単純な生き物でないことが分かります。  ずいぶんと前の話ですが、ジョン・ブロックマンと言う方がウェブサイトで「何の根拠や証明もなく信じているものってありますか??」って質問したら、宗教を信じている人に限らず無神論者、科学者、合理主義者といわれるような人も、そういったものがあると答えられたそうです。つまり、信じると言うことに根拠がないのは宗教に限ったことではなく、人間そのものが持っている特性であることがいえます。  このような「信じやすい」という能力については、進化心理学の方面からよくアプローチされています。手短に説明すると、私達人類の進化は、顎の筋肉の弱体化とは切っても切れない間柄です。我々現生人類の先祖は何かの拍子に強靭な顎の筋肉を失います。それは、噛み付くというような強力な武器を失うことになりました。しかし、人類は失った武器以上に強力な武器を手に入れたことになります。それが「より正確で、より複雑な情報」です。なぜかというと、顎の筋肉が弱体化したことによって、頭蓋骨を締め付けがなくなり脳が大きくなる余裕を生みだし、顎はより複雑な動きが可能になり、より高度な情報交換が可能になりました。つまり、我々のような顎の弱い進化を遂げた人類にとって情報は武器なのです。「どこに獲物がいる」「どこに敵となるような凶暴な猛獣がいる」「動物を狩るときは、尖った石で心臓を貫くといい」等々の情報を共有することで、生き残ってきたのが私達人類なわけです。ですから、我々はその情報を信じやすいように進化しているという事が言えるわけです。    ここでは宗教についてという事ですが、「信じる」ということは宗教に限ったものではなく、そもそも人間が持っている固有の能力であり、宗教が人間を信じさせるのではなく、人間が信じやすいから宗教があるというのが現在の心理学的なアプローチですかね。 >>多分彼らにこれらの点を説き、脱宗教を迫ったところで彼らの殆どは固執するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?  これについては社会心理学者レオン・フェスティンガー氏の共著『予言がはずれるとき』の中でおもしろい事例を挙げています。これは1950年代アメリカであった事例ですが、マリアン・キーチ夫人(仮名)があるとき宇宙人から大洪水が起きて世界は沈没するという予言を受け取ります。この予言を受けた後、夫人は懸命にこのことを人々に話して聞かせます。ほとんど人は受け入れませんでしたが、何人かは仕事や学校を休み、財産も処分しお金と食料を調達し、夫人とともに高い山に登って洪水に備えました。  しかしその当日、もちろん何も起こりませんでした。こうなるとみんなが夫人責め、こういった活動をやめたのではないかと思うでしょ?それがそうはなりません。そこに逃げていた多くの人は「私達が懸命に活動したから、洪水は避けられたに違いない」といい始め、「この活動を今やめてはいけない」といって、一つの宗教になっちゃったって話です。  これは、心理学的にいえばあの有名なフロイトの娘、アンナ・フロイトが提唱した防衛機制の中の、「合理化」というものです。例えば、こんな会話を聞いたことありませんか? 学生A「君は○○大学を落ちてこの大学に来たらしいね?」 学生B「確かにそうだけど、○○大学は記念受験しただけで、校風自体もあまり僕にはあってないと思うんだよね」 なんていう会話。これは合理化の典型的な例です。心理学でいう合理化というのは、満たされなかった欲求を、自分にとって都合の良い解釈をして自分を正当化しようとする、自己防衛の一種です。 >>するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?  たぶんこういう心理がひとつには働いているんでしょうね。  >>ここに働く主な心理作用、及びそういった人達を説得するにはどのようなアプローチが適切であると思うか教えてください。  ここは私にはなんとも言えませんが、まずは自分を知ることでしょうね。これは、リチャード・ニスベット氏のおこなった認知科学の実験です。どうぞ、質問者さんも想像してみてください。 風船が宙をふわふわ浮いています。その風船があるところまで行くと、移動する速度が速くなった。さて、これはなぜでしょう?? なぜだと思いますか?? 「風が吹いた(上昇気流に乗った。気圧が変わった。等も含まれる)」と考えませんでしたか??(もちろん違っていてもいいのですが)この答えは、東洋人(ここでは、中国・韓国・日本人が中心)に多く見られる答えだそうです。しかし、西洋人(ここではイギリス・カナダ・アメリカ人が中心)は「風船の空気が抜けてスピードを上げた」と答える方のほうが比率として多くなるそうです。  このような違いは一体何なのか??  東洋人は関係性を重んじる民族です。家族、友人、会社。若い世代のしばらく前に流行った「ky」と言う言葉でさえ関係性が読めてないと言う意味です。こういった国で信仰される宗教を見ると、儒教では孝や忠、仏教では縁起や空、神道では一人のカミではなく八百万の神が存在し、「関係性」を重視する宗教が信仰されている。  対して西洋人は「個人主義」という言葉があるように、有る意味関係性より個を重視する傾向にあります。そんな国で信仰されている宗教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった、一人の神の「個性」を重視する宗教が中心と言えます。  それ以外にも、私達の目線の動きも違いがあるそうです。虎のかかれた絵を見せると、東洋人は虎とは池を目線が多く行ったり来たりするそうで、やはり関係性を無意識のうちに見ています。対して西洋人は虎のフォルムや模様など、虎自体からほとんど目を離さないそうです。   このような実験からも私達は、常識と思っている判断や無意識のうちの目の動きまで宗教の影響を受けていないとは言い切れません。  また、オックスフォードの人類学者ジャスティン・バレット氏三年間プロジェクトチームを組んで「人間は生まれながらに神(宗教的概念)をもっているのか」という研究を続けてきました。去年の夏ごろアメリカのサイエンス・ニュースで、この研究が一段落着いたことを報告しています。その中の結論として、「人間の心はもともと神や来世のようなものを信仰する要素を持ち合わせている」とのべています。(詳しい著作はまだ執筆中とのことで、日本語訳されるのを待っているところです。)  心理学の研究からいえば、私達はそもそも宗教を信仰する生き物だってことが言われます。まずその辺を自分自身で見直していくところから始めてみてはいかがですか?  長々駄文を連ねましたが、急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。  合掌 南無阿弥陀佛

314h
質問者

お礼

昔合理化というもの聞いたことがあったんですが、今一度しっかりした意味で少しだけわかることができた気がします。 今になって聞いてみると非常に幅広く適用することができそうですね 丁寧な回答有り難うございます。 非常にこの分野に造詣の深い方のようですね。 余談(↓に応答はなくても結構です) ここまで客観的に、あなたの信じている宗教を入れることなく話されているのに浄土真宗を信仰しているというのは非常に不思議です。 一体何を人生の目的をしているんでしょうか、、、

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