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宗教を信じるものの心理

ここでは特にイスラム教信者について書きます。 彼らの信じているコーランはムハンマドが書きましたが、最初は聖書は完全無欠でコーランはそれと矛盾しないと言っていたのに実際は矛盾がたくさんあり、明らかに人間の手によって書かれたもので間違った教えといえます。 しかしイスラム教信者はたくさんいますし、非常に熱心です。 多分彼らにこれらの点を説き、脱宗教を迫ったところで彼らの殆どは固執するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか? ここに働く主な心理作用、及びそういった人達を説得するにはどのようなアプローチが適切であると思うか教えてください。

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回答No.3

 私は浄土真宗の俗にボーさんと呼ばれているものです。副次的な専門ですが、宗教心理学を長いこと勉強させていただいております。 >>宗教を信じるものの心理  この「宗教を信じる」ということについて、進化論生物学者リチャード・ドーキンス氏は「人間はそもそも信じやすい生き物だ」と述べておられます。これは宗教に限ったことではありませんが、人間はたとえ根拠が乏しくとも疑うことより信じることを重視する傾向にあるといえます。  例えば、数字をランダムにコンピューターが選び出すタイプのロトくじを1ドル買ったとします。買った直後に、2ドルはらうからそのくじを売ってくれないかと、頼むとほとんどの人が躊躇して、手放さないと言います。20ドルまで行かないと手放さないケースも多いといいます。  また、サイコロを振って6が出たら、一万円くれる賭け事をするときに、「サイコロは何度振ってもかまいません。しかし、賭ける時はサイコロを振る前に千円をかけてください。」と言われたとします。すると、6が出る確立はサイコロですから何度投げても6分の1の確立で、最初だろうと2回目だろうと、37回目だろうと、確率が変化するなんてことはありえないのに、人間は「今だ!」と賭ける。  これ等の事例を見ても、人は根拠があるから信じ、根拠がないから疑うと言うような単純な生き物でないことが分かります。  ずいぶんと前の話ですが、ジョン・ブロックマンと言う方がウェブサイトで「何の根拠や証明もなく信じているものってありますか??」って質問したら、宗教を信じている人に限らず無神論者、科学者、合理主義者といわれるような人も、そういったものがあると答えられたそうです。つまり、信じると言うことに根拠がないのは宗教に限ったことではなく、人間そのものが持っている特性であることがいえます。  このような「信じやすい」という能力については、進化心理学の方面からよくアプローチされています。手短に説明すると、私達人類の進化は、顎の筋肉の弱体化とは切っても切れない間柄です。我々現生人類の先祖は何かの拍子に強靭な顎の筋肉を失います。それは、噛み付くというような強力な武器を失うことになりました。しかし、人類は失った武器以上に強力な武器を手に入れたことになります。それが「より正確で、より複雑な情報」です。なぜかというと、顎の筋肉が弱体化したことによって、頭蓋骨を締め付けがなくなり脳が大きくなる余裕を生みだし、顎はより複雑な動きが可能になり、より高度な情報交換が可能になりました。つまり、我々のような顎の弱い進化を遂げた人類にとって情報は武器なのです。「どこに獲物がいる」「どこに敵となるような凶暴な猛獣がいる」「動物を狩るときは、尖った石で心臓を貫くといい」等々の情報を共有することで、生き残ってきたのが私達人類なわけです。ですから、我々はその情報を信じやすいように進化しているという事が言えるわけです。    ここでは宗教についてという事ですが、「信じる」ということは宗教に限ったものではなく、そもそも人間が持っている固有の能力であり、宗教が人間を信じさせるのではなく、人間が信じやすいから宗教があるというのが現在の心理学的なアプローチですかね。 >>多分彼らにこれらの点を説き、脱宗教を迫ったところで彼らの殆どは固執するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?  これについては社会心理学者レオン・フェスティンガー氏の共著『予言がはずれるとき』の中でおもしろい事例を挙げています。これは1950年代アメリカであった事例ですが、マリアン・キーチ夫人(仮名)があるとき宇宙人から大洪水が起きて世界は沈没するという予言を受け取ります。この予言を受けた後、夫人は懸命にこのことを人々に話して聞かせます。ほとんど人は受け入れませんでしたが、何人かは仕事や学校を休み、財産も処分しお金と食料を調達し、夫人とともに高い山に登って洪水に備えました。  しかしその当日、もちろん何も起こりませんでした。こうなるとみんなが夫人責め、こういった活動をやめたのではないかと思うでしょ?それがそうはなりません。そこに逃げていた多くの人は「私達が懸命に活動したから、洪水は避けられたに違いない」といい始め、「この活動を今やめてはいけない」といって、一つの宗教になっちゃったって話です。  これは、心理学的にいえばあの有名なフロイトの娘、アンナ・フロイトが提唱した防衛機制の中の、「合理化」というものです。例えば、こんな会話を聞いたことありませんか? 学生A「君は○○大学を落ちてこの大学に来たらしいね?」 学生B「確かにそうだけど、○○大学は記念受験しただけで、校風自体もあまり僕にはあってないと思うんだよね」 なんていう会話。これは合理化の典型的な例です。心理学でいう合理化というのは、満たされなかった欲求を、自分にとって都合の良い解釈をして自分を正当化しようとする、自己防衛の一種です。 >>するでしょうがここには一体どんな心理作用が含まれているのでしょうか?  たぶんこういう心理がひとつには働いているんでしょうね。  >>ここに働く主な心理作用、及びそういった人達を説得するにはどのようなアプローチが適切であると思うか教えてください。  ここは私にはなんとも言えませんが、まずは自分を知ることでしょうね。これは、リチャード・ニスベット氏のおこなった認知科学の実験です。どうぞ、質問者さんも想像してみてください。 風船が宙をふわふわ浮いています。その風船があるところまで行くと、移動する速度が速くなった。さて、これはなぜでしょう?? なぜだと思いますか?? 「風が吹いた(上昇気流に乗った。気圧が変わった。等も含まれる)」と考えませんでしたか??(もちろん違っていてもいいのですが)この答えは、東洋人(ここでは、中国・韓国・日本人が中心)に多く見られる答えだそうです。しかし、西洋人(ここではイギリス・カナダ・アメリカ人が中心)は「風船の空気が抜けてスピードを上げた」と答える方のほうが比率として多くなるそうです。  このような違いは一体何なのか??  東洋人は関係性を重んじる民族です。家族、友人、会社。若い世代のしばらく前に流行った「ky」と言う言葉でさえ関係性が読めてないと言う意味です。こういった国で信仰される宗教を見ると、儒教では孝や忠、仏教では縁起や空、神道では一人のカミではなく八百万の神が存在し、「関係性」を重視する宗教が信仰されている。  対して西洋人は「個人主義」という言葉があるように、有る意味関係性より個を重視する傾向にあります。そんな国で信仰されている宗教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった、一人の神の「個性」を重視する宗教が中心と言えます。  それ以外にも、私達の目線の動きも違いがあるそうです。虎のかかれた絵を見せると、東洋人は虎とは池を目線が多く行ったり来たりするそうで、やはり関係性を無意識のうちに見ています。対して西洋人は虎のフォルムや模様など、虎自体からほとんど目を離さないそうです。   このような実験からも私達は、常識と思っている判断や無意識のうちの目の動きまで宗教の影響を受けていないとは言い切れません。  また、オックスフォードの人類学者ジャスティン・バレット氏三年間プロジェクトチームを組んで「人間は生まれながらに神(宗教的概念)をもっているのか」という研究を続けてきました。去年の夏ごろアメリカのサイエンス・ニュースで、この研究が一段落着いたことを報告しています。その中の結論として、「人間の心はもともと神や来世のようなものを信仰する要素を持ち合わせている」とのべています。(詳しい著作はまだ執筆中とのことで、日本語訳されるのを待っているところです。)  心理学の研究からいえば、私達はそもそも宗教を信仰する生き物だってことが言われます。まずその辺を自分自身で見直していくところから始めてみてはいかがですか?  長々駄文を連ねましたが、急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。  合掌 南無阿弥陀佛

314h
質問者

お礼

昔合理化というもの聞いたことがあったんですが、今一度しっかりした意味で少しだけわかることができた気がします。 今になって聞いてみると非常に幅広く適用することができそうですね 丁寧な回答有り難うございます。 非常にこの分野に造詣の深い方のようですね。 余談(↓に応答はなくても結構です) ここまで客観的に、あなたの信じている宗教を入れることなく話されているのに浄土真宗を信仰しているというのは非常に不思議です。 一体何を人生の目的をしているんでしょうか、、、

その他の回答 (7)

  • s_end
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回答No.8

回答します。 宗教を信じて生きている人たちは、 「宗教の戒律や規則に従って生きていれば、今現在、この世で幸福が得られなくとも、死後の世界での幸福が約束される」 と信じているので、宗教をやめません。 宗教の戒律を守って生きていた人が、死後、あの世で幸福が得られたかどうか、というのは誰にも実証できません。ってか、あの世なんて存在しないし。 でも信じちゃう人は信じちゃうんだよなー。それが宗教の恐ろしいところ。 で、このロジックは資本主義社会において搾取する側の金持ちにとっては都合がいい。なぜならば貧乏人から絞れるだけ絞って金を巻き上げても、彼らが宗教を信じていれば 「今は苦しくても、死後は幸福になれる。我々をいじめている金持ちは、死んだら地獄へ行くんだから・・・」 とこの世の苦痛を喜んで受け入れてくれるから。 さしずめ、今の世の中で言えば、消費税率は10%にアップして庶民に大打撃を与えておいて、金持ちには所得税率の軽減を図る自公民連合と、労働者の給与はどんどん下げたり、非正規雇用者を増やして労働者の生活を圧迫する反面、自分たち経営者の役員報酬はガンガン上げる、会社経営者らの為政者、金持ちたちと庶民、非正規雇用者、生活保護受給者たちとの対立構図が挙げられる。 庶民たちは、「ありもしないあの世での幸福」など求めず、「今、この世での幸福」を求めて、為政者、金持ちたちとたたかうべきなのだが、宗教を信じている人は 「庶民をいじめる自公民政治家と金持ちたちは死んだら地獄へ行くんだから・・・  私たちは宗教の戒律にしたがって生きていけば、死んだら幸福になれるんだから・・・」」 と自分を押し込めてしまい、圧政を受け入れてしまう。むしろ、この世での苦難を喜んで受け入れてしまうだろう。 これは為政者、金持ちにとって都合がよろしい。 どこかの誰かが「宗教はアヘンである」と言ったが、まさしく、現状の苦しみを紛らわせてくれる薬物にそっくりだ・・・。 という事を宗教家や宗教の信者に向かって真顔で説いても、誰も相手にはしてくれないよ。 それだけ宗教ってのは人を惑わし、一心不乱にさせるだけの魔力がある、ってことです。

314h
質問者

お礼

>「宗教の戒律や規則に従って生きていれば、今現在、この世で幸福が得られなくとも、死後の世界での幸福が約束される」 やっぱり宗教を批判すると怒り出すのは本音じゃ信じているか怪しいけれど死後の世界の幸福を信じたいと思う気持ちが強すぎるんですかね。 そして怪しいからこそ批判されると死後の幸福が脅かされたようで怒ると。 >「ありもしないあの世での幸福」など求めず ありもしないとは限りません。それは証明不可な事柄ですから。 >それだけ宗教ってのは人を惑わし、一心不乱にさせるだけの魔力がある、ってことです。 それは理解してるんですけどね。家族全員宗教者ですからね。(と言っても一人は5次元世界だとかを信じています。) そこでその心理作用というものを知れば説得可能かなと思ってこういった質問を投げかけたのですが、宗教にはあまりに多くの心理作用が働くでしょうからそれをあきらかにすることは難しいんですかねぇ。。。 ご回答ありがとうございました。

回答No.7

少し誤解されているようですが、私は宗教を信じる人が往々にして神の教義は認識が不確か なものにしても絶対だ!などといった馬鹿げたことを言うのをを嫌っているんです。 ⇒あなたは違うというが、絶対にあなたにもそれに陥っている価値観はたくさんありますよ。 そもそも教えに絶対なんてものはあんま無いわけです。 生まれて死ぬとか誰もが避けられぬことだけです。 それ以外は、あなたがそれは違うこうだと言いたいことも絶対ではないわけです。 私は別に別の崩壊の道を示したい訳じゃなくて、盲信するのは危険なことじゃないですか?という問を受け入れさせるだけでいいのです。 ⇒まあ、その存在は真実を盲目にさせやすい可能性も有していますが、 マスメディアに歪曲した情報に振り回されるバカな国民見てて、それを危険というほどに感じるには至らない気もしますが。 新興宗教は危険とは思いますが。

314h
質問者

お礼

>それ以外は、あなたがそれは違うこうだと言いたいことも絶対ではないわけです。 私はどうやらそういったものが確からしいという観点で話しています。 あなたのイスラム教批判は絶対ですか?と聞かれれば何に対しても「絶対かはわかりませんがこの世は時間的連続によって成り立ってないというのであれば、それはあらゆる物の否定につながりますから、何かを考えたりする上でそれぐらいはドグマとして受け入れていると思います。そういった観点で十分なサンプル数がある別の論がありますからそちらを信じるのが真理を追求するものとしては適切な態度と言えませんか?」と答えますよ。 彼らはそういった考え方を飛躍して、これは正しいなどというからおかしいんじゃないですか?と私は問うわけです。 >まあ、その存在は真実を盲目にさせやすい可能性も有していますが、 マスメディアに歪曲した情報に振り回されるバカな国民見てて、それを危険というほどに感じるには至らない気もしますが。 新興宗教は危険とは思いますが。 こういうの知りませんか?誤った前提からはどんな結論でも引き出すことができるというものです。 彼らは不確かなものをドグマとしておいているわけですから、きっかけがあれば何事も起こりうると思ってしまうわけです。 考え過ぎかもしれませんが、どんなに低い確率でもそれが起こりえて、しかもそれが破滅になりうるなら回避しなくてはならないという確率論の考え方にしたがって、身の回りの人の誤った前提による破滅は避けたいと思うわけです。 ご回答ありがとうございました。

回答No.6

まず、あなたは、矛盾しない完全無欠な対象じゃなければ信仰じゃなくても尊敬やら崇拝やら信じるやら言葉はどうでもいいがならんかいな? だいたいあなたが気付かないだけであなた自身が矛盾だらけの存在ですよ。私も。 あなたが正しいと信じていることも別に絶対真理ではないことだらけですよ。 心理作用? 幸せになるを目的に、価値観の植え付けをしてるだけだろ。 ある親は子供に、勉強できなくてもいいから優しい人間になることが大事だと教える。 ある親は子供に、勉強しっかりして人間的にも誠実で~~な人間になることが大事だと教える。 その子供はそう信じる。それに近づくことが人間として正しく幸せになる道だと信じて近づこうとする。 もし日本に宗教があって、日本国民全員が信仰してるところにあなたが生まれたらあなたもそれを信じる可能性高いでしょ。 ただそれだけ。 新興宗教の奴らを説得するなら理解できるが、そいつらを説得する意味がわからん。 説得できるとしたら、真っ暗の窓のない空間に何日も閉じ込めて精神を破壊して(方法はしょるけど)、新たな価値観をインストールするか、現実にうまくいかないことの痛みを体で味あわせるか。

314h
質問者

お礼

>まず、あなたは、矛盾しない完全無欠な対象じゃなければ信仰じゃなくても尊敬やら崇拝やら信じるやら言葉はどうでもいいがならんかいな? だいたいあなたが気付かないだけであなた自身が矛盾だらけの存在ですよ。 最初の2行の日本語がうまいこと理解できません。言い換えてもらえませんか。 少し誤解されているようですが、私は宗教を信じる人が往々にして神の教義は認識が不確かなものにしても絶対だ!などといった馬鹿げたことを言うのをを嫌っているんです。何度何度認識を疑っても?と聞いても絶対だ!です。間違った前提に基づいているのにね! 私も感情的になると断定を行うことがありますが、ずっとではありません。 >もし日本に宗教があって、日本国民全員が信仰してるところにあなたが生まれたらあなたもそれを信じる可能性高いでしょ。 そりゃそうなんですがね。 そういった人達の根源にあるものを共通化してまとめたものがないか知りたかったのです。個人の意見なんて往々にして当てになりませんから。 >説得する意味がわからん。 私は別に別の崩壊の道を示したい訳じゃなくて、盲信するのは危険なことじゃないですか?という問を受け入れさせるだけでいいのです。 私の周りにキリスト者などが沢山いるからそういった人達を説得するきっかけにならないかなと思って。 ご回答ありがとうございました。

  • 6750-sa
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回答No.5

私は学識のある者ではありませんのでうまく表現できないかもしれませんが、とても興味のあるご質問なので回答に参加させてください。 私自身も宗教に深く関わってしまい、あるきっかけで脱することができました。 どうしてあれほど意固地になって第三者の意見に耳も貸さずに自分の本質と明らかに異なる行動をとり続けていたのか現在でも考え続けています。 そんな折、家族の中である健康器具に関係する問題が生じました。その健康器具は私の見地からはどう見てもインチキ臭く非常に高額な製品でした、その商品は無料体験というかたちで大勢の中高年者を集めては「この機械に座るだけであらゆる病気、疾患から解放されます!」という物、まともな感覚ではとても信用できるものではないと思える謳い文句です。 もちろん、常識的にはほとんどの人は半信半疑でも「無料」という言葉に誘われて体験行動に踏み入ります。 そこでは、販売員が巧みな話術で専門用語を使ったり、妙にフレンドリーに会話したりして人々の警戒心をほどいていきます。 無料体験とはいえ、そこに訪れる人々は100%なんらかの健康問題を抱えていますから、長期の医者通いや痛みや苦痛という現実に向き合っているわけです、医者からは長い目で病気と付き合うしかないというような希望の無い助言。 そんな人たちに「必ず治ります、体験談もたくさんありますから聞いてみましょう、そこの○○さん!血圧の調子はどうですか?」と聞けばその場で「下がってきました、耳鳴りも収まって感謝です!」…、そんな調子です、まさにそれは集団催眠だと思います。 そこに通う家族も「調子が良くなった」と言い始め、もはや他者の冷静になって考えようよという言葉は宗教で言えば悪魔のささやきたぶらかしそのものになっています。 一人で信じるのは不安だけど、集団で、またそこに友人関係が生まれてくれば自信もわいて無敵になります。 人間はどんな状況にあっても希望を持とうと努めます、賢い人に努力は無駄になるかもしれないと言われるより、詐欺師に絶対間違いなく成功する!と断言されることを望みます(無論本人は詐欺師ではなく救世主と信じている)。 一旦信仰の中で強力なコミュニティが生まれると、お互いに催眠術のループが出来て異論を唱える者は悪しき裏切り者とみなされるようになります。 弱い人間は超人的な力に憧れ、その力の益にあずかろうと自己の思考力を組織的な方針に預けます、さて、こうなってしまうと手が付けられません、宗教の世界では方針や価値観の合わない外部の論理的な意見など聞くに値しない雑音でしかないのです。 では、その聖域から外部の者が力ずくで引っ張り出すことは可能でしょうか? はっきり言えば「不可能」ではないかと思えます、信じるということはそういうことかもしれません。 宗教のように見えない価値の世界では外部の人間は無に等しいと思います、言葉や腕力ではかれらの心は動かせません。 そうは言っても人間には弱さがあります、まじめに信じるほど行動は忠実ではありませんから、必ず打ちのめされる時が来ます。傍目ではわかりづらいかもしれませんが、そんなタイミングで冷静に現実を認める機会が出来た時、信者たちと離れて一般の誠実な人の思いやりに接することが出来れば離脱も可能なのだと思います。 人間の欲望の中には帰属意識があるそうです、民族意識や地元意識は強力です、その宗教はやめましょうよと言うのは、ワールドカップで日本のライバルチームを応援しましょうと日本人を誘っているのと同じです、心のよりどころの無い時代に宗教が入り込んでしまうのは自殺との究極選択である場合もあるのかもしれませんからむずかしいことです。

314h
質問者

お礼

確かに帰属意識が特に強い日本の場合だと余計に引っ張りだすのは難しそうですね。 プラシーボ効果による帰納、そして自己暗示的な要素が加わるのですね。そして無料でなにかやってもらったからには何返さなくてはならないという心理も名前は忘れましたがありましたね。 そして入ってしまえば、自分が考えた末で結論なら自尊心、安心、社会に縛られ、一定の限度まで時間と共に比例して行くんですかね。 確かにあなたの言うように、殆どの人は真理に価値をウェイトを置かないことから(実際に真理に100%価値をおくという人はいませんから)説得するには相手を否定し、防衛機制を働かさせるのではなく、別の見方もあるよというパスカルの言ったようなやり方で説得し、相手の価値がより見いだせそうな対象を相手の内に見せて上げる方法がよさそうですね。 >心のよりどころの無い時代に宗教が入り込んでしまうのは自殺との究極選択である場合もあるのかもしれませんからむずかしいことです。 ああ、、、こればかりは本当に納得です。というか自分自身です(笑)本当にニヒリズムで何もないですからね。神もいないならどっかでバカやって捕まらずに生きている一般的につまらないと言われる連中のほうが幸せなんじゃないかとはふと思ったりもします。 実際の体験に基づいた貴重な回答ありがとうございました。

回答No.4

>>余談(↓に応答はなくても結構です)  乗りかかった船ですから、答えにはならないと思いますがお話しさせていただきます。 >>ここまで客観的に、あなたの信じている宗教を入れることなく話されているのに浄土真宗を信仰しているというのは非常に不思議です。  先の解答みたいな説明をしていると、こういう感じのことはよく人から質問されます。その不思議さを私の解釈で言わせてもらえば、「宗教的な信仰と学問的な知識は矛盾しないのか?」ということなのだろうと思います。  最初に結論から言ってしまえば、今のところ私の中では矛盾していません。  科学哲学者野家啓一氏は宗教であっても相対性理論であっても、一つの物語を受け入れるという点において違いはないとしたうえで、相反するように見える物語を同時の持っていたとしても必ずしも矛盾しないと述べておられます。人間てやっぱりそれほど単純ではないんですよ。  まぁ、難しいことはさておいて私は浄土真宗が好きってことですかね。 >>一体何を人生の目的をしているんでしょうか、、、  人生の目的ですか?難しいですね。ぶっちゃけ、私にもよく分かりません。ただ、私はいつもいろんな人に支えられて生かされてます。そうやって支えていただいてるんだから、私は一生懸命生きてますよ。  うわー。読み直すと内容が無いですね。大変申し訳ないです。 合掌 南無阿弥陀佛

314h
質問者

お礼

質問と関係がないというのに丁寧にご回答下さり感謝します。 >相反するように見える物語を同時の持っていたとしても必ずしも矛盾しないと述べておられます。人間てやっぱりそれほど単純ではないんですよ。  まぁ、難しいことはさておいて私は浄土真宗が好きってことですかね。 ん~浄土真宗の信仰と言うよりも道徳として浄土真宗を捉えているんですかね?人間の徳を高めてくれる宗教としての捉え方というか。 それとも自分ありきの宗教で宗教ありきの自分ではないんですかね?聞いていると真理としての宗教というより自分としての宗教を探求しているような感じがするのです。 上のどちらでもないとするなら、他にキリスト教のように多くの識者が信じた実績、歴史的実績、検証に耐えてきた実績のあるような宗教があるのにあえて浄土真宗というのが非常に不思議に感じたのですよ。 >そうやって支えていただいてるんだから、私は一生懸命生きてますよ。 関係性と現在の生を大事にされるんですね。非常に日本人的ですが、そちらに気を使えと他の質問などでも言われたことがありますね。私には理解できる時が来るかわからないですが。。。 >大変申し訳ないです。 そう卑下なさらないでください。私のような質問者にとっては正誤は関係なくまともな回答が帰ってくるだけでいい気分なのですから。 改めて御回答有り難うございます。

  • pantomana
  • ベストアンサー率10% (1/10)
回答No.2

聖書的観点から考えられる事ですが、旧約聖書(ユダヤ教)の始まりは族長(人間の長)が治める民族主義でした。(モーセの時から特に)でも、族長も王も、それ以前(律法前)の人々は、特に最初の人間アダムなどは、特別な権威を奮った記録は無く個人対神の関係を普通の如く行っていますから、律法契約によって罪を認識するようになったモーセ以降の崇拝の方式が、代表者を神の代理人と考えて従う肉的な崇拝方式と考えられます。 新約に入って、イエスが流された血によって罪も罪を認識させた律法も取り除かれましたので、イエス・キリストに信仰を働かせる者は、罪を犯す前のアダムと同じ資格で神を崇拝する事が可能となりました。 イエスは、旧約時代のように、神が現れた山とか地域、エルサレムや神殿などの肉的、物質的な崇拝方式ではなく、「神は霊なので、真の崇拝者が霊と真理で神を崇拝する」ようになる。と言われて、崇拝の方式が全く変わった事を告げています。 ですから、特別な聖地を設けたり、崇拝の為の場所(教会建物)を設けたりするのはキリストが教えた崇拝方式ではなく、旧約(ユダヤ教)の崇拝方式を行っている事に他なりません。 ですから、民族主義や人間の代表者がいる宗教組織、宗教団体は、キリストを信じているとは言うものの実体はキリストを再び磔にしているのと同じ事をしています。 勿論、生粋のユダヤ人が律法を全うするならユダヤ人の救いの道が完全に閉ざされた訳ではありませんからユダヤ人には律法は残されているのです。 質問の、人々の心の状態は旧い崇拝方式にあると思います。

314h
質問者

お礼

キリスト教のあり方についての質問じゃないですし、私の上げた心理作用とおそらく同じであろう心理作用を上げてもらうことが目的でもありません。 その心理作用それ自体を明確化し、そういう人達に考え方の変化を迫るにはどうしたら良いかというのがこの質問の意図するところです。

  • ROKABAURA
  • ベストアンサー率35% (513/1452)
回答No.1

仏教でもキリスト教でも大概の宗教は矛盾を内包している。 過去の歴史がそれを物語っている。 なんとなれば人が「神」を持ち出すとき 多くの人が善悪良い悪いの判断を「神」に預けてしまうからだ。 価値観が確立することで人は安心して生活できる。 それがお金だったり法律だったり人物だったり主義や政党であったり そして宗教だったりする。 むろん悪いわけではない。 人は多くの事由を人生のほんのわずかな経験と視野の基でこれを判断するしかなく 多くを捨てやっとわずかなものを拾う。 どうしてこれを否定できようか。 宗教を信じる者のみならず 人間の持つ価値観を覆すことが出来るのはただ一つ 「絶対」を確信させることだ。 一般的にはこれを「洗脳」と呼ぶ。 別に宗教やカルトや拷問でなくとも 教育や社会システム 集団行動を誘導することや 強いカリスマや演出でも 多くの人は簡単に「説得」されてしまう。 これも歴史が証明している。

314h
質問者

お礼

確かに歴史を見ればそういうことは容易にわかります。 しかし私はそれは現代において心理学的見地に立つとどういう風にして説明されるのか?ということを知りたいのです。 ご回答ありがとうございました。

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