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重い恋愛をしたくない。とは?

noname#202167の回答

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noname#202167
noname#202167
回答No.1

重いのが嫌い=軽いのが空き などの様に あまり白か黒かで考えない方が良いと思います。 >何故、重い恋愛を毛嫌いするのでしょう? 核家族かつ地域社会との接点がほぼ無い家庭で育つと、 親は子育てに迷い悩み、サポートが乏しく休暇も無く、 余裕を無くし神経質になります。 子供は親に嫌われると自然界ではあっさり死ぬので 神経質な親 に嫌われまいと異常に神経をすり減らせ、 ストレスを抱え、ストレスの解消法すら知らない為に ヒステリックになったり激しい我侭を起こします。 核家族かつ第三者の大人がほぼ居ない場の育児では、 客観性が極めて乏しく、余裕も無くなる為、 「子供の問題行動を冷静に紐解く」 事ができず、躾けとして罰を与え屈服させ黙らせます。 結果、子供はストレスにストレスを上塗りされ、 それ以上ストレスを抱え切れない 精神的に脆弱な状態になります。 精神的に脆弱な状態を維持されたまま育つと 新しい事に踏み出す不安に負け、 人も社会も世界も物事も表面的にしか知れない事が増え、 価値観が狭く、 自己否定(苦痛)の価値観から自力で抜け出し難くなります。 そして、 現代はそうした核家族という密室での育児が横行し、 躾けという名の屈服や虐待、やさしい虐待が横行し始め、 それらの子供が大人になりました。 自分の心に余裕が無いのに、 同世代は心が病んでいる者が多く、 深い悩みや自傷、自殺を仄めかすなど深刻な悩みを 恋愛対象に打ち明ける状態になっています。 自分に余裕が無いのに他人を救うなんてやろうとすれば、 本人がうつになり本人も要救護になりかねません。 回りくどくなりましたが、 >何故、重い恋愛を毛嫌いするのでしょう? の答えはこれが大きいだろうと思われます。 >彼らの嫌う恋愛、好む恋愛とは、どのようなものなのでしょう? 嫌う恋愛は記述しましたので、好む恋愛について。 精神的に脆弱な自身をひっぱって元気にしてくれる そういう元気な異性を好むでしょう。 ただ、誰でも落ち込む時はある為、 落ち込む事で心配してくれたと思って、 落ち込む=愛される と甘えはじめると、 最初の内は良くても、徐々に余所余所しくなり、 避けられる様になって行くでしょう。 落ち込んでいる人を見ると自分の過去と被るが為に、 「無理に」優しくするという姿に対して、 「優しくして欲しい」とつけ込めば、 短期的には良くても、長期的には破局でしょう。 やたらと優しくされたい=幼少期の愛情の欠如 を抱える人とは相性がかなり悪い事となるでしょう。 >彼らの言うところの、「重い恋愛」とは 落ち込んでいる人を見ると自分の過去と被るが為に、 「無理に」優しくする。 見捨てられない。 でも一緒に居て全然楽しくない。 その後何時間も気分が沈む。 そうした恋愛を「重い恋愛」と言うのかもしれません。 人道的常識 においての「重い」という事かもしれません。 簡単に言えば、 「心が病んでいる人と付き合える程、自分が元気ではない。」 と表すのが一番早いのかもしれません。

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