• 締切済み

身体に占める頭脳の消費エネルギーの割合について

アインシュタイン、羽生善治、パスカル、アウグスティヌスといった完全な解を得ることが不可能で深い思考が必要と言われている分野に所属しているトップの人たちは一体どの程度の物理的エネルギー(熱量)を割いていると思いますか? 理由などもあわせて教えていただけると余計に興味深いです。

みんなの回答

回答No.1

普通の健常人と、アインシュタイン、羽生善治、パスカル、アウグスティヌスといった人とで、(脳消費エネルギー/全消費エネルギー)に大きな変わりはないと思います。   {特別に身体活動をしておらず、(頭脳を使っている)と一般的に言われる状態}での比較と考えます。 (頭脳を使っている)状態での比較だと、もしかすると、アインシュタイン、羽生善治、パスカル、アウグスティヌスといった人は、普通の健常人よりも(脳消費エネルギー/全消費エネルギー)は少ない可能性もあるのではないかと思います。   理由 1) 消費エネルギーは、1分間あたりの血流量と関係しているとみます。 2) 心拍出量の15%の血流量が脳に流れているとされていますが、筋肉の多い人と筋肉の少ない人では全血流量も大きく違います。 (脳血流/全血流)比率は、健常人でも人によってもともと大分違います。 そのよくある差の程度を越えて、アインシュタイン、羽生善治、パスカル、アウグスティヌスなどが違うとは思えません。 3) 加齢で脳血流は減少しますが、心拍出量も減少します。 (脳血流/全血流)比率の加齢変化を見たことがありませんが、30歳から50歳までの低下を筋肉量と頭脳の明晰さで比べた場合、筋肉量の低下のすごさにはかなわないと思います。 このケースでは、加齢によって全血流が減少するので、(脳血流/全血流)比率は上昇していると推定できます。 20歳前後の一番頭脳明晰な時期よりも、加齢で(脳血流/全血流)比率は上昇していると推察すると、頭脳の明晰さと、(脳血流/全血流)比率、(脳消費エネルギー/全消費エネルギー)に相関があると考えるのは、妥当とは思えません。 4) 同一人でも、運動時、手足に刺激を受けたとき、思考しているとき、レム睡眠中、ノンレム睡眠中で、脳血流量は変化しますが、そうした脳血流の変化率の個人差を調べたものをみたことがありません。 同一人に関して、そうした変化を(脳血流/全血流)比率の変化として調べたものをみたことがありません。 入眠初期のノンレム睡眠(覚醒から離れた睡眠)時に発汗し、深部体温が低下するのに、末梢は血行が増加し手足の温度が上昇します。 頭脳の明晰~脳が眠っている変化と、(脳血流/全血流)比率、(脳消費エネルギー/全消費エネルギー)に、単純な相関があると考えるを妥当とする、何からかの情報を持っていません。 5) 運動機能の比較ですが、上手い投手や打者とへたくそな投手や打者で、筋肉への血流量に差があると思えません。体操やフィギャアスケートでも、上手/下手は、血流量や消費エネルギーの大小とは別のことに属すると思います。 受験の偏差値で、50前後の人と70異常の人の比較、アインシュタイン、羽生善治、パスカル、アウグスティヌスといった人と、普通の健常人との比較で、脳血流量や脳での消費エネルギーに基本的な差もないのではないかと、想像します。 6) 自分の経験です。 それなりに難しいことを懸命にやっているときには特に感じないのですが、不得意で知識などが不足している関連で試験を受けることがあり、その時には頭に血が上った/熱くなった感じがしました。血流量や脳血流量を調べたのではないですが、その時には頭部血流も増加したし、頭部血流/全血流の比率も上昇したのだと思っています。 他人からみてあるいは平均的にみて、難度があることに頭を使っているからといって、頭部血流/全血流の比率が上昇するものではないと、自分では思っています。 7) 脳の中の部分的活動状況を調べた研究者がいます。それらの複数の研究によると、難しいことをやっているかどうかで脳の活動量が決まるのではないようです。 パソコンの迷路ゲームをしているとき、血流変化をPETで調べたところ、ゲーム中は前頭正中部の広い範囲で血流が減少した、パソコン用のドライビングゲームをしているときfMRIで調べたところ、前頭前野後部の活動が低下したそうです。 学習が進むに従って前頭前野の活動が小さくなり、目標志向課題をしているときに正中前頭部付近の活動が低下しているそうです。 http://www.chara-labo.com/hiraki.pdf むしろ、その分野で習熟している人は、無駄に脳を使わず、必要な部分だけをちょこっと活動させることで、高い成果を得ているように思います。 もしかすると、優れた頭脳を働かせているように見える人は、似たことに取り組もうとしている普通の人よりも、脳の全体や前頭前野の活動は穏やかで、脳血流も多くせず、冷えた頭脳活動で、(脳血流/全血流)比率も多くなく、(脳消費エネルギー/全消費エネルギー)も少ないのかもしれません。

314h
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

314h
質問者

補足

血流量との関係や、そこから言えることに関しては大筋納得が行きました。 1~6にかんしては大筋納得行きましたが最後の血流変化の実験についてお聞きしたいのですがよろしければ補足への回答をお願いします。 実験の人たちは熟練すればするほど同じような作業についての情報を引き出すことができるようになり、必要情報処理能力が低下し、作業に慣れて、集中力が低下するため、血流量が下がったための結果ということは十分ありえませんか? 彼らは同じ場所にとどまることはないようです。 羽生善治なら読み。 アインシュタインなら彼がが言うには演繹的に新しい発見をするのではなく、答えの全体像を思いついてからそれに向けて証明をする。 そう考えるとエネルギー効率が上がったとしても直ぐに次のステップに行くことになりますので血流量は変わらないと思うのです。 そしてすこし調べるともう一つ棋士のアマチュアに比べ、プロは線条体という部分が活発に活動しているそうです。 そうしてアインシュタインについても調べてみるとどうやら普通の人とは違った部分が発達しているそうです。 こう考えるとやはり彼らは脳に使うエネルギーが多いと感じるのですがどうなんでしょうか?

関連するQ&A

  • これからのエネルギー分野

    現在工学系の学部所属している大学1年の者です これからのエネルギー分野で重要なことは水素の核融合だと思っていたのですがネットで「エネルギー分野は、ボース・アインシュタイン凝縮が主題になります」というのを読みました。 ボース・アインシュタイン凝縮のどういった特性がどのようにエネルギー分野として応用されると考えられているのでしょうか? 超伝導で電力を貯めるとかですか?

  • エネルギー 高校物理I 力学的エネルギー保存則

    高校物理Iについての質問です エネルギー分野の問題で 「なめらかな水平面上に置かれたばねの右端を壁に固定し、左端に質量mAの物体Aをつけ、静止した状態で置いてある。左のほうから質量mBの物体Bが、速さVでAに衝突し、衝突後は一体となって速さ1/2Vで運動した。ただし、ばねの定数はKで、ばねの質量は無視できるとする。 (1)衝突時に失われた力学的エネルギーを求めよ。」 という問いについて、 僕は 1/2mBV^2-1/2(mA+mB)(1/2V)^2 という式をたてたのですが、 解には1/2mBV^2-1/2(mA+mB)1/2V^2 となっていました。 なぜ最後のところの速さの1/2VのVだけ2乗され、1/2は2乗されないのでしょうか?

  • アインシュタインテンソル

    こんにちは、 一般相対性理論が大好きで、「アインシュタインテンソル」に興味があるのですが、いろいろと計算している内に、「計量を用いてアインシュタインテンソルを計算し、得られた値を再び計量として用いアインシュタインテンソルを求めますと、指数関数的に膨張する解を持つインフレーション宇宙の場合に限り、これらの物理的操作つまり変換を循環的に繰り返しても、アインシュタインテンソルの値が不変性を持つこと」がわかりました。 これは、mathematicaを用いて計算すると、ちゃんとそうなりますので、間違いないのですが、数式で証明することは、簡単にできるのでしょうか?ご教示頂きましたら幸いです。

  • 海洋物理学

    今物理研究室に所属しており、海洋学に興味が出てきました。 その中で海洋物理学という分野があると知ったのですが、いったい何を目的とした学問なのでしょうか? また、職業にするといったい何をやるものなのでしょうか?

  • 省エネの建築例

    自分は建築学科に所属しているのですが、 実際での省エネルギー建築例ってどんなものがあるでしょうか? 風、光、緑化とか・・・ その分野に興味があるので、できればお勧めの本なども教えていただけるとありがたいです。 m(_ _)m

  • 研究室について

    私は今年度修士課程1年になった者です。 学部時代は物理学科に所属していました。 昨年大学院受験をし、その時に興味のあった物理系の分野(分野Aとします。)の研究室に所属しました。 しかし、3月くらいからこの分野Aが本当に自分の興味のある分野か分からなくなり、 そのまま研究室に配属されましたが、未だにここでよかったのか疑問に思っています。 実は、受験の際にそれとは違う分野(分野Bとします。)が自分に合ってるんではないかと常に感じており、 ただこの分野Bは物理とはかけ離れた分野であるために、「この分野に行くことは学部時代に学んだことが無駄になるんではないか?分野Aの方がいい」と自分に無理矢理言い聞かせて決めた感が否めません。 このまま2年間を今の研究室で過ごすべきでしょうか、もしくはもう一度受験して分野Aの研究室に移った方がいいでしょうか? 参考といたしまして 分野Aと分野Bの研究室は同大学院です。 また、私は修了後は就職する予定です。

  • 空が落ちるってあり得るの?

    空が落ちるってあり得るの? って思うんですが、未だに「空が落ちたらどうなるか」的なお話がされているみたいです。 たとえば、天文学、物理学、量子力学の分野での 双子のパラドクス ゲーデル解 ガレージのパラドックス EPRのパラドックス なんかです。 後は、暗黒物質とか暗黒エネルギーとか、何を指して暗黒といっているのでしょうか? 極めて明瞭だと思いますけど?? ひも理論も、「宇宙は11次元」とか言って、簡単なことを複雑な次元にしてるとしか思えないし。 まー、それで何を説明しようとしてるのか調べたことはないですけど。 「ブラックホールに落ちた光は二度と脱出できない」という説明もおかしいですよね。 空は落ちないんだから、「拾えるわけない」って思うんですけど??? アインシュタインクロスの何が驚きの存在なんだか。 アインシュタインリングが在りえないことなんて、考えるまでもないし。 アインシュタインは一般相対性理論を発表した偉大な人物だと思うけど、百年前の科学者ですしね。 空が落ちるって、在り得るのでしょうか? この質問に回答しようとする方は以下の関連質問に目を通した後でお願いします。 アインシュタインリングってあり得るの? http://okwave.jp/qa/q6118855.html 重力で空間が歪められるってあり得るの? http://okwave.jp/qa/q6161055.html 重力レンズで光が分けられるってあり得るの? http://okwave.jp/qa/q6175531.html 光が重力中心に向け曲げられるってあり得るの? http://okwave.jp/qa/q6193758.html

  • 孤独は 互いの孤独関係であって 孤立ではない

     表題の内容を 次の評論にからませて問います。  ボルケナウは その著『封建的世界像から市民的世界像へ』の最終・第八章を パスカルの議論に当てているが その最後に・すなわち書物全体の最後に こう述べている。:   かれ(パスカル)はその時代ではついに孤独の存在におわった。生き  るとは その時代にあっては 見まいとすることであるから。   そして生きると見るとがふたたび統一されるのは 歴史主義が――  哲学の分野でパスカルをのりこえて踏みはだれた(=ママ。《踏み出さ  れた》か)根本的には唯一のこの前進が――弁証法をわがものとし   またその弁証法によって矛盾を脱却しうる道をさししめすときからである。   そしてその道とは 思考によって生活を解釈しなおし ないしは思考に  よって 生活の不満を訴えるかわり 生活そのものを変更するということ  である。    (F.ボルケナウ:『封建的世界像から市民的世界像へ』§8・4     水田洋,花田圭介,矢崎光圀,栗本勤,竹内良知訳  2004 p.673)  あたまは生きている内に使えと言っている。近代の特徴だとも思えないが 民主制の進展につれて そうなって来たというくらいのことなのであろうか。  だから この思考の活用ということが歴史をつうじて例外なくごくふつうに有効であるのと同じように 孤独は おのれの《固有の時》へと到らせることはあっても 社会で独り孤立していることを意味するものではない。これが歴史をつうじて 普遍的な真理である。  パスカルについて ひとつ 言えることは かれは のちにヤンセン派の人びとと立ち場を同じくし かれらからは 自分の思想がアウグスティヌスのと同じであると褒められもしたのであるが パスカルは 哲学から入った すなわち エピクテートスとモンテーニュとを学ぶことをとおして アウグスティヌスのならアウグスティヌスのその思想と同じものを抱くに到った ゆえにパスカルは アウグスティヌスに対しては 自分の独創性を主張することができた この点である。  だから パスカルは たとえばいまの国家観の問題でも アウグスティヌスと同じ考え方をしていても ほとんど そうは言わない。しかも 両者がもし 同じ思想を持つことがあったとした場合 それは 必ずしも ボルケナウの言うように《国家は悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具である》という論点に 要約されないであろう。《必要悪》論は 付随的な一帰結にそれがあったとしても それは 問題の中心には来ない。  問題の中心は ボルケナウが次のように批評するところの一観点のほうが 有効ではないか。    パスカルはその時代ではついに孤独の存在に終わった。  しかもこれは うそである。  《その時代では》という条件をつけても うそだと言わなければならない。そして――そして―― 《実定主義国家学説》の徒としてのパスカルならば それは ほんとうであるだろう。そして――さらにそして―― わたしは パスカルは かれの人間学基礎をもってしてならば その自然法主体に――つまり 人が人であることに――孤独はないのだから 《孤独の存在に終わ》りはしなかったと言う。ここでは この限りで 国家論と人間学基礎とが みっせつにかかわりあう。  つまり 時代総体としての出発点ということになる。それは いつの時代においてもである。  わたしは 想像の世界に遊ぼうとは思わないし 抽象的な議論で終わらせたくないので まづは ひるがえるならばただちに 孤独であってもよいと言う。すなわち・そして 人は 社会習慣の領域で 孤立するかも知れない。なぜなら つまり 孤立した(孤立を欲した)人びとが 孤独者をも 孤立していると見るはずだ。――しかも もはや かれは ひとりではない このことを明らかにすることにつとめよう。  わたしは わたしひとりであるゆえに ひとりではない と言ったのだ。  自然法主体の主観動態は 少なくとも論理的に こうであるほかない。そして――まだ論証していないのだが――これが 社会経験の生活領域でも その出発が開始され(そしてこのとき むろん なんらかの法治社会として 人定法が持たれていて いっこうに 構わないわけだが) 社会行為の関係が構造的にゆきわたっていくならば つまりもう一度繰り返すと 自然法主体の主観動態が 社会習慣の領域でも 互いにゆきわたった動きを見せるなら じつは 大地は すこやかである。ひとりであって ひとりではないからである。  わたしは 神話を説く趣味はないから これを これだけで 主要な議論としたい。論理的な証明をおこなおうとすることさえ それが成功しても なんらかの神話をつくり勝ちなのである。  ボルケナウに反を唱えた すなわち かれの到達点としての新しい生活態度(思考の有効活用)はこれを受容し そうではなく他方で その生活態度の観点から言ってボルケナウが パスカルは 《孤独の存在に終わる》と言い そんな一人の人間としてのみ その時代では 実践し生きたと見ること これに反を唱えたい。これだけで まづは じゅうぶんだと考えたい。  わたしは独りであると言うとすれば そのように誰もが同じく言うことになるのだから 孤独はつねに孤独どうしの関係としてある。つまりは 孤立ではない。  そのつてでは こう言おう。孤独の人パスカルの主観動態――おのおのの《固有の時》――がゆきわたった世界は その大地(つまり社会習慣)が すこやかであると。ここを耕す人の手足はじつにうつくしいと。

  • 数学の問題が物理用語を用いて解かれるものはありますか?

    物理の問題が数学用語を用いて解かれることは多々あります。 それは物理数学と呼ばれる分野で、wikipediaによると、 ベクトル解析、テンソル解析、微分方程式、常微分方程式、偏微分方程式、フーリエ級数、フーリエ変換、ラプラス変換、微分幾何学、群論、特殊関数、複素解析、複素関数 などがあります。 では、数学の問題が物理用語を用いて解かれるものはあるのでしょうか? 物理用語とは、力、質量、運動量、運動エネルギー、電流、電圧、磁荷などです。 ペレルマンによるポアンカレ予想の証明には、熱量・エントロピーなどの物理的な用語が登場する、と聞いたことがありますが、それ以外のわかりやすい具体的な例を教えていただければありがたいです。

  • 化学系の就職

    化学科の物理系研究室に所属するM1、女です。 そろそろ就職活動を意識し始めているのですが、気になっていることがあります。 理学系、特に化学系の分野に携わっている方に質問なのですが、理系で工場・研究室以外の就職先にはどういったものがあるのでしょうか? 開発や研究といったことに興味はあるのですが、院での研究や学会の発表等を経験するうちに自分にとって仕事にするにはちょっと厳しい分野だと思い始めたので。 よろしくお願いします。