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国文法「だろうか」の区分について

国文法なのですが、「だろうか」を単語に分けると、「だろ」「う」「か」になるとのことなのですが、なぜそうなるのか分かりません。国文法に詳しい方、教えていただけますでしょうか。 たとえば、「食べるだろうか」の場合、「食べる」は自立語で、「だろ」「う」「か」は、付属語と考えるとのことなのですが、どうした意味で、そのように区切られているのか分かりません。どうぞ、よろしくお願い致します。

みんなの回答

noname#160411
noname#160411
回答No.2

>どうした意味で、そのように区切られているのか分かりません への回答です。 自立語は「単独で意味の通じる語」、付属語は「単独では意味の通じない語」。 「食べる」は単独で意味が通じる(会話になる、といってもいいかな)ので自立語。 「だろ」「う」「か」は単独では意味が通じない(返事が期待できない、といってもいいかな)ので付属語です。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

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