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国文法

こんにちは。 国文法、文節分けの問題で疑問があります。 「つまらないことで絶えずけんかをしている。」という文の文節分けで、「している」を「して/いる」と分けるかどうかということです。 私は「いる」を補助動詞として判断したので、分けると考えたのですが、分けないという人もいます。 知識のある方、アドバイスお願いします。

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回答No.2

>HPや参考書などでは やって/くる 飛んで/いる と補助動詞は切るという指導が多く見られますが、これと同じタイプの問題と理解していいでしょうか? その通りです。#1でお答えした2つの考え方のうち、後者は中高生レベルでは難しいので、形式的な分け方で「切る」ように指導することが多いのだと思います。また、その方が品詞論として一貫した解釈であるとも言えるので、品詞論中心の現在の学校文法の体系内で理解しやすいのです。

ishigakimiyako
質問者

お礼

ありがとうございます。 とてもすっきりした気分です!

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回答No.1

もともとこの件は「文節」の定義の仕方により二通りの解釈が成り立つのです。 文節は「自立語ひとつ+付属語0個以上で成り立つ」ことは共通なのですが、 1 【形式的な分け方】「補助動詞」も通常の動詞と同じ形態を取るので「自立語」と見る。   「して/いる」 2 【意味的な分け方】上記に加え、文節は「意味上のまとまりの最小の単位=文の成分」と見る。この場合「補助動詞」は「述語」の一部を形成するので、意味上は「付属語」と考える。   「している」=ひとまとまりの述語 2の方が高度で精密な考え方だと思います。また、経験的にも、 1「絶えずネ/けんかをネ/してネ/いるネ」 2「絶えずネ/けんかをネ/しているネ」 1のように切ることは不可能でないにしても、2のほうが自然に感じられることと思われます。 

ishigakimiyako
質問者

補足

さっそくの回答ありがとうございます。 中1の生徒への個別指導のテキストでの出題例で解答には「している」と切らないで載っていたので、困っていました。 HPや参考書などでは やって/くる 飛んで/いる と補助動詞は切るという指導が多く見られますが、これと同じタイプの問題と理解していいでしょうか?

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