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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ネットの登場により「知識」に対する価値観が・・・)

ネットの登場により「知識」に対する価値観が変わった?

noname#212174の回答

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noname#212174
noname#212174
回答No.6

長くなってしまいましたので暇な時にでもどうぞ。 >気になってから知るまでの間に5分も掛からないでしょう。 >インターネットが無い時代のことを考えたのですが、今とは 全く違っていたのではないでしょうか? はい、全く違っていました。 ネットが誰でも手軽に使えるようになってから 約10年ですがその変化はやはり劇的です。 家に居ながら5分で情報を手に入れる方法は主に「活字」でした。 いまでは国語辞典や和英辞典すら不要なので全く手にする機会がなくなりましたが、「5分で」となったら思い浮かぶのは「本」「辞典」の類でした。 ですから、各家庭のリビングには「百科事典」というものが鎮座していました。(といっても高価なのでどこの家でもというわけではありません。) 「風邪をひくのはなぜか?」「太陽って何だろう」「ホワイトハウスの場所」などを知りたいと思ったらまずは「百科事典」で調べます。 『百科事典』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E4%BA%8B%E5%85%B8 『平凡社 世界大百科事典』 http://heibonnotomo.jp/goods+index.id+2.htm 『ブリタニカ百科事典』 http://www.britannica.co.jp/store/1_40.html しかし、百科事典は新しいことや言葉は載っていませんから百科事典を補う存在として絶対的な地位を保っていたのが『現代用語の基礎知識』をはじめとする年刊型の新語・用語辞典(ミニ百科事典)でした。 暮れになると『イミダス』『知恵蔵』とともに競うように分厚い新刊が山積みになるのは一種の風物詩でした。(なつかしー。) 「新語・流行語大賞」は『現代用語の基礎知識』から選ばれてることを知らない人も多くなったと思います。 『現代用語の基礎知識』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9F%A5%E8%AD%98 こんな画像がありました。(まさに5分で見つかります。) http://d.hatena.ne.jp/wildride31/20081210/1228928187 http://researchmap.jp/jotlmmu80-2178/#_2178 このような新語辞典の先がけが今でも現役の「広辞苑」です。 ふつうの辞書よりもアップデイトが早くて重宝されたので『現代用語の基礎知識』のヒントになったのは想像に難くありません。 『広辞苑』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91 ---------------- これらの辞典は知的ステータスシンボルの役目もあって多くの家庭に常備されて、その他にも様々な実用辞典がありました。 「家庭の医学」なんかも定番でした。 『たけしの本当は怖い家庭の医学』はそのパロディ的なタイトルなんですけど、世代によってはピンと来ないでしょうね。 このような「辞典」の黄金時代も「パソコン」「電子辞書」という「夢の道具」の登場で終りを告げました。 「電子辞書」自身も「モバイルPC」そして「スマートフォン」という真打ち登場でいずれ消えて行くのかもしれません。 >ネットが無かった時代に、それを知るために大変な労力が必要だったのではないでしょうか? 労力をかけたくないのが人間なので、上記のような辞典がよく売れたわけです。 「居ながらにしていろんなことが知りたい」という欲求は今と変わるところがないので、PC・ネットの代わりに「大きな本棚」があったわけです。 「すぐ知りたい・たくさん知りたい」という欲求が強いほど雑誌・書籍・辞典などは増えていくので「学者の部屋は本だらけ」というのが定番のイメージになり得るわけです。 >ネットが無い時代は知りたいと思ったら、聞いて回って、知っている人を探したり、本屋で書籍を探したりと大変だったでしょう。 おっしゃるとおりで、「家にある本」で解決しない場合は「5分で」を諦めざるをえません。 そんな時頼るのが「詳しい友人」や「頭のいいやつ」です。 電話という便利な道具のお陰で訪ねていく必要はありませんでしたが「聞いて回る」は現実にありました。(今ではTwitterですか?) 早さが優先される情報は「○○テレホンサービス」「FAX情報サービス」なんてものをよく利用していました。「有料・無料」でほんとうに色々ありました。(いまでも絶滅してませんよね。) ネットがない時代はこれがけっこう便利で「プッシュホン」が広く普及するにつれサービスも多様になっていって、それはそれで「情報革命」でした。 それでも分からないといよいよ「5分」ないし「すぐ」は諦めざるをえません。 TVやラジオで「放送されない情報」の場合、「本屋」あるいは「図書館」に出かけることになります。 新聞の「縮刷版」もよく利用しました。 新聞といえば「スクラップ」も情報収集の基本でした。 保存したい記事を見つけたら切り取って糊付けするわけですがさすがにそれは知ってますよね。 近くの本屋・図書館で事足りないときは「神田の古書街」「国立国会図書館」のようなところまで足を伸ばさないといけなくなります。 雑誌の図書館なら「大宅壮一文庫」が有名です。 今ではネットでアクセスできる文献も多くなったので、やっぱり手間という意味では格段に楽になりましたね。 でもその時はそれが当たり前なので「面倒」ではあっても「苦労」という感覚はまるでありませんでした。 まるでおじいさんのような言い回しですが本当に苦労だなんて思っていませんでした。 それよりも、「電話やFAX、巨大図書館と便利な時代になったものだなー。」「昔の人は大変だったろうなー。」とか思っていました。 >ネットの登場で便利になりましたが、人とのつながりが減ったり、知識を持っている人(年長者)に対する敬いの気持ちは薄れてしまうのではないかと心配です。 その心配は今に始まったことではないです。 まず、「本」や「新聞」があるのが当たり前と思っていますが、「印刷」は世界三大発明の一つと言われるくらいの革命的出来事でした。 それまでは「口承」「口伝え」が基本でしたから、広く誰かに伝えたり情報を蓄積するのは非常に困難だったので、印刷技術による情報革命が起こるとlucky_okさんのような心配をする人は数えきれないくらいいたと思います。 『活版印刷』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E7%89%88%E5%8D%B0%E5%88%B7 『口承』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E6%89%BF さらに、写真に映画、ラジオやテレビとそれこそ情報革命が起こるたびに同じような心配がされてきたでしょう。 それでも人間は全然変わらないんです。 日本でいえば、1,200年も前の「万葉集」の和歌にこめられた感情も理解出るし、1,000年前の「源氏物語」の男女の機微も理解できます。 世界に目を向ければ、1,700年も前の「三国志」の人間模様に心踊らせる事もできます。 --------------- 「知識の量」がその人の「権威付け」になって「尊敬の念」が起こるのは確かですが、それは逆に「知識されあれば」権威を手にできるということにもなります。 ネットの時代はそういう「知識の量で権威を手にしたいだけ」という人を「ふるい」にかけて、それ以外の部分をより明らかにできるようにもなりました。 過去の情報革命でも同じことが繰り返されてきたと思いますが、「尊敬」という感情がこの世から消えて無くなってしまわないのは、「尊敬の念」が「情報の量」だけで起こるものではないことを明確に物語っています。 ---------------- 「人とのつながり」に関しては「twitter」や「フェイスブック」が全く違う「人とのつながり」を生み出しています。 先日の震災時には良くも悪くも「twitter」が広く利用されて、過去に例のない「つながり方」が生まれました。 また、中東のチュニジアでは独裁者の弾圧の目を逃れて情報交換するために「フェイスブック」が使われ「フェイスブック革命」とも呼ばれる「ジャスミン革命(民主化運動)」が起きました。 その後、民主化運動は中東各国に広がり「アラブの春」と呼ばれる大規模な民衆運動に広がって行き現在も進行中です。 『ジャスミン革命』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%83%B3%E9%9D%A9%E5%91%BD 『アラブの春』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5 このことから分かるのは、独裁者は情報をコントロール(統制)して自分に都合の良い情報だけを流すことで「権威」を保って「尊敬の念」を持たせようとしてきけれども、そんなことでは心から尊敬されることはなかったということです。 (つづく)

noname#196688
質問者

お礼

Q_A_333さん、大変詳しい回答ありがとうございます。 今回偶然思いついた質問だったのですが、知らないだけで昔とは激変している事象がたくさんあるのでしょう。 「昔の人は・・・」とか言いますが、昔と今では感覚が全く違ったのかもしれません。 明治時代とか昭和初期の日本はどうだったんだろうと思う今日この頃です。 『たけしの本当は怖い家庭の医学』には気づけませんでした。

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