• 締切済み

哲学者の名前

確か認識論の中の話だったと思うのですが,もの(物,抽象概念を問わず)の存在は,そのものについて名前をつけて初めて,人間に識別,あるいは理解できるということを哲学者が言ったことを以前に読むか,聞くかしたと思うのですが,その哲学者の名前とその言葉思い出せません.どなたかご存じであれば教えてください.

noname#178429
noname#178429

みんなの回答

  • beingpeace
  • ベストアンサー率19% (203/1025)
回答No.2

そういうことを言っていそうな人はたくさんいると思いますが、日本で有名なのはソシュールではないでしょうか。 http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?mode=m&no=28 http://okwave.jp/qa/q3187871.html ちなみに、私はソシュールが正しいとは思っていません。

noname#178429
質問者

お礼

早速ご回答有り難うございました. ご紹介頂いたURLの内容は参考にさせて頂きます.

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.1

ご質問の意図に沿う、回答、回答者、はないのでは。 そういうことを言った。考えた者は世界中に幾らでもいるでしょうし。誰が最初に言ったか? は特定出来ないでしょうし。それが正しければ、誰が言ったかは重要ではないでしょう、 故人なら、既にいない人、ですから。 悲しいから泣くのか、泣くから悲しくなるのか、と同様。常識の逆もまた常識、なのでは。 非常識、という、名、は付きますが。 成文化されているもので、最古?の表現は 仏教の、12支縁起、 無明、行、名、識 ・ ・ ・ ではないでしょうか 無明、を縁として、行、が起こり、行を縁として、名、が起こり、 名、を縁として、識、が起こる。という、考え方で、ご質問の考え方と 全く一致するもの、になります。

noname#178429
質問者

お礼

早速のご回答有り難うございました.

関連するQ&A

  • 実存哲学

    ハイデガーの実存哲学(主義)とは現代存在論は同一のものなんでしょうか?いろいろ調べてみたんですがいまいちよくわかりません(>_<)それからカントやデカルトの(近代)認識論から(現代)存在論へと移行したということについてなんですが、どのように移っていったのかむずかしくて理解できませんでした!このことについても詳しい人、教えてくれませんか?お願いします!

  • わかりやすい哲学書を探しています

    最近、大学で人間論を学び始めたのですが、人間とは何かを哲学的に学んでいくもので、西洋哲学にとても苦戦しています。書いてある内容が難しすぎて、意味が理解できません。人間論・西洋哲学について初心者の私にも理解できるよう、わかりやすく書いてある本を教えてください。できたら、イラスト解説やマンガでわかる・・・というものがあったら良いのですが。 よろしくお願いします。

  • 認識論は哲学ではない

       問う人: 認識論は意味が無いとゆー人がおるが、実際そーなのか。 「人の道」: はっきりゆーて認識論は哲学ではない。 問う人: なぜ認識論は哲学とは言えんのか。 人の道: 認識論とは、例えば次のよーな問いを発することである。   今わしが食っているこのおにぎりは果たして存在するのか、   今おにぎりを食っておるこのわしは果たして存在するのか、   今わしが生きているこの世界は果たして存在するのか、   今わしが死んだらその霊魂はどーなるのか、存在するのか、             ・             ・             ・ しかし、これらは哲学とは呼べない。 なぜなら、これらの問いを発しても何一つ価値ある答えは得られないし、何一つ価値あるものは生まれないからである。 実際、これらの問いは昔から行われているが、これらが何ら価値あるものを生み出した試しがない。 また、これらの問いには何等の思想も理念もない。 哲学と呼ぶには思想や理念がなければならない。 哲学と呼ぶにはもっと高い位置に立つものでなければならない。 これらは単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎない。 どーやら宗教的精神は認識論が土台になっていると見える。 これらが長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、本来あるべき哲学を蝕み退化させた。 哲学における病巣とゆーてえー。 問う人: 認識論は単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎず、哲学とは呼べないゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。    

  • 哲学を退化させたものとは

      問う人: 哲学の進歩発展を阻害するものはあるのか。 「人の道」: 哲学の進歩発展を阻害し、退化させるものは昔からある。 それは次のよーな問いの中に潜んでおる。  自己は存在するか、  心は存在するか、  霊魂は存在するか、  世界は存在するか、     ・     ・     ・ これらは認識論とゆーて、如何なる価値も生み出さない不毛の問いであることが昔から知れ渡っておる。 しかし哲学と称してこれらの問いかけを続ける輩が今だに大勢おるが、全くの役立たずである。 また漬かると必ずこの認識論に拘ることも判っておる。 これらが長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、哲学を退化させた。 哲学における病巣とゆーてえー。 問う人: 認識論が何の価値も生まない不毛の問いであり、哲学を退化させた張本人ゆーこと、皆はどー思うか聞かしてくれ。  

  •  哲学ってなんですか?

     哲学とは何なのでしょうか? 既出だとは思いますが、検索しても見つからなかったので、あえて質問させて頂いていますわ。  gooより抜粋させて頂きました。 哲学:世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。  詳しく書いて頂けると、とても嬉しいのですが、私も本気で質問していますので、本当に納得のいった回答のみ、お礼や補足をしたいと思います。

  • やはり哲学が先である。

      正しい哲学がなければ正しい科学は生まれない。 正しい哲学がなければ、ビッグバン宇宙論の如きペテン科学が生まれてしまうからである。 ビッグバン宇宙論は人間が観測可能な限界は137億光年であり、137億光年先は宇宙ではないと見なしているのである。 これは単に人間心理の都合によって生みだされる宇宙の捉え方に過ぎないのではないか。 人間が観測可能でない場所にも宇宙は存在すると考える方が正しいに決っている。 人間心理に左右される哲学は正しい哲学とは言えまい。 そして正しい哲学がなければ正しい科学は生まれない。 やはり哲学が先ではないのか。    

  • 大学の哲学科はなんで文学部にあるのですか?

    哲学のテーマは、世界がどうなっているかという存在論の話と、それをどう認識しているかという認識論の話だと思います。前者は物理学的な話に思えますし、後者は医学生理学的な関心に思えます。 そもそも哲学は歴史的には自然科学といっしょでした。それからいろいろな学問が分かれたと聞いています。 なんで哲学科は文学部なんですか?文系の学問と考えた方がいいのですか? 実験機器を使わないからという話ですと、数学科も理学部にあります。 哲学科も理学部でいい気がするのですがどうでしょうか?

  • 哲学用語で...

    すいません。とてもあいまいな記憶で申し訳ないのですが 「あるモノが好きだけれどもとても嫌い」みたいな概念の 哲学用語を以前何かの本で見たような気がするのですが、 そのような概念があるのか、またあれば、その概念を表す 言葉が何であるか教えていただきたいです。 宜しくお願いします。

  • 哲学は公理系を持とうとはしなかったのですか?

    哲学は公理系を持とうとはしなかったのですか? 哲学のカテゴリーで何度か質問させていただき、その回答を拝読しながら思うことに、基本的な用語や概念に対してなんと多様な解釈があるか!という驚きがあります。 たとえば、「人間の本質は変わらない」のか「人間の本質は時とともに移ろう」のか。 このような基本的な事に合意を取らずに、人間界の議論を開始するのが哲学なのでしょうか? 場合によっては「時ともに移ろうものを本質と呼ぶのか」みたいなところまで遡って基礎教育しなくちゃならない。 人間という言葉で示す概念を固定できないとすれば、その言葉を使って何を意思疎通せよと言うのでしょうか? 哲学が数学や物理学ほどに緻密でなく、宗教ほど逞しくないことは分かりましたが、せめて公理系を持てば、哲学の議論が発散することを回避でき、議論の成果も期待できるのではないかと思います。 哲学が公理系を持ったことが有るのか、また持ったことが無いのであれば、なぜ公理系を持つことができなかったのか、など、ご教授いただけるとありがたいです。

  • 哲学が 難しいのは何故ですか?

    通常は 易しく解き明かせないということ自体、その物事の解明はまだ「易しく解き明かす」までには順序良く整理されきってはいないという事を意味していると思います。 この通常の定義の通用しないような思索展開が、 真理とか美とか善とはとか、私たちが生きてるということの不思議さとかその因果とか、あるいは存在自体の因果の謎(?)とか、ではその中での価値とはとか、意味とはとか そういう言葉を使う私たちの言葉自体の可能性とか限界とか、 考えをどんどん深めていくにしても、なぜ哲学という思索の中では起こりえるのかが解かりません。 難しい言葉を使ったほうがより鮮明になる思索展開があったとして、その難しい言葉は、順序良く解かり易く説明できないということはありえないと思うのですが、どうなのでしょうか? もしかしたら 考えすぎて頭のこんがらがったままの人が作った難しい言葉で(概念でもいいです。概念という言葉なら中学生でも解かる概念ですからそれはこの難しい言葉の範疇ではないですからね)、 あるいはむずかしい概念で、さらに考えようとしてきたために、歴史的にだれにも分り易いところまで整理するのが大変な世界となってしまっているのが哲学という学問の世界なのでしょうか?