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お題目と念仏

曹洞宗ではお題目はないと聞きました。 その変わり南無帰依法といえば良いのだそうです。 曹洞宗の念仏は南無釈迦牟尼仏だそうですが、 南無阿弥陀仏と言っても良いとのことです。 しかし、南無妙法蓮華経は日蓮宗だから違うと言われました。 この辺の綾が良く分かりません。どういうことでしょう。

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  • peri1005
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回答No.2

こんばんは。 各宗派によってお唱えしているものは違いますが、まず「南無」という言葉の意味から考えます。 「南無」とは無条件に帰依したしますとの意味です。無条件に信じてまいりますとお考えになってもよろしいでしょう。 ここで各宗派さんが信仰の中心に何を据えて、重視しているかによってお唱えする文言が変わってまいります。 曹洞宗さんのように南無釈迦牟尼仏というのであれば、釈迦牟尼仏への帰依を中心とするものであり、浄土宗系さんのように根本の本尊仏である阿弥陀如来を中心とするのであれば「南無阿弥陀仏」、また天台宗さんや日蓮宗さんなどでは妙法蓮華経を中心としますから「南無妙法蓮華経」、真言宗さんのように法につながらせてくれた開祖への報謝と帰依を表すために、「南無大師遍照金剛(または南無遍照金剛)」とお唱えするものもあります。遍照金剛とは日本真言宗開祖である空海(弘法大師)のことです。 No.1のご回答者様が示されているように、仏教には三つの宝があること、これを三宝といい、そのひとつひとつは「仏・法・僧」となります。 この三宝すべてを信じ、帰依して大切に敬うのはどちらのお寺さんでも変わることはありませんが、普段の感謝の言葉として出てくるのが「南無~」であって、特に何を中心として表に出しお唱えして、報謝の意を表していくのは、それぞれの宗派さんでもって違いますよということなんです。 要するに仏さまの教えに触れるにしても、信じようとするその人一人一人によっての考え方というのがあります。どの教え方から入っても最終的には同じところにいくことではありますが、とっかかりの一つとして、まず何に祈りをささげていくのかを示しているものであると思います。その方法をしながら別の要素を取り入れてしまうことで、最初からかえって迷ってしまう結果になってはいけない、このことから曹洞宗さんの僧侶の方は日蓮宗で用いられる「南無妙法蓮華経」は違うのですよと言われたものと思います。 簡単に言えばそういうことなんですが、いかがでしょうか。

uzume_z
質問者

お礼

詳しく有り難うございます。 私に南無妙法蓮華経は違うというのは親戚の叔父さんです。 某団体にあまり良い印象を持ってないので。。。 南無釈迦牟尼仏も南無阿弥陀仏も同じものだと思います。 宗派によって違いがあることは、 ここで現職のお坊さんから色々と聞きました。 人間である釈迦を尊ぶのは偶像崇拝かなと思います。 でも真言宗では空海を崇拝しているのですか? 感謝と崇拝では違ったニュアンスがあります。 ちょっと学校で習った事と開きがあって戸惑ってます。

その他の回答 (1)

  • beko166
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回答No.1

仏教には、「三宝(さんぼう)」という言葉があります。三宝というのは、仏さま(仏宝;ぶっぽう)、仏さまの教え(法宝;ほうぼう)、仏さまの教えを信じる人たち(僧宝;そうぼう)です。お釈迦様の時代では、「仏」はお釈迦様、「法」はその教え、「僧」は仏弟子の集まりである和合僧(わごうそう)、つまり教団のことです。 曹洞宗では、「仏」すなわち、お釈迦様とその教え「法」を中心にしているので、“南無釈迦牟尼仏”、“南無帰依法”と唱えるのだと思います。日蓮宗では、お釈迦様の教えの法華経を中心としているので、“南無妙法蓮華経”と唱えているのです。即ち、何を中心としているか、何に祈りを向けるかです。それを、念仏と言ったり、お題目と言ったり、ご讃題と言ったりします。 しかし、三宝はバラバラなものでなく、「三宝一体(さんぼういったい)」であるべきで、三つの宝が一体となって意味があり、価値があります。お分かりになりましたか??

uzume_z
質問者

お礼

どうもご回答有り難うございます。 何となく分かったような分からないような・・・ 宗派ごとに複雑な事情があるのは聞きましたが。 中心にお経があるからお題目があるんですね。 そこのところは謎が晴れた気がします。

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